19日の聖壇の花(八重のトルコ桔梗)


19日の聖壇の花
八重のトルコキキョウの紫が美しく礼拝を整えていました。
紫はイエス様が鞭打たれ、茨の冠をかぶせられた後。紫の衣を着せられ
ユダヤ人の王、と嘲笑され、十字架に向かわれたことから、イエス様の受
難を表す色と考えられています

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by minitayori | 2017-03-25 16:15 | Trackback | Comments(0)

「みにたより396」

「みにたより396」

河野進牧師の詩に「ぞうきん」と言う詩があります。

「ぞうきん」

困ったときに思い出され

用がすめば

すぐ忘れられる

ぞうきん

台所のすみに小さくなり

酬いを知らず

朝も夜も喜んで仕えるe0191585_15172343.jpg

ぞうきんに

 近頃やけにこの詩が頭をよぎります。自分がまだこの境地に至っていないことを思い、悲しくなることもあります。親しく語る人も少なくなり、手紙も電話もなくなり、それに代わって散歩の中で草花と語り合い、空の雲を見上げて、心慰められています。それでも、祈りの中で語り合えるイエス様を、身近に感じられる自分の幸せを思わされています。

そういえば昔、私が育った家には、何通りかのぞうきんがありました。それぞれに持ち場があって、仕事場の大切な台を拭くぞうきん、床を拭くぞうきん、玄関の窓ガラスを拭くぞうきん。みんな黙ってその場その場で用いられていました。どのぞうきんが貴いのではなく、用いる人と場所によって変わっていたのです。どれもぼろぼろになって絞れなくなるまで使ったものでした。当時はぞうきんでも貴重な布だったから。

 今の自分に当てはめながら、「朝も昼も、与えられた場所で、喜んで仕えるぞうきんになろう。神様が必要としてくださるのだから」と思っています。

 


by minitayori | 2017-03-25 15:56 | Trackback | Comments(0)

イエスさまと目の不自由な人の癒し

イエスさまと目の不自由な人の癒し(キリエ)
このキリエは、イエス様の癒していただいていながら、任せきれない
人間の弱さを表しています。彼は生きるすべの杖を親指一本でつかんで
います。その弱さを聖霊の力が励まし支えて下さっています。

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by minitayori | 2017-03-25 15:50 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 3月26日  ヨハネ福音書9章13~25節

3月26日  ヨハネ福音書9章13~25節
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9:13 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。14 イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。15 そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」

9:16 ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。

9:17 そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。

9:21 しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」

9:22 両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。

9:23 両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。

9:24 さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」

9:25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」

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「礼拝に備えて」

 今日の聖書を理解するためには、どうしても障害者問題を抜きにしては考えることができません。目の見えない人が、当時の世間でどんな状況に置かれていたかです。

 「この人が目が見えなくなったのは、親が悪いのですか、それとも誰か罪を犯したのですか。」この言葉は、弟子たちがイエス様に尋ねた言葉です。同じような考え方は日本にもありました。私は自分の生活の中で体験しました。40年間の、ろう者伝道担当牧師としての働きの中でも、何度も体験しました。

 イエス様のお考えは違いました。「この人が見えなくなったのは、神様の栄光が現れるためです」とおっしゃいました。

 旧約聖書では、神にささげる物は瑕疵のないものだけと考えられていました。障害を持っているという事は満足なものではない、瑕疵のあるものと考えられて軽蔑されていたのです。

 人の一生を考えてみましょう。人生90年と考えて、誕生の最初は、食事もできず排泄も自分ではできません。人の助けなくしては生きられないのです。そして70~80歳になって身体が衰え、身体だけではなく頭の方も幼子帰りをします。貴いのは心身ともに健康な時だけだと考えれば、自分の人生の三分の一は、生きる意味がない事になってしまいます。

 その障害を取り去って、今生きていることを通して神様の栄光を表すように用いてくださる方がいる、そう思うと、体が動かなくなっても命ある限り、生きることに意味を見出すことができるのではないでしょうか。日課の目の見えない人は、「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」と、彼を蔑視する人々に答えました。

私達も、どんな状態になっても、今日の命を与えてくださった神様に感謝しながら「ただ一つ知っていることは、今生かされていることです」と、信仰と感謝をもって生きたいと思います。神様が今日の命を与え、用い、神様の栄光を表してくださいますから。


by minitayori | 2017-03-25 15:34 | Trackback | Comments(0)

裏庭の桜

練馬は桜の開花が遅いのかな?
と思っていたら身近なところで咲いていた。アパートのyら庭に
大きな桜の古木があったが、先日庭師が入り剪定され、幹ばかりと
思っていたらたくましく咲いていました。裏庭に入れないので、
小さな望遠で写したのではっきりとは見えにくいのですが、お許しを!
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by minitayori | 2017-03-25 15:26 | Trackback | Comments(0)

3月12日の聖壇の花


3月12日の聖壇の花
礼拝の前の静寂の中、祈りつつ真剣に花と向かい合っている。神様に
ささげる花。後ろから見ていると花と語りあいつつ活けているようだった。
その人の祈りが聞こえる。

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by minitayori | 2017-03-18 13:27 | Trackback | Comments(0)

「みにたより395」

「みにたより395」

 最近、自分の歩き方がおかしく感じるようになった。脊柱管狭窄症と坐骨神経痛が悪化してきたのかもしれない。なんとなく右足の感覚が薄くなってきたように感じる。身体の移動で足を開いたつもりが、体重を支えるほどには動いていなくて、転倒しそうになったりする。

 これも今までの経験の中にはない新しい経験だ。知人に尋ねたら、大腿骨骨折でもすると大変だから気を付けるように言われた。その帰り道、広い通りの横断歩道の信号が赤に変わりそうになったので、走って渡ってしまった。勿論三本足だった。待っていてくれた車に手を挙げて感謝の意を表しながら渡ったが、さすがに息切れがした。こういう時は、信号を一回待つ勇気をもつことが必要であることを、改めてかみしめた。待っている自動車のためにも、自分のためにも、心の余裕をもって生きることが必要であると自戒した。自戒しつつ、卑屈にならず今と言う時を楽しめるような心をもっていたいと思う。

高齢者の中には、教会に来ても話し相手がなくて、寂しそうに帰ってゆく人もいる。イエス様に出会った喜びと、信仰にある家族に出会った喜びはあるのであろうが、自分の生きている世界を共有できる人がいたらと思いつつ、寂しく帰ってゆく人もいるのだろう。

今年亡くなられたお医者さんで、高齢になって時々しか教会に来られなくなった方がいた。この方は教会に来られるときは、高齢のご婦人たちと必ず昼食を一緒にして帰っておられた。このような配慮が必要だと思う。それは高齢者だけではなく、若い人々にも心を開いて話し合う時が、時には必要ではないかと思う。

そんなことに皆が気づく、心の豊かさのある教会になってほしいものです。e0191585_11120793.gif


by minitayori | 2017-03-18 13:21 | Trackback | Comments(0)

キリエ イエス様とサマリアの女







イエス様とサマリアの女

女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」

イエスは言われた。
「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」


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by minitayori | 2017-03-18 13:16 | Trackback | Comments(0)

3月19日 四旬節第3主日 福音書4章5~26節

3月19日 四旬節第3主日 福音書4章5~26節

e0191585_11131548.jpg4:5 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

4:7 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。

4:8 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。

4:9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。


4:13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

4:15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」

4:25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」 4:26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

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「礼拝に備えて」

 何年か前に、山手線に乗って渋谷に行った。車内で何気なく都留市の広告を見ていた。すると面白い広告の文字が目に入ってきた。それはひらがなで「であいであい」と書いてあるあけだった。スポンサーの名前が分からないままに、その意味を考えていた。「であいであい?」何だろうと思っていると、不思議なことに気がついた、「であいで、あい」」とも読めるのだ。

 その時渋谷について電車を降りる時に、この広告が「旅の出会い」を表現しているものとやっとわかった。しかし、自分が考えていた「出会いで、愛」と言うのもいいなとも思っていた。

 今日の日課で、イエス様はヤコブの井戸のところで、一人のサマリヤの女と出会っている。この女性は不幸を背負い、町の人々からつまはじきにされていた。通常は朝早くか、夕方涼しくなってから水を汲みに来るのにこの女性は日中、多分炎天下一人で水を汲みに来ている。人々と会いたくない、会えない事情があったのだろう。しかも聖書はサマリヤの女と記している。ユダヤ人から軽蔑されていた名前だった。

 その女性とイエス様は出会った。イスラエルにとっては歴史的に由緒あるヤコブの井戸のほとりで。イエス様はサマリアの女の人の境遇を瞬時に知り、声をかけられた。悲しみと孤独の中にいるこの女の人は、イエス様との出会いの中で、人を差別しないイエス様の愛、神様の愛をすぐに感じ取ったであろうと思われる。彼女は心の底からキリストと言われる救い主が来られることを信じ、出会いを願っていた。自らの悲しみと孤独の中でその願いは切実だったろう。イエス様は心貧しく、救い主との出会いを望む人に言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

今もあなたに語りかけておられる。苦しい時、孤独に感じる時、イエス様と「出会いで、愛。」あなたも経験してみませんか。


by minitayori | 2017-03-18 13:11 | Trackback | Comments(0)

教会の帰りに見た河津桜

教会の帰りに見た河津桜
花の満開も過ぎているようだったが、新芽の葉が花を支えるように美しく
彩っていた。自然の織りなす美しさですね。人もかくありたい。
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by minitayori | 2017-03-18 11:37 | Trackback | Comments(0)