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7月23日池袋教会の聖壇の花

7月23日池袋教会の聖壇の花
この日はカサブランカのユリの大輪が聖壇を飾られていま
した。この花に出会ったのは、会員のお葬儀の時だった。
あまりにも立派なユリの花だったので、驚いたものです。
大きな会堂には似合っていますね。

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by minitayori | 2017-07-29 21:15 | Trackback | Comments(0)

「みにたより314」

「みにたより314」

 ある人が、「神様、私にもっと耐えやすい十字架を与えてください」と、数十年も繰り返し願い続けました。神様も哀れに思い、いろいろな種類の十字架が置いてある場所に連れて行き、自分の好きな十字架を選びなさいと言いました。そこには三メートルもある大きなものから、一メートル位のものもありました。探している内に、わずか5センチくらいの小さな十字架を見つけて、「神様、これをください」と、喜び勇んで頼みました。神様は、「よろしい、もって行きなさい。しかしこれからは文句を聞きたくないよ」と言って与えました。彼はありったけの感謝の言葉を神様に述べました。そこで神様は、「今あなたは初めて感謝をするのか。よくご覧。その十字架は今まであなたがずっと持っていた十字架じゃあないか」と。

このお話は神学生の時に、年に一回地方で天幕伝道をした時に、大先輩の先生がお話の中で引用された心に残ったお話です。この天幕伝道では、見知らぬ家にチラシを配りけんもほろろに追い返されたり、時にはお茶を飲む相手をさせられたり、様々な経験しました。伝道と言うものの大変さを、身にしみて感じた時期でした。現実の牧師生活に入ってから、楽しい事もありましたが、苦しい事も多く、自らの足りなさを感じて逃げ出したいと思ったことも何度かあります。私にはこの十字架は重すぎます、と神様に祈ったこともあります。しかし、今振り返って、神様のなさることは全てよし。自分一人では負いきれない重荷を、神様は共に荷ってくださって、時にはみ言で励まし、友人や、先輩の助けを通してこの働きを全うすることができるようにしてくださいました。人は、それぞれ置かれたところで、神様からいただいた重荷を荷って生きています。主婦であれ、社会人であれ、高齢者であれ、病気で入院している人であれ、みなその場所に置いてくださった神様のみ心と言う重荷を負って生きているのです。

私は、花を写しに度々散歩に出かけ、色々な花を見つけます。よく手入れされた家の花、荒れ果てた庭の花、道端で咲く花、床下で咲く花、どの花も置かれた場所で一生懸命咲いています。聖壇に飾られる花も、道端で咲く花も、みなその場所で一生懸命咲いている、それが神様に託された自分の務めだから。
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どんな状況下であれ一生懸命、神様のみ心の中でき、それが美しく咲き続ける秘訣なのですね。




by minitayori | 2017-07-29 21:06 | Trackback | Comments(0)

ブドウの実

ブドウの実
教会の帰り小さなレストランの窓際にブドウの房が実っ
ていました。昨年も実っていましたが、今年は雨が少な
かったせいか実が小粒でした。ブドウの中にゴーやの
実も実っていました。小さな土地なのによく実った、
とほめてやりたかったです。

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by minitayori | 2017-07-29 20:54 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月30日 マタイ福音書11章25~30節

7月30日 聖霊降臨後第8主日 マタイ福音書11章25~30節

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◆わたしのもとに来なさい

11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。:26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。

11:27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。

11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

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「礼拝に備えて」

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」若いころ、≪文語体≫で暗記した大好きな聖句、人生の時々に励ましてくれたみ言です。

み言の中でいくつかの個所に心ひかれていますが、今日はその中の一つを取り上げてみたいと思います。「わたしのもとに来なさい」と言うみ言葉を聴くと、私は旧約聖書の創世記3章の、神様とアダムとの会話を思い出します。

禁断の木の実をとって食べた最初の人アダムは、その時から人間としての大切なものを失いました。隣人(エバ)を愛する心を失い、自分を恥じる心を持つようになり、さらに神様を恐れ、木の陰に隠れてしまいました。

エデンの園に連れて行ってくれた神様、大切な伴侶エバを造ってくださった神様。アダムは神様に似せて造られ、ご自分の愛する子として、神様に代わってこの世界を守る仕事を与えてくださいました。しかし、アダムは神様に背を向けてしまいました。このアダムに対する神様のお心は怒りではなく、悲しみに満ちていました。

 神様は、アダム(人)を愛しておられたから、木の陰に身を隠すアダムに、「あなたはどこにいるのか」、つまり「隠れていないでわたしのもとに出てきなさい」、と語りかけてくださったのです。神様の人、つまり私達人間に与えられた神様の愛のお心は、天地創造の時から今に至るまで、変わることのない愛のお心です。

 疲れた人、重荷を負って苦しんでいる人、悲しんでいる人、担いきれない寂しい心を持って生きている人達に、「今わたしのもとにいらっしゃい。わたしはあなたのすべてを知っている。安心してわたしのもとにいらっしゃい。わたしはあなたをわたしの子として迎えよう。全ての重荷と苦しみを持ってきなさい。そしてわたしの愛する息子として、共に生きようではないか!『私をもう一度、あなたの子供にしてください。』その心だけでいいのだよ」と言っていてくださいます。

 私は、多くの人に囲まれ愛されて、幸いな牧師生活40年を送ることができました。しかし、日曜日の夜には、自分の力に不相応な仕事が無事に終ってほっとすると同時に、やりきれない寂しさを感じ、誰もいない暗い礼拝堂で一人祈って過ごしたことも度々ありました。そんな時に心に語りかけてくださった神様のみ言は、若い時に覚えた聖書の言葉でした。それは、神様の語りかけ、神様の招きでした。「わたしのもとに来なさい。」このみ言に全てを委ねて、眠りにつくことが出来ました。

 あなたも神様の招きに応えて生きてみませんか。≪神共にいます≫、あなたの重荷を神様は知っておられます。その重荷を共に負っていてくださいます。 
 平安と喜びがあなたの心を満たしてくださるように祈ります。































by minitayori | 2017-07-29 20:42 | Trackback | Comments(0)

ペチュニア

ペチュニア
アパートの入口の床下から小さな花が顔を出していました。
植えた方が、こんなところまで広がって、と驚いていた。
駐車場の小さな花壇に植えたのに、広がったのですね。
荒れた土で、床下の日の当らないところだが、けなげに
咲いていた。かわいい花でした。

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by minitayori | 2017-07-29 20:29 | Trackback | Comments(0)

朝顔

朝顔
今日日中、蒸し風呂のような日差しの中を日曜に備えて
リハビリにいってきました。
目がくらくらするほどの日差しの中で一輪の朝顔
に出会いました。私も一生懸命咲いてます。
だから、あなたも頑張って!! ありがとう!

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by minitayori | 2017-07-22 20:36 | Trackback | Comments(0)

「みにたより313」

「みにたより313」

 池袋教会で今私は、ご婦人たちに手話で讃美歌を歌うことを教える時間を与えられている。一ヶ月に一度だけだが、私にとっては、手話に係れる唯一の楽しい時だ。讃美歌の言葉は抽象的な言葉が多くて、手話にするのは簡単ではないが、みんなで一緒に言葉の意味を考えると言う楽しみもある。

 しかし、最近不思議な現象に悩まされている。今までは教える時には、会衆に向かって左右逆にして、つまり自分は右手と左手を、反対の動かし方で教えてきた。特に教会学校で教える時には、子供は見た通りにするのでその様にしてきた。しかし、最近頭の回路があやしくなって、左右反対の手を動かすことが難しくなってしまった。しかも、先月教えた手話を、新しい解釈の方がより良いように思って変えてしまうので、学ぶ方は戸惑ってしまう。

 それではいけないと、最初に、手話に意訳した文字を赤い文字で書いているのだが、最近はその文字が見えなくなったから最悪!新しい手話解釈が出きるのはまだまだ許せるが、教える者としては失格だなーと思うようになってしまった。

 新しい手話の歌のリクエストをしたら、ある方から「友よ歌おう」の中から選んでほしいと意外なリクエストがあった。若かりし時に流行し、青年たちとよく歌っていた懐かしい歌だ。インターネットで調べていたら、いくつかの投稿があって、懐かしくて聴きこんでしまった。その中に、私の好きだった、マザーテレサの歌があった。詩だけ紹介しよう。



   「私をお使いください」 ・マザーテレサ

主よ、今日一日、 貧しい人や病んでいる人を助けるために、
私の手をお望みでしたら、今日私のこの手をお使い下さい。

主よ、今日一日、友を欲しがる人々を訪れるために、                私の足をお望みでしたら、 今日、私のこの足をお使い下さい。


主よ、今日一日、優しい言葉に飢えている人々と語り合うため私の声をお望みでしたら、 今日、私のこの声をお使い下さい。

主よ、今日一日、人は人であるという理由だけで、         どんな人でも愛するために、 私の心をお望みでしたら、    今日、私の心をお使い下さい。


*手話訳では、「お使いください。」は、「お捧げします。」と意訳する


by minitayori | 2017-07-22 20:25 | Trackback | Comments(0)

ケマンソウ


ケマンソウ
二階家の壁にしがみつくように咲いていました。
暑い日差しの中で頑張っていました。
水不足か熱中症になっているようです。

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by minitayori | 2017-07-22 20:09 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月23日  マタイ福音書10章34~42節

7月23日  マタイ福音書10章34~42節

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10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。

10:36 (略)

10:39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

◆受け入れる人の報い

10:40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。

10:41 (略)

10:42 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

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「礼拝に備えて」

 イエス様の弟子になると言う事は、イエス様のように生きることだと言われます。言葉で言うのは簡単ですが、決して簡単なことではありません。しかし、イエス様は、自分と同じように生きるということを望んでおられるのではなく、イエス様が神様のお心を、ご自分の十字架として、受け止められ、その様に生きられたように、イエス様は弟子たちに、それぞれ自分の十字架を負って生きるようにと望まれました。

 それは、私達、つまりイエス様の弟子としてイエス様に従って生きようとする者は、神様の御心を自分の立場で受け止め、精一杯生きていくことではないかと思うのです。イエス様の十字架は、私達のために十字架上に命を捨てると言う事でした。大きな愛を持って。

 「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」この生き方は、「迷子の羊を探される善い羊飼い」のお話の中に、また「放蕩息子の帰還を喜ぶ父」の姿の中によく表されています。この地上にある全ての人が、神様の愛される人々、つまり弟子であることを覚えて、愛を持って互いに仕え合うことを神様は望んでおられるのです。

先日、日野原先生が105歳で召されたと言う事を報道で知りました。100歳を超えてからも、近くの学校でしばしば講演会を開き、子供たちに命の尊さを語っていたそうです。

 良く通る声で、「あなた方は命を与えられている。その尊さを覚えて欲しい。同時に、命を与えられていることは、時間を与えられている事です。その時間を、人のために使う事を考えて欲しい。」と語られていました。時間を人のために使うと言う事は、自分の命を人のために捧げると言う事ではないでしょうか。被災者のためにボランティアで働くことも、貧しい人のために働くことも、家族のために祈ることも、自分の大切な時間を使う事であり、命を捧げることだと思います。生きているという事は、時間を与えられている事、それを神様のみ心のた
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めに用いるためには、み言葉から神様のみ心を絶えず聞き続けることが必要であることを改めて思いました。



by minitayori | 2017-07-22 20:01 | Trackback | Comments(0)

八重の口なし

八重の口なし
ある教会の裏にクチナシの花が咲いていた。一重の口なしと八重の口なし
だった。梅雨の時期の一時の短い期間に咲いている花。今年は空梅雨だった
ので、花も咲く時期を迷っていたかもしれない。今も花の声が聞こえるよう
梅雨の時に花の声が聞こえるような気がする。「今の私を残して・・」と。
今でもその声が聞こえる。雨上がりのひと時の楽しい会話でした。

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by minitayori | 2017-07-22 19:51 | Trackback | Comments(0)