高く伸びた先の一輪のバラ

高い所に咲いていたバラ
下ばかり花を探していましたが、高く伸びた
バラの木のさらに上のところにこのバラは咲いていた。
眼をあげて御覧、そこにも一生懸命咲いている花がある

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by minitayori | 2017-10-28 21:53 | Trackback | Comments(0)

「みにたより325」

「みにたより325」

先週は無断でお休みしてしまいました。心配してくださった方々に感謝します。日曜日の前後にいろいろありまして、思考が停止してしまい、とてもミニタヨリを書く気力がありませんでした。

人生いろいろありますね。でもその驚きに向かう勇気が、自分の中にまだまだ備わっていない信仰の弱さを痛感しました。先週の土曜日は、私の心友(親友)のコンサートに参加しました。この友は10数年も重い病と闘い、繰り返し手術をしつつ、不死鳥のように甦ってコンサートを続けてきました。今回はデビユー50周年の記念コンサート。その矢先に病が再発、点滴を打ちながら懸命に歌われる姿は、満員の観客の心を打つ素晴らしいコンサートになりました。

私は涙し、祈りながら聴いていました。与えられた才能を、限界のなかで見事に咲かせた大輪の花のようでした。「全ての時に神様は働いて、万事を益としてくださる。」このパウロの書いた聖書の言葉は、今年一年、私どもの家庭では、信じ、委ね、全てを受け止めようと祈り続けた祈りでもありました。

いくつになっても、無力になっても、私たちは命を与えられている限り、神様が必要としてくださっているのです。その立場、状況でしかできないことがあるのです。置かれたところで、置かれた状況の中で精一杯生きること、そのような私たちの生き方を、神様は神様のご栄光のために用いていてくださるのですから。e0191585_17510499.gif

今週も一日感謝の心で、笑顔で過ごしましょう。



by minitayori | 2017-10-28 21:47 | Trackback | Comments(0)

バラ一輪

バラ一輪
花もなくなりさみしくなって裏庭にバラの花が咲いた。
♪さみしかった僕の庭に花が咲いた。♪

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by minitayori | 2017-10-28 21:44 | Trackback | Comments(0)

10月29日 聖霊降臨後第21主日 マタイ福音書22章1-14節

1029日 聖霊降臨後第21主日 マタイ福音書221-14

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◆「婚宴」のたとえ

22:1 イエスは、また、たとえを用いて語られた。 22:2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。

22:3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。

22:4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』:5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、:6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。:7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。

22:8 そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。:9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 22:10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。 22:11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。:12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

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「礼拝に備えて」

 聖書の中には現代の私達には理解できない出来事がよく書かれています。逆に、その時代の風習を知ると、非常に深い意味が理解できることがあります。今日の日課の例もその中の一つです。

王子の結婚式に招いた客が少なかったので、この父の王は「僕に、町の大通りに行って、誰でもいいからいっぱいになるまで連れてくるよう、」に命じました。僕はそのようにして、部屋にいっぱいになるように人を集めました。婚宴が始まって、王が入ってくると、婚礼の礼服を着ていなかった一人の人を見つけて、「なぜ婚礼の礼服を着ていないのか?」と叱責し、家の外に放り出した、と言うのです。

私も、アメリカだったと思いますが、宣教師に連れて行ってもらった時に、突然結婚式に出ようと言われて、びっくりしたことがあります。旅の途中だし、当時は貧しく、安物のみすぼらしいものしか着ていなかった私だから、失礼にあたると思ったのです。

しかし、その宣教師は構わないからと言って、強引に連れていかれました。どうも、小さな村では当たり前の風習だったようなのです。日本では考えられないことだと思いました。それにしても、ここの聖書のお話はひどいと思います。大通りを歩いている人を突然、結婚式場に引っ張って来て・・礼服もあったものではないはずなのに、王は怒って「この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。」とは何事かと思うでしょう。しかし、当時の裕福な家の婚礼などでは、式場の入り口で礼服を与えていたようなのです。その与えられた礼服を着ていなかったから王は怒ったのでしょう。

神様の国の祝いの宴は、すべての人に平等に与えられています。しかも、その宴に出るのにふさわしい礼服を、神様はイエス様の十字架の犠牲により買い取り、招かれた人すべてに着るようにと無料で差し出されます。その時に、神様が準備してくださる「信仰」と言う礼服を着ていなさい、と言う警告をイエス様は教えられているのです。あなたのためにも、神様の国に入る礼服は用意されています。
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喜んで信仰と言う礼服を身にまとって、神様の婚宴の宴に参加しましょう。






by minitayori | 2017-10-28 21:41 | Trackback | Comments(0)

10月8日の聖壇の花

10月8日の聖壇の花
菊の一種でピンポンマムという新種の花でささげられていた。
新しい花で私の図鑑にはない花でした。きれい!

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by minitayori | 2017-10-14 17:59 | Trackback | Comments(0)

「みにたより324」

「みにたより324」

病気と言う字は、病と気との言葉で出来ていますね。病を持っていてもその日を輝いて生きることが出来ますし、その生き方が人に感動を与え、他の人にも自分に喜びを与えます。

私は最近、身体の衰えや記憶力の衰えに負けそうな時があります。私がその様な状態に陥ると、必ず電話をくださり、励ましくださる方がいます。本当の心の友と言うのでしょうか。

その方は次々に大病を患いながらも、奇跡的に人に感動を与える大きな働きをして居られます。まさに私とは反対に、心が神様に満たされ委ねて、輝いて生きておられると、いつも自らを恥じています。

病にはかかっても、心を強く持って病気にはなるなと、よく病院訪問の時に励ましの言葉としてお話してきました。今その言葉を自分自身に語りながら、生きています。私は引退して、カメラを持って散歩に出るようにしました。野の草、道端の花を見ていると、いろいろなことを教えられます。

誰も見ていなくても、自分の置かれた場所で一生懸命咲いている小さな花。誰もかえり見てくれない様な花に、もっと人目につく様な所に咲いていたら、と見ていると、花が「ここは神様が置いてくださった所、ここで一生懸命咲きます。」と語っている声が聞こえたようでハッとしました。

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どんな状態であれ、そこが神様のみ心によって与えられた所、大切なことは置かれた場所で感謝しながら、「今」を自分の出来ることを精一杯しながら生きることだ、と何度も学ばされました。


 


by minitayori | 2017-10-14 17:53 | Trackback | Comments(0)

シンフォルカルポス

シンフォルカルポス
珍しい花、お花の担当の方が花屋さんに着ておいてくれた。
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by minitayori | 2017-10-14 17:47 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 10月18日 マタイ福音書20章1-16節

1018日 聖霊降臨後19主日 マタイによる福音書201-16

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20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。

20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

20:8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。

20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。

20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。

20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

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「礼拝に備えて」

人生の中で、神様に不満を言いたい時がなかったでしょうか。こんなに神様に仕えてきたのに、今の不幸は一体どうしたことだろうか・・など考えたことはなかったでしょうか。家族が病気になった時、仕事がうまくいかなかった時、また自分が身体が衰えてきて思うような働きが出来なくなった時、などなど。

でも命や健康は、神様からの恵み。今までどれだけ感謝もしないで神様からいただいた恵みを無駄に使ってきたことを自分では気がついてはいない。しかし、神様はすべてをご存知で今日まで黙って支えてくださった、その恵みを思い出すことが必要なのです。

今日の聖書では、ブドウ園の農夫が、一日1デナリで雇われ、朝から時間差を持って雇われた人がいた。彼らは皆、主人から一デナリのの約束をしていたが、長時間働いた農夫から不満が出た。働く時間が少ない人と同額であることが不満であったのです。仕事が与えられ、主人の約束通りに支払われたその恵みに気がつかないのです。人生の中で元気で働ける時も、病気の時も、老いて働けなくなってっも、神様は今日と言う日の報酬は同じ恵みを与えてくださっています。生きている事、今与えられている恵みを感謝を持って受け止めて、その心を祈りの中で神様に返すことです。

不満の心で今与えられている素晴らしい時を見過ごすことがないように、神様とイエス様に従って精一杯生きていたいですね。そんなあなたを神様はきっと支えていてくださいます。苦難の時を喜びの時に変えてくださいます。信じて今日と言う日を精一杯生きてください。神様が共に居てくださることを信じて!


by minitayori | 2017-10-14 17:43 | Trackback | Comments(0)

ルリマツリ

ルリマツリ
教会にゆくときのバス停の病院の小さな花壇に咲いていた
薄紫の清楚な花。花言葉は「同情」。びゅ院に来る人?
いや道行く人すべてへのメッセーイジ

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by minitayori | 2017-10-14 17:38 | Trackback | Comments(0)

10月1日の聖壇の花

10月1日の聖壇の花
この日の花は誕生日に当たる人に渡された。私の妻が2日の誕生。
大きな花束を持って地下鉄に乗って帰ってきた。暑い日曜だった。

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by minitayori | 2017-10-07 20:32 | Trackback | Comments(0)