7月30日の池袋教会の聖壇

7月30日の池袋教会の聖壇
雄大なお花が飾られていて、山の上から見た秋の阿蘇の
風景を思い出しました。花はいける人の信仰告白であると
思います。昔牧会していた教会でご奉仕して下さったご婦人
に繰り返し聞かされました。私はは祈りつつ花をいけます。
礼拝が祝福されたものとなりますようにと!感謝!

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# by minitayori | 2017-08-05 22:04 | Trackback | Comments(0)

「みにたより315」

「みにたより315」

 また九州地方に台風の被害が出そうです。大雨と洪水被害に続いての災害で、耐えきれないほどにお疲れのことと思い、心が痛みます。出来ればボランティアに行きたいねと話はするのですが、結局は、迷惑をかけるだけで役に立たないね・・・。申し訳なく思うばかりです。

 東京は天候不順とはいえ、局地的には雨が降っても、とりあえず平穏に過ごしています。申し訳ない気持ちになります。

以前、ルーテル教会宣教百年記念大会の後、ろう者の人々と長崎のハウステンボスに行きました。私は熊本在住のろう者の友人の、墓前礼拝を頼まれていたので、それを終えて一人でハウステンボス行きの最終電車に乗りました。台風のためこれが最後の列車です、というアナウンスを聴きながら、風の吹きすさぶ中を、目的地に着き、何も見ることができないままに、宿に入りました。

その夜、ちょうど長崎に台風が上陸したと言うので、ものすごい暴風雨。家はきしみ、窓は膨らんで今にも壊れそう。私は風の音に眠られず、きしむ窓を抑えたりして夜を過ごしました。次の日の朝、ハウステンボスの中の木は倒れ、あちこちの屋根瓦が飛んでいました。交通網は寸断され、電車もバスも不通、途方に暮れていると、同伴してくださった方が旅慣れた方で手配してくださり、レンタカーの中型バスを貸りて、博多まで行くことが出来ました。新幹線も満席でしたが、何とか東京まで帰りつくことが出来ました。

大変な思い出ですが、振り返ると、大変だったことが忘れ去られて、思いがけない出来事が懐かしく感じます。でも、もう一度経験したいとは思いませんが・・・。繰り返される自然災害の中にいる人々に神様が寄り添い、助けて下さるように祈ります。

# by minitayori | 2017-08-05 21:55 | Trackback | Comments(0)

ムクゲ

ムクゲ
日曜日、暑さの中疲れて帰ってきた私たちを、お向かいの家の
庭のムクゲが「おかえりなさい!」というように満開の花びら
で迎えてくれた。疲れているとき、さみしく思う時、不思議に
花が目につく。小さな声が聞こえてくる。
「頑張って今日も楽しく咲いていよう!」と

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# by minitayori | 2017-08-05 20:18 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 8月6日 平和の主日 ヨハネ福音書15章9―12節

8月6日 平和の主日 ヨハネ福音書15章9―12節

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15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

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「礼拝に備えて」

 平和であることの幸いが、忘れ去られてきたような気がします。しかし、今こそ本当の平和を求めなければならない時と思われる昨今です。世界のだれもが平和を願っていると思うのに、平和運動をしながら、それぞれ主義主張があって、平和を願う人々の中で争いがあることも不思議なことです。

 人はだれもが、自分の主義主張が一番正しいと思っています。自分の考えや方法だけが一番正しいと思ってしまうのです。その自己中心の心が、対立や争いを作って行くのでしょうね。それは友人関係にも、家族関係の中にも起こる事柄です。悲しい事ですが。

 イエス様は、弟子達を送り出すにあたって、イエス様のお心を、弟子たちに繰り返し教えておられます。イエス様は「あなた方に平和を与えよう。それは父なる神様とイエス様との間にある平和である。」と言われました。それは「愛と信頼に基づく平和」でした。イエス様が弟子たちに伝えたもの、委ねた平和とは、この神様への信仰と信頼に基づく平和であったのです。 

 最後の任地である熊本に着任して、最初の12月24日のの朝、教会の大切な婦人会のメンバーが急死されました。心筋梗塞でした。前日の夕方までクリスマスの準備をしてくださり、また明日ね!と帰られたのが最後の会話でした。その方はクリスマスに孫にあげるキルトの靴下を、孫の数だけ完成していました。毎年の恒例のプレゼントだったそうです。しかし、その年は手渡すことが出来ませんでした。深夜に容体が急変して、そのまま召されてしまいました。私は早朝呼ばれて病院に行ってご遺体にお目にかかり、臨終の祈りをして教会に帰り、熊本での初めてのクリスマスの準備です。25日クリスマスの飾りつけの中で葬儀が行われました。その方はお孫さんに、クリスマスの靴下をなぜ毎年贈っていたのでしょうか。ある説では、靴下は人の身につける物で一番汚れているもの、その様なもの(イエス様)を用いてクリスマスの恵みは届けられる、と説明されていました。 その方の、お孫さんたちへの願いがこもっていたのではないかと思いました。

イエス様のように「愛を伝えるために仕える人になりなさい。」「隣人を愛して仕える人になりなさい。」「愛を持って隣人との間に平和を作る者となりなさい。」そのご婦人の願いは、ご家族やお孫さん達に立派に受け継がれています。弟子達、私達もイエス様のお心を担って、愛によって平和を作りだす者でありたいと思います。
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「愛を行いと思うなら、まず家庭に帰りなさい。あなたを待っている身近な家族から始めるのです。」マザー・テレサ


# by minitayori | 2017-08-05 20:10 | Trackback | Comments(0)

7月23日池袋教会の聖壇の花

7月23日池袋教会の聖壇の花
この日はカサブランカのユリの大輪が聖壇を飾られていま
した。この花に出会ったのは、会員のお葬儀の時だった。
あまりにも立派なユリの花だったので、驚いたものです。
大きな会堂には似合っていますね。

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# by minitayori | 2017-07-29 21:15 | Trackback | Comments(0)

「みにたより314」

「みにたより314」

 ある人が、「神様、私にもっと耐えやすい十字架を与えてください」と、数十年も繰り返し願い続けました。神様も哀れに思い、いろいろな種類の十字架が置いてある場所に連れて行き、自分の好きな十字架を選びなさいと言いました。そこには三メートルもある大きなものから、一メートル位のものもありました。探している内に、わずか5センチくらいの小さな十字架を見つけて、「神様、これをください」と、喜び勇んで頼みました。神様は、「よろしい、もって行きなさい。しかしこれからは文句を聞きたくないよ」と言って与えました。彼はありったけの感謝の言葉を神様に述べました。そこで神様は、「今あなたは初めて感謝をするのか。よくご覧。その十字架は今まであなたがずっと持っていた十字架じゃあないか」と。

このお話は神学生の時に、年に一回地方で天幕伝道をした時に、大先輩の先生がお話の中で引用された心に残ったお話です。この天幕伝道では、見知らぬ家にチラシを配りけんもほろろに追い返されたり、時にはお茶を飲む相手をさせられたり、様々な経験しました。伝道と言うものの大変さを、身にしみて感じた時期でした。現実の牧師生活に入ってから、楽しい事もありましたが、苦しい事も多く、自らの足りなさを感じて逃げ出したいと思ったことも何度かあります。私にはこの十字架は重すぎます、と神様に祈ったこともあります。しかし、今振り返って、神様のなさることは全てよし。自分一人では負いきれない重荷を、神様は共に荷ってくださって、時にはみ言で励まし、友人や、先輩の助けを通してこの働きを全うすることができるようにしてくださいました。人は、それぞれ置かれたところで、神様からいただいた重荷を荷って生きています。主婦であれ、社会人であれ、高齢者であれ、病気で入院している人であれ、みなその場所に置いてくださった神様のみ心と言う重荷を負って生きているのです。

私は、花を写しに度々散歩に出かけ、色々な花を見つけます。よく手入れされた家の花、荒れ果てた庭の花、道端で咲く花、床下で咲く花、どの花も置かれた場所で一生懸命咲いています。聖壇に飾られる花も、道端で咲く花も、みなその場所で一生懸命咲いている、それが神様に託された自分の務めだから。
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どんな状況下であれ一生懸命、神様のみ心の中でき、それが美しく咲き続ける秘訣なのですね。




# by minitayori | 2017-07-29 21:06 | Trackback | Comments(0)

ブドウの実

ブドウの実
教会の帰り小さなレストランの窓際にブドウの房が実っ
ていました。昨年も実っていましたが、今年は雨が少な
かったせいか実が小粒でした。ブドウの中にゴーやの
実も実っていました。小さな土地なのによく実った、
とほめてやりたかったです。

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# by minitayori | 2017-07-29 20:54 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月30日 マタイ福音書11章25~30節

7月30日 聖霊降臨後第8主日 マタイ福音書11章25~30節

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◆わたしのもとに来なさい

11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。:26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。

11:27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。

11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

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「礼拝に備えて」

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」若いころ、≪文語体≫で暗記した大好きな聖句、人生の時々に励ましてくれたみ言です。

み言の中でいくつかの個所に心ひかれていますが、今日はその中の一つを取り上げてみたいと思います。「わたしのもとに来なさい」と言うみ言葉を聴くと、私は旧約聖書の創世記3章の、神様とアダムとの会話を思い出します。

禁断の木の実をとって食べた最初の人アダムは、その時から人間としての大切なものを失いました。隣人(エバ)を愛する心を失い、自分を恥じる心を持つようになり、さらに神様を恐れ、木の陰に隠れてしまいました。

エデンの園に連れて行ってくれた神様、大切な伴侶エバを造ってくださった神様。アダムは神様に似せて造られ、ご自分の愛する子として、神様に代わってこの世界を守る仕事を与えてくださいました。しかし、アダムは神様に背を向けてしまいました。このアダムに対する神様のお心は怒りではなく、悲しみに満ちていました。

 神様は、アダム(人)を愛しておられたから、木の陰に身を隠すアダムに、「あなたはどこにいるのか」、つまり「隠れていないでわたしのもとに出てきなさい」、と語りかけてくださったのです。神様の人、つまり私達人間に与えられた神様の愛のお心は、天地創造の時から今に至るまで、変わることのない愛のお心です。

 疲れた人、重荷を負って苦しんでいる人、悲しんでいる人、担いきれない寂しい心を持って生きている人達に、「今わたしのもとにいらっしゃい。わたしはあなたのすべてを知っている。安心してわたしのもとにいらっしゃい。わたしはあなたをわたしの子として迎えよう。全ての重荷と苦しみを持ってきなさい。そしてわたしの愛する息子として、共に生きようではないか!『私をもう一度、あなたの子供にしてください。』その心だけでいいのだよ」と言っていてくださいます。

 私は、多くの人に囲まれ愛されて、幸いな牧師生活40年を送ることができました。しかし、日曜日の夜には、自分の力に不相応な仕事が無事に終ってほっとすると同時に、やりきれない寂しさを感じ、誰もいない暗い礼拝堂で一人祈って過ごしたことも度々ありました。そんな時に心に語りかけてくださった神様のみ言は、若い時に覚えた聖書の言葉でした。それは、神様の語りかけ、神様の招きでした。「わたしのもとに来なさい。」このみ言に全てを委ねて、眠りにつくことが出来ました。

 あなたも神様の招きに応えて生きてみませんか。≪神共にいます≫、あなたの重荷を神様は知っておられます。その重荷を共に負っていてくださいます。 
 平安と喜びがあなたの心を満たしてくださるように祈ります。































# by minitayori | 2017-07-29 20:42 | Trackback | Comments(0)

ペチュニア

ペチュニア
アパートの入口の床下から小さな花が顔を出していました。
植えた方が、こんなところまで広がって、と驚いていた。
駐車場の小さな花壇に植えたのに、広がったのですね。
荒れた土で、床下の日の当らないところだが、けなげに
咲いていた。かわいい花でした。

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# by minitayori | 2017-07-29 20:29 | Trackback | Comments(0)

朝顔

朝顔
今日日中、蒸し風呂のような日差しの中を日曜に備えて
リハビリにいってきました。
目がくらくらするほどの日差しの中で一輪の朝顔
に出会いました。私も一生懸命咲いてます。
だから、あなたも頑張って!! ありがとう!

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# by minitayori | 2017-07-22 20:36 | Trackback | Comments(0)

「みにたより313」

「みにたより313」

 池袋教会で今私は、ご婦人たちに手話で讃美歌を歌うことを教える時間を与えられている。一ヶ月に一度だけだが、私にとっては、手話に係れる唯一の楽しい時だ。讃美歌の言葉は抽象的な言葉が多くて、手話にするのは簡単ではないが、みんなで一緒に言葉の意味を考えると言う楽しみもある。

 しかし、最近不思議な現象に悩まされている。今までは教える時には、会衆に向かって左右逆にして、つまり自分は右手と左手を、反対の動かし方で教えてきた。特に教会学校で教える時には、子供は見た通りにするのでその様にしてきた。しかし、最近頭の回路があやしくなって、左右反対の手を動かすことが難しくなってしまった。しかも、先月教えた手話を、新しい解釈の方がより良いように思って変えてしまうので、学ぶ方は戸惑ってしまう。

 それではいけないと、最初に、手話に意訳した文字を赤い文字で書いているのだが、最近はその文字が見えなくなったから最悪!新しい手話解釈が出きるのはまだまだ許せるが、教える者としては失格だなーと思うようになってしまった。

 新しい手話の歌のリクエストをしたら、ある方から「友よ歌おう」の中から選んでほしいと意外なリクエストがあった。若かりし時に流行し、青年たちとよく歌っていた懐かしい歌だ。インターネットで調べていたら、いくつかの投稿があって、懐かしくて聴きこんでしまった。その中に、私の好きだった、マザーテレサの歌があった。詩だけ紹介しよう。



   「私をお使いください」 ・マザーテレサ

主よ、今日一日、 貧しい人や病んでいる人を助けるために、
私の手をお望みでしたら、今日私のこの手をお使い下さい。

主よ、今日一日、友を欲しがる人々を訪れるために、                私の足をお望みでしたら、 今日、私のこの足をお使い下さい。


主よ、今日一日、優しい言葉に飢えている人々と語り合うため私の声をお望みでしたら、 今日、私のこの声をお使い下さい。

主よ、今日一日、人は人であるという理由だけで、         どんな人でも愛するために、 私の心をお望みでしたら、    今日、私の心をお使い下さい。


*手話訳では、「お使いください。」は、「お捧げします。」と意訳する


# by minitayori | 2017-07-22 20:25 | Trackback | Comments(0)

ケマンソウ


ケマンソウ
二階家の壁にしがみつくように咲いていました。
暑い日差しの中で頑張っていました。
水不足か熱中症になっているようです。

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# by minitayori | 2017-07-22 20:09 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月23日  マタイ福音書10章34~42節

7月23日  マタイ福音書10章34~42節

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10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。

10:36 (略)

10:39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

◆受け入れる人の報い

10:40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。

10:41 (略)

10:42 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

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「礼拝に備えて」

 イエス様の弟子になると言う事は、イエス様のように生きることだと言われます。言葉で言うのは簡単ですが、決して簡単なことではありません。しかし、イエス様は、自分と同じように生きるということを望んでおられるのではなく、イエス様が神様のお心を、ご自分の十字架として、受け止められ、その様に生きられたように、イエス様は弟子たちに、それぞれ自分の十字架を負って生きるようにと望まれました。

 それは、私達、つまりイエス様の弟子としてイエス様に従って生きようとする者は、神様の御心を自分の立場で受け止め、精一杯生きていくことではないかと思うのです。イエス様の十字架は、私達のために十字架上に命を捨てると言う事でした。大きな愛を持って。

 「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」この生き方は、「迷子の羊を探される善い羊飼い」のお話の中に、また「放蕩息子の帰還を喜ぶ父」の姿の中によく表されています。この地上にある全ての人が、神様の愛される人々、つまり弟子であることを覚えて、愛を持って互いに仕え合うことを神様は望んでおられるのです。

先日、日野原先生が105歳で召されたと言う事を報道で知りました。100歳を超えてからも、近くの学校でしばしば講演会を開き、子供たちに命の尊さを語っていたそうです。

 良く通る声で、「あなた方は命を与えられている。その尊さを覚えて欲しい。同時に、命を与えられていることは、時間を与えられている事です。その時間を、人のために使う事を考えて欲しい。」と語られていました。時間を人のために使うと言う事は、自分の命を人のために捧げると言う事ではないでしょうか。被災者のためにボランティアで働くことも、貧しい人のために働くことも、家族のために祈ることも、自分の大切な時間を使う事であり、命を捧げることだと思います。生きているという事は、時間を与えられている事、それを神様のみ心のた
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めに用いるためには、み言葉から神様のみ心を絶えず聞き続けることが必要であることを改めて思いました。



# by minitayori | 2017-07-22 20:01 | Trackback | Comments(0)

八重の口なし

八重の口なし
ある教会の裏にクチナシの花が咲いていた。一重の口なしと八重の口なし
だった。梅雨の時期の一時の短い期間に咲いている花。今年は空梅雨だった
ので、花も咲く時期を迷っていたかもしれない。今も花の声が聞こえるよう
梅雨の時に花の声が聞こえるような気がする。「今の私を残して・・」と。
今でもその声が聞こえる。雨上がりのひと時の楽しい会話でした。

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# by minitayori | 2017-07-22 19:51 | Trackback | Comments(0)

先週の池袋教会の聖壇と生花

先週の池袋教会の聖壇
献花は真っ白で清楚なトルコキキョウだった。別名ユーストマ
語源はギリシャ語で(よい)という意味の言葉からきている。
花ことばは、(明るい希望)十字架を見つめつつ希望に生きる

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# by minitayori | 2017-07-15 21:49 | Trackback | Comments(0)

「みにたより312」

「みにたより312」

 日本列島の各所の、大雨や土砂災害の様子がテレビに流れている。知人のいる地方の惨事は、私ごとのように心が痛む。今朝、太陽の日差しがまぶしい小さなベランダに出ていた。同じアパートの子供たちが、元気に庭を走り回っていた。この暑さの中でも、笑い声がはじけるような元気さだった。

暑さのためか、花はすっかり枯れてなくなってしまった。この抜けるような青空と暑い日差しの中で思う事は、熊本の災害の様子だった。暑さの中で救助のために働く若い自衛隊の人々の、首筋に流れる汗が美しく思えた。老いた自分には、何もすることができない、という無力感だけが心の中に苦々しく沸いてきた。

テレビや新聞を見ても、あまり良いニュースが出てこない。戦争への危機感が心の中に湧いてくる。少年時代に戦争の悲惨さを経験している自分は、子供たちの元気な笑い声が聞こえる平和を守ってほしいと心から願っている。e0191585_21263768.gif


 今の日本の政治にそれができるのだろうか。自国第一、経済発展第一、と言いつつ不正が行われ、政治を自分の名誉のために利用しているとしか思ない人々・・・。世界は平和のために一致できるのだろうか。外来種の危険な虫も出てきた。輸入国である日本には、防ぐ方法もないのかもしれないが、結局は被害を受けるのはいつも弱者であることを覚えて欲しいもの、日本の、いや、世界の未来を託されている政治家の人々にも、心して欲しいと思う。

 年寄りは「唇寒し・・」と小さくなって、ただ無力感・不安感だけが心の中に大きくなる。そして孤独感や寂寥感で無口になってゆく。せめて教会は、神様の愛の中で感謝の笑顔と明るい会話ができる場所であってほしいと願っている。


# by minitayori | 2017-07-15 21:28 | Trackback | Comments(0)

ひまわり

ひまわり
先週の教会の帰りは暑かった。とくに練馬は東京で
一番暑いという噂です。帰り道に楽しめる花があるが、
この日はひまわりが目とまった。透析専門の病院の
下の30センチ程の地にひまわりが咲いていた。
毎日数台の送迎車が、出入りしている。
車いすの人や杖を突いている人が病院に入ってゆく。
その通用門の横にこの花は咲いていた。
希望を持って生きようね、語りかけていた


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# by minitayori | 2017-07-15 21:22 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月16日 マタイ福音書10章16-33節

礼拝に備えて 7月16日  マタイ福音書10章16-33節

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◆恐るべき者

10:26 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。:27 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。:28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

10:29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。

10:30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。

10:31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」:32 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。:33 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」 

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「礼拝に備えて」

 イエス様は弟子達を選び、宣教に送りだすにあたって、弟子たちの注意すべき事について話し、また励まされました。人を恐れることはなく、畏れるべきは神様である事。その神様は、「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。」と教えました。

 ここで使われているアサリオンという通貨は、当時最小の通貨であったと言われています。現代でいえば一円硬貨とも言えるでしょうか。二羽の雀が一アサリオンで売られている、その一羽と言うのは、お金では評価できないほどの小さな存在であるわけです。その小さな存在でさえ、父なる神様のみ心の中にあって、神様のお赦しがなければ地に落ちることはないと言われます。

私たち一人一人は自分がどんなに小さく思えても、神様にとってはかけがえのない「たった一人だけ」の存在なのです。何かができるから尊いのではなく、何もできなくても今生きている事、神様に命を与えられてる事、そのことが誰の目にではなく、神様の目に貴い存在なのです。引退をして、自分の事を考える時が多くなりました。神様のお役にたてるような自分ではなかったのに、神様は必要な時に必要な助け手を備えていてくださいました。

家族もそうだが、先輩の先生たちに支えられ、励まされてきました。こぼれ落ちそうな時もあったが、信徒の方のアドバイスや助けによって乗り切ってきました。時には自分のふがいなさに、涙を流したこともありました。しかし、そんな時に特に神様を身近に感じることができました。

弱さゆえに、足りなさゆえに神様にすがって生きることができた、とも言えます。

何も誇れるものはないが、神様を身近に感じ、支えられて生きてこれたことだけが自分の足跡として、神様を証していると思っています。

 一羽の雀さえ愛したもう神様のみ手の中で、弟子達も自分の小ささの中に、神様の大きな愛を感じて過ごして来たのではないでしょうか。その様な信仰者の仲間のはしくれに招かれていることを感謝しつつ生きていこうと思います。

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# by minitayori | 2017-07-15 21:03 | Trackback | Comments(0)

フクロウ

フクロウ
池袋からサンシャインに行く途中の地下道路には、
池袋のにちなんだ鳥フクロウの絵や人形が飾ってある。
昨年夏、孫と一緒に20年ぶりくらいに出かけたが、
道がわからなくて、孫に教えてもらっていった。
あの距離はもう今は歩けないかもしれない。
いっておいてよかった。

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# by minitayori | 2017-07-15 20:53 | Trackback | Comments(0)

聖壇と十字架

7月2日の池袋教会の聖壇の花
聖壇の十字架は、あなたのためにイエス様のが十字架にかかられたことを示し、神様の愛を伝えています。この日は聖餐式が行われ、見える形で「あなたのために流された血、イエス様の体。」をいただきます。

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# by minitayori | 2017-07-08 18:01 | Trackback | Comments(0)

「みにたより311」

「みにたより311」

昨夜、九州地方の大雨による被害が甚大であることをテレビニュースでみました。地震があったり、地割れがあったり、今度は最大級の大雨で巨大な木材が流れてきて、橋や川沿いの家屋が壊れている様子を、心を痛めながら見ていました。

私は、昔静岡にあった聖書学院にいた時(20歳ぐらいの時)、アルバイトで山の中にあるキャンプ場で過ごしました。必要なものを背負子に入れて背負って運ぶという大変な仕事だったのです。お米やスイカなどを、毎日人数分運ぶのだから大変でした。山の奥ですから天候の変化も激しくて、ラジオしかない時代でしたから、はらはらしながら天気の状況を毎日聞いていました。

ある時、最後のキャンパー達をバス停まで送って、いよいよ私達の帰る準備になりました。山小屋を閉め、台所を洗い、戸締りをして帰らなければなりません。そのうちに台風が近づき、雨風が強くなってきました。暴風が山小屋を吹き飛ばすのではないかと思うほど激しくなりました。電気は消え、皆一部屋に集まって、ローソクの光りで肩寄せ合って一夜を明かしました。次の朝は台風一過で爽やかな青空でした。しかし、キャンプ場から降りて行く道が、崖崩れで通れないというのです。道の途中にある山が崩れ、濁流で大きな石が流れてきて、橋も堤防も壊れていました。

仕方がないので、どこかバスの通じている所まで歩こうと言うことになり、大きな荷物を背負って、崩れた崖や、わずかに残っているコンクリートの上を歩いて帰りました。そのコンクリートにも、まだ時々流れてくる石があたって大きな音を立てます。34時間歩いたでしょうか、やっとバスの通る所までたどり着き、無事に聖書学院に帰りました。

九州の災害のひどさは比べ物にならないかもしれません。私達の場合、若者だけだったから無茶な行軍ができたと思いますが、孤立している村には高齢者の方たちも多いとか、早く助けが行き届いて欲しいと思います。また、昔の静かな村落の生活が始められるように祈るものです。

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昨夜少しは涼しくなった頃、アパートの周りを一回りしました。食後の日課の散歩です。夜空の雲間に、月の光が静かにさしていました。被災地の人々が、この月の光を心静かに眺める時が早くきてほしいと祈りながら。


# by minitayori | 2017-07-08 17:45 | Trackback | Comments(0)

雨の滴

雨の滴
この美しくも優しい雨の滴が、豪雨となると多くの被害を
もたらす。小さな愛の力が、悲しみを押し流すほど集まる
ことを願いつつ

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# by minitayori | 2017-07-08 17:39 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月9日

7月9日  マタイ福音書9章351015

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◆群衆に同情する

9:35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

◆十二人を選ぶ

10:115以下省略

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「説教に備えて」

 今日の日課には、イエス様が、弟子を宣教に派遣するために選ばれた様子が記されています。イエス様は群衆を見て、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」と記されています。そして、そのお心を伝えるために弟子を選ばれたのです。

 私は今、宣教派遣の重大さに衝撃を感じつつこの個所を読んでいます。つまり、イエス様の使者たるものは、まず何よりも「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」、このイエス様のお心を持つ者にのみ赦される働きである事です。

 それは牧師だけではなく、み言葉に召された信徒一人一人が、同じようにイエス様のお心に送り出されて教会ができていると言う事です。教会に集い、賛美と祈りがささげられる所には、このイエス様のお心が満ち満ちているはずです。だから教会に来た人達は温かい教会の交わりに包まれて、イエス様の愛に触れて、イエス様に向かって生きようと決心をするのではないでしょうか。

 この働きの連続が教会を支え、今も受け継がれていると思うのです。私は信徒の家を訪問する時、いつも畏れつつ、この家に平安をもたらせるような交わりが与えられるようにと祈りつつ、家の戸をたたいたものです。わずか10分の病床訪問から、1時間を超える家庭集会のような交わりまで、精一杯の努力をしてきたと思っています。

でも、今、今日のみ言葉に触れて、自分が本当にこのイエス様のお心を、命がけで担って来ただろうかと反省しています。「イエス様が群衆を深く憐れまれて弟子を選ばれた。」そのお心が、自分の一生懸命さの中で忘れ去られていたのではないだろうか、そんな反省の心が出てきます。

今からでは遅い気がしますが、残された一時一時、命ある限り、この身に負えるイエス様のお心を担って生きて行きたいと思わされています。


# by minitayori | 2017-07-08 17:33 | Trackback | Comments(0)

ルリカズラ

ルリカズラ
教会のバス停のところにある病院の入口の小さな花壇に、
涼しげな薄紫の花が出迎えてくれる。
わたしの花辞典を見ても名前を見つけることができなかった。
ある人に「ルリカズラ」という名前を教えてもらった。
毎年迎えてくれる花。暑い中でもほっとした力と気持ちを
くれる。優しい花です。

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# by minitayori | 2017-07-08 16:57 | Trackback | Comments(0)

6月25日池袋教会の聖壇の花

6月25日池袋教会の聖壇の花
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# by minitayori | 2017-07-01 15:48 | Trackback | Comments(0)

「みにたより310」

「みにたより310」
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月曜日、予約してあった病院の検診に行ってきた。難病に関係した検診で、この日は2つの科の予約が入っていた。あまり急激な変化のない病気なので、経過観察ということだが、本当によく診てくださるので感謝、感謝だが、大きな病院なので待ち時間をどう過ごすかがいつもの問題になっている。この日は合計で4時間ぐらいかかったが、それでも短かった方に入る。

その後、薬を調剤薬局で用意してもらう間、店内をぶらぶらしていた。今日は20%引きだと言うので、必要なもの、欲しかった薬を数点購入した。その中で、「認知症予防」と言う薬かサプリメントにちょっと心惹かれて、薬局の方に聞くのもおかしいが、「本当に効くのですか?」と聞いてしまった。

薬局の方は、「やめておきなさい。飲んでもすぐには効かないし、飲み始めたら飲み続けなければなりませんからね」と、親切に教えてくれた。しかし、薬局の方の言いたいことは、無駄な抵抗はやめなさい、と言う意味だったのかもしれないと思った。考えてみれば、ボケてくるのも自然の恵みなのだから、抗う事はないかと思った。優しくなるボケ方もあるからね。かわいい老人になりたいものです。

今年は梅雨の季節に雨が少なかったのか、近くでよく見かける紫陽花の花が小さい。また早くも色が落ちてしまった。ゆっくり見る間もなかった。そういえば、昔よく見かけた赤い紫陽花の花が少なくなった。私の思い違いだろうか。温暖化が進んで海の魚の生態も変わってきているとか。今年の夏も暑いと言う予報です。熱中症にならないように気をつけましょうね。


# by minitayori | 2017-07-01 15:44 | Trackback | Comments(0)

赤いアジサイ

赤いアジサイ
わたしの周辺で見るアジサイは、ほとんど青いアジサイです。先日リハビリの
送迎の車中で、赤いアジサイを見ないねーという話になった。東京湾が緑にな
り、花の咲く季節も少し変わってきた。皆高齢の方たちだから昔話に花が咲く。
練馬のこの辺は、ほとんど畑、大根が有名でしたよ、などなど。今年も暑そう
日本は亜熱帯になってしまったのかねー。このアジサイは4年前の清瀬にて。

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# by minitayori | 2017-07-01 15:35 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月2日聖霊降臨後第4主日マタイ9章9~ 

7月2日 聖霊降臨後第4主日 マタイによる福音書9章9節-13節

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◆マタイを弟子にする

9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。

9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

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「礼拝に備えて」
 イエス様はマタイ5章~の山上の説教の中で、次のようにお教えられました. 5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。

イエス様の教えられる「幸い」とは、私たち人間の考える常識とは違っているように思えます。しかし、イエス様の教えられることは、うっかりすると私達が損と思うような、また不幸とさえ思えることの中に、実は、最高の祝福があると言う事なのです。それは何でしょうか。

私達が幸せと思えるものが、手元になくなった時に、また、悲しみや苦しみのどん底にある時にこそ、私達は本心で神様の救いを求めるからではないでしょうか。苦しみの中にある時に、自分の力を超えた存在に対して、すがり頼る心が生まれてくるのです。

私は牧師になってから、何人もの人の臨終に立ち会いました。私の父もそうでしたし兄もそうでした。熊本での最初に出会った人も、一人は膵臓癌でもうひと方は胃癌でした。引越しの荷物も解かないままで、訪問に出かけました。

その方は長く柔道をしており、頑丈な身体でした。ホスピスに入り、最後の時を静かに待つと言う日々を送っておられました。最後は痛み止めで心を平安に保つだけの治療でした。私は訪問するたびに神様の国についてのお約束を話しました。「全て労する者、重荷を負う者、われに来たれ、われ汝を休ません。わが与えしくびきを負いて我に従え。されば汝安きを得ん。」これは高校の時に暗記した文語の聖書の言葉ですが、その方には文語の方が心に響いたようで、何度もうなずいてくれました。癒されない病の中で、全ての病をいやしてくださるイエス様に真に出会い、心豊かに、平安の内に旅立たれました。自らの力に頼れなくなった時にこそ、イエス様が共に歩いてくださる幸いを感じたのです。私はそう確信しました。
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♪主イエスと共に、歩きましょう、どこまでも、主イエスと共に歩きましょう、いつも。
うれしい時も、悲しい時も、歩きましょう、どこまでも、
 うれしい時も、悲しい時も、歩きましょう、いつも!

教会学校の子供の歌声が、神様の声として脳裏に響いてきます。



# by minitayori | 2017-07-01 15:23 | Trackback | Comments(0)

ブーゲンビリア

ブーゲンビリア
いつも通る小さな婦人服のお店の前に咲いている。大きな鉢植えに咲いて
いるのだが、店主のおじさんは「心ない人が枝を折って持ってゆくので困
る」と嘆いていた。もっと紫が濃いのだがわたしのカメラではうまく出なか
った。花の真ん中に白いめしべがあって、粒rな瞳のようにかわいい。

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# by minitayori | 2017-07-01 15:01 | Trackback | Comments(0)

ユリの花

ユリの花
強い日差しの中、駐車場の片隅に一輪のユリの花が咲いていた。
渇きに喘ぐように化弁がしおれかかっていた。しかし、それでも
頭をあげて凛としている姿に感動した。もうすぐ暑い夏が来る
神様のお守りの中で、いつも凛としていたい。


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# by minitayori | 2017-06-24 18:55 | Trackback | Comments(0)