たち葵


たちあおい
公園の近くの都営の団地がある。住民の方の御苦労によってきれいな花畑が
できている。この日散歩に出たら、見事な立ち葵の花が咲いていた。風が
強くてうまく写せなかったが、後2,3日でもっとたくさんの花が咲くだろ
うと思って楽しみです。
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# by minitayori | 2017-06-03 20:34 | Trackback | Comments(0)

「みにたより306」

「みにたより306」


 故郷に帰る時、富士山が見たいと思って、行きも帰りも富士山の見える窓際の指定席を頼んだが、どの日も満席で、結局は、通路側の席を選ばざるを得なかった。しかしあいにく、両日共に曇天で、窓際になっても何も見えなかった。新幹線に乗って富士山が見えるのは、運が良くないと見えないものだと昔は承知していた。そんなことを思い出しながら、しばらくぶりの新幹線を楽しんできました。豊橋に泊まる新幹線「ひかり」だったが、東京駅で、自由席の車両の前に大きな荷物を持っている、いろいろな国の方々が大勢いるのに驚いた。観光立国日本を象徴するように、ほんとうに様々な国の方々で、皆さんあの大きな荷物をどこに置くのだろうかと心配になった。

 子供連れの若い夫婦の方と目が合い、笑顔で会釈したら嬉しそうだった。私も外国に行って、笑顔で会釈されて嬉しかったことを思い出した。子供だけでも座れると旅が楽しくなるのになーと思って見送った。

 とにかく、墓参と故郷にいる兄弟達との再会を楽しく過ごすことができた。帰りも旅行帰りの大きな荷物を持った方と隣り合わせになったが、疲れていたのか豊橋駅から品川までしっかりと寝てしまった。終点が東京と言う事の安心は大きいですね。

 自分で車を運転していた時と違って、電車に乗るとすぐ寝てしまい、何度も乗り越して、終点まで行ったこともあった。先日テレビで見たが、乗り越しをして戻る時の電車賃は支払わなければならない、そうしないと無賃乗車になるとか。最近教会からの帰りに一人の時は、ちょくちょくひと駅ぐらい乗り越してしまう。次が自分の降りる所と思いつつ眠っていて、自分の降りるべき駅の名のアナウスを聴いて目が覚めると、丁度ドアが閉まり、結局は次の駅で乗り換えて帰ってくる、そんな平和な日々を過ごしています。

 たったひと駅だが、まことに心地よい睡眠時間なのだ。一人で教会に行った時だが、家内と一緒の時は、必ず起こされて慌てて降りる準備をする。体力がなくなったと言うべきか、老いたなーと思うべきか、両方ともあたっていますね。全てを受け入れて、人に迷惑をかけないように生きていかないと、と思っています。
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# by minitayori | 2017-06-03 20:27 | Trackback | Comments(0)

キリエ 「聖霊降臨」

聖霊降臨

2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、
彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、
炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

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# by minitayori | 2017-06-03 20:16 | Trackback | Comments(0)

6月4日 礼拝に備えて 聖霊降臨主日 使徒言行録 2章1~21節

6月4日 聖霊降臨主日 使徒言行録 2章1~21節
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◆聖霊が降る

2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

2:5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、:6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。

2:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。2:8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

   (9~13節省略)

2:14 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。

   (省略)

『主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

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 「礼拝に備えて」

 教会の始まりは、弟子たちに神様の霊が下ったことから始まった。神様の霊とは、神様の力、神様を知り、み心に従う力、とも言うべきかもしれない。彼らはこの日から、恐れる者から勇気を持って語る者へと変えられた。

 特徴の一つとして、「“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」そこに集まっている人々全員に「神様のみ業の素晴らしさを理解出来るように話した」ということ。人々は「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」と驚いている。最初の弟子たちが一番心を砕いていたことは、聴く人々に「彼らの分かる言葉で神様の素晴らしさを伝える」と言う事だった。

 私は洗礼を受けてすぐに、当時の牧師の勧めで、夜の街中で路傍伝道をした。マイクもなく、にぎわいの中で信仰の証をさせられた?のだった。

誰も聞いてはくれなかった。時々立ち止まる人がいたが、私の言葉は届かなかった。結びはいつも、ヨハネによる福音書の3章16節だった。神様のお心が最も凝縮されていると教えられたからだった。「ヨハネ3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」このことを分かってほしいと一生懸命話した。

 神学校に入っても、夏休みは伝道旅行、天幕伝道で証をすることが何回もあった。教会のない所に天幕を張って、集会が始まる前に近隣にビラ配りをして回った。なかなか受け取ってもらえない悲しさも味わった。

 当時は開拓伝道をしてくださる牧師先生も沢山おられ、その先生の話し方と内容に心打たれたものだった。みんなの分かる言葉で語ることの、難しさと素晴らしさを教えられた。集会の初めに、神学生として自分の信仰についての証をするようにと言われ、怖れつつ準備をした。

 ある時、同僚の神学生が証の前に仲間と一緒に談笑していた。そこに宣教師がやって来て、その神学生はひどく叱られた。神様のみ言を証する者は、どんなに大切な役目を与えられているかを畏れつつ覚え、聖霊の助けを祈らなければならないのに、馬鹿話をして大笑いをしているとは何事か、と叱責をされたのだ。

 このことは牧師になってからいつも、礼拝の前に思い出されたものだ。主の名を求めて、主の御心を語る、聖霊の助けをいただいてこそ誰もがわかるお話ができるのだと、肝に銘じたものである。体力がなくなり説教壇に立つ機会もなくなったが、昔の厳しい教えが時々思い出される。 誰もが分かるお話こそ、教会に求められている福音の証の言葉、説教であると改めて思う。今からでは遅いと思いつつ、今日のみ言葉で昔のことを思い出しました。


# by minitayori | 2017-06-03 20:09 | Trackback | Comments(0)

アジサイ

アジサイ
娘の裏庭にアジサイが咲いたというので見てきた。小さな庭の
片隅に、珍しい色のアジサイが咲いていた。一本のアジサイの木。
ひそやかに咲いていたアジサイ。静かなほほ笑みのように見えた。

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# by minitayori | 2017-06-03 20:00 | Trackback | Comments(0)

スイセン草

スイセン草
裏庭にずいぶん前から気になる雑草の塊があった。庭にあるから
花が咲くのだろうと思って、どんな花かと楽しみにしていた。
きれいなかわいらしいピンクの花が咲いていた。スイセン草と
いう名前だった。小さなかわいらしい花です。
花は自分の定められたときに、定められたように自分の色で咲く、
私はどんな花を咲かせてきただろう_?_?

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# by minitayori | 2017-05-27 22:36 | Trackback | Comments(0)

「みにたより305」

「みにたより305」

「故郷は遠きにありて思うもの」と言う言葉があるが、体力のあるうちに、もう一度故郷を感じたいと、24日から一泊で愛知県田原市(渥美半島)の故郷に行ってきた。

まず墓参をして、父母と兄夫妻に牧師の働きを終えることができたことを報告し、感謝の祈りをした。兄と共に習った尺八を持って行き、墓前で讃美歌を献奏してきた、と書くと格好良いのだが、旅の疲れか息切れがして、あまりきれいな音が出せなかった。

家庭集会でよく歌った「いつくしみ深き」「主よ、みもとに」「安かれ、わが心よ」等を吹いてみたが、かすれた音に私の師匠でもあった兄が、渋い顔をしているように感じた。

ふっと、母が言った言葉が思い出された。いつであったか、まだ元気な頃に故郷に帰った時に、母が「お前、説教がちっともうまくならんね・・。」どうして知っているのだろうと思ったが、一緒に働いていた宣教師が私の説教をテープに残して、2,3本母の所に持っていったようだ。40歳くらいの時の説教で、手話で同時通訳をしながらの説教だった。

母はこのテープを、繰り返し繰り返し聴いてくれていたのだ。それで上達しないなーと言った意味が分かった。確かに上達しないよね、同じテープを聞いていたのだから。母には何も言わなかったが、テープを聞いて、上達しない息子の説教に心を痛めてくれたことを知って嬉しかった。

故郷に帰って、兄弟や親戚の温かい心遣いを受けてきた。電車や車での移動だったので、足が固まったのか、ふらふらしてしまったが、みんなに支えられて心温まる旅をすることができた。これが最後かという気もして帰って来たが、帰る早々、また来年も「最後の旅」をしたいものだと思った。

「故郷は遠きにありて思うもの」と言うが、「故郷は優しい心に触れるところ」であった。 神様の備えてくださった天の故郷も、神様の愛に迎えられる安らぎの故郷だろうなー。

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# by minitayori | 2017-05-27 22:30 | Trackback | Comments(0)

コデジアの花 

 
コデジアの花 
裏庭のベランダに立っていたら、小さな花がいたずらっ子の
ように顔を出していた。のぞいてみたら、この花が咲いていた。
かくれんぼするように、遊ぼうと言っているように感じた。

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# by minitayori | 2017-05-27 22:24 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月28日 ヨハネ福音書17章1-11節 「イエスの祈り」

5月28日 復活後第6主日 ヨハネによる福音書171-11

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◆イエスの祈り

17:1 イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。

17:5 父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。


17:9 彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。

17:10 わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。

17:11 わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。

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「礼拝に備えて」

 イエス様は弟子達と私達のために祈って下さいました。大祭司としてのイエス様の最後の祈りは、愛に満ちた祈りでした。イエス様は弟子達、そして私達のために、「あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。」と祈って下さいました。この祈りの中のお言葉では、弟子達、イエス様を見捨ててしまった弱い人々を「あなたの子」と呼んでくださっています。

 人は皆、孤独に生まれ、それぞれに過ごし、そして、愛する者と別れ、また孤独になり、病気や高齢になって一人で「死の時」を待つことになります。そのように考えると、暗い思いに沈みます。

でも、ほんとうは孤独ではありません。自分でどんなに孤独だと思っても、イエス様はその私達を「あなた=神様の子」と呼んでくださり、神様に、私達が神様の子らしく生きるようにと、「神様の栄光を与えてください」と祈っていてくださいます。

「栄光」とは何でしょうか。ローマの信徒への手紙で、使徒パウロは「3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」と述べています。「罪」とは、神様に背き、神様の愛のお心の中から離れて生きること」です。そんな私達は、神様の愛のお心、つまり栄光を受けられなくなっています。しかし、この罪人である人間のために、イエス様は十字架にかかり、血を流し、罪人が神様に帰る道を備えてくださいました。

栄光とは、神様の愛の中に生きることです。どんな状態になっても、イエス様はわたし達を神様の子とするために、変わらず愛し、手を差し伸べ、神様の子として生きることができるようにと願っていてくださいます。「私は愛されている。だから神様の子として、神様の心に従って人を愛し、赦し、助けて生きて行こう。」このように決心する時、神様の栄光の中に生きていることになるのです。

その様に生きるあなたは、「神様の愛する子」として神様のみ手の中に生きているのです。そして神様の平安と祝福に満たされて生きることができるのです。あなたがそのように生きることができるように、イエス様は「祈って下さっている」のです。神様の愛の御心の中に今日から生きていきませんか。




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# by minitayori | 2017-05-27 22:18 | Trackback | Comments(0)

近くにある畑

近くにある畑
練馬区には、まだ畑が点在している。収穫機に備えて苗が植えられていた。
収穫期になると近くの幼稚園児が来て、歓声をあげて収穫する。
そういえば、長野の飯田にいたとき、用地絵mm字のために山の
中腹の畑を借りて、芋畑を作っていた。夏の草取りはつらかったが
子供たちの喜ぶ顔を思い浮かべながら、がんばった。若かったね!

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# by minitayori | 2017-05-27 22:05 | Trackback | Comments(0)

5月14日の池袋教会の聖壇の花

5月14日の池袋教会の聖壇の花
今は教会の暦では復活後主日が続いている。復活されたイエスさまが、
弟子たちを教え、励ましているお姿が語られています。
ユリは復活の象徴でもあります。

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# by minitayori | 2017-05-20 21:32 | Trackback | Comments(0)

「みにたより304」

「みにたより304」

 尊敬する信仰の友の逝去の報を受けた。かなり高年齢になってから再婚した方であったが、ご夫妻の夫婦愛は本当にほほえましいものだった。奥様が足を悪くされて、大変不自由をされている時に、たまたまお住まいの近くの教会に招かれて伝道のお手伝いをした。その時に、身体の不自由な奥様をかばいつつ、その教会の礼拝に参加してくださった。

 その後も、年賀状やクリスマスカードのやり取りを続けていたが、昨年ご主人が病気になられ、再発を繰り返し、今年の2月に逝去されたと言う。一週間ほど前にお手紙をいただいたが、奥様のために百歳まで生きたいと口癖のように言われていたとの由。お手紙には、愛された喜びと感謝がしたためられていた。

 わたしが牧師になってから、30数年の間、ろう者伝道を協力してくださったオシドリ夫婦がいた。そのご主人は、会社の慰安旅行で紅葉を見に行かれた時、血圧が高かったので医者から注意されていたが、バス旅の疲れと、降りた時の気温の急激な差に、脳出血を起こされて召されてしまった。

 朝「行ってきます!」と出かけ、夜にはご遺体で帰ってきた。奥様は驚愕と悲しみに泣き続けられた。毎日お見舞いにうかがったが、耳の聞こえない方なので、慰めの言葉も届かず、肩に手を置いて祈るだけだった。数日して、また同じように肩に手を置くと、笑顔でわたしのほうを見て言われた。「主人は今私の心の中にずーといます。今まで会社に行くと寂しかったが、これからはどこに行っても一緒ですから・・・。寂しくないです。」同じ信仰の中で、生死を超えて愛をはぐくめるということの素晴らしさを教えられた。

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 今までの牧師としての働きの中で、素晴らしい宝物をいただいていたことを改めて思い、感謝しつつ、そのことを分かち合って生きたいと思いました。


# by minitayori | 2017-05-20 21:26 | Trackback | Comments(0)

スズラン

スズラン
近くに古いアパートがある。高齢のご婦人が一人で住んでいるが、
入居者はいない。腰をかがめて草取りをしている姿を見ると、
さみしげに見える。手入れのゆきとどかないアパートは、
誰にも見むきをされないのか、窓もしまったまま。
夜など一部屋だけ細々と明かりがついている。
その玄関と塀の間にスズランの葉が密集している。
よく見ると小さな花がさみしげに咲いていた


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# by minitayori | 2017-05-20 21:19 | Trackback | Comments(0)

5月21日 礼拝に備えて ヨハネによる福音書14章14~21節

5月21日 復活後第5主日 ヨハネによる福音書14章14~21節

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14:15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。:16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。:19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。:20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」


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「礼拝に備えて」

 ある人が、人は別離に始まり、別離に終わる存在であると言った。知らぬうちに神からの別離を受け継ぎ、この世に生を受けるときには母からの別離があり、そして人生の間に何度も別離を繰り返して、最後にまた、愛する人との別離を経験しなければならない。こう考えてみると、人生というものが悲哀に満ちているように感じてしまう。

 しかし、人の一生の始まる以前に、人は罪によって神様との別離を経験している。しかし、神との別離は神と人ではなく、人の罪による一方的な別離であって、神様はその初めより、決して私達を見捨ててはいなかった。アダムが罪を犯し、神様の目から逃れようと木の陰に隠れた時も、神様は人に呼びかけられた。「あなたはどこにいるのか?」

 神様は人を見捨てず、いつも心にかけていてくださる方であることを、聖書は始めから伝えようとしている。あなたは神様から見捨てられてはいない。一人ぼっちではなくて、神様の愛する子として、その愛の中でいつも見守られている。だから、あなたはどんな時にも神様と二人ぼっちなのです。

 今弟子たちは最後の晩餐の席上で、イエス様の受難と召天によって、イエス様がいなくなることを教えられて不安の中にいた。その弟子達を励ますために、イエス様は「父は弁護者を送る」と約束してくださった。昔の訳では「助け主を送る」という言葉だった。それぞれに意味合いが違うような気がするが、今はそれにこだわることはやめよう。大切なことは、どんな時にも一緒にいてくださる、神様の愛のみ心があるという事だから。

 わたしが献身して牧師になることを父に話した時、父はわたしを勘当した。離別と孤独の戦いが始まった。しかし、振り返って、両親は離別ではなく、送り出したと思っていたのだ。話はしなかったが、繁忙期に家に帰ることを暗黙のもとに赦し、仕事を手伝い、帰るときには母を通して、交通費となにがしかの小遣いを持たせてくれた。

 封筒に入った両親の愛を握りしめて学校に帰った。孤独はあったが、自分を子どもとして見守ってくれる親の愛、兄弟の愛がいつも共にあることが支えであった。その愛が神様の愛と一緒になって、くじけそうになる私を支えてくれた。愛を持っていつも心にかけてくれる人が身近にいる人は幸いだと思う。あなたに、神様は助け主=愛の心をいつも変わらず注いでいてくださいます。安心なさい。


# by minitayori | 2017-05-20 21:08 | Trackback | Comments(0)

その名が見つからず

残念ながら花の名前が不明
ブログに何か善い花はないかと、郵便局に行った帰りぶらぶらと歩いていたら
珍しい花に巡り合えた。花の名前を探してみたがわからない。
いずれわかったら花の名前を差し替えます。とてもかわいらしい花でした。

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# by minitayori | 2017-05-20 21:02 | Trackback | Comments(0)

シャクヤク

シャクヤク
近所の荒れた庭にシャクヤクの花が咲いていた。薄暗い目立たない庭だが、それだけに余計に美しく感じた。苦しみの中で神様に出会った時の喜びに似ていると思った。

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# by minitayori | 2017-05-13 18:27 | Trackback | Comments(0)

「みにたより303」

「みにたより303」

テレビのインタビューの映像がユーチューブで見られるようになった。自分の姿は見たくないが、恐る恐る見てみたら、やはり、立派な老人が写っていた。この番組は、先般「手話で福音を伝えよう」と言う題の、キリスト教手話を広めるために私が出版した本についてのインタビューであり、本の宣伝にもなると思って引き受けた。

本の作成のエピソードや裏話、なぜろう者の牧師になったか、などを聴かれてお話してきた。40数年にわたる話なので、話したいことが沢山あって、司会の人が本題に戻すのにご苦労されたようだ。でも、昔話をしたがるのは老人の常、司会の方が上手に助けてくださって無事に終わった。

長くなったので編集の方もご苦労があったと思うが、さすがに上手にまとめてあった。楽しかったし、初めての経験をさせてもらって嬉しかった。下に視聴できるアドレスを書いておきましたので、時間のある方は見てください。「本の旅」の中の「手話で福音を伝えよう」と言う項目を選んでクリックしてくださると見えると思う。

映像に写しだされたわが姿は、自分でも驚くほどの老人の姿だが、これが今の現実です。手話と一緒に話すと、もう少し発音もしっかりしたと思うのだが、今回は口の開きが悪く聴きにくいかもしれないが、これも現実ですね。でも、本当にこのようなお話をする機会を与えられて、神様に用いられたことを感謝している。

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アドレス

日本CGNTV YouTubeチャンネル「本の旅」再生リスト:題「手話で福音を伝えよう」   https://www.youtube.com/playlist?list=PLYamdtAmvO0aI-IuOqr107YxdCC1pfzKx


# by minitayori | 2017-05-13 18:21 | Trackback | Comments(0)

バラの館の花が咲き始めました。

買い物道路にあるバラの館の花が咲き始めました。
花の下に立って眺めていたら、この家のご主人が帰ってきて、また写真を
写しに来て下さい、と言われた。昨年は一番良い時に雨続きで写真を写せなか
った。一昨年は善く取れた中から何枚かお届けした。お礼のお電話をいただいた。
そのことを覚えていて下さったのだ。うれしいひと時でした。

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# by minitayori | 2017-05-13 18:04 | Trackback | Comments(0)

5月14日 復活後第4主日 ヨハネ14章1-14節

5月14日 復活後第4主日 ヨハネ14章1-14

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14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

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「礼拝に備えて」
 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」

 イエス様を信じる人が忘れてはならないこと、それが今日のヨハネの福音書に記されていることです。私達は、自分のやがて住まうべき所を知っています。それは、イエス様が命をかけて用意してくださった神の家の事です。

 40年の間、わたしは牧師として教会の近くに住まう家を与えられて生活してきました。引退を前に、引退後どこに住まいを定めようかとよく話し合いました。生まれ故郷に帰るもよし、今まで働いてきた教会の近くに住むことも考えました。そして最後に決めたことが、わが子がいる近くに住もうと言う事で、東京に出てきました。

 引退してからではアパートは借りることが難しい、と定年引退者予備軍ののセミナーで聞かされていたので、引退の3カ月ほど前から、ネットで探せるURの賃貸住宅を探し、結構空き室があるので安心しましたが、日に日に少なくなってゆくので、思い切って早めに契約しました。

 しばらくして夫婦ともに体調を壊したので、熊本に行く前に申し込んでおいた老人ホームに空き具合を尋ねに行きました。その時はまだ100人ぐらい待っていると言うので、途方に暮れました。牧師の年金で住める所はそんなに多くはありません。そんな時に、家内の恩師がおられた、救世軍のケアハウスがあることを知りました。しかし、ここでもたくさんの待機者がおられることがわかりました。

 あきらめて都営住宅を申し込んだのですが、空き室が同じ市内でも、どのあたりに出るかわからないと言うのです。あまりにも交通の便の悪い所では、車を持ず体調の万全ではない私達では生活が成り立ちません。途方に暮れていた時に、救世軍のケアハウスの方から、丁度夫婦部屋が空いたので入りませんか、と言う有難いお話をいただきました。感謝して入らせていただき、良い環境と良い友達に恵まれ、感謝しつつ過ごさせていただきました。しかし4年半後、今度は孫の世話のために今のアパートに引っ越して来て三年が過ぎました。

 老いは確実に身に迫ってきています。しかし、今までと同じように全てを神様に任せて生きようと思っています。「あなた方のために住まいを用意して、また来る」とおっしゃってくださったイエス様のお約束があるから、夫婦で助け合って健康を守りつつ、召される時には、み手にゆだねて平安でありたいと思っています。

 イエス様は言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」イエス様の道を歩き続けて父のもとに帰りたい、イエス様が約束されたことを信じて、今日の日を精一杯生きていきましょう。


# by minitayori | 2017-05-13 17:56 | Trackback | Comments(0)

モッコウバラ

モッコウバラ
アパートの塀に沿ってきれいに咲いています。
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# by minitayori | 2017-05-13 17:42 | Trackback | Comments(0)

「みにたより302」

 「みにたより302」

 自分の人生が、自分にとって意味あるものであったかどうかは、人によってそれぞれ違った受け留め方があるようです。しかもその定義は自分できめなければなりません。神様から与えられたこの人生を振り返って、成功したか失敗したかは、あくまでも自分でくだした定義によって判断するしかないのです。

 J・R・オッペン・ハイマーと言う方がいました。あまり知られてはいないかもしれませんが、現代において非常に重要な役割を果たした方です。彼は、1904年の4月22日に、ニューヨークに住むドイツ移民の織物商の息子として生れました。小さい頃から頭がよく、やがてハーバード大学を3年で、しかも、優等で卒業しました。その後、ケンブリッジ大学で1年間大学院生活を送り、さらに、ゲッチンゲン大学で博士号を取り、間もなく現代有数の物理学者としての名声を与えられました。

 彼は第2次世界大戦中、国の政策の下に原子爆弾を生み出してしまいました。1963年に、彼に最高の栄誉である賞と、5万ドルをアメリカの当時の大統領自らの手で贈られたと言う事です。

 しかし、彼は原子爆弾の生みの親、と言う汚名を着せられてしまいました。1967年2月、この高名な科学者も、病気でこの世を去りました。訃報が伝わると、全世界から弔電が寄せられました。彼は同時代の人々にその才能を認められた数少ない天才の一人でした。しかし、彼自身は、死が訪れる1年ほど前にこう語っているのです。「私の人生は完全に失敗であった」と。
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さらにこの様に述べています。「私の業績は、口に灰の味を残す事でしかなかったのだ」と。彼の心にはいつも、原子爆弾の破壊力が重くのしかかっていたのでしょうか。「私は既に死んでいる。私は世界の破壊者だ」と口癖のように言っていたそうです。自分の人生の最後に、振り返ってみて「灰の味」しか残らなかったら、真に悲しいことです。

わたしたちはいつも主の祈りの中で「み心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈っています。この祈りは、自らが神のみ心である、愛と平和の架け橋となることを願う祈りです。まず祈り、祈りを積み上げて、平和を作り、愛を行う者でありたいと思います。貧しくとも、弱くとも、この祈りを真剣に祈り続けることが出来るものは、人生の終わりに『蜜の味』を楽しむことが出来るでしょう。

 いま世界では原子力の問題が取りざたされています。人間の力で最終的な処理の出来ないものを手に入れてしまった世界に、今一度人間の英知で、世界の平和と人間の幸せのために、真に役立てる道が備えられることを願う者です。人生を感謝で終われるように!


# by minitayori | 2017-05-06 17:01 | Trackback | Comments(0)

オリエンタル・ポピー

オリエンタル・ポピー
アパートの前の自動販売機の片隅に小さな花が咲いていました。
午後になると閉じてしまう。今日は朝写しに
行ってきました、優しい花ですね。誰にも気づかれなくてもこの時期になると、ひっそりほほ笑むように咲いています。
自分の置かれたところで自分らしい花をっ咲かせなさい。

花ことばは「優しい愛」

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# by minitayori | 2017-05-06 16:33 | Trackback | Comments(0)

わたしは善い羊飼い



ヨハネ10:14 わたしはよい羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、
羊もわたしを知っている。
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、
わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる。

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# by minitayori | 2017-05-06 16:16 | Trackback | Comments(0)

5月7日 復活後第3主日 ヨハネによる福音書10章1-16節

57日 復活後第3主日 ヨハネによる福音書101-16

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◆イエスは良い羊飼い

10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。

10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。

10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

10:17 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。

 

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「礼拝に備えて」

 イエス様はよい羊飼い、このお話は私の大好きなお話です。しかし、聖書を読んでいて時々心の中で何か違和感を感じました。このお話は礼拝説教でも、ろう者の聖書研究でも、何度もお話したのですが、どこかで違和感が出てきました。

 手話では「良い」とは、良否の意味で表現します。その「良=良い」とは完全であり、正しい、間違いのない、瑕疵のないという意味にもなります。イエス様は良い羊飼い、と聖書は書いています。しかし、私はこの「良い」と言う言葉を、「善い」と言う言葉で理解してきました。

 漢字の「善い」と言う言葉は、羊の口にえさをあげる心優しい羊飼いの意味を持っている、と漢字の字源の本に書いてありました。そのことから、イエス様と言うお方は、心優しい、人を差別しない、心豊かな方だと思ったのです。どんな人も差別しないイエス様のお姿は、聖書の中にたくさん書いてあります。弱い人も悲しんでいる人も、貧しい人も富める人も、幼子も高齢者も、みんな私の愛する子として受け止めてくださる方。

 しかも、十字架の上では、今、槍で自分を刺そうとしている人々、イエス様を裏切って逃げ出した人々、イエス様をお金で売ってしまった人々にも「父よ、彼らを赦して下さい。彼らは何をしているのかわからないでいるからです」と、とりなしの祈りをしてくださいました。

 これを聞いた百人隊長は、「この方は神の子であった」と告白しました。イエス様を裏切って逃げだした弟子達も、後になって、このイエス様の祈りが自分に向けられていると感じた時、どんなに心安らかに、勇気を持って生きられた事でしょう。

 それから後も、弟子たちは何度もイエス様を裏切るような弱さを持っていましたが、いつもこの祈りと、イエス様が「善い羊飼い」であることを思って、十字架の下に帰ってきた事でしょう。私もイエス様が「善い羊飼い」であられたからこそ、今まで曲がりなりにも、イエス様のみ足の後に従ってこられたと思っています。イエス様は「あなたの善い羊飼い」、あなたのために命を与えてくださったのです。感謝!


# by minitayori | 2017-05-06 16:10 | Trackback | Comments(0)

ジャーマンアイリス

アパートの駐輪場に咲いていた
アイリスと思ったがジャーマンアイリスとかいろいろありますね。
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# by minitayori | 2017-05-06 16:05 | Trackback | Comments(0)

池袋教会の八重桜

池袋教会の八重桜
教会の裏にがある桜の木。大きくなりすぎて電線かかるので、と
何本か切られてしまったが、残された八重桜がみんなの分まで
咲いていた。少しさみしそうだったががんばっていました。

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# by minitayori | 2017-04-29 21:47 | Trackback | Comments(0)

「みにたより301」

「みにたより301」
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月曜日CGNTVと言う、インターネットTV制作会社より依頼があり、先般出版した「手話で福音を伝えよう」と言う本の取材を受けた。手話、特に、キリスト教手話の宣伝をしてくれると言うので引き受け、テレビ録画に出かた。

高田馬場から、歩いて10分くらいの所と言うので出掛けたが、降りた口が南口。戸山出口と言う初めての出口で、右も左もわからない。駅前の地図を見ても良くわからない。あたりを見渡しては地図を眺めていたら、見知らぬ中年の男性が声をかけてくれた。自分が行く方向だから一緒に行こうと言ってくださり、しゃべりながら歩き出した。戸山団地の建物を見ながら、登りの坂道を上がって行った。「教会の横にあるスタジオです」と言ったのが通じなくて、お寺の横と聞こえたようで、そのお寺はよく知っていると言いながら歩き出した。登り坂なので足腰の痛い私にはつらい道中だったが、素朴なお話に心癒されながら歩いて行った。実は、はあはあ!言いながら・・。地図にはガソリンスタンドの近くとあったので、見つけたガソリンスタンドでその場所を聴いた。すぐ裏ですと言われたので、同行してくれた方にお礼を言って別れたが、お寺はまだ先のようだったのでほっとした。

打ち合わせと録画で一時間近くかかったが、生まれて初めての経験だった。「献金によって運営しているので、恐縮しながら交通費も出ません!」と言われたが、目的が教会の働きだったので、こちらこそ取り上げていただいて「感謝!」だった。痛み止めや咳止めを飲んでの一時間だったが、人生の終わりに近くなって、珍しい経験をさせていただいた。これからもきっと神様はいろいろな経験をさせようと計画してくださっていると思うと、それに応えられるように、自分の体調を整えるのが大切なことだなーと思いながら、今度は降りの坂道を、こけないように気を付けて帰ってきた。

山手線も池袋からの地下鉄も、時間的に混雑していたが、池袋からは若い人が席を譲ってくださったので、眠って乗りこさないように気を付けて帰ってきた。家の近くの駅の周りは、春風が強かったが夕映えがきれいだった。人の親切を身にしみて感謝した一日でした。


# by minitayori | 2017-04-29 21:41 | Trackback | Comments(0)

トマスへ

20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
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# by minitayori | 2017-04-29 21:34 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 4月30日 復活後第2主日 ヨハネ福音書20章24-29節

430日 復活後第2主日 ヨハネ福音書2024-29

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20:24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。:25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

20:26 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」:28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

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「礼拝に備えて」

 弟子のトマスは、一週間どこに行っていたのでしょうか。それはイエス様が十字架にかかられてからの一週間。彼トマスのショックの大きさが示されているように思われます。

 茫然として、夢遊病者のように歩き回っていたのかもしれません。しかし、少し前にはイエス様の危機を聴くとトマスは他の弟子に先んじて率先して仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言いました。(ヨハネ11章)それだけにイエス様を見捨てた自分への嫌悪感は大きかったのかもしれません。

 しかし、トマスは復活の一週間後、弟子たちが集まっている所に帰ってきました。そこで見たのは、彼の予想に反して、喜びにあふれている他の弟子たちの姿でした。復活のイエス様に出会ったというのです。彼の常識ではありえない事柄でした。彼は自分が取り残されたように感じ、また、ありえない幻想に喜んでいる他の弟子たちが、愚かにさえ見えたのではないでしょうか。

彼は、自分の指をイエス様の傷に入れて見なければ信じない、と言いました。彼は信じえない自分の心を、どんなに歯がゆく思ったことでしょうか。彼の孤独感が伝わってくるような気がします。その喜びと信仰の渦巻くただ中に、イエス様は入ってこられました。イエス様はトマスに向かってこられ、彼の不信を取り除くために、彼の望むとおりに、指を傷口に差し入れることを赦されたのです。

 彼の不信仰を責められることなく、望みをかなえて信じる者へと導こうとされたのです。イエス様は、いつでも不信にあるものの近くに寄り添い、信じる者となりなさい、と導いてくださいます。信じる世界に、神様が共にいてくださり、もっともよい道を示し、もっともよい事をしてくださることを信じるようにと導いてくださいます。信じるとは、何でしょうか。神様のみ心を受け入れ、従う事。マリアのように「私は主の僕です。御心のままにこの身になりますように」と祈ることではないでしょうか。トマスがイエス様の傷に触れたかどうかは、聖書には記されていません。しかし、イエス様のお言葉に「わたしの主、わたしの神よ」と言って服従したのです。

イエス様はトマスに言われました。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」あなたをどこまでも愛される神様に、信じ従う者となりましょう。あなたの心の平安と幸いのために。


# by minitayori | 2017-04-29 21:31 | Trackback | Comments(0)

池袋のハナミズキ

池袋街路樹のハナミズキ
教会前のバス停の白いハナミズキ。青空に映えてきれいでした。
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# by minitayori | 2017-04-29 21:14 | Trackback | Comments(0)