2月19日の聖壇の花

2月19日の聖壇の花
この日はわたしの誕生記念(20日)

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# by minitayori | 2017-02-25 21:04 | Trackback | Comments(0)

「みにたより292」

「みにたより292」
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私の家の家庭礼拝では、聖書日課を使っています。しばらく創世記のお話が続くので、確認するために聖書の巻末にあるパレスチナの地図を見直しています。こんな話をどこかの聖書研究でお話したことがありますので紹介します。

北のへルモン山から発した川が、二つの湖を作りながら南にまっすぐ降りて塩の海に入ります。 一番北の小さい湖は「フーレ湖」、その次は「テベリヤ湖」、南のー番大きい湖が「死海」(塩の海)です。このテベリヤ湖は、聖書では「キネレトの海」「ガリラヤの海」としてしばしば出てきますし、イエスさまの最初に伝道なさった地方はこの湖の主として北から西にかけてです。

この三つの湖をつないでいるのがヨルダン川です。ところでこのガリラヤ湖と塩の海は見たところどちらもたいへん美しい湖ですが、ガリラヤ湖のほうは淡水で魚がたくさんすんでいるのに、塩の海のほうは魚もすめないほど濃い塩水です。

それはガリラヤ湖のほうはいつもヨルダン川の上流から水が注ぎこんでおり、またそれが死海のほうへと流れ出ているのに対し、死海のほうは川の水が注ぎ込んでいるだけで流れ出て行きません。地中海などの海面よりも392メートルも低いうえに近くの岩塩などが溶けこみ、蒸発によってだんだんその塩分が濃くなってしまったと考えられています。そのため名前までも「死海」となってしまいました。

イエスさまの教えてくださった愛も、このガリラヤ湖と死海をたとえとして考えることができます。私たちの信仰が、もらうだけで与えることをちっともしない心になってしまえば、川が流れこんでくるばかりで出口のないために、塩分の濃度が濃くなった「死海」のように、愛の住むことのできない心になってしまいます。老若男女に関係なく、神に愛されている私たちが、人々を愛していく歩みーーガリラヤ湖のようなーー、生きている信仰生活をしたいものです。マタイ253135


# by minitayori | 2017-02-25 21:00 | Trackback | Comments(0)

椿の花

散歩途中のお宅に、椿の木がありました。少しづつ花が咲き始め
招いてくれるようでした。小さなデジカメで写しましたので少し
ボケて見えますが、近くまた写し直してお目にかけます。

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# by minitayori | 2017-02-25 20:49 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月26日





2月26日 変容の主日 マタイ 171~9節

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17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。

17:3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。 17:4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

17:5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。

17:7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」

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「礼拝に備えて」


 このイエス様の変容の記事は、ルカによる福音書9:28-36にも載っています。イエス様の変容のお姿に感激した弟子たちの姿が記されており、目を覚ました弟子たちが、「モーセとエリヤが、栄光の中でイエス様がエルサレムで遂げようとしている最後のことについて話していた。」と記され、その後で弟子たちが、この栄光の山の上に小屋を建てて住みたいと、イエス様に提案します。


 しかし、イエス様は栄光の山にとどまらないで山を下りていかれます。イエス様が下りられた山のふもとにはイエス様の助けを必要としている人々が多く待っていました。


 イエス様は栄光の中にいる救い主ではなく、病める人、苦しむ人、孤独の中にいる人と共にいる救い主となり、最後には十字架にかかり、罪の故に苦しむ全ての人の救い主となることを選んでくださいました。


 このことは教会のあるべき姿、キリスト者のあるべき姿を示してはいないでしょうか。私の好きな詩で、{聖フランシスの平和の祈り}と言う詩があります。歌にもなっていて、手話でも教えてきました。



(聖フランシスコの「平和の祈り」より)


神よ、わたしを、 あなたの平和を実らせるために、用いてください。


わたしが、憎しみのあるところに、愛をもたらすことができるように、


また、争いのあるところに、和解を、


分裂のあるところに、一致を、


疑いのあるところに、真実を、


絶望のあるところに、希望を、


悲しみのあるところに、よろこびを、


暗闇のあるところに、光をもたらすことができるように、助け、導いてください。


神よ、わたしに、


慰められることよりも、慰めることを、


理解されることよりも、理解することを、


愛されることよりも、愛することを望ませてください。


わたしたちは、


自分を与えることによって、与えられ、


すすんでゆるすことによって、ゆるされ、


人のために死ぬことによって、永遠に生きることができるからです。


 なにやら騒然としている世相です。この時にこそ、平和と一致、愛することの大切さと、愛されていることを知る喜びをもって生きる者でありたいと思います。イエス様と共にいるならば、神様のお声「これはわたしの愛する子」と言うお言葉を、イエス様と共にあなたも聞くことができます。


この美しい地球に平和を!e0191585_20414459.gif






# by minitayori | 2017-02-25 20:44 | Trackback | Comments(0)

クリスマス・ローズ




クリスマスローズ
クリスマスでもないのになぜクリスマスという名がつくのだろうか?
図鑑によると荒涼とした山地に咲くことからつけられたとの由。
キリストは悲しむ人の心、貧しい人の心に来て下さる、からかな!
ちなみに花ことばは「共にに楽しむ」とのよし。みんな幸せに、
神様の願いですね!

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# by minitayori | 2017-02-18 21:17 | Trackback | Comments(0)

「みにたより291」

「みにたより291」

 昔読んだ本に「『引き算』で生きて見ませんか」という小冊子がありました。その中に星野富弘さんの「タンポポ」という詩『いつだったかきみたちが空をとんで行くのを見たよ/風に吹かれてただ一つのものを持って/旅する姿がうれしくてならなかったよ/人間だってどうしても必要なものはただ一つ/私も余分なものを捨てれば空がとべるような気がしたよ』という詩が引用されて次のような説明が書かれていました。

 人生には「足し算的生き方」と「引き算的生き方」の二つの生き方がある。足し算的生き方とは、人生にお金や財産を増し加えて行く生き方で、例えば、お金、物、知識、教養等等、それを加算して行く方法、いわゆる勝ち組、強者の生き方である。

しかし、そのためにより一層努力することが必要となってしまう。それは良いことではあるが、それが人生における目的となってしまうところに問題がでてくる。この「足し算的生き方」は、いくら足しても終わる事なく、いつまでも生きている限り続く。その結果、人のことは考えられず、時には犯罪まで犯してしまうことさえある。私たちの身近で経験しているところである。

 それと反対に、「引き算的生き方」とは、自分が今もっているものを一つずつ引いていく生き方で、それをすると、最後にはゼロになってしう。このゼロとは何もないことを意味している。このゼロは、いくら並んでもゼロで百万個のゼロが並んでもゼロである。

 しかし、「0」の横に「1」を並べると「10」になり、「0」を二つ並べると「100」になるというように、「0」のままなら何の意味ももたないのに、他の数字のそばに並べると、十倍にも何百倍にもなり、「自分自身が何もないゼロでありながら、他を大きく豊かにすることが出来、他を生かす無限の力をもっている。ついには、余分なものを捨てれば、私たちもたんぽぽのように空を飛べるかもしれない……。

 日本語の漢字に「優しい」と言う漢字があります。良く見てみると「憂い」の横に「人」と言う字があります。漢字の素晴らしさと思うのですが、優しいとは憂い、悲しみをもっている人の横にそっと立ってあげる人のことだと思うのです。私はこの言葉を思い出して、イエス様のことを思いました。

イエス様はゼロの横にそっと立ってくださる方だと思ったのです。人々から罪の人と疎外されていた人々や、罪の結果とさげすまれていた病気の人々の横にそっと立ち、自分をゼロだと絶望しそうな人々を、あなたも神様の大切な宝物、と優しく語りかけてくださっています。人生の計算式、イエス様の前で、大胆に引き算で生きていきたいと思います。

今もイエス様はあなたのそばにいてくださいます。苦しい時、悲しい時、心細い時、「わたしが共にいるから、大丈夫!」と声をかけてくださいます。さあ勇気を出して。

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# by minitayori | 2017-02-18 21:07 | Trackback | Comments(0)

孫の作ったバレンタインチョコ

孫がくれたバレンタインチョコ
小学生6年の孫がバレンタインチョコを作って持ってきてくれた。
私の顔を考えながら作ってくれたそうだが、どれもいい顔ですね。

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# by minitayori | 2017-02-18 20:53 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月19日 マタイによる福音書5章38~48節

2月19日  マタイによる福音書5章38~48節

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5:38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

5:40 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。

5:41 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。:42 求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」

5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。:45あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

5:46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

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「礼拝に備えて」

 イエス様の弟子教育が続く。イスラエルの人々に求められていることは、聖書の教えに従って生きることではあったが、その中心は神様と共に生きること、神様のみ心に従って生きることであった。創世記6章9~「ノアは神と共に歩んだ。」と書いてある。

 それはノアが神のみ旨に従って歩んだ、という事であった。その生き方の集大成がイエス様の行動に示されている。神様のみ心に従って、十字架の道を歩み続けた。「み心に従います。」と血の汗を滴らせながら、恐怖に耐えつつ、神のみ心に従う道を選ばれた。十字架の上で、今自分にやりを刺そうとしている人々のために、イエス様は「父よ彼らを赦して下さい。彼らは自分が何をしているかわからないでいるからです」と祈られた。

 この祈りの言葉を聞いた弟子たちは、どのように思っただろうか。イエス様を裏切って、見捨てて逃げ帰った彼らは、イエス様と最後の時を過ごしたあの部屋で、鍵をかけて震えていた。この弟子たちに、十字架から降ろされたイエス様を葬った婦人たちがやって来て、イエス様の最後の祈りを伝えた。

 イエス様の十字架の祈りは、兵士たちだけではなく、イエス様を裏切った弟子たちへの祈りでもあった。私をも含んで祈ってくださったイエス様の祈りは、弟子達を新たな献身に導き、死をも恐れぬ使徒へと成長させた。

 私達も弟子たちと同じように、罪を犯し、弱さに嘆く時、また不信仰に苦しむ時、自分が神様の弟子にふさわしくないと悩む時に、イエス様の赦しと愛の、この祈りの中に私も包まれていることを忘れないでいたいものです。


# by minitayori | 2017-02-18 20:48 | Trackback | Comments(0)

満開近い河津桜

教会の帰り道にあるお寺の前に河津桜が一本植えてある。
先週はほぼ9分咲きといえた。青空に映える桜の花は本
当に美しい。残念ながら桜の花がきれいに見えない。
折角のの桜に謝りたい気持ちです。

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# by minitayori | 2017-02-18 20:37 | Trackback | Comments(0)

雪と鉄砲ユリ

大雪ではなかったが久しぶりに東京でも雪が降った。
アパートの花壇の白いユリの花に、鉄砲ユリが加わって
にぎやかになっていたが、この雪で驚いているだろう。

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# by minitayori | 2017-02-11 22:13 | Trackback | Comments(0)

「みにたより390」

「みにたより390」

聖歌の名曲“キリストにはかえられません”
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 アメリカで最も愛されているといわれるゴスペルシンガー、ジョージ・ベバリー・シェーは、あの名曲“キリストにはかえられません”の作曲者でもある。2002年、九十二歳になるこの老人は、五万人の会衆を前に、“キリストにはかえられません”を力強く歌った。彼の豊かな人生の秘訣をインタビューに答えて次のように語っている。

「私は1909年、オンタリオ州で生まれました。父は牧師でした。当時は六人兄弟。朝になると、母はよく、“歌いつつ歩まん”など古い聖歌を歌って子どもたちを起こすんです。ですから、賛美が生活の中に自然に溶け込み、私は本当に聖歌が好きな子どもになっていました。

 ある日曜の朝、私の前には一編の詩が置かれていました。ピアノの前に座った瞬間、あのメロディが心の中にあふれてきたのです。私が最初の一節とコーラスの部分を弾き終えた時、母が目にいっぱい涙をためて部屋に入って来て、私をしっかりと抱き締めたのです。母は、当時、23歳の私の信仰を心配して、この詩が私の人生に影響を及ぼしてほしいと願っていたようです。ですから、この日曜の朝に、最もふさわしいことが起こったのです。

私を変えたこの一編の詩は、レア・ミラーというクリスチャンが書いたもので、母が私のために持ち帰り、机の上においてくれたものでした。“キリストにはかえられません”という詩だったのです。私は今、九十二歳ですから、旅行をするにもかなり疲れを覚えます。しかし、私は主を見上げることを学びました。確かに、主はそこにおられるのです。主は私たちを愛しておられます。そして、私たちが願う以上に与えてくださるお方なのです。

私は自分の人生を振り返って、不思議に思うことがあります。どうして、私のような者が神様の御用ができるのか。初めのころもそうですし、最近もそうなのですが、自分は不適格者ではないのかと思うのです。でも、主は、賛美を歌う特権を私に与えてくださいました。恵みと言うほかはありません。今私は、この恵みe0191585_22092615.gifの中で、感謝の日々を送っています。」

 

キリストにはかえられません
 (聖歌521番、讃美歌第2編195)

*21歳の時に、私はこの讃美歌に出会いました。聖書学院の学生の時、男女4人のコーラスを作り、伝道集会で奉仕をしていました。歌いつつ、何度も涙をし、新たな思いをもって神様に仕える決心を確認したものです。

 最近、時々この聖歌を口ずさみます。50年たった今もこの歌の歌詞を覚えています。それはわたしの信仰そのものであったからです。

 1、キリストにはかえられません。世の宝もまた富も、

   このお方がわたしに 代って死んだゆえです。

 ・・(くりかえし)

(世の楽しみよ、去れ、世の誉れよ、行け。キリストにはかえられません。世のなにものも)

 2、キリストにはかえられません。有名な人になることも、

   人のほめることばも、この心をひきません。

 ・・(くりかえし)

3、キリストにはかえられません。いかに美しいものも、

   このお方で心の みたされている今は。   

 ・・(くりかえし)


# by minitayori | 2017-02-11 22:10 | Trackback | Comments(0)

孤独な雀

孤独な雀
近くの木に多くの小鳥が集まっている。その御屋敷の人が小鳥のえさをあげているのかな?近くに行ったら10数羽の小鳥が飛び立った。そのあとでやっと出てきた壱羽の小鳥が、近くの枝に止まって一休みしていた。若くはないのかもしれない。なんとなく親近感を感じました。一緒に遊ぼうか!

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# by minitayori | 2017-02-11 22:04 | Trackback | Comments(0)

12日 礼拝に備えて 戒め

2月12日 顕現節第6主日 マタイ福音書5章2137
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5:21 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。5:22 しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。 5:23 だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、 5:24 その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。 5:25 あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。
5:26 はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」
5:33 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。:34 しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。 5:35 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。5:36 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。 5:37 あなたがたは、『然り、然り』『否、否と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
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「礼拝に備えて」


 イエス様は弟子たちに、十戒の意味をかみしめる様な教えをされています。腹を立てるな、姦淫するな、離縁するな、誓うな、と。そもそも十戒は、神様が上から押し付ける命令ではなく、神様の愛のみ心に応えて、感謝をもって行動すべき規範であると思います。
 出エジプト記を見ると「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトから導きだした神である」と、十戒を語る前にご自分が何者であるかを宣言しておられるのです。十戒は罪を犯した民達に、それでも「わたしはあなたの神である」と、ご自分は人々を見捨てない神であることを宣言していてくださるのです。
 その神様の優しさの中に生かされている者として、どのように生きるべきかが十戒の中に示されています。つまり、神様の愛に生かされたものの生き方と言うべきかもしれない。愛すべき隣人を傷つけないように、この一言に尽きるのではないだろうか。I love you.と言う言葉を明治の文豪が訳して「あなたのために死んでもいい。」と言いきったそうです。
 神様はまさにこのことをしてくださった。「あなたのために死んでもよい。」イエス様を十字架にかけるほどにあなたを愛してくださっているのです。この愛に応え、愛に生きる人間になりなさい。この心をもって、隣人に、家族に、友人に接してゆけるものとなりなさい。それは弟子たちへの教えであり、私達への教えなのです。





# by minitayori | 2017-02-11 21:57 | Trackback | Comments(0)

我が家の祈りの花、胡蝶蘭

わが家庭の祈りの花・胡蝶蘭
やっと咲き始めました。教会の友人から一鉢いただいて数年。
今は三鉢になっています。

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# by minitayori | 2017-02-11 21:45 | Trackback | Comments(0)

29日の聖壇の花

29日の聖壇の花
朝早く教会に来て、一人黙々と花を生ける。誰もいない礼拝堂に活けられ花瓶と一緒に飾る。
それを十字架がじっと見つめている。静寂の中の礼拝。

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# by minitayori | 2017-02-04 18:21 | Trackback | Comments(0)

「みにたより289」

 「みにたより289」

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私の最後の任地の、熊本に行って珍しいと思ったのは、テレビの天気予報に紫外線情報があったことです。あまり見た記憶が無かったので、最初は大変愉快に思えました。しかし、半端な日差しではない熊本の夏、欠かせないのが帽子と傘のようです。もっとも東京に来ても、最近は熊本と同じように日差しの強い日があります。目が悪くなったここ数年はサングラスを付け、帽子をかぶるようにしています。帽子は髪の毛が薄くなったからでもありますが・・・。

ある方が傘についてこんな話をしておられます。

 「雨や日光を遮るときは、一杯に広げて使うものですが、雨避けや日避け以外にも、体を支えるステッキにも使え、便利なものです。しかし、多くの人は、雨が止んでしまうと、途端に傘の存在を忘れてしまいます。」ちなみに電車でいちばん多い忘れ物は傘だそうです。熊本教会でも、一年に20本近くの傘が、忘れ物として残されていました。

 残念なことに、これは神様についても言えそうです。日ごとの生活の中で、私たちは人の手で作られた便利なものに囲まれ過ぎて、自然の中の神様によって造られた、もっと偉大なものを忘れてしまっているようです。ちょうど雨が止んでしまうと、傘のことなどすっかり忘れてしまうように、人は神様の恵みを忘れてしまいます。

 童謡に、「あめあめふれふれかあさんが、蛇の目でお迎え、うれしいな。ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん」と言う歌があります。何とのどかな、信頼に満ちた歌ではありませんか。雨がどんなに降っていても、お母さんが必ず迎えに来てくれる。その信頼は、苦難の中でのキリスト者の信仰にも似ていると思います。

 どんな苦難の中にあっても、寂しさ、悲しさ、辛さの中にあっても、「見よ、世の終わりまであなた方と共にいる」と、弟子たちに約束された神様は、今もわたしたちに同じ約束をしてくださいます。神様は、傘のように雨や日差しから私たちを守ってくださるのです。

 私は最近、雨が降らなくても雨模様のときは長い傘を持ってゆくようにしています。傘の先には杖の先につけるゴムを付けています。杖にも同じようにゴムを付けています。滑って転ばないように用心しているのです。傘に転ばぬ先の杖の役目を果たしてもらうためです。健康で幸せなときは、信仰はいらないという人がいます。信仰は弱い人の持つものだとも言います。そうです、私たちは皆弱い罪人です。だから、今のうちから神様と共に歩むのです。

 傘(神様)を忘れないで!!

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# by minitayori | 2017-02-04 18:15 | クリスマス | Trackback | Comments(0)

梅の花とメジロ

梅の花とメジロ
アパートの道路側のしだれ梅に花が咲いた。写真を撮っていたら花の少なさを補ってくれるようにメジロが来てくれた。わたしの目にはよく見えなかったが動くものがいたので夢中でシャッターを押していたら何枚かの中の一枚に移っていた。
偶然の喜びでした。

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# by minitayori | 2017-02-04 18:10 | クリスマス | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月5日 マタイ福音書5章13-16節


25日  マタイによる福音書5章13-16節

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◆地の塩、世の光

5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。:16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

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 「礼拝に備えて」


 この日曜日は多くの教会の総会の日だ。全国の教会で既に終わったか、この日曜日に総会が行われる。私は、教会の総会では、その教会の一年のスローガンとみ言を中心として、世に送り出された教会らしく宣教の業、神様に託された業に専心しようと訴えてきた。準備の段階で自分の中で良く一年を吟味し、その反省の上に立って次にどのような教会にしようか、教会を成長させようかと祈りつつ考えたものである。

 40年の牧会生活の中で、最初の頃が一番純粋に考えていたように思うが、一貫して変わらなかった事は、「隣人にキリストを」という年題を掲げて、外に向かって宣教の働きをしたことである。教会員と共に、子供の伝道集会を行い、百人ぐらい集まった事、講演会を行い、クリスマスを伝道集会と位置付け、毎年三千枚くらいのチラシを自分達の足で町に配った。、

 暑い日のビラ配り、寒い日のビラ配り、それはみな高校生時代に、私の田舎の教会で働いていた牧師のやり方だった。また聖書学院時代に、開拓伝道、天幕伝道をしてビラを配った経験が、身にしみついた伝道方法だったのかもしれない。私が最初に出会った牧師、宣教師は、教会は卸問屋ではなく小売店のようなもの、来てもらえる店にならなければ商売はできないとよく言われた。

 その頃、ある人がこんな話をしてくれた。「『儲ける』と言う漢字は、信+者と書くんだよ。あそこの教会に行ったら、私の魂の平安に必要なものがある、と信じてもらえれば、遠くからでも来てくれる。」この言葉は誠心誠意、自分が作るものに心をこめて向き合っていた父の職人魂、職人精神に通じるものだった。人に信頼されて商売は成り立つ。教会も同じように、人に信頼されて人が来る。失望すれば来なくなる。「地の塩、世の光となりなさい」と言うイエス様の教えは、「人の魂に必要とされる教会、信徒となりなさい!」という教えではないかと思う。 人々は今も、塩味を求め、光を求めている。LEDの冷たい光ではなく、雪国のカマクラの中で、暖かく人を包み込む優しい炎のような光を灯し続ける教会であり、私たちでありたいと思う。




# by minitayori | 2017-02-04 17:26 | Trackback | Comments(0)

アパートの花壇のユリの花

      アパートの花壇のユリの花
寒い日には、霜柱が立っていた。そのおかげで土が掘り起こされ、ユリの芽が出た。今は秋の日差しを浴びて、白と黄色のユリの花が咲き乱れている。自然の営みの素晴らしさ。
 神様の命のはぐくみの神秘さか。わたしもその中の一人。

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# by minitayori | 2017-02-04 17:09 | Trackback | Comments(0)

22日の聖壇の花

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 この日の聖壇の花はアルストロメリア。南アメリカ原産で、花ことばは「幸福な日々」。皆さんへの神様の祈りですね。

# by minitayori | 2017-01-28 21:25 | Trackback | Comments(0)

「みにたより288」

「みにたより288」
 「祈りの心」という信仰書に書かれていたある母子の話です。
 ある熱心なクリスチャンの母親が、梅雨の最中、すこしばかりの晴れ間を見て、急いで洗濯物を干しに出ました。五歳の娘もあとからついてきました。お母さんは曇り空を見上げながら、『マリちゃん、お洗濯物が乾くまで雨が降りませんように、一緒に神様にお祈りしましょうね。きっと聞いてくださるわ。』と言って、二人で手を合わせ一生懸命に祈り始めました。
 すると、途端にポツリポツリと雨つぶが落ちてきました。一瞬、お母さんは『ああ、どうしよう!?』と思いました。「神様は祈りをきっと聞いてくださる…。」小さい娘に嘘をついてしまったことになるからです。お母さんはマリちゃんのほうをそっと見ました。目が合うと、マリちゃんはにこっと笑って『アッ!お百姓さんが先におねがいしちゃったのね。』と嬉しそうに言ったというのです。 
 お母さんは、娘の思わぬ答えにホッとして胸をなでおろしましたが、同時に、大人の頭の硬さ、不信仰をいやと言うほど思い知らされてしまった、と書いてありました。動脈硬化になりやすい大人の頭に対して、柔軟な幼児の思考の巧みな宙返りには、自他共に救われる見事さがあります。お母さんは自分のことだけしか考えない、しかし、五歳のマリちゃんの開いた心と素直な信仰は、隣人を包んでしまうほど豊かに育っていたのです。e0191585_21153710.jpg
 私たちもどこかで、自分の思うことが一番正しいという思いを持ってはいないでしょうか。お母さんは、わずかな晴れ間を見て洗濯物を干した、家族のために。そしてお祈りしました。当然神様は自分の善意に対して答えてくれてもいいはずだと神様に不満を持つ、それがわたしたちの信仰の弱さとしてあるように思います。
 キリスト教の信仰と祈りは、神様への押し付けはしません。神様を自分の召使のようには思いません。「御心の天になるように、地にもならせてください。」という『主の祈り』は、祈りとは神様のみ旨が第一になるということを示しています。神様は一番良いことをしてくださる、この幼子の素直さを持って、神様の御心に従う日々でありたいと切に願います。



# by minitayori | 2017-01-28 21:16 | Trackback | Comments(0)

桜のつぼみ

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 先週の教会の帰り道、近くのお寺の桜の花がつぼみを膨らませ始めていました。もう春ですね!春ですよ!

# by minitayori | 2017-01-28 21:11 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 1月29日 顕現節第4主日 マタイ 4章18~25節

1月29日 顕現節第4主日 マタイ 4章18~25節
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4:18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。:19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。:20 二人はすぐに網を捨てて従った。
4:21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。:22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
◆おびただしい病人をいやす.
4:23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。:24 そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。:25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。
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「礼拝に備えて」
 イエス様の公生涯の初仕事は「弟子たちの召命」から始まった。イエス様は弟子達をどこで招いたのであろうか。公募も資格試験もなかった。イエス様塾を開くこともなかった。日々の生活のために一生懸命働いていた漁師を、その働きの場から選ばれたのだ。
 私は自分の職場で、まさに職場が家庭集会の場となって、そこで招かれて洗礼を受けクリスチャンの道を歩み始めた。そして聖書学院で学び、伝道師の働きを経て、神学校に推薦され、6年の学びの末、やっと牧師の働きが与えられた。
 弟子たちは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」とのイエス様の招きの言葉に従って、イエス様と共に行動することによって、弟子としての教育を受け、イエス様の心を心とし、イエス様の行動にまねて生きる者とされた。それが最初の教会の弟子たちの姿であった。
 私達の信仰もそうではないだろうか。イエス様に出会い、イエス様のお心に触れて感動し、イエス様に従って生きる決心をしてクリスチャンになり、日々イエス様の行動にまねて生きることによって、信仰がはぐくまれ、成長する。
 教会に来ることは、イエス様に見つめられ、愛のまなざしの中に包まれている自分を知り、イエス様に従って生きる喜びを発見するためであると思う。教会に入る、静かな礼拝堂で正面にある十字架と聖壇に向かい合う。そこに既に礼拝が始まっている。イエス様の十字架の犠牲、「あなたのために!」十字架と聖壇が語りかけている。
 そこで出会うイエス様のお姿、聞けるイエス様のお声、そのイエス様についてゆく。イエス様と共に日々の生活をはじめ、全てをゆだねて生きる。ここに信仰生活がある。その様な私達は、「私は道であり真理であり、命である。誰でも私によらないでは神の国に入ることはできない。」と言うイエス様の約束のお言葉に出会う。 


# by minitayori | 2017-01-28 21:00 | Trackback | Comments(0)

冬の富士

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 西武線の駅から見た富士山。久しぶりできれいでした

# by minitayori | 2017-01-28 20:55 | Trackback | Comments(0)

15日の聖壇の花

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 15日の教会の聖壇の花。花の名前を聞きましたが、メモを後にしたので忘れてしまいました。自分が歯がゆいですね。よく知っている花だと思ったのですが・・。だからいけないのですね.。

# by minitayori | 2017-01-21 22:40 | Trackback | Comments(0)

「みにたより287」

「みにたより287」
 先日コンビニにいった。先に入る人、出る人、そのほとんどが、ドアの取っ手を離す前に後続の人がいるかどうかを確かめて、ドアをそのまま押さえていたり、離したりしていた。待っていてくれた人の顔に笑みが生まれ、小声で「ありがとう!」の声が聞こえる。その小さな行為が、それまでの何の変哲もなく見えていた人々の顔をー瞬、美しいものに変える。思いやりとは、魅力と無関係でない。
 文明は、多くの便利さを私たちに与えてくれた。自動ドアがその一つである。両手にいっぱい荷物を下げていても、その前に立ちさえすれば自動的に開き、しかも自分で閉める必要のないものだ。その便利さをありがたく思う人も多いことだろう。
しかしながら、他方で、自動ドアが人間から奪ったものがある。「自分の後ろに続く人を思いやる心」である。この世の中は自分だけで成り立っているのではないという、至極簡単明瞭な事実、自分以外に他人がいて、その人もまた、自分と同じく優しさを求めて生きているという事実、この真に基本的なことが、ドアの開閉の度に思い出されるのと、思い出されないのとでは、いつしか人の心は大きく変わって行くに違いない。いや、すでに変わってしまっている。それは自分中心の心を生み、他人を思いやる優しさを減少させ、ひいては、その優しさが生み出す魅力を持つ人の数を減らしつつあると言っていい。
  一昔前に比べて、たしかに日本人は「きれい」になることを習得した。化粧の仕方にしても、アクセサリーの使い方にしても、洋服の着こなし方にしても上手になっている。しかし、きれいな人が増えるのと、真の人間的な魅力の持ち主が増えるのとは、同一ではないように思う。それはやはり、他人を思いやる優しさが人の心から失われてきているからではないだろうか。  
文明というものは、「便利=自分だけで生きていくことができる世界を作る」ことをその一つの目標としていると言えよう。自動と名のつくものを考えてみると、そのことがわかってくる。かくて文明は、人間関係の煩わしさから人を解放し、物事をスピーディーに処理することを可能にして、忙しい人間に時間を与えてくれる。しかしそれは同時に自動ドアの例でも明らかなように、人間相互の助け合いの機会を減らし、その心を失わせつつあるのだ。
 思いやりというものは、強いものが弱いものに、持てるものが、持たざるものに、つまり上から下に施すものではない。それは「人」という字が表しているように、不完全なもの同士が、支えあう人間本来の姿なのである。この大切なことを、私たちは忙しい日常生活の中で忘れてしまっている。
 昨年末、遠く熊本より遠来の友を迎えて交わりのときを持った。もう何年も昔の交わりを覚えていて大切にしてくれる優しさが、私の心に大きな暖かさを生み出した。地震の後始末もまだ十分ではないという。火の国熊本との交わりの暖かさが、この冬、私の心を暖めてくれた。
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# by minitayori | 2017-01-21 22:31 | Trackback | Comments(0)

鉢植えの白いサザンカ

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 赤いサザンカはもう散ってしまったが、近くの家の鉢植えの白いサザンカが満開になっていた。間もなくサザンカの季節は終わるのでしょうか。次に慰めてくれる花はなんでしょうか。楽しみです!

# by minitayori | 2017-01-21 22:26 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて  1月22日  マタイ4章12-17節

1月22日 顕現節第3主日 マタイ4章12-17節
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◆ガリラヤで伝道を始める
4:12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
4:13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。:14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、:16 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
4:17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

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 「礼拝に備えて」
 イエス様の伝道は、ガリラヤ湖の近くにある小さな村から始まった。過疎の地、貧しい村、都エルサレムとは遠く離れた村から伝道を始められた。聖書の表現を借りれば、そこは暗闇に住む者の居住地であった。
 私は愛知県の小さな半島の真ん中の町で育った。その半島には教会もなかったが、近くの町の教会から宣教師が来てくれて、我が家で家庭集会が始まり、小さいながらも教会へと成長していった。私はその町の最初の授洗者となり、やがて牧師となるべく献身して、静岡、沼津で研修し、神学校へと進むことができた。
 今、ふと、なぜ宣教師が私の家に来たのだろうかと考えている。宣教師が来た時は、我が家は戦後のどん底からやっと這い上がろうとしていたところであった。父の仕事が少し軌道に乗り始めた時であったが、その家庭に負いきれない出来事が起きた。 私の兄や姉も病弱であったがその上に、病気で私の弟が聴覚を失った。
 その家族の闇の中に、ラジオを通して光が差し込んだ。苦しんでいた父は、讃美歌に癒され、ルーテルアワーのラジオ放送に耳を傾け、聖書を求めた。それがきっかけで宣教師が我が家に来てくれ、やがて我が家の仕事場が神様の福音を伝える場所になり、小さいながらも教会に成長した。
 闇があったからこそ、小さな光にすがる魂が生まれたのだった。闇に住むことは苦しい事だ。しかし、闇に住むことによって光を見出すことができた。イエス様は光り輝く都ではなく、小さな燈心のもとでひそやかに生きる人々のもとに、来てくださる。自分の心が闇の中にあることは、決して嬉しい事ではない。しかし、神様はその様な人が見つけることができるように、イエス様を光として送ってくださった、と考えることができるのではないだろうか。 苦しい時にこそ、イエス様はあなたの身近にいてくださる。「見上げてごらん、夜の星を、小さな星を!」良い歌詞ですね。
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# by minitayori | 2017-01-21 22:23 | Trackback | Comments(0)

白い水仙

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花壇の霜柱に掘り起こされた土を破って白い水仙が目を出し、秋の日差しを浴びて花を咲かせていました。自然の力を教えてもらいました。これも神様のみ旨の中の出来事なのですね。、

# by minitayori | 2017-01-21 22:18 | Trackback | Comments(0)