11日の聖壇の花「祈り」と名付けた壱枚です

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 先週11日の聖壇の花。三本のろうそくと十字架の前で祈りつつ礼拝の始まりを待つご婦人。このシーン、十字架の前で祈る姿こそ、礼拝だと思った。お花も信徒の奉仕と祈りののしるしです。

# by minitayori | 2016-12-17 18:09 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ282」

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 「ミニタヨリ282」
 いつの頃か、クリスマスのご挨拶を、自作のキリエのカードでお送りするようになった。毎年心に思うマリアさんのお姿、お心を思いつつ作り続けてきた。今年はどんな構図のマリアさんにしようかと考え続けた。もう最後の作品になるかもしれないと思ったので、マリアさんだけではなく、幼子を見つめるヨセフさんを加えたいと下書きを始めた。
 ヨセフさんもマリアさんと共に、この幼子がどのような運命をたどるかを知っておられたはずだから。しかし、お二人を入れると大作になり、この小さなアパートでは作業をする所がなかなか作れないので、もう一年命をいただいたら、来る年一年かけて完成できるようにしようと思った。
 何枚か失敗した。私はまず、イエス様・マリアさんの目から切り始める。しかし、ほんの一ミリの曲がりや太さの違いで気に入らなくなり、破り捨てる。そんなことを繰り返しているうちに一カ月かかってしまった。自分の体力と細かい所を見続ける集中力が出てこない。まさにキリエ「主よ憐れんで下さい。」と祈りつつこの一カ月を過ごした。
 聖母マリアの優しい眼差しは、神様が如何なる時にも、共にいて支えてくださるという思いの中から生まれたものであると思う。私達も、同じように神様に見守られ、委ねて過ごす日々でありたいと思う。人生挫折もあれば、乗り越えることができないような苦難に合う事もある。しかし、どのような時にも神様のまなざしに見守られていることを覚えて、安らかでありたいと改めて願いつつクリスマスを迎えたいと思った。
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# by minitayori | 2016-12-17 18:00 | Trackback | Comments(0)

キリエ聖母マリア

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 2016年のキリエの作品です。久しぶりに作りましたが、目の衰え、切り方などなど十分ではありませんが今の自分の精いっぱいの作品です。マリアさんの複雑な思い、幼子イエス様の平安に満ちた寝顔を精いっぱい表現したいと思いました。

# by minitayori | 2016-12-17 17:48 | Trackback | Comments(0)

12月18日 待降節第4主日 ルカ福音書1章46-55節

12月18日 待降節第4主日 ルカによる福音書1章46-55節
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◆マリアの賛歌
1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、

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礼拝に備えて」
 マリアの賛歌と言われる個所が日課に選ばれている。聖母マリアについて歌った歌は沢山ある。私はどれも好きだが、グノーの「アベ・マリア」が一番好きだ。私の尊敬する世界的に活躍さていたオペラ歌手の方が、不思議なご縁で、私が居た東京の教会の近くに帰国されて住まわれ、日本での活動を始められた。
 多忙の中、毎年一回教会でチャリティーコンサートを開催してくださった。長野に行っても熊本に行っても、それぞれの教会に来てくださった。コンサートの最後には必ず「アベ・マリア」を歌ってくださった。いつも思わされたのだが、心を込めて歌われる方が、マリア様そのものに見えてくるのだ。いつも不思議に思って見ていた。
 アベ・マリアは「マリア・恵まれた女よ」と言う意味だが、乙女で身ごもり、離婚されそうになり、世間の厳しい目にさらされながら、神のお心だからと受け止めた。その幼子はやがて神様の御心である、全ての人の罪を背負われて十字架に死なれた。これからの道のりを考えると、恵まれた人生どころか、苦悩と悲しみの人生が待っていたはずである。しかし、同じ神様の恵みの中にいるエリサベトに出会った時、マリアは 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。」というのである。
 私たちみんなも、この神様の御心の中にあるのです。マリアの賛歌を私達はいつも歌えるようにしていたいものです。神様はあなたと今も一緒にいてくださいますから。
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# by minitayori | 2016-12-17 17:37 | Trackback | Comments(0)

鉄砲ユリの種

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 アパートの花壇に咲いていた鉄砲ユリの花が落ちて、次の世代にに続く種を大切に育ててきた。寒さ暑さ、寒風にも負けずに、大切に守ってきた種が、太陽の光に安心したように落下し始めた。地面は寒さに霜柱が立っていた。その中にもぐりこんだか、種は見えなかったが、自然の力と知恵を教えられた。

# by minitayori | 2016-12-17 17:20 | Trackback | Comments(0)

先週の池袋教会の聖壇の花(グロリオーサ)ほか

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 4日の池袋教会の聖壇の花。グロリオーサという花を中心に献花されていました。毎週変わった花が用いられ、礼拝を支えています。奉仕者の祈りとともに。

# by minitayori | 2016-12-10 20:50 | Trackback | Comments(0)

「みにたより281」 プレゼント

 「みにたより281」
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 熊本のある幼稚園でのお話です。40名ほどの園児と保護者とが集まっていました。園長先生がご挨拶をし、お祈りしてクリスマス礼拝が始まりました。今日は熊本教会の牧師先生のお話です、と紹介されて園児たちの前に立ちました。
 クリスマスって何の日?とまず質問をしました。最前列に座っていた男の子が、元気に「はい、クリスマス・プレゼントを貰う日!」と答えました。キリスト教の教えにもとづいて保育を行っているところですから、あちこちで「違うよ、イエス様のお生まれになった日だよ」と訂正の発言がありました。その男の子はしまったと思ったのか、みんなに非難されたような形になりバツが悪そうに、頭をかいていました。
「みんな、正しいよね」と、話を始めました。「イエス様のお誕生日だね。みんなの誕生日の時は、お家ではどうする?」子供たちは元気に、「ケーキを食べる」とか「プレゼントをもらう」と、口々に言いだしました。「そうだね、誕生日にはプレゼントを貰うよね。誰が貰うの?」「誕生日の人!」「誕生日は、誕生を祝ってもらう人がプレゼントを貰うんだよね。僕の誕生日に、プレゼントをお兄ちゃんだけが貰ったら怒っちゃうよね。では、クリスマスには誰がプレゼントを貰うの?クリスマスがイエス様の誕生日なら、僕たちがプレゼントをもらって、イエス様が何も貰わないのはおかしくない?」子供たちはシーンとしてしまいました。
 ここからは保護者の人々にも語りかけたお話になります。
僕たちは、神様がお父さんやお母さんに預けてくださった、大切な子なんだよね。お父さんやお母さんにとっては、マリヤさんに抱かれているイエス様と同じように、大切な子なんだよ。神様はイエス様に、神様を大切にし、人を大切にし、愛するようにという、大切なお仕事を与えてくださいました。
みんなにも、大切なお仕事を与えてくださっているんだよ。神様を愛し、人を愛し、お父さんやお母さんを大切にするように、お友達と仲良くするように、困っている人がいたら助けてあげるように、良い心をもつようになってほしいんだよね。クリスマスにプレゼントをもらっても間違いではないよね。でも、僕たちが、イエス様のように優しい子になることが、イエス様へのプレゼントになるんだよ。
保育園での子供へのお話でした。
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                  最初のプレゼント!’博士たちのプレゼント」

# by minitayori | 2016-12-10 20:41 | Trackback | Comments(0)

サザンカ

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 きれいな白いサザンカでした。「サザンカ・サザンカ咲いた道。落ち葉だ落ち葉だき。あたろうかあたろうよ、しもやきおててがもうかゆい。」童謡の「たき火」の二番がサザンカの歌。若い時の歌は覚えているのですね。

# by minitayori | 2016-12-10 20:34 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月11日 待降節第3主日 マタイによる福音書1章18-23節

12月11日 待降節第3主日 マタイによる福音書1章18-23節
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◆イエス・キリストの誕生
1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

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「礼拝に備えて」
 イエス様の名前のインマヌエルは、へブル語で「インマ」+「ヌエル」=「神様が」「今私達と共にいます。」と言う意味です。それは聖書全体に流れる神様の私たち人間への愛のお心です。
 長い歴史を経て、神様はイエス様を地上におくられ、人間の犯した罪を清め、再び神の国に迎えるために十字架にかけてくださいました。新しい神の国に神と共に住めるように。

ヨハネ黙示録 21:3、4
そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」   

 聖書の最初と最後は「神が共にいる」と言う言葉で、神様はそのお気持ちを示されているのです。どんな時にも、神様はあなたと一緒にいてくださる。{その独り子をくださるほどに、あなたを愛していてくださるから}
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# by minitayori | 2016-12-10 18:34 | Trackback | Comments(0)

教会玄関に飾られた立派なポインセチア

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 今年も教会の玄関に立派なポインセチアが飾られていた。赤いポインセチアには、花言葉として「祝福する」などがあります。赤はイエスさまが十字架で流した血の色。形はダビデの星の形をあらわし、救い主誕生の象徴とも言われる。

# by minitayori | 2016-12-10 18:28 | Trackback | Comments(0)

椿?

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 買い物に行く道路わきに椿とサザンカの木がある。目の悪い私には花だけみるとよくわからないが散り方が違う。満開になると潔くぱらぱらと落ちるのが椿、寒くても雪が降っても必死のこらえながら花を咲かせ、風に吹かれて落ちてゆくのがサザンカの花。私がどちらの生き方も好きだ

# by minitayori | 2016-12-03 21:02 | Trackback | Comments(0)

「みにたより280」

 「みにたより280」
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 この時期になると、いつも思いだされることがあります。
それは最後の任地である熊本教会での最初のクリスマスです。婦人会の方々がクリスマス主日礼拝と祝会のために、いろいろと心を配って働いてくださいました。ある方が最後まで片付けて、夕闇の迫り始めた時帰って行かれました。「ご苦労様!またイブ礼拝でお目にかかりましょうね。」と言って笑顔で別れました。
熊本教会での初めてのクリスマスイブ礼拝。6時から始まって3回のイブ礼拝が計画されていましたので、心の準備が必要でした。ところが、その日の早朝、電話で起こされました。「母が急死したので、すぐ病院に来てほしい。」と言う事でした。病院に駆けつけると、二日前に別れたばかりのあのご婦人が亡骸になって横たわっていました。イブ礼拝が終わり、次の日、そのご婦人の棺はクリスマスの飾りの中に安置され、通夜、葬儀が行われ、クリスマスのきれいな飾りの中、旅立たれました。
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お子さんから、「お母さんは、クリスマスの時には必ずパッチワークの靴下を作って、その中にプレゼントを入れて、孫たちに渡してくれたのですよ」と教えられました。なぜ靴下なのか、と考えて調べてみますと、クリスマスのシンボルの一つに靴下がありました。それは靴下が一番汚れているもので、その一番汚れている心にも、救い主イエス様が来てくださる、という事を表しているとありました。そのご婦人は、孫たちにそのことを教えたくて、何カ月も前から手作りの靴下を用意して、クリスマスに贈り物としていたのですね。
今は、お孫さんたちは成長して、人に仕え、愛されるクリスチャンとして、社会人として生活しています。ご婦人の真摯な信仰生活が、子供、孫たちに受け継がれていることを時々耳にして、あの時は夢中でしたけれど良い経験をさせていただいたと感謝しています。「また会いましょうね!」と心でつぶやきつつ。
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# by minitayori | 2016-12-03 20:52 | Trackback | Comments(0)

ニゲラ?

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 鉢植えの花を見つけました。クレマチスかと思いましたが少し違うようdす。名前を間違えては失礼かと思い何冊かある花の図鑑を調べましたがどうも季節が合わない。花の様子はニゲラという花に似ていましたので「まちがったらごめん!でも、きれいだよ!」と謝りながらこの名にしました。家の人がおひさまに当ててあげようと外に出したのかもしれません。秋の日差しの中でした。

# by minitayori | 2016-12-03 20:44 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月4日 待降節第2主日 マタイによる福音書3章1~12節

12月4日 待降節第2主日 マタイによる福音書3章1~12節
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◆洗礼者ヨハネ、教えを宣べる
3:1 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、
3:2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
3:3 これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」
3:4 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。:5 そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、:6 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。:7 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。:8 悔い改めにふさわしい実を結べ。:9 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
3:10 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
3:11 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。:12 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

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  「礼拝に備えて」
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 先日、整形外科にリハビリに行きましたら、玄関にクリスマスツリーが飾ってあって、点灯された電飾がきらびやかに輝いていました。クリスマスシーズンになると、何か祝いたい気持ちになるのだろうと思ったり、その気持ちを患者さんにも持ってほしいとの、病院側の好意と受け止めて、ほほえましい気持ちになりました。
 しかし、このアドベントの時期は本当にめでたい時なのだろうかと、ふと自分に問いかけてみました。どこかの礼拝に出席した時、この時期を祝いましょうというメッセージを聞きました。アド=ある方向に、ベント=行く・または来るという意味。それはかつてキリストが来られた誕生を祝うと同時に、再びこられるキリストと再会するときなのです。その時の備えができている人だけが、クリスマス・キリストとの再会を喜び、キリストと共に神の国へと凱旋することができるのです。
 その準備に一番必要なものは、イエス様が私達のために準備してくださった、十字架の贖いのみ業を受け入れることなのです。神様のあなたへの愛が、キリストの十字架として凝縮して示されているのです。
アドベントに入ると、教会では聖壇の所にクリスマス・リースが飾られます。なぜでしょうか。柊でできたリースの輪は、イエス様が十字架の前にかぶせられた茨の冠を表しています。そこには赤い柊の実が付けられています。それは、イエス様が茨の冠をかぶせられて流された血を意味しています。
私達はこの神様の救いの業が、世界のすべての人に与えられ、一人も漏れることなく、クリスマスを本当の意味で{おめでとう!}と言って祝えるように、全ての人々の救いを祈りつつこの時期を過ごしていきたいと思います。
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# by minitayori | 2016-12-03 20:31 | Trackback | Comments(0)

花壇のパンジー

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 アパートの駐車場の小さな花壇に今年もパンジーの花が咲き始めました。隣室のご婦人が毎年植え替えていて下さる。花をめでることのできる人は心優しき人。その通りです。

# by minitayori | 2016-12-03 20:15 | Trackback | Comments(0)

池袋教会の聖壇の花

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 池袋教会の聖壇に捧げられた花。会員のご婦人が日曜早朝に来ていけてくださる。礼拝への祈りの献花によって礼拝が喜びと花の賛美に包まれる。祈りつついけられる花の美しさ。この日の花は ドウダンツツとトバラ・ケイトウ・ブロベアとか。覚えきれないので書き留めておきました。

 

# by minitayori | 2016-11-26 19:46 | Trackback | Comments(0)

みにたより279

「みにたより279」
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 私が働きの中で与えられた、大切なみ言葉があります。耳の不自由な人々との交わりと会話の中で、「私達はどうして生まれてきたの?」との切実な問いかけの中で、神様がこの言葉「私たちは神の作品である」をくださいました。今は高齢者の仲間入りをして、病院通いをし、次々と新しい病名と薬が増えて行くなかで、この言葉をかみしめています。
 私たちの毎日の生活の中には、いつも楽しいこと、うれしいことばかりあるわけではありません。いろいろなことを経験し、悲しんだり、苦しんだり、悩んだりしています。そして、あるときには「自分なんかどうでもいい、どうなってもいいんだ。生きていても仕方がないんだ」と思い込んでしまうこともあります。生きていること自体に嫌気がさしてしまうこともあります。
 自分を中心にして考えると、そのようになってしまうのです。そうしたときに、この「私たちは神の作品である」と言う言葉を思い出すことが大切です。この言葉は、「私たちがどのような存在であるか」をもっとも明確に示している言葉です。
 絵の展覧会にでかけても、どの作品が素晴らしいのか良くわからないような時があります。そのようなときに、この作品はあの高名なだれそれさんが描いたのですよ、と言われると、じっくりと眺めてその作品のすばらしさに気付いていくことができたりします。
 ましてや、自分の存在が「神の作品」と言われるなら、「神様が必要だから今日の命が与えられている。」そう、あなたはそういう存在なのです。その神の作品をおろそかにすることはできないでしょう。自分だけでなく、他の人をもです。私達は人間の尊さを、この「神の作品である」と言う所に根拠をおいて考えたいものです。
 神様が、私たち一人一人を造ってくださったということは、いつも神様の暖かい愛のまなざしが、私どもに注がれていると言うことなのです。神様は、”あなた方は私が造ったものであり、わたしが愛したものであり、失ってはならない大切なものである”と宣言してくださっているのです。私達は、日ごとに神様の愛と慈しみの中に存在し、”在って欲しい、生きて欲しい”との神様の願いの中に存在するのです。

# by minitayori | 2016-11-26 19:31 | Trackback | Comments(0)

掌(てのひら)杉の花

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 家の近くに掌杉があった。長い間、白い花をつけていたのでこのままで終わるのかと思ったが、今日見たら花が割れたようになって花が咲いていた。ケアハウスの玄関にあって毎年掌杉の白い花は見ていたが、花が咲くのを見たのは初めてだった。何カ月も白い花のままであったのでこのまま終わるのかと思ったが、このような花が咲くとは、神様のご計画の不思議。花咲き、新しい種を生み出す時が来る。神様の定められたときに。あなたにもその時が来る。font>

# by minitayori | 2016-11-26 19:14 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月27日  マタイ福音書21章1~10節

 11月27日 待降節第一主日 マタイによる福音書21章1~10節
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21:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。:3 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」
21:4 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
21:5 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
21:6 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、:7 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
21:8 大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。:9 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
21:10 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。:11 そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。
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>「礼拝に備えて」
 今週から教会の暦は新年になります。クリスマスの前(イエス様の降誕の4週前)に、イエス様をお迎えする準備を始めます。クリスマスはイエス様の降誕、今から2000年以上前に、パレスチナの小さな村ガリラヤの家畜小屋でお生まれになった若い夫婦の幼子を、天使は野原で野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いに、「今日あなた方のために救い主がお生まれになった」と、告げました。羊飼いは天使のお告げを信じ、村外れの小さな家畜小屋で飼い葉桶の中に寝かせられていた幼子に出会い、救い主を礼拝して、喜んで帰って行きました。これが最初のクリスマスの出来事でした。
 デパートでは、もうすでにクリスマスセールが始まっています。また、イエス様のいないクリスマスが、日本では祝われようとしています。クリスマスの意味は、クリス=キリスト=救い主:マス=ミサ=礼拝、が本当の語源です。 クリスマスにはもう一つの意味があります。かつてお生まれになったイエス様が、再び来る、その時に心から救い主を拝する心をもって迎える準備をしておかなければなりません。何故なら、再来の時のクリスマスは、イエス様は裁き主として来られるからです。
 羊とヤギを分けるように、神様の国に入るにふさわしい者、そうでない者とを分ける審判者として来られるのです。でも、イエス様はご自分のご生涯を通して、その準備をしてくださいました。弱い子ロバに乗って、人々の汗と涙のしみた上着の上を歩いて、受難と十字架と死への道を歩まれました。私の罪、あなたの罪を担って。あなたの悲しみの真っただ中を歩いてくださったのです。
 今この時も、イエス様はあなたと一緒に歩いていてくださいます。いや、あなたはイエス様のまなざしの中に生きているのです。「わたしはあなた方のために、全ての苦しみと悲しみを背負って、ロバに揺られて行く。わたしを離れないでいなさい。」イエス様のお言葉を聞いてください。
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# by minitayori | 2016-11-26 18:11 | Trackback | Comments(0)

53年ぶりの11月の雪

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 53年ぶりの11月の大雪。見るのは美しい雪の花。しかし、通勤人は大変だったでしょう。せっかく咲いていたバラの花も震えていました。

# by minitayori | 2016-11-26 18:03 | Trackback | Comments(0)

寒椿

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 寒椿はきれいだが、散るのも早い、できるだけ一番美しいところを皆さんに見ていただきたいと、散歩のたびにカメラを持って花を見ている。寒椿の木のあるお宅の花がほとんどなくなりあきらめていたが、秋日和の暖かな朝、お宅の前を通ると、一輪だけきれいに咲いていた。待っていてくれたようでうれしかった!

# by minitayori | 2016-11-19 18:07 | Trackback | Comments(0)

「みにたより278」

 「みにたより278」
 少し前のことですが、娘夫妻の招きで川越に行ってきました。以前から、昔懐かしい街並みなどを見たいと思っていました。電車で行って本川越の駅で娘夫婦と落ち合い、しばらく街並みを見ながら散歩しました。
昔の家は意外と屋根が低いなぁ、などと思いながら散策していました。ふと見るとおもちゃ横町が目に入りました。ぶらりと入った駄菓子屋さんが懐かしく、しばらく中を見まわっていました。ガラスの入れ物に入った、色鮮やかなコンペートーを見つけたので、自分の分と孫の分を買って帰りました。
e0191585_1750599.jpg 子供の時に買ったものと全く同じで、どうしてあの形ができるのだろうと不思議に思いました。わたしは、あの懐かしいコンペートーのぎざぎざは、ちゃんとした型があって、そこに流し込まれて作られるのだと思っていました。しかし違いました。
コンペートーの初めは、コーヒーなどに使うグラニュー糖の小さな粒だったのです。それが斜めに傾いた大きな回転鍋に入れられ、温められます。その回転鍋に入れられたグラニュー糖がゆっくりゆっくり、ゴロゴロ、ゴロゴロ回されます。その回っているグラニュー糖に、職人さんが砂糖水をピシャッとかけます。ゴロゴロ回る鍋に、ピシャ、ゴロゴロ、と言うことになります。すると、ピシャッとかけられた砂糖水が、グラニュー糖のどこかにくっつき、そして固まります。それを何回も、何十回も繰り返します。なんと、私たちが知っているあのコンペートーができるまでに2週間もかかるのです。
 ある統計学者が、グラニュー糖のどこに砂糖水がくっつき、どんな具合に角ができ、それがどのように成長してあのコンペートーができるのかを、研究したと言うのです。その先生の説明によると、職人さんが良いコンペートーを作るコツは、ゆっくり回転し、タイミング良く砂糖水をかけ、ほどよい火加減を保つこと、この三つだそうです。こうして作られるコンペートーは、出来上がるまでに2週間もかかるのですから、今時コンペートーでもうけを考えるお菓子屋さんは少ないそうです。ですから、あまり見かけなくなったのですね。貴重なコンペートーの粒をゆっくり味わいました。
 こんなことから大切な人間について考えました。つまり、ゆっくり2週間もかけて一粒のコンペートーが出来上がるのに対して、私たちは、何でも「早く、早く」と急ぐわけです。「早く!」には、次のような言葉、気持ちがついて回ります。「早く、ぐずね」「早く、だめね」「早く、のろまね」「早く、ばかね!」と言うわけです。人が思う場合もそうですし、自分自身がそう思って、焦ったり、自己嫌悪に陥ったりします。
 でも人間の成長に対して、神様は実に忍耐深い方なのです。聖書には、「神の慈愛があなた方を悔い改めに導く・・」ロマ2:4と書かれています。あなたの成長を、神様は慈愛といつくしみとをもって、じっと待っていてくださいます。目の前にある小さな事に、愛をこめて生きることを通して、自分と言うコンペートーの形を作っていきましょう。
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# by minitayori | 2016-11-19 17:56 | Trackback | Comments(0)

裏庭に白いバラ一輪

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、いっし、

 裏のベランダから見える庭には花がなくなってさみしくなりました。風邪をひいたのか、のどの痛みは取れたが、咳が激しくなり、一週間は大事を取って家に引きこもっていました。今朝秋日和の太陽に惹かれてベランダに出ていると、薄暗い木の下に真っ白なバラの花が咲いていました。慰めに来てくれたのか、励ましに来てくれたのか。よく見えるように白い花にしてくださったのですね。ご配慮を感謝!
 ♪ さみしかった僕の心にバラが咲いた。♪

# by minitayori | 2016-11-19 17:47 | Trackback | Comments(0)

 11月20日 ルカによる福音書21章5~19節

 11月20日 聖霊降臨後最終終日 ルカによる福音書21章5~19節
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21:5 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。:6 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」:7 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」
21:8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」
21:10 そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。11 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。:12 しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。:13 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。:14 だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。
21:15 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。:16 あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。
21:17 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。
21:18 しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
21:19 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

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「礼拝に備えて」
 昔読んだ本の中に、「メ・メント・メモリー」という言葉があったのを記憶しています。もう少し正確に、と思って原本を探したのですが、誰かにあげてしまってない。パソコンの中に記録してあったはずだと、見えない目を凝らして探してみたが見つからないのです。
 実は大切なものを記録していたハードデスクが、古くなってしまい、使えなくなってしまったのです。数年分の記録と写真などが入っていたので、復元してもらおうかと思いましたが、今更いらないと廃棄してしまいました。その前は小さなUSBと言う記憶装置に小出しに入れておいたのですが、ハードデスクを買ったので一つにまとめておけばよいと考えて、まとめていれました。それでも、もしものことがあった場合と思って、USBは大切にしまっておいたつもりですが、しまった場所を忘れるという大失態。
 さて、「メ・メント・メモリー」と言う言葉は西欧のある修道院の入口に書いてあったという事でした。修道僧はいつもこの場所で立ち止まり、見上げてから学びの場に入るのだそうです。その言葉の意味は、「死を思いつつ生きる」と言うことだそうです。神様に仕える修道僧が、死を思いつつ生きるとはどういう事でしょうか。
 次の日曜日は、聖霊降臨後最終主日です。教会では、この日をキリストが再来される時として覚えます。キリストが、裁きの主として来られる準備のときが始まるのです。かつて来られた時、それはクリスマスとして祝われますが、再来の時は、裁きの主として来られます。
 人間の一生は、避けることの出来ない死に向かっての一生です。これをある方は、「人間はすべての人が死に至る病を担って生きている。終わりの時は与っている今日の命を神の前で清算する時」とも言われます。私達は「メ・メント・メモリー」を前に生きているのです。
 でも、肉体の死の先には、神様の国で神様と共に生きる、新しい世界が待っています。先日、救世軍のホスピスにお見舞いに行きました。ケアハウス時代のお友達でした。お話をして帰る前に一緒に祈る時間をもちました。死を前にしての祈りの言葉は、感謝と賛美、そしてハレルヤと言う言葉でした。神様の前に精一杯生きた人の祈りの言葉だ、と心に深くとめて帰ってきました。もう一度と思ったのですが、それからしばらくして天に召されていかれました終わりの日に、主の前でハレルヤと笑顔で賛美できるように生きたいと思いました。
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# by minitayori | 2016-11-19 17:30 | Trackback | Comments(0)

紅葉

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 近くの公園の木々にも秋が来たようです。木の葉は一生懸命うつくしく散るための努力をしています。何の不安も見せずに。また風が吹いて2,3枚の葉が落ちてきた。

# by minitayori | 2016-11-19 17:16 | Trackback | Comments(0)

コスモス

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 私の住んでいる練馬区は畑や公園など、緑豊かなところです。しかし、この近くでも宅地への開発が進んでいる、あまり大きなマンションはないが、その代り小さな住宅がひしめいているところもある。そのような中で何箇所か庭木や花畑を残してくれているところがある。自然を大切にしてくれている、と感謝しながら散歩道に選んでいる。いつ宅地になるか心配しながら。

 

# by minitayori | 2016-11-12 18:15 | Trackback | Comments(0)

 「みにたより277」

 「みにたより277」
 この所、病院に行ったり外出する機会が多かったが、病院でも、電車の中でもくしゃみをしている人が多かった。昨日から、唾をのみ込むことも、水を飲むこともできないほど、のどが痛かった。のどあめをなめ、買い置きの風邪薬を飲んでみたが良くならないので、今日はやむなく医者に行ってきた。
 「中程度の咽頭炎ですね」と、簡単におっしゃって薬を出してくれた。「咳や下痢などを起こした人が何人も来ていますよ」とのこと。そうか、それから見ればのどの痛みぐらい中程度なんだ、と納得して帰ってきた。
 小雨の降る道のりは寒かった。真冬にはまだ間があるのだろうが、寒さはどうもなじめない。私が育った温暖の地、愛知県の渥美半島では、雪をほとんど見たことがなかった。東京に来て、初めてくるぶしを超える積雪に合い、その美しさに感動したものです。
 東京の任地では、雪が降ると、教会の前で雪にすべってけが人が出ては大変と、通勤時間の前に教会前の歩道の雪かきをした。次の任地である長野県の飯田では、乾いた細かい雪がさらさら降ってくる感動を味わった。雪かきも半端ではなかった。そんな中でもほとんど風邪をひいたことはなかった。
 次の任地熊本では、雪は少なかったが、阿蘇おろしの冷たい風が結構寒かった。特に牧師館は周りをビルに囲まれて、夏は暑く、冬は寒かった。
こうして振り返ってみると、辛かったことも楽しい思い出となる。苦しみも思い出の中では楽しい出来事として思い出される。これも神様が人間に与えてくれた恵みの一つですね。
 今苦しみの中にいるあなたへ、いつかきっとその経験が生きてきて、ありがたい経験をしたことを感謝する時が来るでしょう。そうなることを祈ります。
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# by minitayori | 2016-11-12 18:03 | Trackback | Comments(0)

朝顔

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 朝顔が寒さの中、肩を寄せ合うようにひと塊りになって咲いていた。朝顔は夏の花ではなかったかなーと思いながら、花の少なくなった季節に、寒さに負けずに美しく咲いている朝顔に「ありがとう!」と声をかけた。

# by minitayori | 2016-11-12 17:58 | Trackback | Comments(0)

11月13日  ルカ福音書20章27~40節 

 11月13日 聖霊降臨後第26主日 ルカによる福音書20章27~40節 
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20:27 さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。:28 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。29 ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。30 次男、:31 三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。
20:32 最後にその女も死にました。
20:33 すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」:34 イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、35 次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。:36 この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。
20:37 死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。38 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」

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 「礼拝に備えて」
 昔々のことになりますが、私が洗礼を受ける決心をした時、どうしてもイエス様に会いたいと思いました。宣教師の先生に尋ねると、一生懸命説明してくださったが、理解できませんでした。
 一緒に働いていた婦人伝道師に尋ねました。しかし、納得できる答えはありませんでした。三人で祈った後で、宣教師がこんなお話をしてくださいました。「祈ってごらんなさい、必ずイエス様が会いに来てくれますから」。それから真剣に祈りました。「イエス様、私の前に来てください。お顔を見せてください」と。
 いくら祈ってもイエス様は会いに来てくれませんでした。ある深夜のことです。聖書読みながら転寝をしてしまいました。その夢の中で、イエス様がカーテンの向こうにおられたのです。しかし、足先しか見えませんでした。その話を宣教師にしました。すると宣教師は、にこにこ笑いながら言われました。「家の外にいてもイエス様に会えないですよ。その家の人と会いたかったら、戸を叩いて開けてもらい、家の中に入ってみないとその家の人の様子も、その家の人にも会えないでしょう。神様はイエス様のご生涯を通して、あなたへの愛の食卓を用意していてくださいます。イエス様の誕生、ご生涯、受難、十字架、復活のすべてがあなたへの愛のプレゼントですから。」
 聖書は外側から、自分の知識や常識の中から見ていては、分からないのですね。信仰によって神様の懐の中に飛び込んで、初めて神様の大きな愛のお心がわかるのです。昔最初の教会の代議員が、こんな話をしてくれました。「聖書は金時あめのようです。どこを切っても神様の愛のお顔が見えてきます。愛のみ旨が語られています。」e0191585_17512780.jpg 「38 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」歴史の中で働かれる神様はアブラハムの神、イサク、ヤコブの神。そしてあなたを深く愛してくださる神様なのです。


# by minitayori | 2016-11-12 17:52 | Trackback | Comments(0)

紅葉の木

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 木枯らし一番が吹いたようです。いよいよ冬将軍がやってきます。近くの公園には紅葉になる木があまりありません。少し足を延ばしたところで、イチョウの葉が少し黄色になっていました。その陰に隠れるように紅葉樹がありました。まだまだこのあたりは自然が豊かです。

 

# by minitayori | 2016-11-12 17:39 | Trackback | Comments(0)