「みにたより303」

「みにたより303」

テレビのインタビューの映像がユーチューブで見られるようになった。自分の姿は見たくないが、恐る恐る見てみたら、やはり、立派な老人が写っていた。この番組は、先般「手話で福音を伝えよう」と言う題の、キリスト教手話を広めるために私が出版した本についてのインタビューであり、本の宣伝にもなると思って引き受けた。

本の作成のエピソードや裏話、なぜろう者の牧師になったか、などを聴かれてお話してきた。40数年にわたる話なので、話したいことが沢山あって、司会の人が本題に戻すのにご苦労されたようだ。でも、昔話をしたがるのは老人の常、司会の方が上手に助けてくださって無事に終わった。

長くなったので編集の方もご苦労があったと思うが、さすがに上手にまとめてあった。楽しかったし、初めての経験をさせてもらって嬉しかった。下に視聴できるアドレスを書いておきましたので、時間のある方は見てください。「本の旅」の中の「手話で福音を伝えよう」と言う項目を選んでクリックしてくださると見えると思う。

映像に写しだされたわが姿は、自分でも驚くほどの老人の姿だが、これが今の現実です。手話と一緒に話すと、もう少し発音もしっかりしたと思うのだが、今回は口の開きが悪く聴きにくいかもしれないが、これも現実ですね。でも、本当にこのようなお話をする機会を与えられて、神様に用いられたことを感謝している。

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アドレス

日本CGNTV YouTubeチャンネル「本の旅」再生リスト:題「手話で福音を伝えよう」   https://www.youtube.com/playlist?list=PLYamdtAmvO0aI-IuOqr107YxdCC1pfzKx


# by minitayori | 2017-05-13 18:21 | Trackback | Comments(0)

バラの館の花が咲き始めました。

買い物道路にあるバラの館の花が咲き始めました。
花の下に立って眺めていたら、この家のご主人が帰ってきて、また写真を
写しに来て下さい、と言われた。昨年は一番良い時に雨続きで写真を写せなか
った。一昨年は善く取れた中から何枚かお届けした。お礼のお電話をいただいた。
そのことを覚えていて下さったのだ。うれしいひと時でした。

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# by minitayori | 2017-05-13 18:04 | Trackback | Comments(0)

5月14日 復活後第4主日 ヨハネ14章1-14節

5月14日 復活後第4主日 ヨハネ14章1-14

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14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

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「礼拝に備えて」
 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」

 イエス様を信じる人が忘れてはならないこと、それが今日のヨハネの福音書に記されていることです。私達は、自分のやがて住まうべき所を知っています。それは、イエス様が命をかけて用意してくださった神の家の事です。

 40年の間、わたしは牧師として教会の近くに住まう家を与えられて生活してきました。引退を前に、引退後どこに住まいを定めようかとよく話し合いました。生まれ故郷に帰るもよし、今まで働いてきた教会の近くに住むことも考えました。そして最後に決めたことが、わが子がいる近くに住もうと言う事で、東京に出てきました。

 引退してからではアパートは借りることが難しい、と定年引退者予備軍ののセミナーで聞かされていたので、引退の3カ月ほど前から、ネットで探せるURの賃貸住宅を探し、結構空き室があるので安心しましたが、日に日に少なくなってゆくので、思い切って早めに契約しました。

 しばらくして夫婦ともに体調を壊したので、熊本に行く前に申し込んでおいた老人ホームに空き具合を尋ねに行きました。その時はまだ100人ぐらい待っていると言うので、途方に暮れました。牧師の年金で住める所はそんなに多くはありません。そんな時に、家内の恩師がおられた、救世軍のケアハウスがあることを知りました。しかし、ここでもたくさんの待機者がおられることがわかりました。

 あきらめて都営住宅を申し込んだのですが、空き室が同じ市内でも、どのあたりに出るかわからないと言うのです。あまりにも交通の便の悪い所では、車を持ず体調の万全ではない私達では生活が成り立ちません。途方に暮れていた時に、救世軍のケアハウスの方から、丁度夫婦部屋が空いたので入りませんか、と言う有難いお話をいただきました。感謝して入らせていただき、良い環境と良い友達に恵まれ、感謝しつつ過ごさせていただきました。しかし4年半後、今度は孫の世話のために今のアパートに引っ越して来て三年が過ぎました。

 老いは確実に身に迫ってきています。しかし、今までと同じように全てを神様に任せて生きようと思っています。「あなた方のために住まいを用意して、また来る」とおっしゃってくださったイエス様のお約束があるから、夫婦で助け合って健康を守りつつ、召される時には、み手にゆだねて平安でありたいと思っています。

 イエス様は言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」イエス様の道を歩き続けて父のもとに帰りたい、イエス様が約束されたことを信じて、今日の日を精一杯生きていきましょう。


# by minitayori | 2017-05-13 17:56 | Trackback | Comments(0)

モッコウバラ

モッコウバラ
アパートの塀に沿ってきれいに咲いています。
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# by minitayori | 2017-05-13 17:42 | Trackback | Comments(0)

「みにたより302」

 「みにたより302」

 自分の人生が、自分にとって意味あるものであったかどうかは、人によってそれぞれ違った受け留め方があるようです。しかもその定義は自分できめなければなりません。神様から与えられたこの人生を振り返って、成功したか失敗したかは、あくまでも自分でくだした定義によって判断するしかないのです。

 J・R・オッペン・ハイマーと言う方がいました。あまり知られてはいないかもしれませんが、現代において非常に重要な役割を果たした方です。彼は、1904年の4月22日に、ニューヨークに住むドイツ移民の織物商の息子として生れました。小さい頃から頭がよく、やがてハーバード大学を3年で、しかも、優等で卒業しました。その後、ケンブリッジ大学で1年間大学院生活を送り、さらに、ゲッチンゲン大学で博士号を取り、間もなく現代有数の物理学者としての名声を与えられました。

 彼は第2次世界大戦中、国の政策の下に原子爆弾を生み出してしまいました。1963年に、彼に最高の栄誉である賞と、5万ドルをアメリカの当時の大統領自らの手で贈られたと言う事です。

 しかし、彼は原子爆弾の生みの親、と言う汚名を着せられてしまいました。1967年2月、この高名な科学者も、病気でこの世を去りました。訃報が伝わると、全世界から弔電が寄せられました。彼は同時代の人々にその才能を認められた数少ない天才の一人でした。しかし、彼自身は、死が訪れる1年ほど前にこう語っているのです。「私の人生は完全に失敗であった」と。
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さらにこの様に述べています。「私の業績は、口に灰の味を残す事でしかなかったのだ」と。彼の心にはいつも、原子爆弾の破壊力が重くのしかかっていたのでしょうか。「私は既に死んでいる。私は世界の破壊者だ」と口癖のように言っていたそうです。自分の人生の最後に、振り返ってみて「灰の味」しか残らなかったら、真に悲しいことです。

わたしたちはいつも主の祈りの中で「み心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈っています。この祈りは、自らが神のみ心である、愛と平和の架け橋となることを願う祈りです。まず祈り、祈りを積み上げて、平和を作り、愛を行う者でありたいと思います。貧しくとも、弱くとも、この祈りを真剣に祈り続けることが出来るものは、人生の終わりに『蜜の味』を楽しむことが出来るでしょう。

 いま世界では原子力の問題が取りざたされています。人間の力で最終的な処理の出来ないものを手に入れてしまった世界に、今一度人間の英知で、世界の平和と人間の幸せのために、真に役立てる道が備えられることを願う者です。人生を感謝で終われるように!


# by minitayori | 2017-05-06 17:01 | Trackback | Comments(0)

オリエンタル・ポピー

オリエンタル・ポピー
アパートの前の自動販売機の片隅に小さな花が咲いていました。
午後になると閉じてしまう。今日は朝写しに
行ってきました、優しい花ですね。誰にも気づかれなくてもこの時期になると、ひっそりほほ笑むように咲いています。
自分の置かれたところで自分らしい花をっ咲かせなさい。

花ことばは「優しい愛」

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# by minitayori | 2017-05-06 16:33 | Trackback | Comments(0)

わたしは善い羊飼い



ヨハネ10:14 わたしはよい羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、
羊もわたしを知っている。
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、
わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる。

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# by minitayori | 2017-05-06 16:16 | Trackback | Comments(0)

5月7日 復活後第3主日 ヨハネによる福音書10章1-16節

57日 復活後第3主日 ヨハネによる福音書101-16

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◆イエスは良い羊飼い

10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。

10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。

10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

10:17 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。

 

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「礼拝に備えて」

 イエス様はよい羊飼い、このお話は私の大好きなお話です。しかし、聖書を読んでいて時々心の中で何か違和感を感じました。このお話は礼拝説教でも、ろう者の聖書研究でも、何度もお話したのですが、どこかで違和感が出てきました。

 手話では「良い」とは、良否の意味で表現します。その「良=良い」とは完全であり、正しい、間違いのない、瑕疵のないという意味にもなります。イエス様は良い羊飼い、と聖書は書いています。しかし、私はこの「良い」と言う言葉を、「善い」と言う言葉で理解してきました。

 漢字の「善い」と言う言葉は、羊の口にえさをあげる心優しい羊飼いの意味を持っている、と漢字の字源の本に書いてありました。そのことから、イエス様と言うお方は、心優しい、人を差別しない、心豊かな方だと思ったのです。どんな人も差別しないイエス様のお姿は、聖書の中にたくさん書いてあります。弱い人も悲しんでいる人も、貧しい人も富める人も、幼子も高齢者も、みんな私の愛する子として受け止めてくださる方。

 しかも、十字架の上では、今、槍で自分を刺そうとしている人々、イエス様を裏切って逃げ出した人々、イエス様をお金で売ってしまった人々にも「父よ、彼らを赦して下さい。彼らは何をしているのかわからないでいるからです」と、とりなしの祈りをしてくださいました。

 これを聞いた百人隊長は、「この方は神の子であった」と告白しました。イエス様を裏切って逃げだした弟子達も、後になって、このイエス様の祈りが自分に向けられていると感じた時、どんなに心安らかに、勇気を持って生きられた事でしょう。

 それから後も、弟子たちは何度もイエス様を裏切るような弱さを持っていましたが、いつもこの祈りと、イエス様が「善い羊飼い」であることを思って、十字架の下に帰ってきた事でしょう。私もイエス様が「善い羊飼い」であられたからこそ、今まで曲がりなりにも、イエス様のみ足の後に従ってこられたと思っています。イエス様は「あなたの善い羊飼い」、あなたのために命を与えてくださったのです。感謝!


# by minitayori | 2017-05-06 16:10 | Trackback | Comments(0)

ジャーマンアイリス

アパートの駐輪場に咲いていた
アイリスと思ったがジャーマンアイリスとかいろいろありますね。
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# by minitayori | 2017-05-06 16:05 | Trackback | Comments(0)

池袋教会の八重桜

池袋教会の八重桜
教会の裏にがある桜の木。大きくなりすぎて電線かかるので、と
何本か切られてしまったが、残された八重桜がみんなの分まで
咲いていた。少しさみしそうだったががんばっていました。

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# by minitayori | 2017-04-29 21:47 | Trackback | Comments(0)

「みにたより301」

「みにたより301」
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月曜日CGNTVと言う、インターネットTV制作会社より依頼があり、先般出版した「手話で福音を伝えよう」と言う本の取材を受けた。手話、特に、キリスト教手話の宣伝をしてくれると言うので引き受け、テレビ録画に出かた。

高田馬場から、歩いて10分くらいの所と言うので出掛けたが、降りた口が南口。戸山出口と言う初めての出口で、右も左もわからない。駅前の地図を見ても良くわからない。あたりを見渡しては地図を眺めていたら、見知らぬ中年の男性が声をかけてくれた。自分が行く方向だから一緒に行こうと言ってくださり、しゃべりながら歩き出した。戸山団地の建物を見ながら、登りの坂道を上がって行った。「教会の横にあるスタジオです」と言ったのが通じなくて、お寺の横と聞こえたようで、そのお寺はよく知っていると言いながら歩き出した。登り坂なので足腰の痛い私にはつらい道中だったが、素朴なお話に心癒されながら歩いて行った。実は、はあはあ!言いながら・・。地図にはガソリンスタンドの近くとあったので、見つけたガソリンスタンドでその場所を聴いた。すぐ裏ですと言われたので、同行してくれた方にお礼を言って別れたが、お寺はまだ先のようだったのでほっとした。

打ち合わせと録画で一時間近くかかったが、生まれて初めての経験だった。「献金によって運営しているので、恐縮しながら交通費も出ません!」と言われたが、目的が教会の働きだったので、こちらこそ取り上げていただいて「感謝!」だった。痛み止めや咳止めを飲んでの一時間だったが、人生の終わりに近くなって、珍しい経験をさせていただいた。これからもきっと神様はいろいろな経験をさせようと計画してくださっていると思うと、それに応えられるように、自分の体調を整えるのが大切なことだなーと思いながら、今度は降りの坂道を、こけないように気を付けて帰ってきた。

山手線も池袋からの地下鉄も、時間的に混雑していたが、池袋からは若い人が席を譲ってくださったので、眠って乗りこさないように気を付けて帰ってきた。家の近くの駅の周りは、春風が強かったが夕映えがきれいだった。人の親切を身にしみて感謝した一日でした。


# by minitayori | 2017-04-29 21:41 | Trackback | Comments(0)

トマスへ

20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
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# by minitayori | 2017-04-29 21:34 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 4月30日 復活後第2主日 ヨハネ福音書20章24-29節

430日 復活後第2主日 ヨハネ福音書2024-29

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20:24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。:25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

20:26 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」:28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

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「礼拝に備えて」

 弟子のトマスは、一週間どこに行っていたのでしょうか。それはイエス様が十字架にかかられてからの一週間。彼トマスのショックの大きさが示されているように思われます。

 茫然として、夢遊病者のように歩き回っていたのかもしれません。しかし、少し前にはイエス様の危機を聴くとトマスは他の弟子に先んじて率先して仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言いました。(ヨハネ11章)それだけにイエス様を見捨てた自分への嫌悪感は大きかったのかもしれません。

 しかし、トマスは復活の一週間後、弟子たちが集まっている所に帰ってきました。そこで見たのは、彼の予想に反して、喜びにあふれている他の弟子たちの姿でした。復活のイエス様に出会ったというのです。彼の常識ではありえない事柄でした。彼は自分が取り残されたように感じ、また、ありえない幻想に喜んでいる他の弟子たちが、愚かにさえ見えたのではないでしょうか。

彼は、自分の指をイエス様の傷に入れて見なければ信じない、と言いました。彼は信じえない自分の心を、どんなに歯がゆく思ったことでしょうか。彼の孤独感が伝わってくるような気がします。その喜びと信仰の渦巻くただ中に、イエス様は入ってこられました。イエス様はトマスに向かってこられ、彼の不信を取り除くために、彼の望むとおりに、指を傷口に差し入れることを赦されたのです。

 彼の不信仰を責められることなく、望みをかなえて信じる者へと導こうとされたのです。イエス様は、いつでも不信にあるものの近くに寄り添い、信じる者となりなさい、と導いてくださいます。信じる世界に、神様が共にいてくださり、もっともよい道を示し、もっともよい事をしてくださることを信じるようにと導いてくださいます。信じるとは、何でしょうか。神様のみ心を受け入れ、従う事。マリアのように「私は主の僕です。御心のままにこの身になりますように」と祈ることではないでしょうか。トマスがイエス様の傷に触れたかどうかは、聖書には記されていません。しかし、イエス様のお言葉に「わたしの主、わたしの神よ」と言って服従したのです。

イエス様はトマスに言われました。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」あなたをどこまでも愛される神様に、信じ従う者となりましょう。あなたの心の平安と幸いのために。


# by minitayori | 2017-04-29 21:31 | Trackback | Comments(0)

池袋のハナミズキ

池袋街路樹のハナミズキ
教会前のバス停の白いハナミズキ。青空に映えてきれいでした。
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# by minitayori | 2017-04-29 21:14 | Trackback | Comments(0)

16日復活の礼拝の聖壇の花

16日イースター礼拝の聖壇の花
聖壇の色が白になり、花も苦しみを表す紫から白に変わりました。
白は栄光の色。復活の朝、弟子たちが墓で見たイエスさまが葬りに
使われた白い布。山の上でモーセとエリヤと話した時の白く輝く衣。
その時、イエスさまはエルサレムでの受難を語られたという

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# by minitayori | 2017-04-22 22:18 | Trackback | Comments(0)

「みにたより300」

「みにたより300」

ブログで始めた「みにたより」も、今回で300回になりました。小石川教会で就任3週間目からはがき通信として始めてからですと、2300回目となります。途中で何回目か数え間違えたこともありました。目が悪くなって、少しづつ限界が見えてきましたのでどうしたものかと考えていると、誰かから励ましの手紙をいただいたり、「先生、ブログやめるとボケるから、やめたらだめよ!」とあたたかいお言葉をいただいたりして、今日まで来ました。ここまできたら、画面が見えなくなるまで頑張りましょうか。その前に文章が書けなくなるかもしれませんが、自分への挑戦ですね。

  今日も散歩に出かけました。曇っていましたが、前日公園で見たハナミズキの写真が撮りたくて出かけました。そうしたらいろいろな花が咲いていました。ポピーが自動販売機の横に小さく積もった吹きだまりの土の中に咲いていました。

初めてのお宅の庭に大きな白いクレマチスが咲いていました。菊の花も咲いています。皆、春を待ちかねていたようです。今日は残念ながら、小さなカメラだけ持って行ったので、きれいに撮ることができませんでした。きちっと焦点を合わせて写さないと花がかわいそう。またカメラ片手に晴れた日に行ってきます。

庭の花や植木鉢の花と違って、道端の花は特にかわいらしく、美しく思えます。置かれた場所で、誰に見てもらえなくても文句も言わないで、一生懸命咲いている、そんな花のいじらしさに心打たれるのです。e0191585_22035507.gif



# by minitayori | 2017-04-22 22:05 | Trackback | Comments(0)

白いクレマチス

真っ白のクレマチス
花ことばは「美しい心」。
イエス様に清められた美しい心いつも
持っていたいですね

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# by minitayori | 2017-04-22 21:58 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 4月23日 復活後第1主日 ヨハネによる福音書20章19-23節

423日 復活後第1主日 ヨハネによる福音書2019-23

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20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。:20 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。

20:21 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」:22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

20:23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

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「礼拝に備えて」

 復活の日の夕方、イエス様を見捨てた弟子たちは、自分たちも捕まるのではないかと恐れて、多分、イエス様と最後の晩餐をした部屋に閉じこもり、戸のカギを閉めて震えていた。

 イエス様が復活された、というマリアの声を聞いて墓まで行ったが、イエス様は確かにいなかった。墓の中のイエス様と言う支柱を失って、一層の恐れが弟子たちの心に広がったのではないだろうか。さらに、イエス様の弟子達には、ご受難の前に「イエス様が死ぬのなら自分達も死にます」といったのに、イエス様を捨てて逃げた、自分の言葉と行為への自責の念があったのではないだろうか。

 家の戸を閉ざし、心の戸を閉ざし、恐れに震えていた弟子たちの所に、復活の日の夕刻イエス様は来られた。そして、弟子たちに声を掛けられた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 福音の証人として弟子たちに立ち直ってほしい。イエス様の願いが伝わってくる。

 弟子たちは、十字架の下にいた婦人たちから、イエス様の十字架上の最後の言葉を聞いたのだろう。それは「父よ。彼らをお許し下さい。彼らは自分が何をしているのか知らないのですから。」それはイエス様を処刑した兵士たちへの祈りだけだろうか、一緒にかけられた十字架の罪人たちのためだったのだろうか。いやそうではない。イエス様を捨てた弟子たちのための祈りであり、イエス様を銀貨50枚で売ったユダへの祈りでもあり、イエス様の道から常に迷い出続ける、私達への祈りでもあるのだ。この祈りの尊さを知った時の弟子たちの心を思うと、私の心も震える。
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イエス様は今も、私達がイエス様からはなれそうな恐怖や不安の中にいるとき、私の、あなたの近くに来て、「安かれ!」と語りかけてくださるのです。イエス様のお声を聞き逃さないようにしてください。


長年私の牧師室の書斎に飾ってあったイエス様の横顔。私の心を見続けていて下さいました。


# by minitayori | 2017-04-22 21:53 | Trackback | Comments(0)

ハナミズキ

ハナミズキ
きれいに咲いていたのですが曇り空で花がよく見えません。
晴れた日に、またきれいに映してお目にかけます。
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# by minitayori | 2017-04-22 21:41 | Trackback | Comments(0)

桜並木のトンネル道路

光が丘公園の桜並木
桜のトンネルのように見える。この道はどこに続いているのだろうか。
明るい未来へ続いていてくれるといいなーと思った。

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# by minitayori | 2017-04-15 17:58 | Trackback | Comments(0)

「みにたより299」

「みにたより299」

 先日、車で通過して見てきた、近くの公園(光が丘)の桜を、ゆっくり見たいと思って出かけた。歩いていける距離だが、弱くなった足腰の痛みを考え、バスで出かけた。

 バスは満員であったが、目の前のいすに座っていたご婦人が、杖をついてよろよろしながら立っている姿を見かねたのか、席を譲ってくれた。結構ですとお断りしようと思ったが、転んでからでは遅いと思ってご好意に甘えた。このバスは地域循環の公共バスで、小形のバスなので、小さなカーブでも立っていると危ない。申し訳ないと思った。この人も並んでやっと座っただろうに・・・。次のバス停で隣が空いたので、その人は笑顔を私に向けて席に着いた。私はありがとう!と小声で言って目的地に行った。

桜もきれいだった。もう散り始めてはいたが、新緑の葉がまばらに見えて、それもまた美しかった。青空もきれいだった。私の心も晴天だった。足と眼が弱くなったので、外に出るのが怖くなってきている。これではいけないと思うので、あまり人のいない所を選んで散歩して、足腰を強めていきたいと思っている。生きている限り、神様からどのような働きを示されるかわからないので、何とかお答えできるように、日々鍛錬して備えていたいと思っています。

アパートの裏庭にツツジが咲き始めた。寒い間は花が少なかったので寂しかったが、チューリップやサツキ、芝桜が一斉に咲き始めて、華やかになってきた。春を飛び越して夏が来そうな予報だが、折角の春の花、ゆっくりと咲かせてあげたい。また楽しみたいですね。e0191585_17372721.gif



# by minitayori | 2017-04-15 17:39 | Trackback | Comments(0)

キリエ 復活の朝

復活の朝
天使たちが

「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

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# by minitayori | 2017-04-15 17:32 | Trackback | Comments(0)

4月16日 復活祭 ヨハネ福音書 20章1-18「復活の朝」


4月16日 復活祭 ヨハネ福音書 20章1-18

e0191585_16025858.jpg20:1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。:2 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

20:6 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。:7 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。:8 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。:9 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。 20:10 それから、この弟子たちは家に帰って行った。

20:11 マリアは墓の外に立って泣いていた。おられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。:15 イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」:16 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。:17 イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」

20:18 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。


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「礼拝に備えて」


 イエス様の復活の出来事は、私たち人間の理解を超えた出来事です。聖書はそのことを弟子たちの様子を通して正直に書いています。今日の日課の出来事の中で気になるところがあります。それは復活の最初の証人に選ばれたのがマグダラのマリアであったことです。

当時、女と子供の証言は裁判では採用されませんでした。それくらい低い地位にあるものと考えられていた人を、イエス様は大切な復活の証言者として選ばれたのです。実際、マリアの復活の証言を聞いた弟子たちは、信じようとはしませんでした。弟子たちはイエス様の姿が墓の中にないことは見て、「いない」ことは信じました。しかし、イエス様が約束された「復活」については、理解できなかったのです。理解しがたい事柄であったからです。

しかし、マリアは違いました。復活は彼女の理解を超えることでしたが、イエス様を愛し、「イエス様のご遺体を自分で引き取りたい」と願い出ます。イエス様への愛と信頼、涙を持って、彼女は自分のできることをしたいと願いました。その心の中で、復活の主に出会うことができたのです。

イエス様の復活は神様の業です。人間の小さな理解の中にとどまるものではありません。イエス様が、私たちのためになしてくださった全てのことの中に、感謝と共に身を置いたときに、初めて受け止めることができるものです。十字架は私のため、イエス様の死も復活も、それは私たちへの神様からの愛のプレゼントなのです。理解ではなく、感謝を持って受け、神様に愛されていることを喜んで日々をすごしましょう。

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# by minitayori | 2017-04-15 17:23 | Trackback | Comments(0)

キリエによる受難

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〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕
  ルカ福音書23:34



  イエスは大声で叫ばれた。

「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。ルカ福音書23:46


# by minitayori | 2017-04-15 17:05 | Trackback | Comments(0)

私の通う池袋教会の4月2日の聖壇の花

私の通う池袋教会の4月2日の聖壇の花
紫はスイートピー、花ことばは「優しい思い出」イエス様の
ご生涯を思い出すように、とのメッセージでしょうか。
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# by minitayori | 2017-04-08 17:10 | Trackback | Comments(0)

「みにたより298」

「みにたより298」

 水曜日は私のリハビリの日だが、幸か不幸か備えつけの機械が一つ壊れて時間ができたので、職員の粋な計らいで、近くの公園にある桜のトンネルをドライブして帰ることになった。急な変更で、残念ながらカメラを持っていなかったので、満開の桜のトンネルを写すことができなかった。

 次の日は通院の日で、帰りに桜並木を見に行こうと思ったが、病院から駅までが、春嵐のために帽子は飛ぶは、マスクまで風で飛びそうになるという初めての経験をして、慌てて帰ってきた。金曜日は雨と言う予報だったが、午後は、風は強いものの晴天だった。桜のトンネルを写しに出かけたかったが、リハビリと通院で腰の痛さが限界だったので、近くの公園に散歩に行って来た。そんな私を慰めてくれるように、公園の真ん中に一本の桜の木が満開になっていた。

 満開の桜を、美しい青空を背景に写すという事は、写真を撮る者にとっては夢。以前にいた所に桜の名所があった。ある日、曇空だったが、他に時間が取れなかったので、友人と桜見物に行った。満開の桜はきれいに見えたが、写真に写してみると、花は曇天の中に溶け込んで、黒い幹だけが写っていた。雨が降ってもライトアップされた桜は見えるが、青空を背景に写した桜はまた格別です。

 今週は良いプレゼントをいただいた。来週は花吹雪だろうが、もう一度公園に行って、ブランコにでも乗りながら桜を楽しんでこようと思っている。近くにいろいろな花が咲き始めた。カメラ片手の散歩に精を出して、健康につとめます。e0191585_16243630.jpg


 あなたの心に喜びの花が満開になりますように。いやこれからも咲き続けますように。


# by minitayori | 2017-04-08 17:04 | Trackback | Comments(0)

道端のスミレ

スミレ
公園に行っての帰り、満開の桜の満足して帰ってきたら、
アパートの入口の壁にくっつくように菫の花が咲いていた。
風に吹かれて集まった少しの土で一生懸命咲いている小さな
花に見つめられているように思えた。
おかれた場所で、一生懸命咲いている花がいじらしかった。

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# by minitayori | 2017-04-08 17:01 | Trackback | Comments(0)

例は尾に備えて 4月9日 枝の主日 マタイ福音書21章1-11節

49日 枝の主日 マタイによる福音書211-11

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21:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。:3 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」:4 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。:5 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」

21:6 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、:7 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。:8 大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。:9 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」:10 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。:11 そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。

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「礼拝に備えて」

 聖書の個所を読むとき、その時々のイエス様のお心を考えることにしている。特に聖書のお話を手話に変えるようになって、言葉の変換ではなく、自分が感じ取った出来事の、心を伝えるというように心がけてきた。

 今週の聖書にもいろいろ気にかかることがある。一つは「子どものロバ」に乗って入城されたこと。弟子たちがその上に自分の上着をかけ、群衆が自分の上着を道に敷いて、イエス様はその上を歩いて行かれたこと。

 群衆が「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫んだこと。

 まず、こどものロバ、誰も乗ったことがないロバ。この言葉の裏には、神様へのお捧げものの儀式がある。イエス様はご自身を神様への捧げもの、人々の救いのために神様に捧げる犠牲として捧げられるために、誰も乗ったことのないロバに乗ってエルサレムに入られたのだ。

 それだけではなく、ロバの子は背が低くイエス様がまたがってエルサレムに入られ、群衆の中を歩かれると、群衆と同じ目線になったのではないかと思われる。馬に乗って上から見下ろす救い主ではなく、群衆と同じ目線に立たれる救い主として、今も私達の所に来てくださる。また、群衆の汗と涙の染みついた上着の上にまたがり、群衆の服を敷いた道を歩まれた。イエス様は、私達の汗と苦しみと涙と悲しみのただ中にいてくださるのだ。何と心強いことだろうか。

また、群衆は「ダビデの子ホサナ!」と、強力な王である救い主の到来を喜んでいた。しかし、イエス様はその群衆の心の中にある叫び、あと数時間で、イエス様を「十字架につけよ!」と叫ぶであろう人間の弱さを知っておられた。その群衆を見つめつつ、そのただ中を歩かれたのだ。弟子達もやがて、イエス様を「知らない!」と言い、イエス様を裏切ってしまう。弟子のひとりユダは、銀貨30枚でイエス様を敵の手に売ってしまった。イエス様は何と言う孤独の中におられたのだろうか。それでもイエス様は最後まで群衆を、あなたを愛し続けてくださった。今日の枝の主日(受難主日)、このことを深く覚えたい。


# by minitayori | 2017-04-08 16:55 | Trackback | Comments(0)

近くの公園の桜

近くの公園にあった満開の桜
桜は青空に映えますね

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# by minitayori | 2017-04-08 16:50 | Trackback | Comments(0)

3月26日 の池袋教会聖壇の花


3月26日の池袋教会ッ聖断の花



3月26日 の池袋教会聖壇の花
ボケの花を中心に
ボケはバラ科の花で、実が瓜に似ている。木になる瓜で「木瓜」と
呼ばれていたものが「ボケ」に転読したともいわれる。悪い意味で言
われたものではないようで安心しました。紫の花の名前も教えていただ
きましたが、すっかり忘れてしまいました。やはりボケでしょうか。


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# by minitayori | 2017-04-01 18:20 | Trackback | Comments(0)