霜柱

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 近年まれな寒波が来ているという。朝の風の冷たかったこと。通勤する人々、病院に行く人々、センター試験にゆく若者。毎年ながらこの時期、本当にお気をつけてとしか言う言葉がない。
家の前の花壇を見たら、キラキラ光るものがあった。小さな花壇だが霜柱が立っていた。自然のなす芸術であり、新しい命への大切な営み。土地を掘り起こし、自らを溶かして水分を与える。それが勤めの一時の芸術。だから美しいと思う。

# by minitayori | 2017-01-14 20:59 | Trackback | Comments(0)

「みにたより286」私とキリエ

 「みにたより286」
 先日、ある方がブラジルに行って教会の施設を見て回った時に、あなたのキリエがあったのでとても懐かしく思えました、とお葉書をくださった。また、フェイスブックで、フィンランドの方が私の家にもキリエが飾ってありますと、写真を送ってくださった。
 ずいぶん昔のことだが、ヘルシンキの大聖堂の地下礼拝堂でキリエの展示会をしたことがあった。キリエの実演もし、尺八の音色も流した。これも実演だった。持って行った作品は、日本の伝道のために即売会を開き、ほとんど完売したようだった。
 引退をした時の前の任地では、転任が決まってから地域の展示場で、キリエの展示会を開催した。購入希望者には販売もした。但し、教会への備品寄贈のための販売に限定した。地域の方に喜んでいただき、良い思い出になった。最後の任地の熊本では開催できなかったが、引退した後、ケアハウスの水墨画の先生と、二人展を開いた。大変お世話になった。
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 カトリックのケアハウスの方から、足の不自由な方たちのために、施設で展示会をしてほしいと言われてお貸しした。入所している方が、キリエのイエス様の前で祈っていると言われて、職員の方に選んでいただき、一点を寄贈してきた。
 キリエは、耳の不自由な方たちへの説教のまとめとして作った物、伝えたいことがあって、{キリエー主よ憐れんで下さい。}と祈りつつ造り上げてきた。祈りとメッセージが込められていた。最初の稚拙なものは大部分を処分してしまったが、多忙な牧会の中、40年近く造り続けて今があることを思うと、神様が与えてくださった恵みの賜物であったことを改めて感謝している。
 今は目も悪くなり、体力もなくなり、また、メッセージを伝える対象もなくなって意欲が出てこない。だが、折角いただいた賜物、これで終わっていいのかなーと自問自答をする毎日です。

 


# by minitayori | 2017-01-14 20:51 | Trackback | Comments(0)

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 菊は暑さにも寒さにも強いですね。近くの公園の前にある雑草生い茂る空き地が整備されて、いよいよ家が建つようです。整地されている片隅に今年最後の菊が咲いていました。工事が始まればなくなるでしょうが、今の時こそとばかりに精いっぱい咲いていました。

# by minitayori | 2017-01-14 20:45 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 1月15日 マタイによる福音書3章13―17節

 1月15日 顕現第2主日 マタイによる福音書3章13―17節
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3:13 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」:15 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。:16 イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
3:17 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

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 「礼拝に備えて」
 イエス様はなぜ{悔い改めの洗礼}を受けられたのか。神の子であり、聖なる方であるなら悔い改めは必要なかったはずであるのに。高校生で授洗した私はいろいろな疑問をもって聖書に向かっていた。聖書の中には「なぜ?」と問うべき事柄が沢山あった。
 イエス様が十字架にかかられたのは?復活されたのなら、今どうして私達に会ってくれないのか?洗礼受けるにあたって、伝道師の先生に質問して困らせたのを覚えている。純粋そのものであったその伝道師(宣教師の補佐をしていた方)は、一度応えてくれた。「お祈りしてご覧、きっとイエス様は会いに来てくれるから。」
 私はその言葉を信じて、深夜まで聖書を読み、祈っていた。ある夜うとうととしているとイエス様が来てくださった。振り向くとカーテンの下に足だけが見えた。勿論目の錯覚であるとは思っていたが・・。
 その話をしたら、宣教師の先生は笑顔で、「神様の家のことを知りたければ、カーテンの外から眺めているだけではだめですよ。家に入れば、ご主人のお顔も見えるでしょう。」私はそれから半年ほどして、洗礼を受けた。イエス様のお顔を見たいという思いは今も持っている。
 しかし一つの事に気がついた。イエス様がこの世に来られたのは、私のためであったという事。悔い改めの洗礼を受けられたのは、そこから歩み始める私と共に歩いてくださるためであると。その様に思えた時、全ての疑いが消えた。イエス様の苦しみ、悲しみ、十字架の死さえも私のため、復活も私のため、と思えるようになった時、イエス様をこの世に送ってくださった、神様の大きな愛に触れ、涙が止まらなくなった。有難いと思った。イエス様のご生涯のすべては、あなたに送られた神様からのプレゼントなのです。あなたにもそのことを知ってほしいと願っています。
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# by minitayori | 2017-01-14 20:39 | Trackback | Comments(0)

紅梅

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 近くの団地の日当たりのよいところに、数本の梅の木がある。つぼみもふくらみ、この寒風の中、紅梅の花が咲き始めていた。あまりの寒さに戸惑っているようだったが、花は自分の時に精いっぱい咲く。だから美しく見えるのだろうか

# by minitayori | 2017-01-14 20:27 | Trackback | Comments(0)

サザンカ

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 公園の中にサザンカが寒そうに咲いていた。多くの花は散り始めていたが、この花はけなげにも一生懸命咲いていた。寒風の中、散らずに待っていてくれたような気がして、「ありがとう!」と心でつぶやきながら写真におさめました。

# by minitayori | 2017-01-07 20:44 | Trackback | Comments(0)

「みにたより285」

「みにたより285」
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現役の時、多くの方の見送り、つまりお葬儀をしてきました。元気な時は悲しみつつも、やや遠い世界のことのように思っていたが、最近はすごく身近に感じるようになりました。別れの悲しみが心身に応えるようになりました。最近も、長い間友として語り合ってきた方が召されました。今日も教会事務所から訃報の連絡がありました。教会の働きの中で何度か語り合った方でした。

「いつだってともだち」という絵本の中にあるお話です。
小象のベノはとても仲良しだったフレディがいなくなり、悲しくてどうしようもなくなりました。そこでふくろうのホレイカに相談すると、こう答えてくれたのです。「おまえができることは、三つある。」 「ひとつ、悲しいときには我慢せずに泣くこと。どんなに分厚い雨雲だって、雨を全部降らせてしまえば消えてしまう。泣くというのはそういうことさ。」「ふたつ、悲しい気持ちを誰かに話すこと。おまえが大切に思う人なら、おまえの悲しみを絶対に分かってくれるよ。」「みっつ、心の中に友だちの部屋を作ること。そうすれば、その子とその子の思い出をしまっておけるから、いつだって会いたい時にあえるじゃないか。」
 小象のベノは家に戻ってから、先ず3日と1時間と5分泣きました。悲しい気持ちが少し薄れました。お母さんのところへいってどんなに寂しいかを話しました。お母さんは長い鼻で抱きしめてくれました。なんだかホッとしました。心の中に部屋も作りました。フレディの部屋を作ってさらに心の中を覗くと、もっとたくさんの場所があることが分かり、お母さんやお父さん、ほかの象や知らない動物たちの部屋もつくりました。ベノは嬉しくなりました。それからはいつものように元気なベノに戻ったのです。
「神は私達を耐えられないような試練にあわせることはなさらず」と聖書の言葉は約束しています。「でも・・」と言葉が口をついてきます。誰だって辛いことや悲しいことがあります。誰だって苦しいことや寂しいことがあります。耐えられないと思えるようなことにも、出会うことすらあるのです。
 あなたを愛してくださるイエス様に心の全てを話せたら、心は少し元気を取り戻せます。「耐えられないような試練」に出会うかもしれません。でも心の中に、神様の場所があるときに、私たちが「それに耐えられるように」してくださるのです。神様は真実な方で、いつもあなたと一緒にいてくださるのです。いや、一緒にいたいとおっしゃってくださっているのです。(昔、子供に話したお話より)
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# by minitayori | 2017-01-07 20:38 | Trackback | Comments(0)

キリエ「三賢者の礼拝」

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 星に導かれた三人の学者が、幼児イエス様にささげ物をし、礼拝した。教会ではこの日を顕現・(イエス様が救い主として顕わされた日)の日曜日として守り、多くの教会ではこの日にクリスマスツリーを片付けます。

# by minitayori | 2017-01-07 20:22 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 1月8日 顕現主日 マタイ福音書2章1~12節

1月8日 顕現主日 マタイによる福音書2章1~12節
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2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。:4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
2:7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 2:8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
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 「礼拝に備えて」
 ルカによる福音書とマタイによる福音書とではイエス様の誕生の時の状態が違っている。ルカは天使のお言葉を信じた羊飼いが家畜小屋での幼子に出会い、救い主礼拝をおこなった。マタイによる福音書は、占星術の学者たちが星に導かれて、イエス様のお生まれになった家に入ってユダヤ人の王としての幼子に出会い、黄金・乳香・没薬を捧げた、と記されている。
 ルカはすべての人の救い主イエス様のお姿を示すためにこの福音書を書いたと言われている。彼自身も異邦人であり「私をも救ってくださったイエス様への特別な思いがあった」と考えられ、福音書の中にそれをにじませている。雇われた羊飼い、身分の低いものと考えられていた者を、最初の救い主礼拝(クリスマス)の礼拝者として登場させている。
しかし、マタイによる福音書は、ユダヤ人の王としての約束された救い主の誕生を伝えようとしている。しかし、いずれも天上の栄光の光の中の天使の声、天上に輝く星をその導きに選んでいる。
ベツレヘムではヘロデ王が、「占星術の学者たちの到来」で自分の地位が奪われるのではないかという疑心暗鬼で右往左往していた。天上の天使の光も、空に輝く星も、誰でも「天を仰ぐ心」があれば、神に聞く心があれば、みることも聞くことも知ることもできた「神の御心」がそこにあったのだ。
イエス様は主の祈りの中で、まず最初に「天にましますわれらの父よ!」と天を仰ぐ心をもつようにと教えられた。顕現主日のこの日、もう一度、自分中心の雑事を離れ、謙虚に私たちに示される神様の招きのみ声を聞けるように、素直な、天を見上げる心で神様の前に出たいと思う。
羊飼いも学者も、そしてあなたも、神様の目からは変わりなく「全ての人がわたしの愛する子」なのだから。

# by minitayori | 2017-01-07 20:20 | Trackback | Comments(0)

公園の大人用遊具

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 近くの公園に「大人用遊具」があるのを発見した。最近いろいろな公園でできたことを聞いていたが、こんなに身近にあるとは思わなかった。夕刻の散歩のときにたちより、少し使ってみた。肩の訓練、腰の訓練、段差(階段)の3つの用具がある。夕刻と書いたのは、子供が帰った後、という意味です。そして近くを散歩して帰るのが日課になってきました。健康であり続けたいので・・・。

# by minitayori | 2017-01-07 20:12 | Trackback | Comments(0)

jyuujikanomaeni

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 25日降誕日礼拝の前の教会。聖壇に十字架が輝いて見える。この静かな中で十字架を感謝しつつ見ることこそ礼拝ではないだろうか。「あなたのためにわたしは愛する御子を十字架に付けた。」神様の声が静かに耳に聞こえてきた

# by minitayori | 2016-12-31 17:36 | Trackback | Comments(0)

「みにたより284」

 「みにたより284」
  新年、おめでとうございます。2017年という年をどのように生きようとお思いでしょうか。年頭の決意が豊かに成長し、実り多いものとなるように、心から祈ります。
 ある本の序文に、「神は等しく万人に、24時間と言う時間を与えられた。富める者にも貧しき者にも。しかし、過ぎ去った昨日の24時間は、再び手にすることはできない。明日の24時間はまだ手にできない。今手にしている今日の24時間をいかに有効に使うか。人生はその収支決算報告書である」と書かれていました。
 確かに、万人に等しく24時間が与えられていると言うことは事実です。ブラジルの大統領も日本の首相も、そして、あなたもわたしも同じです。互いの国の時差はあるものの、一日24時間には変わりありません。その24時間をどう過ごすかが問題なのです。
 自分の過去の一年を考えると、何も仕事はないはずなのに、忙しい忙しいと言いながら、あっという間に過ぎ去ってしまった、という反省ばかりしています。そう言えば、「忙しい」と言う字は、「心が亡くなる」と書きます。大切な24時間を過ごすにあたって、いらだったり落ち込んだりして24時間を終わらせたくない、とつくづく思います。
 わたしたちは、忙しい忙しいと言うことが、何か仕事を一生懸命していることのように感じることがないでしょうか。残り少ない年月を思いながら、冒頭の引用の中にある「人生はその収支決算報告書である」と言う言葉を思い出して、ぎくっとさせられてしまいました。
 人生の収支決算報告書は、神に提出します。与えられた24時間と一回限りの人生を、若者も高齢者も自分の満足のためではなく、神に喜ばれ、人に役立つものとして過ごしたいものだと思います。その時、神の国で語られるあなたへの言葉は「忠実な僕よ、よくやった!」という、おほめの言葉となるでしょう。
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# by minitayori | 2016-12-31 17:30 | Trackback | Comments(0)

教会讃美歌49番について

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教会讃美歌四九番について
 お正月の讃美歌として有名な教会讃美歌49番は、熊本教会/小岩教会の牧師として活躍された江口先生の作詞されたものです。その秘話について、自伝の中に記されていたので、紹介させていただきます。

 1973年の末、10年近い歳月をかけたルーテル教会の新しい讃美歌集編纂の仕事も殆んど終りかけていた。全体を見直す段階で新年の歌を入れてはとの話が出た。新年を迎える気持ちは日本人とヨーロッパの人々とは余程異なり、ヨーロッパの讃美歌集には新年の歌は見かけない。新しい日本の讃美歌集だから新年の歌を入れようということになり、私が作詞するようにとのことになった。
 新年の気持ちを素直に詩の形で表現しようと思った。そして一節の「なきものをあるがごとくに呼び給う神」という神への呼びかけが心に浮かんだとき、詩のこころは決まったように思った。「無きものを有るものの如く呼び給う神」(ロマ書4・17)、このアブラハムの信仰を讃えた聖書の個所は常に私の信仰の出発点であり、到達点であった。2節について言えぱ、当時私は五十代の後半で、なほ未解決の問題を多く抱えて生きていた。この2節はその頃の自然な思い、あるいは祈りのようなものであった。
「過ぎ去った日々の悲しみ/さまざまなうれいはすべて/キリストにゆだねまつつて/み恵みがあふれるような/生きかたを今年はしよう」4節まで出来てみると、それは自然と自分の信仰告白になっていた。そんな立派な生き方をしていたとか、しているとか言うのではなく、生きたいと思っているのである。今はその頃より、一層、この詩に近い心で生きているように思う。数年前、自分のために5節を作った。
「この世での仕事を果し/召し給うみ声聞くとき/あわてずに身を整えて/主のみ顔仰げるような/生き方を今年はしよう」

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 私は神学校を卒業したての新米牧師の時、指導牧師として一年お世話になり、牧師としての心得をいろいろ教えていただきました。今でも覚えているお話で、「牧師はね、一年に一足ぐらいははきつぶす覚悟で信徒の方を訪問しなければいけないよ!」と何度もお話ししてくれました。先生は足が不自由だったのだ。5番を作られたことを知らなかったが、今はこの5節をかみしめて生きている。

# by minitayori | 2016-12-31 17:24 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2017年1月1日 マタイ2章13~23節

2017年1月1日 マタイによる福音書2章13~23節
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2:13 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
2:14 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
◆エジプトから帰国する
2:19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
2:20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」 2:21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。:22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、:23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

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「礼拝に備えて」
 新しい年が始まります。昨年は日本のみならず世界の各国で天災、人災、また政情の不安など、様々な出来事がありました。特に日本では地震・台風・豪雨の被害があり、また年末には糸魚川での大火がありました。それぞれ被害に合われた方々に神様からの慰めを祈りたいと思います。
 新しい年の最初の日曜日が元旦と重なりました。これも2012年以来のことになります。通常の元旦礼拝は、「主の命名日」としておぼえられ礼拝が守られます
が、今年は教会の日課として、マタイによる福音書が選ばれている関係でしょうか、マタイから選ばれた「イエス様の逃避行」が選ばれています。
 ユダヤの王の誕生の知らせを聞いた、時の王であったヘロデは自分の地位が危うくなることを恐れて、領地内の2歳以下の子供を殺したとあります。天使の知らせを聞いたマリアとヨセフは、乳飲み子のイエス様を連れてエジプトにのがれて、しばらくの時を過ごします。
 そののがれる途中のことです。ヘロデの兵士が追ってきました。逃れるすべもないヨセフたちは、近くに見つけた洞穴の中に身をひそめます。追手は近づいてきます。その時蜘蛛がその洞窟の入り口に巣を張り巡らしました。兵士たちがやって来て、その洞窟を見つけましたが、蜘蛛の巣が張られていたので、ここにはいないと思って立ち去った、と言う話があります。
 教会学校などで使われる伝説の中の話で、真偽は確かめるすべはありませんが、イエス様の誕生から、十字架の死に至るまでのご生涯、いつも神様が共にいて守っていてくださった、と言う事を伝えたかったのでしょうか。
 イエス様は苦難の道を歩き、十字架の死まで神様の御心に従順であられました。新しい年、私達もどのような困難に出会うかわかりません。しかし、イエス様に習って、神様のお守りの中にあることを覚えて、平安な日々を送りたいと思います。神様は共にいて一番良い道を与えてくださいますから。
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# by minitayori | 2016-12-31 16:55 | Trackback | Comments(0)

冬の空

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 今週に入って東京は抜けるような青空が続いているが、ここ練馬は、ときどき天気が急変して雲がかかる。夕日に照らされた雲は、短時間でその姿を変えて、眺めていても見あきることがない。自然の芸術といっても良いと思う。明日天気なーれ!!

# by minitayori | 2016-12-31 16:37 | Trackback | Comments(0)

18日聖壇の花

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 12月18日、クリスマス主日の聖壇の花。この日にはバラの花が飾られていました。バラの茨はイエス様の頭に被せられた茨の冠。赤いバラは十字架で流されたイエス様の血を象徴していると言われます。十字架で流されたイエス様の血により、あなたの罪は清められ、聖なる主をあなたの心に迎え入れられます。このクリスマスの日に。ハレルヤ!!

# by minitayori | 2016-12-24 21:35 | Trackback | Comments(0)

「みにたより283」

 「みにたより283」 「マイ・ウエイ⇒ゴッド・ウエイ」
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 かつてフランク・シナトラのベストアルバムになった「マイ・ウエイ」の歌詞、「今、船出が近づくこの時に、ふとたたずみ、私は振り返る。遠く旅した若い日を、すべて心の決めたままに……」があります。しかし、歌の歌詞としてはすばらしいが、なかなか現実的ではありません。ほとんどの人の人生は、「決めたままに」、はならないからです。
 イエス様の誕生の次第の中に出てくる、あの乙女マリアに天使が受胎を告知したとき、「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」と不安にかられます。彼女の心にはいろいろなことが交錯したことでしょう。彼女には人生の設計がありました。まもなくヨセフと結婚する、幸せな家庭を作ると言う夢がありました。しかし、その自分の道を外れることが天使によって示されたのです。しかし、マリアは、「お言葉通り、この身になりますように」と答えています。 この時、マリアは人生の分かれ道に立たされ、「マイ・ウエイ」か「ゴッド・ウエイ」か、二つのどちらかに決めなければなりませんでした。そして、マリアは「ゴッド・ウエイ」を選んだのです。「神さまのご計画を引き受け、出きる限り、そのとおりにやります」と意志表示したのでした。
 人は誰でも、人生の途上、度々マリアのような立場に置かれることがあります。自分の考えで好きなようにするか、神がお望みになることをするか、どちらかにしなければなりません。言い換えれば、「マイ・ウエイ」か「神さま(ゴッド)・ウエイ」か。時として、神さまのウエイにはいろいろな苦痛や困難があるかも知れませんが、間違いなく、「神さまのウエイ」は正しく、本当の幸せに導いて下さるのです。クリスマスを覚えるとき、神の招きに答えて、委ねて生きた人々の幸いを学びます。羊飼いや博士たちは、神の道を歩みだし、救い主に出会いました。
 あなたも神の招きを聴きませんか。歩みだしてみませんか。
「われ等が イエスさま 拝めるとは 世界で一番 幸せよ!」(♪♪=「世界で初めのクリスマス」より)心からこの歌が歌えるように。
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# by minitayori | 2016-12-24 21:24 | Trackback | Comments(0)

ゴスペルソング「世界ではじめのクリスマスは」

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      ゴスペル・ソング「世界ではじめのクリスマスは」
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                         友よ歌おう! ゴスペルソング集より

# by minitayori | 2016-12-24 21:19 | Trackback | Comments(0)

12月25日 降誕日礼拝 ヨハネによる福音書1章1~14節

12月25日 降誕日礼拝 ヨハネによる福音書1章1~14節
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1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

 
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 「礼拝に備えて」
 降誕日、何よりも、その目的を考えたい。神の言(御心=ご意志)が肉体を取って人となった日である。それは神様の愛が具体的に示された日でもある。この独り子、神の最も大切なものを、私達の救いのために捧げてくださるためにこの地上に送ってくださった。
 イエス様のご生涯のすべてが、神様の御心を具体的に示されていることを考えながらこの日を迎えたい。「神はその独り子をくださったほどに、この私=あなたを愛してくださった。それは御子を信じる=受け入れる=人が全て救われるためである。」ヨハネ3章16節に凝縮されて示されている。この個所が小福音書と言われるゆえんだ。ある人が、「聖書のすべてが消失しようと、このヨハネの3章16節が残れば神様のみ心は、失われることはない」と言ったぐらい大切な所だ。
 繰り返して暗唱し覚えよう。きっと大きな力になってくれるだろう。あなたは神様に愛されている、それは間違いのない事。安心しなさい、勇気を持ちなさい、神様の愛はいつもあなたと一緒ですから。
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# by minitayori | 2016-12-24 21:06 | Trackback | Comments(0)

菊とッセンリョウ

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 菊とせんりょう、少々奇妙な取り合わせだが、たまたま通りかかった道路の面した花壇に咲いていた。クリスマス、新しい年に向かう時、会社で忘年会。忘れたいこともたくさんあろうが、忘年を望年会に変えて希望を持って明るく生きていきたいですね。

# by minitayori | 2016-12-24 20:44 | Trackback | Comments(0)

11日の聖壇の花「祈り」と名付けた壱枚です

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 先週11日の聖壇の花。三本のろうそくと十字架の前で祈りつつ礼拝の始まりを待つご婦人。このシーン、十字架の前で祈る姿こそ、礼拝だと思った。お花も信徒の奉仕と祈りののしるしです。

# by minitayori | 2016-12-17 18:09 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ282」

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 「ミニタヨリ282」
 いつの頃か、クリスマスのご挨拶を、自作のキリエのカードでお送りするようになった。毎年心に思うマリアさんのお姿、お心を思いつつ作り続けてきた。今年はどんな構図のマリアさんにしようかと考え続けた。もう最後の作品になるかもしれないと思ったので、マリアさんだけではなく、幼子を見つめるヨセフさんを加えたいと下書きを始めた。
 ヨセフさんもマリアさんと共に、この幼子がどのような運命をたどるかを知っておられたはずだから。しかし、お二人を入れると大作になり、この小さなアパートでは作業をする所がなかなか作れないので、もう一年命をいただいたら、来る年一年かけて完成できるようにしようと思った。
 何枚か失敗した。私はまず、イエス様・マリアさんの目から切り始める。しかし、ほんの一ミリの曲がりや太さの違いで気に入らなくなり、破り捨てる。そんなことを繰り返しているうちに一カ月かかってしまった。自分の体力と細かい所を見続ける集中力が出てこない。まさにキリエ「主よ憐れんで下さい。」と祈りつつこの一カ月を過ごした。
 聖母マリアの優しい眼差しは、神様が如何なる時にも、共にいて支えてくださるという思いの中から生まれたものであると思う。私達も、同じように神様に見守られ、委ねて過ごす日々でありたいと思う。人生挫折もあれば、乗り越えることができないような苦難に合う事もある。しかし、どのような時にも神様のまなざしに見守られていることを覚えて、安らかでありたいと改めて願いつつクリスマスを迎えたいと思った。
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# by minitayori | 2016-12-17 18:00 | Trackback | Comments(0)

キリエ聖母マリア

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 2016年のキリエの作品です。久しぶりに作りましたが、目の衰え、切り方などなど十分ではありませんが今の自分の精いっぱいの作品です。マリアさんの複雑な思い、幼子イエス様の平安に満ちた寝顔を精いっぱい表現したいと思いました。

# by minitayori | 2016-12-17 17:48 | Trackback | Comments(0)

12月18日 待降節第4主日 ルカ福音書1章46-55節

12月18日 待降節第4主日 ルカによる福音書1章46-55節
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◆マリアの賛歌
1:46 そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、

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礼拝に備えて」
 マリアの賛歌と言われる個所が日課に選ばれている。聖母マリアについて歌った歌は沢山ある。私はどれも好きだが、グノーの「アベ・マリア」が一番好きだ。私の尊敬する世界的に活躍さていたオペラ歌手の方が、不思議なご縁で、私が居た東京の教会の近くに帰国されて住まわれ、日本での活動を始められた。
 多忙の中、毎年一回教会でチャリティーコンサートを開催してくださった。長野に行っても熊本に行っても、それぞれの教会に来てくださった。コンサートの最後には必ず「アベ・マリア」を歌ってくださった。いつも思わされたのだが、心を込めて歌われる方が、マリア様そのものに見えてくるのだ。いつも不思議に思って見ていた。
 アベ・マリアは「マリア・恵まれた女よ」と言う意味だが、乙女で身ごもり、離婚されそうになり、世間の厳しい目にさらされながら、神のお心だからと受け止めた。その幼子はやがて神様の御心である、全ての人の罪を背負われて十字架に死なれた。これからの道のりを考えると、恵まれた人生どころか、苦悩と悲しみの人生が待っていたはずである。しかし、同じ神様の恵みの中にいるエリサベトに出会った時、マリアは 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。」というのである。
 私たちみんなも、この神様の御心の中にあるのです。マリアの賛歌を私達はいつも歌えるようにしていたいものです。神様はあなたと今も一緒にいてくださいますから。
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# by minitayori | 2016-12-17 17:37 | Trackback | Comments(0)

鉄砲ユリの種

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 アパートの花壇に咲いていた鉄砲ユリの花が落ちて、次の世代にに続く種を大切に育ててきた。寒さ暑さ、寒風にも負けずに、大切に守ってきた種が、太陽の光に安心したように落下し始めた。地面は寒さに霜柱が立っていた。その中にもぐりこんだか、種は見えなかったが、自然の力と知恵を教えられた。

# by minitayori | 2016-12-17 17:20 | Trackback | Comments(0)

先週の池袋教会の聖壇の花(グロリオーサ)ほか

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 4日の池袋教会の聖壇の花。グロリオーサという花を中心に献花されていました。毎週変わった花が用いられ、礼拝を支えています。奉仕者の祈りとともに。

# by minitayori | 2016-12-10 20:50 | Trackback | Comments(0)

「みにたより281」 プレゼント

 「みにたより281」
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 熊本のある幼稚園でのお話です。40名ほどの園児と保護者とが集まっていました。園長先生がご挨拶をし、お祈りしてクリスマス礼拝が始まりました。今日は熊本教会の牧師先生のお話です、と紹介されて園児たちの前に立ちました。
 クリスマスって何の日?とまず質問をしました。最前列に座っていた男の子が、元気に「はい、クリスマス・プレゼントを貰う日!」と答えました。キリスト教の教えにもとづいて保育を行っているところですから、あちこちで「違うよ、イエス様のお生まれになった日だよ」と訂正の発言がありました。その男の子はしまったと思ったのか、みんなに非難されたような形になりバツが悪そうに、頭をかいていました。
「みんな、正しいよね」と、話を始めました。「イエス様のお誕生日だね。みんなの誕生日の時は、お家ではどうする?」子供たちは元気に、「ケーキを食べる」とか「プレゼントをもらう」と、口々に言いだしました。「そうだね、誕生日にはプレゼントを貰うよね。誰が貰うの?」「誕生日の人!」「誕生日は、誕生を祝ってもらう人がプレゼントを貰うんだよね。僕の誕生日に、プレゼントをお兄ちゃんだけが貰ったら怒っちゃうよね。では、クリスマスには誰がプレゼントを貰うの?クリスマスがイエス様の誕生日なら、僕たちがプレゼントをもらって、イエス様が何も貰わないのはおかしくない?」子供たちはシーンとしてしまいました。
 ここからは保護者の人々にも語りかけたお話になります。
僕たちは、神様がお父さんやお母さんに預けてくださった、大切な子なんだよね。お父さんやお母さんにとっては、マリヤさんに抱かれているイエス様と同じように、大切な子なんだよ。神様はイエス様に、神様を大切にし、人を大切にし、愛するようにという、大切なお仕事を与えてくださいました。
みんなにも、大切なお仕事を与えてくださっているんだよ。神様を愛し、人を愛し、お父さんやお母さんを大切にするように、お友達と仲良くするように、困っている人がいたら助けてあげるように、良い心をもつようになってほしいんだよね。クリスマスにプレゼントをもらっても間違いではないよね。でも、僕たちが、イエス様のように優しい子になることが、イエス様へのプレゼントになるんだよ。
保育園での子供へのお話でした。
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                  最初のプレゼント!’博士たちのプレゼント」

# by minitayori | 2016-12-10 20:41 | Trackback | Comments(0)

サザンカ

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 きれいな白いサザンカでした。「サザンカ・サザンカ咲いた道。落ち葉だ落ち葉だき。あたろうかあたろうよ、しもやきおててがもうかゆい。」童謡の「たき火」の二番がサザンカの歌。若い時の歌は覚えているのですね。

# by minitayori | 2016-12-10 20:34 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月11日 待降節第3主日 マタイによる福音書1章18-23節

12月11日 待降節第3主日 マタイによる福音書1章18-23節
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◆イエス・キリストの誕生
1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

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「礼拝に備えて」
 イエス様の名前のインマヌエルは、へブル語で「インマ」+「ヌエル」=「神様が」「今私達と共にいます。」と言う意味です。それは聖書全体に流れる神様の私たち人間への愛のお心です。
 長い歴史を経て、神様はイエス様を地上におくられ、人間の犯した罪を清め、再び神の国に迎えるために十字架にかけてくださいました。新しい神の国に神と共に住めるように。

ヨハネ黙示録 21:3、4
そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」   

 聖書の最初と最後は「神が共にいる」と言う言葉で、神様はそのお気持ちを示されているのです。どんな時にも、神様はあなたと一緒にいてくださる。{その独り子をくださるほどに、あなたを愛していてくださるから}
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# by minitayori | 2016-12-10 18:34 | Trackback | Comments(0)

教会玄関に飾られた立派なポインセチア

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 今年も教会の玄関に立派なポインセチアが飾られていた。赤いポインセチアには、花言葉として「祝福する」などがあります。赤はイエスさまが十字架で流した血の色。形はダビデの星の形をあらわし、救い主誕生の象徴とも言われる。

# by minitayori | 2016-12-10 18:28 | Trackback | Comments(0)