4月1日キヨセタヨリ

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引退後はじめて100号になりました。

# by minitayori | 2010-04-01 21:10 | Trackback | Comments(0)

隣の病院の敷地の桜の花が満開

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ここも桜の名所、長期療養の人々を慰めるために植えたのでしょう。

# by minitayori | 2010-04-01 21:07 | Trackback | Comments(0)

清瀬は自然の豊かなところ。桜満開

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ホスピス病棟の一角に咲いていた花

# by minitayori | 2010-04-01 21:03 | Trackback | Comments(0)

小さな草花にも勇気をもらいます


ケアハウスの敷地内にはホスピスがある。時々礼拝にでるが、病室の周りには美しい花が咲いている。皆さんの愛の花。

# by minitayori | 2010-04-01 20:59 | Trackback | Comments(0)

次週は受難主日、池袋で説教します。



  2010・3月28日(日) 枝の主日:ルカによる福音書19:28-48 
135そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。 36イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。 37イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。 38「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」 41エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、 
 

メッセージ :主の歩まれた道
    神よ、わたしに、
慰められることよりも、慰めることを、
理解されることよりも、理解することを、
愛されることよりも、愛することを望ませてください。
わたしたちは、
自分を与えることによって、与えられ、
すすんでゆるすことによって、ゆるされ、
人のために死ぬことによって、永遠に生きることができるからです。
        (聖フランシスの平和への祈りー後半)


 主の歩まれた道、それは悲しみの道(ドロロッサ)。
弟子たち、群集たちはイエス様を褒め称えて歌う。しかしその同じ口が、まもなく、イエス様を十字架につけよ!と叫ぶ。そして弟子たちの口は、私はあの方を知らない!と裏切り、否定する。イエス様はそのすべてをご存知だった。これほどの孤独があろうか。
 それでもイエス様はご自分の道を歩む。鞭打たれ、茨の冠をかぶせられ、紫の衣を着せられて、人々に裏切られ、嘲笑されても、イエス様はご自分のために備えられた道を歩む。その道には王のために引かれる赤い絨毯はなかった。民衆の汗と垢にまみれた衣がしかれていた。人々の悲しみの真っ只中をイエス様は歩かれる。そしてエルサレム、神様の選ばれた所を眺めて「泣かれた!」。その涙は、エルサレムのためだけではなく、あなたのための涙だ。イエス様はあなたの悲しみの真っ只中の道を歩まれる。そしてあなたのために泣かれる。これがイエス様の愛。神様のあなたへの愛。イエス様の歩まれた道。
 
 *次の日曜日、池袋教会で説教をします。

池袋教会アドレス:
http://www.jelc-ikebukuro.org/

# by minitayori | 2010-03-25 19:35 | Trackback | Comments(0)

雨にぬれた紅梅

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冷たい春雨にぬれた紅梅。雨にあらわれて透き通るようなきれいな色になっていました

# by minitayori | 2010-03-25 19:30 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ、み言を考えるために

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君子蘭の友は、1号からずーと大切に持っていてくれた。2000階を目指しているが、
その感性を見守っていてほしい。

# by minitayori | 2010-03-25 19:24 | Trackback | Comments(0)

君子蘭、私の生涯の友の残してくれた花

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この花は、私が牧師になった時以来の親友? 姉でありお母さんのような親友だった。長野に転勤した時大事に持ってきてくれた。私の車でではあったが。
それから飯田の雪の中、熊本の暑さの中で耐え抜き、ここ東京に帰ってきて花開いた。
親株は元の実家に帰っている。

# by minitayori | 2010-03-25 19:14 | Trackback | Comments(0)

裏庭のシャガの花

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食堂の裏の庭に咲いていたシャガの花。目立たない花、葉に隠れるようにして咲いていた。
雨にぬれて、春というのに寒そうだった。

# by minitayori | 2010-03-25 19:05 | Trackback | Comments(0)

次週の聖書からの短い説教です

e0191585_21131994.jpg3月21 日(日)
「つばき」

木は自分で
動きまわることができない
神様に与えられたその場所で
精一杯枝を張り
許された高さまで
一生懸命伸びようとしている
そんな木を
私は友達のように思っている
       星野富弘さんの詩集より


 聖書: ルカによる福音書20:9-19
10収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。 13そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』14農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』 
15そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。

み言より一言 「人生の決算期」

 私たちは神様からの預かり物。一つとして自分で得たものはない。体も命もそうだ。
神様が心を込めて造って下さり、神様の愛のご配慮の中で生きるようにと日々支えていてくださる。しかし、その人生には限りがある。預かったすべてを神様の前に差し出し、お返ししなければならない時が来る。人生の決算期が来る。そのとき神様は私たちにどう生きてきたかを問われる。それは恐ろしいことだ。人は知らなくても自分は知っている自分の汚さがある。またその自分も知らない心の汚さを神様はすべてをご存知である。
とても神様の前に出られる自分ではない。どうしようかと、逃げ場のない恐ろしさを感じる。しかし、聖書をみるとこの主人《どうしようか》と惑い悩んでおられる。ここに神様の愛のお心が示される。このことを忘れてはいけない。
 そして結局愛する息子(イエス様)を送る。
 そのイエス様は、人間のどうしようもない、おろかさと、罪の深さを全部担って十字架に係り、清算をしてくださった。私たちはイエス様が清算して下さったしるしの十字架を身に受けて、おろかさのまま、罪深さのまま神様の前に立とう。イエス様と共にたつあなたを、神様は「私の愛する子」と呼んでくださるでしょう。

# by minitayori | 2010-03-18 21:15 | Trackback | Comments(0)

紅梅がイエス様の血のように見えました

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イエス様の十字架の血はあなたの罪を許すための愛の血潮です。感謝!

# by minitayori | 2010-03-18 21:08 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ、礼拝に備えて

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今は、イエス様の受難を覚える受難節を過ごしています。神様に向かい合う準備はできていますか。神さまは
イエス様の十字架という備えを準備してくださいました。あなたの心に受け止めてください。

# by minitayori | 2010-03-18 21:03 | Trackback | Comments(0)

木蓮も咲き始めました

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白い木蓮は礼拝堂の横に、ここは聖なる場所ですよ、というように咲いていました、
赤い木蓮は、近くの社会事業大学のキャアンパスの中に、若い学生の情熱を示すように咲いていました。

# by minitayori | 2010-03-18 20:57 | Trackback | Comments(0)

こぶしの真っ白な花が青空にきれいに浮かんでいた

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こぶしの木は向かいのマンションの敷地にあります。真っ青な空に雪のようでした。

# by minitayori | 2010-03-18 20:50 | Trackback | Comments(0)

クロッカス

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ケアハウスには4色のクロッカスが咲いていました。黄色と白と紫とそしてこの縞模様。
小さな花ですが、たくさんの花をつけた梅の木の下で、静かに咲く花は、また特別の美しさです。

# by minitayori | 2010-03-18 20:38 | Trackback | Comments(0)

次週の日曜日の日課、礼拝準備として

e0191585_13451076.jpg010・3・14 聖書 : ルカによる福音書15:1-32
3そこで、イエスは次のたとえを話された。 
4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 
5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 
6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 

聖書より一言:失われたものを捜し求める神
生きる
神さまの大きな御手の中で
かたつむりは かたつむりらしく歩み
蛍草は蛍草らしく咲き
雨蛙は雨蛙らしく鳴き
神さまの大きな御手の中で
私は私らしく生きる。
水野源三さんの詩集より

 百匹の羊を持っていた人が、たった一匹の子羊を見つけるまで探し続ける。その光景は美しい、いろいろな人がこの光景を絵画にしている。私も何枚ものキリエを作った。いつも羊を見つけた羊飼いがどんなお顔をしているだろうかと想像しながら製作してゆく。
イエス様のお顔に喜びがあふれる様にと願いながら製作する。
 羊飼いに抱かれて、羊はどんな顔をしているだろうかをも考える。
夕暮れに一匹の子羊を捜し求めることは容易ではない。夜の野原で何が起こるかわからない。そのような自分の身の危険も考えずに子羊を捜し求める羊飼い。探されているのはほかでもない「わたし」「あなた」なのです。羊飼いはイエス様。神の子でありながら僕の形をとり、どこまでも探し続けてくださる。その愛の報いは、苦難と十字架。それでもイエス様の愛は変わらなかった。十字架の上で、苦しみの中で祈られた。「父よ、彼らを赦したまえ。彼らは何をしているのか知らないでいるからです」と。失われたものを捜し求める神は、あなたを捜し求めているのです。イエス様の差し出されるみ手に、その身をゆだねてみませんか。生きようよ、神様の大きな愛のみ手の中で!

# by minitayori | 2010-03-12 13:45 | Trackback | Comments(0)

友が持ってきてくれた椿(ピンク)

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ピンクの椿は友人3人で持ってきてくれたおみやげ。今は一番みんなが見えるエレベーターの前に飾ってある。仲間が必要かと思い白い椿を探して歩いた。風に吹かれた花粉がとうとう私の花にも入ってきた。今日は朝からくしゃみと鼻水との格闘です。きれいなお花の説明に、すみません。

# by minitayori | 2010-03-12 13:36 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ、忘れないうちに

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教会にいらっしゃいませんか。神様のお話が語られています。あなたを愛してくださる神様の愛のお声が聞こえますよ。
池袋教会のアドレスです。
http://www.jelc-ikebukuro.org/

# by minitayori | 2010-03-12 13:31 | Trackback | Comments(0)

鶯が来ていました。

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森の中で桜の花を写していたら、どこかの方が鶯が来ているよと教えてくれた。目の悪いわたしには緑の葉に同化してなかなかみにくい。やっと見つけて写せました。かわいいですね。

# by minitayori | 2010-03-12 13:19 | Trackback | Comments(0)

桜が咲き始めました

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森の中の一角に桜の花が咲き始めた。森の中の木漏れ日とともに写してみました。

# by minitayori | 2010-03-12 13:13 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ うっかりしていました

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一番大切な「キヨセタヨリ」を載せるのを忘れていました。うっかりしたのか健忘症なのかこういうことが増えてきますね。優しく受け入れてこういう自分を笑って認めることにしています。失礼しました。

# by minitayori | 2010-03-10 20:15 | Trackback | Comments(0)

日曜日の礼拝に備えて

3月7日(日) 四旬節第3主日:ルカによる福音書13:1-9 
6そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。 7そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』 8園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。 9そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

み言より一言 双方向の愛

待つこと、耐えること。
花のつぼみ・・、みんな知っている。
みんな 明るいほうを、向いている。
星野富広さんの詩集より

 聖書の神が求める人との関係は、ただ人が神を愛し、信じるというのではなく、まず神が人を愛し、信じてくださる関係で結ばれています。しかし、聖書にはこの神様のお心を無視し、裏切る人間の愚考が記されている。聖書には繰り返し人に裏切られた神の嘆きの声が記されている。しかし、神さまは忍耐して人が悔い改めるのを待っておられる。
 日曜の日課である聖書の譬えは、実のならないいちじくの木が切り倒されて終わってはいない。園丁がもう1年猶予をもらうところで終わっている。待ってくださいと頼んでくださっているのはイエス様。守られているのはわたしたちなのである。
 聖書はこの一年後のことについてはしるしていない。ただひたすらこのぶどうの木を守ろうとする園丁の心だけが強調され、園丁の一生かけた願いの激しさに胸を打たれます。
守ろうとされているのはあなたです! あなたが神様の喜ばれる実を結ぶことができるように、今も園丁は主人の前に立っていてくださる。あなたはイエス様に、神様に愛されているのです。

# by minitayori | 2010-03-04 20:39 | Trackback | Comments(0)

食事の時間のお友達

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朝食の時間に必ず来ます。どちらが見られているかわかりませんが、もくもくと食事をしている人々の顔に笑顔が浮かびます。幸福を呼ぶ鳥でしょうか。

# by minitayori | 2010-03-04 20:33 | Trackback | Comments(0)

春の花、クロッカス

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クロッカス、ケアハウスの片隅で見つけました。クロッカスはアルプスの漁師の息子クロッカスが、おおかみにさらわれ、悲しみの涙が地に落ち、咲いた花といわれています。
昼咲いて、夜になると傘を閉じるように花を閉じてしまいます。 

# by minitayori | 2010-03-04 20:28 | Trackback | Comments(0)

一昨年の今頃、熊本への旅の途中で見た富士

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熊本在住6年の間に、何度も飛行機で往復しましたが、天候に阻まれたり、座席が反対だったりしてなかなかお目にかかることができませんでした。最後のフライトで神様は素晴らしいプレゼントをくださいました。乗務員の方も良い方できれいな写真を撮ってくださいねと、笑顔で許可。

# by minitayori | 2010-03-04 20:20 | Trackback | Comments(0)

玄関前の桃の花

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春よ来い 早く来い!このつぼみを毎朝眺めながら、春ももう少しだね、と話し合っています

# by minitayori | 2010-03-04 20:13 | Trackback | Comments(0)

次週にお日曜日の日課に思いをはせてみました

2010・2月28日(日) 四旬節第2主日:ルカによる福音書18:31-43 

18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。 
32人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。 
33彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」 
34十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。

とうもろこし
軒下にさげられた とうもろこしのひとつぶにも
芽生える命をひめている

私の中にも 私の思いを超えて 生きている命がある
命の中に命がある。
       星野富弘詩集より

 イエス様のご受難を覚える日々が続いている。イエス様はそのことを何度も弟子たちに話し、こころぞなえをするようにと教えられた。しかし、弟子たちはイエス様のお言葉の真意を理解せずに自分たちの希望が答えられることのみを考えた。
 イエス様はご自分の十字架の死の予言と同時に、大切は復活を述べておられる。イエス様が十字架にかかってくださることによって、私たちの罪が赦され、新しい命が始まることを弟子たちが悲しみを超えて覚えて欲しいこととして伝えられたのだ。
 イエス様のよる新しい命は、弟子たちの思いを越える命だった。彼らが作るものでも得るものでもなく、神が与えたもう恵みの命だったからである。十字架の死という現実の出来事は弟子たちに希望を失わせる出来事だったろう。しかし、その中に、実は弟子たちの思いを超えた新しい命が与えられていたのだ。
 今は散歩しても美しい花に出会うことが少なくなった。しかし、その分、葉っぱのしたから出ている小さな花や、道端の小さな花に眼が行く。こんなところに新しい命がまた始まっている。枯れ木ばかりの死の世界のような雑木林が、命をいっぱい抱え込んだ神の国に見える。そう思いながら散歩をしている。

# by minitayori | 2010-02-25 22:36 | Trackback | Comments(0)

道端に咲いた小さな花、落ち葉の中から顔を出した花

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近くの図書館に行く途中、カメラを持って行きました。なかなか花が見つかりませんでしたが、ふと足元をみると、小さな花が咲いていました。名前も知らない花ですが、花はそれを卑下することもなく一生懸命咲いていました。それがこの花に与えられた使命なんだなーと思いながら見ていました。

# by minitayori | 2010-02-25 22:24 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ2月25日 日曜の準備のために

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日曜日に定められている日課です。全国のルーテル教会でこの場所から語られることを覚えつつ、祈りつつ、自分の思いをつずりました。

# by minitayori | 2010-02-25 22:17 | Trackback | Comments(0)

ケアハウスの庭の梅が美しい。

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雪にも負けなかったケアハウスの梅の花。見ていて元気を与えられる。
写真を撮っていたら、梅の木の下にふきのとうが、僕も応援しているよというように顔を出していました。

# by minitayori | 2010-02-25 22:04 | Trackback | Comments(0)