プリンセス・オブ・ウェールズ

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故ダイアナ元妃の10年以上にわたる英国肺病基金に対する活動を覚えてつけられた名前だそうです。

# by minitayori | 2010-05-27 21:54 | Trackback | Comments(0)

見事なクレマチス

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近くの友人が持ってきてくれたクレマチス(テッセン)。この見事な紫の色が好きだ。しかしこの見事な紫は、私のカメラでは表現できませんでした。でも見ていただきたいと思い載せました。食堂に置き、皆さんに楽しんでもらいました。

# by minitayori | 2010-05-27 21:42 | Trackback | Comments(0)

ジャコウの花

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ジャコウの鉢植えが庭にありました。名前からすると良い香りがするのでしょうね。まだ満開とはいえないので、あまり香りはありませんでした。高価な香料と言うイメージの名前です。マグダラのマリアさんがイエス様に振りかけた香油も、ずいぶん高価な香油だったと聖書の書いてあります。

# by minitayori | 2010-05-20 21:43 | Trackback | Comments(0)

日曜日の聖書から一言

2010・5月23日(日)聖霊降誕祭 聖書 : 使徒言行録2:1-21
2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
 

み言より一言 「神のみ言を聴こう」
      
 最近、池袋のある中華料理のお店に入ったら、同じ顔をしてるが周りがみんな外国人で、自分がどこにいるのかわからないという妙な経験をした。アジアを旅した時も同じ経験をした。
 創世記には、かつて人間は一つの言葉であったが、人間がバベルの塔を作って、天に至ることを望み始めたのを見て、神様が言葉を乱した。人間の高ぶりをいさめるためであったという。なかなか面白い説明だなーと読むたびに、旧約聖書を書いた人の知恵に感心したものである。
 しかし、イエス様によって新しい世界が始まるとき、そのまったく逆のことが起こった。神様のみ心を伝え、それを聞く、一つの言葉が生まれた。それが何語であったのかはわからないが、そこにいた人々が、みな等しく「わたしたちのことばで神の偉大な業が分かった」ことを驚いている。大切なことは神様の偉大な業、言葉が分かった、ということです。
 昔、一人の女性が教会の礼拝に来た。飯田にいた時のことだった。中国系カナダ人で日本語は全くわからない。毎週欠かさず礼拝に来る彼女のために何かしてあげたいと思った。式文、讃美歌をローマ字で書きわたした。説教を翻訳ソフトを買ってきて訳して渡した。でも、説教の翻訳は無理だった。彼女はていちょうに断り、この教会に迎えていただき、讃美歌を聞き、聖餐にあずかれるだけで結構です。先生の顔を見て、神様の何を話しているかを想像できます。神様のみ言、それはイエス様そのものです。 
 彼女は言葉の通じない牧師と出会い、言葉の通じない教会に来た、しかしイエス様に出会い、イエス様から直接、神様のみ心を聞いていたのですね。あなたにもイエス様は語っておられます。心の耳を澄まして聴いてください。神様の愛のお心を!

# by minitayori | 2010-05-20 21:34 | Trackback | Comments(0)

部屋の前にみかんの花が咲いていました

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私たちの部屋は2階にありますが、ベランダのすぐ前に夏みかんの木があり、花が咲いていました。
昨年、取ってみましたが、日陰のせいか、とてもすっぱくて食べることができませんでした。

# by minitayori | 2010-05-20 21:17 | Trackback | Comments(0)

珍しい花が咲いていました

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敷地内に教会があるが、その庭には色々な花が咲いている。木蓮やバラ、にら花、すずらんなどなど。季節の花で珍しい花があると言うので見に行きました。教えてくれた方は「ビンを洗う棒の先にたわしのついたようなの」と教えてくれた。今日花が咲いたので良く見ると、なかなか的確な説明をしてくれたと思った。花の名前は「ブラーシュ」と教えてくれた人がいるが?全部咲くと真っ赤になるそうです。

# by minitayori | 2010-05-20 21:09 | Trackback | Comments(1)

娘がプレゼントしてくれたバラ

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この花の名前は、「マグダラのマリア」と言う。咲き終わった花の真ん中に真っ赤な色の丸い点が見える。それをマグダラのマリアの涙にたとえてこの名前がつけられたそうです。

# by minitayori | 2010-05-13 21:19 | Trackback | Comments(0)

日曜日の聖書より一言

ルカ24章44~  使徒1:1~11  
24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。
24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。
24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、24:53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

聖書より一言
 イエス様は復活ののち、40日の間、弟子たちを教え励まされて、天に昇られた。そして、この10日後に約束された通りに、聖霊を送り、弟子たちを弱い、逃げ隠れているものから、死をも恐れない弟子へと成長させ、世界に神様の福音をつたえる使徒とされた。
 この10日間のことを考えると、弟子たちがどんなに心細く過ごしていたかが想像できる。イエス様が捕まると、逃げだし。復活の知らせを受けても、信じられず。信仰を捨てたかのように元の生活に戻ろうとした弟子たち。この弟子たちに復活の主は出会い、再び、集め、訓練した。しかし、またいなくなってしまった。しかも、彼らはエルサレムに帰り、神をほめたたえていた、と記される。エルサレムは弟子たちにとっては怖いところ、イエス様を裏切った恥多き所であったはず。弱さをかみしめながら、イエス様の約束を信じ続けた。いや弱さの中にいたからこそ、イエス様の力が彼らのうちに働くことができた。暗闇の中の小さな光でも大きな喜びとなるように。弱さを悲しむことはない。罪深さを嘆くことはない。すべてをゆるし、受け止めてくださり、すべてを生かしてくださるイエス様が、その場で待て!とおっしゃってくださる。

# by minitayori | 2010-05-13 21:14 | Trackback | Comments(0)

敬愛する友人のプレゼント

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先日訪問してくださった、友人のご夫妻。ご自分たちも病を持ちつつ、私たちを慰めに来てくれた。この花のように美しい心、温かい心で励ましてくれた。感謝の花です。私には!

# by minitayori | 2010-05-13 21:11 | Trackback | Comments(0)

召された方が置いていった鉢植えの花、

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数年前に亡くなった方がおいていった花。何度聞いても名前が覚えられないが、「私のいるところ」
を示すように、天に向かって咲いていた。希望の花か、喜びの花か。

# by minitayori | 2010-05-13 21:02 | Trackback | Comments(0)

つるバラ

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花びらが一重のバラ。つるバラで竹の門の両側にあるが。左の木は枯れてしまった。思い出のバラ。このバラを見つめながら、どんな思いですごしていたのでしょうか。雨のしずくが涙に見えました。

# by minitayori | 2010-05-13 20:57 | Trackback | Comments(0)

5月9日 母の日

2010・5月9日(日)聖書 : ヨハネによる福音書14:23-29
14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

聖書から一言: キリストの平和
 すべての人間が求めている、と言われる「平和」。しかし、その平和を作りだそうとする人々が争いをしている。そういう例をわたしたちは見ている。どうして、平和を求めながら、なお戦争が繰り返されるのだろうか。それは広い世界というだけでなく、わたしたちの家庭、また友人関係の中でもいえる。
 聖書はそれを、人間の罪の結果であるという。罪のあるところには愛がない。愛のないところには、ゆるしがない。ゆるしのないところには、平和はない。
 イエス様は愛することを教えた時、「わたしがあなた方を愛したように」と愛の行いに手本を示された。人の愛は、自己中心の愛。そこには神様のいる場所がない。しかし、イエス様の愛には、神様がともにおられる。背き続ける人間をどこまでも愛し、ゆるして探し求められる愛。その愛を一身に背負い、実現されたイエス様は、神様と一つであるが故の平安を持たれた。十字架の上で、人々をゆるして、すべてをみ手にゆだねます、と祈られたイエス様。このゆるしの愛を持つためにも、いつもイエス様と一緒に歩みたい。
 次週は母の日。母と言う字は上下左右どこから見ても同じと言われる。大家族に対して分け隔てなく愛してくれた母を改めて懐かしく思う。

# by minitayori | 2010-05-06 21:17 | Trackback | Comments(0)

巨木の間に突然白いじゅうたんが広がっていた

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園の奥の巨木の間に、ここでなくなられた人々をしのぶ墓苑があった。その前に木漏れ日を浴びた真っ白な花が群生していた。花はにらの花。神様が今までの労苦を優しく受け止めていて下さるように感じた。

# by minitayori | 2010-05-06 21:09 | Trackback | Comments(0)

全生園の藤の花

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全生園の教会通りにある藤の花。この後ろには小学校があったそうだが今は取り壊されている。子供たちまで隔離されていた無情さに、写真を撮る手がなえた。幸せを願ってここの人々が一本一本木を植えていったそうです。

# by minitayori | 2010-05-06 21:03 | Trackback | Comments(0)

ケアハウスの玄関の花

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この花は「木香花」=「モッコーバラ」と言う名前。写真を写していたら、車椅子の方(90歳くらい)の方が、この花は秋篠宮妃の家紋ですよ、と教えてくださった。

# by minitayori | 2010-05-06 20:53 | Trackback | Comments(0)

ホスピスのハナミズキ




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このハナミズキの花が、どんなに多くの人の心に慰めと力を与えたことだろう。花はなにも気がつかずに、ただ一生懸命咲くだけ。

# by minitayori | 2010-04-29 20:48 | Trackback | Comments(0)

5月2日 日曜日の聖書と備え

    2010・5月2日(日)復活後第4主日 ヨハネによる福音書13:31-35
34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを
愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 
35互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」


       み言より 一言 「わたしが愛したように」
    
       マザーテレサの語録より
    日本には、神に飢えた人がたくさんいます。
 生活に祈りを持つようにしてください。
 祈れば、心が澄み、心が澄めば、神が見えてきます。
 神が見えれば神の愛が働いて、ことばでなく行動で愛をあらわしたくなります。
 祈りは、愛を深くし、愛が奉仕を生みます。
 日本の人も祈って下さい。
 生活に祈りを持てば、貧しい人びとを知るようになります。
 貧しい人を知れば、彼らを愛するようになり、助け、愛と平和の喜びをあたえます。

 愛を実践した人、マザーテレサ。キリストの弟子として「わたしがあなた方を愛したように互いに愛し合いなさい。」と教えられたイエス様の教えを実践した人です。愛の業は特別な業ではありません。神様が愛されるものを愛することです。 
 昔ザビエルが、聖書の愛という言葉(アガペー)を人々に伝えようとしたがどうしても愛という言葉では伝わらなくて、悩み、神様はあなた方を愛しておられる、というのを。「神様はあなた方をご大切にしてくださる」と訳してやっと分かってもらったという話を聞いたことがある。愛するということは相手を思い、祈り、大切にすること。そこには行動が伴います。まずは、神様との間に立っての取りなしの祈りから始めましょう。隣人、友人、家族がどんなに大切かを、神様に取りなすのです。そして生まれてくる業が本当の愛の奉仕になるのです。
 イエス様はあなたを大切に思っておられます。今も、これからもずーっと。そのためにご自分を犠牲にしてまで、神様にあなたが大切だととりなしてくださったのです。あなたは神様の大切な宝物です。忘れないように。

# by minitayori | 2010-04-29 20:43 | Trackback | Comments(0)

ハナミズキは紅白の花だった

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ホスピス病院、真実の健康を神様に祈りつつ過ごすところ。イエス様にある希望の日々か。

# by minitayori | 2010-04-29 20:32 | Trackback | Comments(0)

病院の庭にあるハナミズキ

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病院中庭にあるハナミズキの大木。
私の知人もこの花を見つめながら日々を過ごしたのだろうか。

# by minitayori | 2010-04-29 20:25 | Trackback | Comments(0)

4月25日の聖書

   2010・4月25日(日)復活後第3主日 ヨハネによる福音書10:22-30 
 26しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。 
27わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 28わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。

                 e0191585_21484140.jpg聖書より一言
 背中
自分の顔が いつも見えていたら 悪いことなんか できないだろう
自分の背中が いつも見えていたら 柁しくて涙が出て しまうだろう
あなたは私の顔を いつも見ている 私の背中を いつも見ている
                星野富広さんの詩集より

 羊という言葉を聴くと従順なやさしい動物を考えるが、どうも違うようだ。自分では何もできないくせにわがままで、自分勝手。扱いにくい動物であると聞いた。しかし、このような動物を神はイスラエル、いや私たちと考えて、「私はよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」とおっしゃってくださった。事実、神様は御子をこの世におつかわしになり、十字架にかけてくださった。私たちを罪の中から救い出してくれるためだった。
 この話をすると私はいつも亡き母を思い出す。小学校のころ私はいたずらっ子だった。愛情不足でいつもいらいらしていたのかもしれない。というのは、7人兄弟で私は真ん中、すぐ下の弟が生まれてすぐ大病で耳が不自由になった。両親の愛はこの障害を持った弟に注がれた。私は両親の悲しみを理解せず、弟だけに心を注ぐ両親の心を自分のほうに向けたかった。いたずらしたり、乱暴したり、その結果、父にしかられ、時には押入れの中に放り込まれた。暗がりの中で泣き叫ぶ私のために、母と姉が父に謝りとりなしてくれた。そのときだけ母が私の母になってくれたように思った。今、聖書のみ言から羊を考えるとかつての私のような気がする。謝るのは母と姉ならぬ、イエス様。イエス様の十字架を、私は身近に覚える。私の罪の代償。私はイエス様の羊として、イエス様のみ声に聞きしたがって生きたい。

# by minitayori | 2010-04-22 21:49 | Trackback | Comments(0)

ケアハウスの入り口、春爛漫です

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ケアハウスにいる人々は、花に慰められ、花の蜜を吸いに来る小鳥に歓声を上げています。そのような気持ちを感じたのか、毎朝、食事時に来てくれる小鳥がいる。

# by minitayori | 2010-04-22 21:44 | Trackback | Comments(0)

八重桜の拡大写真

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青空を背景に写すと特にきれいに映ります。花の美しさは精いっぱい咲いているところにあるのでしょうか。

# by minitayori | 2010-04-22 21:38 | Trackback | Comments(0)