アジサイががんばっていました

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ほとんど枯れかかったアジサイの中に、珍しいアジサイを見つけました。

# by minitayori | 2010-07-15 22:54 | Trackback | Comments(1)

ケアハウスのアガパンサス満開です

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ケアハウスの花は、アジサイが終わり今はアガパンサスだけが輝いています。「愛の花」です。

# by minitayori | 2010-07-15 22:50 | Trackback | Comments(0)

朝顔の花

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朝顔の花が夏を告げるように、遠慮ぶかく、ひそやかに咲いていた。隠れていた花を発見。

# by minitayori | 2010-07-08 21:03 | Trackback | Comments(0)

聖書より一言

2010・聖霊降臨後第7主日 ルカによる福音書9:51-62 
9:51 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。

「聖書」

  この聖書<よいほん>のことばを
  うちがわからみいりたいものだ
  ひとつひとつのことばを
  わたしのからだの手や足や
  鼻や耳やそして眼のようにかんじたいものだ
  ことばのうちがわへはいりこみたい
             八木重吉詩集より

「聖書を内側から見たいものだ。」この言葉に出会ったとき、わたしの心はまさに「その通り」、と強く感じた。さらに、八木重吉は「一つ一つの言葉をわたしのからだの手や足や鼻や耳や、そして目のように感じたいものだ、」と言っている。
 聖書を手話に訳して耳の不自由な人々に伝えようとするとき、手話の単語を知り。手がよく動いて訳すだけではだめだ。わたしはこの詩のように、聖書を体で感じ、イエス様のお心を聴きとり、場面を心で描きながら、二本の手で再現することを、教会の手話の原点と考えて努力してきた。まだ十分な満足できる状態ではない。それは手話の技術の問題もあるが、聖書の理解という面で、なかなか言葉の内側に入り込めないからだ。
 イエス様が弟子たちを連れて、ガリラヤからエルサレムに向かわれた。その途上でイエス様は弟子たちを教え、訓練された。残された時は短い。神様の愛を伝え御心を実現するために、イエス様は十字架の後の宣教を弟子たちにゆだねようとされている。しかし、弟子たちの心は、イエス様の愛に学ぶどころか、自我、自己中心を捨てきれないでいる。自分たちを歓迎しなかった村を火で焼き払う、と言って、イエス様に叱られている。イエス様のお心とは全く反対のことだったから。イエス様の思いはどんなであったろう。
 ルカはイエス様の御生涯を旅で表現しようとしている。人の人生も旅だ。しかし、多くの人の旅は、死をもって終焉する。しかし、信仰者の旅は神の備えたもう道をゆく旅。
その道は作りかけの高速道路ではない。死で打ち切りではないのだ。神の都エルサレムは、罪と腐敗に満ちていたが、そこに神様は十字架を建ててくださった。すべての人の罪の身代わりとしてイエス様が十字架にかかられた。十字架は復活、さらにイエス様の昇天へと続く。真実の神の都を目的としての旅がイエス様を信じる者の旅。あなたもイエス様のお心を聴いて、この旅の一行に加わりませんか。あなたの席が空いています。

# by minitayori | 2010-07-08 21:00 | Trackback | Comments(0)

ハイビスカス

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どなたかが買ってきてくださった鉢植えの花
熊本にいた時、隣の花屋さんが教会の前にずらりと並べてくれた花。懐かしく思い出しました。

# by minitayori | 2010-07-08 20:55 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ7月8日

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この日は、東京教会で説教の奉仕をします。

# by minitayori | 2010-07-08 20:51 | Trackback | Comments(0)

アガパンサスの花

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この花はケアハウスの敷地の数か所のところに咲いている。美しい花火のようだと表現する人もいる。しかしこの花は、貧しい土でもたくましく咲き、長く咲いている。神様の愛が罪の中にあっても、イエス様の十字架によって輝き、永遠に続くように。名前の由来は、ギリシャ語の「agapa(愛らしい)agapeアガペー(神の愛)+ anthos(花)」の 組み合わせことば。

# by minitayori | 2010-07-08 20:48 | Trackback | Comments(0)

鈴なりのびわを目当てに小鳥が集まりました

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裏庭のびわを目当てに小鳥が集まってきました。色々な鳥が集まりました。この鳥は最初からよく来ていました。兄弟かな、話し合って楽しんでいます。

# by minitayori | 2010-07-01 21:21 | Trackback | Comments(1)

日曜日の聖書から一言(池袋教会にて)

2010・7月4日(日)聖霊降臨後第6主日 ルカによる福音書9:18-26
9:18 イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
19 弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」
20 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」

         花の名前を 知らない   そのことが
         今朝は ばかに嬉しい
        
         花だって たぶん     自分に 付けられている
         名前を          知らないで咲いている
                     (星野富広さんの詩集より)

    聖書より一言
 イエス様は、弟子たちに「人々はわたしのことを何と言っているか。」と尋ねたあとで、「それではあなた方はわたしのことを、何者だと言うのか。」とお尋ねになった。
イエス様を知るということにはいろいろな形がある。常識的に、キリスト教の教祖、とか、立派なお話をして下さる教師、奇跡を行う不思議な方などなど。しかしそれはイエス様がお求めになるような知り方ではない。
 長い間聖書を読み、暗記するほどに良く知っている人がいた。しかし、聖書の知識が増えても少しも心に平安が得られない。その人は宣教師のところに相談に行った。宣教師は、「君ね、家の外にいても家庭の温かさを受けることはできないよ。戸をあけて、家の中に入って、家族と交わり、家族と同じものを食べてはじめて家族になれるのだよ。イエス様はね、君に『いつまで寒い外で待っているのか、入っておいで。』と待っていてくださいますよ。」
 彼は勇気を持って、神様の家族になろうと決心し、洗礼を受けた。聖書を知識として頭で理解するのでなく、聖書が神様のお言葉として、心に迫ってきた。イエス様の十字架のできごとが「わたしのための愛の業」。聖書の教えがイエス様の愛のことばとして心にしみとおってきた。神様に命を与えられ、神様の愛の中にいるそのことを頭ではなく心で理解できて、彼はイエス様のことをもっと親しく感じ、イエス様に従うことが嬉しくなったと語ってくれた。
 イエス様が弟子たちに願っている知り方は、イエス様の愛のお心を、あなたの心の深いところで知って欲しいということなのです。

# by minitayori | 2010-07-01 21:16 | Trackback | Comments(0)

桔梗

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寮の敷地内に教会がある。ときどきお世話になっているが、その周りに四季折々の花が咲いている。忙しい働きの傍らに美しく咲いた花は、教会の温かさを示しているように思える。

# by minitayori | 2010-07-01 21:12 | Trackback | Comments(0)

名も知らぬ花

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玄関横の庭にいくつかの鉢が置いてある。ここを退所した人が置いていったものだ。愛でる人はどうしているか。花は一生懸命咲いている。退所した主のために祈っているようだった。

# by minitayori | 2010-07-01 21:07 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリt月1日

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次の日曜日は池袋教会で説教をします。

# by minitayori | 2010-07-01 21:00 | Trackback | Comments(0)

月下美人の一花

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きれいな花をごらんあれ!

# by minitayori | 2010-07-01 20:57 | Trackback | Comments(0)

月下美人

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先日の夜、受付の方が電話をくれた。珍しい花が着ているのでいらっしゃいと言うことだった。此花は一夜花の「月下美人」と言うのだそうだ。持ち主は引退教師。大切に育てているがいつもこの時期に出張が入り、この日も朝から留守にしているので、皆さんに見せてほしいと言うことで、持ってきたそうだ。次の朝、見事にかれていた。一番美しいときを残せて持ち主に喜ばれた。

# by minitayori | 2010-07-01 20:55 | Trackback | Comments(0)

聖書より一言

2010・6月27日(日) 聖霊降臨後第5主日 ルカによる福音書7:36-50 
                     
イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
 

八木重吉詩集より「マグダラのマリア」(右のキリエ)

マリアはひざまづいて
私ほど悪い女はないとおもった
キリストと呼ばれる人のまえへきたとき
死体のように身体をなげだした
すると不思議にも
まったく新しいよろこびがマリアをおののかせた
マリアはたちまち長い髪をほどき
尊い香料の瓶の口をくだいて髪をひたし
キリストの足を心を込めてぬぐうた
香料にはマリアの涙があたたかく混じった
マリアは自分の罪がみな輝いてくるのをうっとりと感じていた

自分は正しいと自惚れている人は、人を愛することができません。罪の自覚があってはじめて、それでも見捨てず愛し続けてくださる愛の深さに気づくのです。罪の意識に苦しむところ、罪の告白のあるところには神の赦しがあります。そこに、主イエスは十字架を負って立っておられるからです。この女性は主イエスと出会い、社会からつまはじきにされ、軽蔑されている自分に対して示された神の愛を感謝をもって受け入れました。イエス様の前に愛と赦しに包まれた一人の人として跪いています。
 八木重吉の詩を載せました。若くして結核にかかり、社会から隔絶された彼は、病に苦しみ、病に至る自らの罪を知らされます。その中で,なお赦される喜びの涙を流すマグダラのマリアの中に自身を見出しているのです。

# by minitayori | 2010-06-24 21:56 | Trackback | Comments(0)

竹林とアジサイ

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裏庭の一角に竹林がある。そこにもアジサイが咲いていた。若竹とアジサイ、君と僕、二人があってそれぞれに美しい。

# by minitayori | 2010-06-24 21:54 | Trackback | Comments(0)

アジサイの写真の写すこだわり

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アジサイは群れている方がきれい、と言われてしまった。
群れているアジサイから一つをとりだして美しく見せようと思ったが、群れているアジサイが一番自然に見えてきた。

# by minitayori | 2010-06-24 21:48 | Trackback | Comments(0)

カシワバアジサイ

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近くの清瀬高校の中に万葉植物園がある。珍しいアジサイを見つけました。
文字とおり、柏の葉をつけているアジサイ。花は長い帽子のようでした。

# by minitayori | 2010-06-24 21:39 | Trackback | Comments(0)

聖書より一言

2010・6月20日(日) 聖霊降誕後第4主日 ルカによる福音書7:11-17 
列王記上17:17-24 ガラテヤの信徒への手紙1:11-24

聖書 : ルカによる福音書7:11-17
7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。 12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。 13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。

聖書より一言 : もう泣かなくてもよい

リルケの詩「秋」

木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
大空の遠い園生が枯れたように
木の葉は否定の身ぶりで落ちる
われわれはみんな落ちる この手も落ちる
ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手に支えている者がある


 死というものは非情なものです。牧師という仕事柄、病の人を看取る機会も多かった。いつも思うことは、病の床に伏す人だけでなく、その方を看護する人への慰めとケアーがどんなに大切かということである。人の死は永遠の別れ、残された者たちはただ泣き、諦めるしかない。聖書のナインの女性の場合、夫を先に亡くし、今亡くなったのは一人息子であった。どれほど深い悲しみであったことだろうか。できることなら自分が代わってあげたい、私も自分の娘が急病になって生死をさまよった時、真剣にそう思った。
 聖書には、極限の悲しみの中にいるこの婦人の葬列を止めた方がいた、と記されている。イエス様が彼女の横に立ち、憐れに思ってくださった。御自分で彼女の悲しみを背負い、彼女には「悲しまないでよい。」と言われた。
 リルケの「秋」と言う詩を載せた。最後に、「ただひとり この落下を 限りなくやさしく その両手に支えている者がある」という言葉がある。今日の聖書にある婦人の、喜びの声のような気がした。

# by minitayori | 2010-06-17 22:02 | Trackback | Comments(0)

アジサイの影にバラが咲いていました。

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庭のバラもこれが最後のようです。バラの赤が他の色を生かしていました。

# by minitayori | 2010-06-17 22:00 | Trackback | Comments(0)

見事にきれいなガクアジサイ

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本当にいろいろなアジサイがあるのですね。見事な色合いを写真ではなかなかだせません。

# by minitayori | 2010-06-17 21:56 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ6月17日

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近くの教会へ行ってみませんか。

# by minitayori | 2010-06-17 21:52 | Trackback | Comments(0)

きれいな青のガクアジサイ

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縁取りのある、珍しいアジサイを見つけました。

# by minitayori | 2010-06-17 21:49 | Trackback | Comments(0)

アジサイ

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アジサイの赤ちゃんです。まもなく、きれいな花を咲かすでしょう。

# by minitayori | 2010-06-17 21:46 | Trackback | Comments(0)

聖書の黙想

2010・6月13日(日) 聖霊降臨後第3主日 ルカによる福音書7:1-10 
7:6―百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。 7― ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」 

          聖書より一言 異邦人がみ名を慕うように
          
 選民意識を強く持っていたユダヤ人は、異邦人のことを軽蔑し、徹底的に排斥しようとしていた。しかし、神様はユダヤ人の血統のゆえに、彼らに救いを与えると約束したのではない。言葉を飾らないで言うと、クリスチャンであるから、教会に行っているから救われるのではない、ということであろうか。聖書の日課は福音書・旧約聖書、使徒書のガラテヤ書共にこのことを警告している。
 ガラテヤ書では、パウロは、ガラテヤの教会の人々がイエス様の教え、またパウロの信仰ではなく耳触りのよい教え、楽な信仰生活に流れようとしていることを嘆いている。
 旧約聖書の列王記上8:41-43には「更に、あなたの民イスラエルに属さない異国人が、御名を慕い、遠い国から来て、・・この神殿に来て祈るなら、 あなたはお住まいである天にいましてそれに耳を傾け、その異国人があなたに叫び求めることをすべてかなえてください。こうして、地上のすべての民は御名を知り、あなたの民イスラエルと同様にあなたを畏れ敬い、わたしの建てたこの神殿が御名をもって呼ばれていることを知るでしょう。」と記されている。
 私たちは常に覚えていたい。神様の救いへの願いは、この地上のすべての人の救いであることを。「ひとりだにも ほろぶるは み旨ならず 助けよ」昔の讃美歌が心に響いてくる。救いの条件は、神様のみ名を知り、神様を畏れ敬い、聴き従う信仰を持つことなのである。
 あなたも救われます。教会へはその恵みを確認するために、み言を受けに行くのです。

# by minitayori | 2010-06-10 21:13 | Trackback | Comments(0)

名も知らぬ花が可憐に咲いていた

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近くの病院の前の野原には野草が群生している。どくだみもたくさん咲くときれいだ。その中にひときわ高くタンポポが、胸を張って大空を眺めているように見えた。この白い花も風に吹かれて飛んでゆく。神様の供えてくださったところでまた花を咲かすのだろう。

# by minitayori | 2010-06-10 21:11 | Trackback | Comments(0)

ビワとヒヨドリ

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 冬の間、いつも食事時に庭の餌場に来て一緒に食事(パンやミカン)をしていたヒヨドリが来なくなった。心配していたら、成長してビワの実をついばんでいた。うまく写真に撮れたので皆さんに見せて、大喜びをした。今朝の食卓でのこと。きれいな声で鳴いています。

# by minitayori | 2010-06-10 21:04 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ6月10日

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教会の礼拝にいらっしゃいませんか。お宅の近くの教会がいいでしょう。

# by minitayori | 2010-06-10 21:00 | Trackback | Comments(0)