2月19日 マタイによる福音書5章38~48節
5:38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
5:40 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
5:41 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。:42 求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」
5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。:45あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
5:46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
「礼拝に備えて」
イエス様の弟子教育が続く。イスラエルの人々に求められていることは、聖書の教えに従って生きることではあったが、その中心は神様と共に生きること、神様のみ心に従って生きることであった。創世記6章9~「ノアは神と共に歩んだ。」と書いてある。
それはノアが神のみ旨に従って歩んだ、という事であった。その生き方の集大成がイエス様の行動に示されている。神様のみ心に従って、十字架の道を歩み続けた。「み心に従います。」と血の汗を滴らせながら、恐怖に耐えつつ、神のみ心に従う道を選ばれた。十字架の上で、今自分にやりを刺そうとしている人々のために、イエス様は「父よ彼らを赦して下さい。彼らは自分が何をしているかわからないでいるからです」と祈られた。
この祈りの言葉を聞いた弟子たちは、どのように思っただろうか。イエス様を裏切って、見捨てて逃げ帰った彼らは、イエス様と最後の時を過ごしたあの部屋で、鍵をかけて震えていた。この弟子たちに、十字架から降ろされたイエス様を葬った婦人たちがやって来て、イエス様の最後の祈りを伝えた。
イエス様の十字架の祈りは、兵士たちだけではなく、イエス様を裏切った弟子たちへの祈りでもあった。私をも含んで祈ってくださったイエス様の祈りは、弟子達を新たな献身に導き、死をも恐れぬ使徒へと成長させた。
私達も弟子たちと同じように、罪を犯し、弱さに嘆く時、また不信仰に苦しむ時、自分が神様の弟子にふさわしくないと悩む時に、イエス様の赦しと愛の、この祈りの中に私も包まれていることを忘れないでいたいものです。
# by minitayori | 2017-02-18 20:48