池袋教会の聖壇の花26日

池袋教会の聖壇の花26日
向日葵はやはり暑い夏が似合う花ですね。我が家の近く
の小さな庭の向日葵は、暑さに負けて枯れてしまいました。
何とも哀れでした。

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# by minitayori | 2018-09-01 21:43 | Trackback | Comments(0)

「みにたより」2018・9・2

「みにたより」2018・9・2

 生きるためにはいろいろなものが必要だが、自分の中の気力を奮い立たせる何かが必要であると最近つくづく感じて居る。今年に入っていろいろなことがあり、戸惑う事ばかりだ。大切な友人が召天、追い打ちをかけるように、大切な友人が召された。癒されてほしいと祈っていた多分最後になると思って熊本まで出かけて結婚式をした方が、癌にかかり手術、試薬の投与を受けられると喜んで東京まで報告に来てくれた方が、突然併発した病気がもとで召された。

 意識混濁の中、電話でお話し、祈った。そして次の日から池袋教会では初めて教会で行われるキリエ展示会。寂しさと心の痛みを抱えての開会礼拝であり、一週間の展示会だった。しかし、20年ぶりに教会に来た方たちや古い友人との語り合いは、わたしの心を慰めてくれた。

 しかし、終わってからぽっかりと心に空洞が出来てしまい、何も手がつかなくなってしまった。多分いろいろな疲れがたまってきたのだろうと思うが。

悪い時にはいろいろ続くもので、パソコンがいやいやして言う事を聞かない。また、プリンターもしばらく使用しなかったせいか、印刷が出来なくなってしまった。

 ブログの更新も一時できなくなったが、何とか回復したようなので、皆さんへの祈りを再開することにした。天に希望を持ちつつ、今の時に心こめて生きて行きた生きたいと思っている。半年近くお休みをして忘れられてしまったかもしれないが、祈りつつ続けたい。ただし、プリンターが調子が悪いので送ることが出来ないので申し訳ない。
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# by minitayori | 2018-09-01 21:37 | Trackback | Comments(0)

暑さにも負けず咲いたバラ

暑さにも負けず咲いたバラ
裏庭の生い茂る柿の下の暗い中に一輪の薔薇が咲いていた。
柿の葉の陰でこの暑さをしのいできたのか。立派!
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# by minitayori | 2018-09-01 21:21 | Trackback | Comments(0)

9月2日 「礼拝に備えて」マルコ福音書7章24-30節

92日 マルコによる福音書72430
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◆シリア・フェニキアの女の信仰

7:24 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。

7:25 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。

7:27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」

7:30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

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「礼拝に備えて」

 イエス様のお話の思いがけない部分が人の心を動かしている経験をしてきた。随分と昔の話だが、水曜日の聖書研究会に数名の青年が集まって聖書の学びをしていた。私は聖書学院を出たばかりで、伝道師(宣教師のお手伝い)だった。

 その集まりに来た人々が自分の聖書から得た経験や祈りの中に聞くことが出来た神様の御心などを話し合って、信仰を深め、確かめあってきた。その5人がそろって洗礼を受けたいと言いだしたので、主任の宣教師の先生にお願いしました。しかし、体調が悪いと言うのでわたしに任された。最初の洗礼準備だった。

 無我夢中で聖書を繰り返し読み、祈り、洗礼準備のための小教理問答書を学んで、自分の経験を交えてお話した。田舎から中学を卒業して働いている人々だった。私の苦しい中で信仰に至った経験は同じ経験の中にいる人々の心に感じる物があったようで、ずーと思っていた(わたしのようなものでも救われますか。)、と言う問いを聞いた時に、自分の中で繰り返し問いかけてきた我が身を思って涙が出る思いだった。

 わたしはその時に今日の日課である聖書を語った。一人の異邦人でもあった婦人が娘のために必死にイエス様に娘の救いを求めてすがりつく、私も今同じ気持ちで献身し。牧師になる道を歩いているのだよ。それを聞いて彼女たちの顔が輝き、その年のクリスマスに洗礼を受けた。5人一緒に。そして彼女たちは自分達で小さなグループを作り、「子犬の会」と名づけた。

 任期が終り、その土地を去って神学校に入る時、10年ごとに会いましょうと約束した。20年になってしまったが、再会できた。それぞれ故郷に帰っていたが、3人が集まってくれた。子犬のように神様を求め続け、二人の方は教会の役員を引き受け、立派なクリスチャンホームを築いていた。

 数年前にも呼ばれて説教をおこなうチャンスをいただいた。この時にも二人の子犬の会のメンバーが集まってくれた。み言の中に過去の恵みをいただいて働かせていただいた幸いを思いだすことが出来ました。

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# by minitayori | 2018-09-01 21:16 | Trackback | Comments(0)

「礼拝に備えて」8月19日 マルコ6章30-40 

819日 6章30-40 ◆五千人に食べ物を与える
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6:30 さて、使徒たちはイエスのところろに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことをがら報告した。

6:31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
6:32 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。

6:33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
6:34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」 これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。 イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。
6:41 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。
そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。 パンを食べた人は男が五千人であった。
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「礼拝に備えて」
 聖書の中には、いろいろな出来事の中にイエス様のお心、神様のお心が宝石のように輝いている。それは人間の心の汚れを示すと同時に、そのけがれを清めて行くイエス様の深い愛のお心が示されている。

 イエス様様は大勢の群衆を見て何を思われたか。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」と記されている。しかし、弟子たちはそうとは思わなかった。飢え、疲れている500人もの人々を食事も与えずに、それぞれの故郷に帰そうと言っている。

 旅する人は、そのための準備は当然の常識。勿論多くは持っていなかったであろうことは想像できる。ここで5000人の人々は自分のことしか考えていなかった。イエス様は深く憐れまれて、疲れもいとわず、人々に教え、病を癒された。ここが弟子たちやイエス様様との違いだった。

 他の聖書を見ると一人の幼子が、5つのパンと2匹の魚をイエス様の所に持って行ったと記されている。この子供に取ってはあれらの多くも彼の命綱とも言えるささやかな食料であったろう。群衆を憐れまれるイエス様のお心を感じとったのはの少年であった。

 一人の少年の姿が5000人の人に伝わったらどうだろう。彼らも自分達の食べ物と少しの予備のものを持っていてそれを差し出したとしたら、5000

人の人々がお腹を満たして余りあることとなっても不思議はない。イエス様の奇跡は少しのパンと魚を5000人の人に増やして与えたことだけではない。自己中心の人々の心を変えて、神様の心に従い、人々を愛する心に変えたことではなかったであろうか。

 その意味では、奇跡は今でもわたしたちの住んでいるこの地球上で起こるべきことのなのかもしれない。先日迷子になった少年を救うために、70歳を超える方、車で来て助け出した、というニュースを見た。年金だけで生活しながら、ボランティアのために備えている。小さな車に自分のための食料と寝る場所を用意して、文字通りボランティアをしている。

 12日の休養を取ってまた広島の災害に合っている人の土書きに出かけている。私も何か人のために役立つことのできる日々を送りたいと改めて思った。イエス様のみ足の後を従って生きて行きたい。

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# by minitayori | 2018-08-18 23:19 | Trackback | Comments(0)

「みにたより」

「みにたより」

 しばらくパソコンから離れていたら、win7のソフトが使えなくなっているのを知った。このブログも3回目でやっと仕えるようになったWin7のソフトで書いているが、このソフトは危険です、と注意が出てくる。おまけに、プリンターがインクが乾いてしまったのか、印刷できなくなっている。今格闘しているが機械に関してはからきしだめな私には、お手上げだ。前回の時はポスターを作るためにA3の紙に印刷できるプリンターを買ったのっだが、引退して引っ越し荷物の中に積み込んできたら、調子が悪くなってダウンしてしまった。

 先週はパソコンに向かったのですが、わずかな時間でめまいがして来てブログを断念しました。これも私の人生の一こま。かつてない経験だが、悲しまないで楽しんでこの時を大切に過ごして行きたい。いずれ誰もが通る道。老いの坂は登り坂、神様の国への登竜門。苦労があって当然かもしれません。でも、もう少し神様の働きをしていたいと願っている。
 *先週はパソコンが動かなくなり、四苦八苦。またパスワードを変えたばかりでそのメモがわからず、途中で断念してしまった。動かなくなったのは私の頭だったかもしれない。


# by minitayori | 2018-08-07 14:51 | Trackback | Comments(0)

昼咲き月見草

昼咲き月見草
火星を見ようとして何度か外に出て、空を見上げていたが
残念ながら、うす曇りでその時機を逸してしまった。次の朝
近くの空き地の周りを散歩していたら、珍しい花に出会った。
昼咲き月見草という名前だった。昨夜の自分を思い出して、
思わず苦笑してしまった


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# by minitayori | 2018-08-07 14:44 | Trackback | Comments(0)

8月5日 平和の主日 ヨハネによる福音書15章9-12節

85日 平和の主日 ヨハネによる福音書159-12

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15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

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「礼拝に備えて」

 イエス様の愛された弟子ヨハネは、晩年捕らえられてパトモス島に幽閉され、解放された後も00歳近くまで伝道者としての生涯を全うされた、と聞く。

足腰が弱くなり、信徒に両脇を抱えられて説教壇に立ち伝道者として説教された。説教の内容は繰り返し「イエス様の愛の内にとどまりなさい。互いに愛し合いなさい。」と言う事だったと言われている。

 この言葉の中にはイエス様の教えが凝縮されているし、教会の語るべき子の世界に向かっての最も大切な神様のみ心が含まれている。教会は神の教えに立ち、生かされ、希望を持って生きてきた 。私も現在79歳、間もなく80歳になろうとしている。父は64歳で召された、その父を超えることを先ずの目標にしてきた。前後に大病をしたが、難病と言うお土産付きで引退した。

 引退して東京に出てきたが、次々と病気が出てきて辛い思いもしたが生きているのは時間が与えられている事、その時間は神様を愛し人を愛するために用いるようにと神様は願っておられる。

 イエス様もそのように願っておられると今日の聖書に記される。この神様のお心を生かした日々でありたいと願っている。


# by minitayori | 2018-08-07 14:35 | Trackback | Comments(0)

空き地の雑草の中の花

空き地の雑草の中の花
この暑さの中で、取り壊された空き地にだけが雑草が生い
茂っている。今日は今までにない花を見つけた。前の家主
が植えた花ではない。この花はどこから来たのだろう。
でもこの暑さの中よく咲いた。
花は一生懸命咲いているから、美しいといつも思う。
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# by minitayori | 2018-08-04 23:16 | Trackback | Comments(0)

イエス様のお言葉にしたがって

イエス様のお言葉にしたがって
夜通して働いたが何も取れ得なくて、徒労のむなしさを
かみしめていた弟子たちに、イエスさまは、網を下せと
いわれた。お言葉にしたがった結果、大漁を経験する。
信仰とは不思議な体験の連続です。

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# by minitayori | 2018-07-21 22:18 | Trackback | Comments(0)

7月22日 礼拝に備えて マルコ福音書4章35-41節

7月22日マルコによる福音書4章35-41

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4:35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。:36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。

4:37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。:38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」:41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

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「礼拝に備えて」

人生の中では、何度も闇の海に向かって漕ぎ出すような時がある。私にとっては、牧師になる時の献身をして家を出る時。聖書学院を卒業して最初の任地に一人出かけた時。働きを与えられ、神学校を巣立つ時。先行きの見えない未知の世界に対して、手探りの状態が続いていた。今弟子たちは夕方になって船に乗ろうと言われ、舟に乗ってこぎ出した。イエス様は一生にいてくださることの素晴らしさをあまり自覚していないように思う。激しい突風が起こり、波が船の中にまで入って来て、水浸しになった。漁師として船には慣れていたはずだったが、彼らは恐れた。恐れの中で彼らはイエス様が同じ船におられることに気付いた。しかし、イエス様は弟子たちの恐れを知らぬように寝ていたと記されている。弟子たちはイエス様の存在を見て、喜ぶよりも非難をしている。イエス様が自分達の恐れを無視して。助けもしないで寝ている・と。イエス様がそこにいらっしゃることの安心とか平安をさえ考えるゆとりさえもなくなっている。わたしたちにもその様な状態になる時はないだろうか。「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。

4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」話がそれるがここで用いられている「怖い」と言う漢字は、風にあおられた布がはためく様子を表している。つまり、その布のように心が揺れ動く様子を示していると言われる。恥ずかしながら、私は説教壇に立つ時いつも怖れる。50余年前宣教師とアメリカを一ヶ月回った。宣教師の支援教会の報告だった。長く一諸に働いた宣教師だったので喜んでお伴をした。宣教師に郊外にある小さな皮工房に連れて行かれた。先生の支援者であり、日本の宣教のために支援し、祈っている方だった。この方が自分で作成した十字架を持って、これを私の祈りだと思って持っていてほしい、と言われた。私も小さな土産をお礼に渡したが、この祈りの十字架は私の宝物になった。40年の牧師生活、引退後も御用がある時は子の十字架を胸に下げている。そうすると素朴な職人の言葉が思い出される。「黙れ、静まれ!:と言われたイエス様のお声が聞こえ、恐れは消え、力を与えられて説教壇に立ってきた。e0191585_22005344.jpg





# by minitayori | 2018-07-21 22:07 | Trackback | Comments(0)

主に連なる枝は良い実を結ぶ

主に連なる枝は良い実を結ぶ
お見せできなかったキリエの一つだ。熊本のお世話になった
方に差し上げてきた。今も大切にしていてくださるとか。
わざわざ熊本から展示会に来て下さった。感謝!

余ヨハによる福音書15勝1~
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# by minitayori | 2018-07-14 22:02 | Trackback | Comments(0)

「みにたより368」

「みにたより368」

 35度の暑さが身体に堪える。先週の日曜日には地下鉄のエレベーターを出て、教会へのバスを待っていたら道路が揺らいでいた。暑さでそうなっているのか、私の頭の中でそうなっているのか。最近、目が悪くなり、光の中にいるとめまいがする、体力だけでなく気力も衰えてきたのかもしれない。

 洞窟の中に閉じ込められていた13人の少年たちの全員救出は、世界中に喜びとして伝わった。救出隊員の一人がその途中で事故で亡くなったのに心痛むが。きっと全員救出を彼も喜んでいる事だろう。日本列島、地震、豪雨、台風などにより悲しい知らせばかりだ。災害地に30度を超える猛暑がやってきた。土に埋まる道路やわが屋を茫然として見守る人々。家の中に流れ込んだ土砂をこれからどうするのだろうか。この50年一度の豪雨、と予測できる災害に日本の政府はこの時何をしていたのだろうか。真剣に救助の手を差し伸べて欲しいものです。

 しかし、この異常とも言うべき暑さをとりあえずどう乗り越えるか。みんなが幸せにこの時期を乗り越えられるように、助け合う事でしょうか。身体弱くても今、安住の場を与えられている幸いを、どうしたら共有できるだろうか。災害に合っている多くの人々のために、j管を裂いて祈ることから、何かの行動が生まれてくるように思えますが。
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 豪雨が過ぎ去った日の夜、東京の空は穏やかだった。
雷雲が空を覆っていたが、雲間には満月に近い月が顔を
出していた。明日はきっと晴れ。明るい日、幸せの日が
が来るようにと願う。


 


# by minitayori | 2018-07-14 21:49 | Trackback | Comments(0)

昼咲き月見草


昼咲き月見草
面白い名前の花だ。近くの取り壊された空き地に咲いていた。
間もなく雑草に覆われるだろうが。頑張ってほしい。
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# by minitayori | 2018-07-14 21:37 | Trackback | Comments(0)

「礼拝に備えて」7月15日 マルコによる福音書4章26-34節

7月15日 マルコによる福音書4章26-34節


◆「からし種」のたとえe0191585_22011170.jpg


4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

◆たとえを用いて語る

4:33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

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「礼拝に備えて」

 宣教に携わる人々(弟子達)への励ましと慰めの言葉と思えるイエス様の例えのお話。今と言う時代は宣教の難しい時代だと言われる。しかし、安易に宣教できた時代があっただろうか。

 最近、迫害の中で信仰を守り続けた長崎の建物や信仰継承の貴重な資料等があたらしく世界遺産になった。あの時代の人々の信仰の戦いと苦悩は私達の想像を超えてすさまじいものであった。

 私も熊本にいる時に島原でろう者の修養会をして、キリスト信者が迫害を受けた地獄谷と言われる、熱湯の沸き上がる温泉池を見てきた。この熱湯の中に逆さづりになって責め苦を受けた人々のことをもうと、今の自分達がくろうと思う事のいかに甘いかを感じさせられた。

 また天草のキリシタンの足跡を訪ねてやはりろう者を交えた20余人の集まりで旅を行った。ここでも隠れキリシタンと言う人々が、どんなに苦労をして信仰を守り続けたかを知ることが出来た。

 家の柱の中に切り込んだ十字架、観音像を巧みにマリヤ像に改造したもの。太陽が上がると太陽の光を浴びて十字架が浮かび上がる器などなど。弾圧をのがれて信仰を守ろうとしたひとびとの労苦と血の汗の後を見させてもらった。

 弟子達も、それに続く代々の教会も同じような苦労をしてきた。不インランドの初期の宣教師が住んでいたと言う家を見に行った。下諏訪の町はずれにあった。小さな家がまだ残っていた。この家に住んだ婦人宣教師が二人。石を投げられ、馬フンを投げられつつ恐怖の中で「神様の愛」を伝え続け、立派な信徒を生み出し、下諏訪から自転車で飯田市まで伝道に行かれたと言う

 一昨日、一緒の時に洗礼を受けた友人と電話で話した。いつも最初に出会った宣教師の話になる。人を愛し、イエス様の十字架を通して示される神様の愛を伝え続けていた。喘息を患い、空気のきれいな所に転地しつつ伝道を続けた。最後に喉頭がんで亡くなった。また昨年、ご婦人も天に召された。インターネットで私が投稿すると、必ず返事をくれた。

 足跡は小さいかもしれないが、イエス様が共に居てくださったから、そのまいた種は多くの信者が集まる教会、群れとして今も人々の心に残っている。

時が良くても、神様が愛された人々すべてを愛し継けよう。それが、召された私達の使命だから。生きているのは、時間が与えられている事。その時間をどう使うかが大切。どんなに小さな力でも、神様へのとりなしの祈りが出来る。この心の持てる信徒の集まる教会は、きっと神様の恵みであふれてくる。


# by minitayori | 2018-07-14 21:32 | Trackback | Comments(0)

空き地に咲いていた花

空き地に咲いていた花
家のすぐ近くに庭を持つ家があった。四季折々に珍しい花が咲いて
楽しませてくれた。その家が建て替えか、撤去され、空き地になって
雑草の茂る一角となってしまった。でもその雑草の中にきれいな花が
咲いていた。名前を調べる時間がなかったが、清楚な花だった。
花は自分の生きるべきところで懸命に咲く。だから美しいのか、

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# by minitayori | 2018-07-14 21:24 | Trackback | Comments(0)

池袋教会の集会室で行われたキリエ展

池袋教会の集会室で行われたキリエ展
日曜日には多くの方が来られたが、終日は30度を超す猛暑
厳しい暑さの中だけに来てくださった方に改めて感謝。
再開の喜びの握手の手の平が汗でぬれていた。
ありがたいことです。

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キリエ聖画展の様子
日曜から日曜(7月1日)まで、延べ百人近くの方が
見に来てくださいました。
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# by minitayori | 2018-07-07 22:27 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて キリエ聖画展を感謝して

7月8日聖霊降臨後第7主日 マルコ福音書3章20-30節
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3:20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。3:21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。

3:22 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。3:23 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。 3:24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。 3:25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。 3:26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。

3:27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。

3:28 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。3:29 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」

3:30 イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

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「礼拝に備えて」

 しばらく「みにたより」を休んでしまった。突然に便りが途絶えた方々には申し訳ないと思っている。2月3月に大切な人が召されたショックは大きく、そのショックが癒えぬままに、教会でキリエの作品展の依頼があった。引越しでしまいこまれたままの額しかなかった。

 気に入った作品は施設に寄贈したり、個人的な友人に貰ってもらったりして、まさに残り物しかなかった。しかも5年以上もしまいっぱなしで、何があるかも分からず躊躇した。しかし、これはきっと神様がわたしの心を励ますために備えてくださった大切な働きと信じて、準備を始めた。

 狭い部屋の押し入れの中の作品を探し出し、20数枚の絵を見て、これで展示会、個展と言うものが出来るだろうかと思った。何枚かは作成したが、目も体力も限界だった。しかし、主催してくださった婦人会は、一生懸命にっ成功させようと準備してくださった。「キリエ聖画展」役員会や教会の多くの方々のご支援をいただいて先週日曜日にやっと展示会を終えることが出来た。

 2時間以上のバス、電車を乗り継いできてくださった恩師。遠く九州から来てくれた友人、10数年ぶりに教会に来てくれた友人。教会の方々とささやかな切り絵展を通して和気あいあいの交わりと同時に、作品の意図を説明するわたしの言葉に深くうなずいてくださる方。その内にキリエのイエス様に訴えるように、家族の病気や伴侶を神様のもとにお送りした方が心の内を話し始めた。

 開催中一週間、猛暑の中だったが、貧しい絵であったかもしれないが、そこにイエス様がいらっしゃるような交わりが出来た。婦人会・役員会、お手伝いしてくださった教会の皆さん、参加してくださった方々、不思議な交わりが生まれた。初めて来た人や教会につまずいて長く離れていた人が、教会っていいですね!と帰りに一言言ってくださったのが嬉しかった。

 心を合わせて、一つの行事をする。その中心にイエス様がいらっしゃった。正直、少ない作品への不安と開催前に敬愛する方が何人も召されて心痛む日が続いていたが、この展示会で一番恵みをいただいたのはわたし自身だった。助けてくださった教会の方々に、そして見に来てくれた方々に「ありがとうと!」感謝したい。

 この後、何点かはサバの神学校に送りたいと言われ、災害に募金してくださった方々へのお土産にするという事で海外に渡ることになった。前任地の九州の教会でも展示会を計画したいと言う話だが、協議中とか。

「キリエ」が文字通り「主の憐みと祈りの集まり」として用いられるなら、と喜んでいる。
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# by minitayori | 2018-07-07 22:12 | Trackback | Comments(0)

キリエ聖画展当日の池袋教会

キリエ聖画展当日の池袋教会
教会員の方の力作のポスターが眩しく見えました。
素晴らしいひと時の開始です。

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# by minitayori | 2018-07-07 21:57 | Trackback | Comments(0)

キリエ(聖画)展

キリエ(聖画)展
教会の役員、特に婦人会主催で下記のようにキリエ展を
開催していただくことになりました。6月24日より7月
1日までの一週間になります。主要なものは引越しの時
皆さんに差し上げたり、教会に残してきたり、お世話に
なった施設に寄贈してきましたので、充分なものでは
ありませんが、一枚一枚心を込めた作品です。
ご覧いただければ幸いです。週日は13時から16時までです。
私もできるだけ会場で皆さんとお話しできるようにしたいと
願っています。。

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*会場は池袋西口寄り徒歩10分、光文社の角主曲がると正面が教会です。
 西口ビックカメラ前のバス停より池袋2丁目下車、少し戻って信号を渡り、光文社
 の横の道を入って正面に見えています。

# by minitayori | 2018-06-09 22:22 | Trackback | Comments(0)

シャクヤクの花一輪

シャクヤクの花一輪
薄暗いお庭の一角に咲いたシャクヤクの花一輪、庭全体を
明るくしてくれる。そんな人間に私もなりたい。

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# by minitayori | 2018-05-26 21:46 | Trackback | Comments(0)

「みにたより341」

「みにたより341」

 先週は池袋教会で6月24日から一週間予定されているキリエ展の準備で、わが部屋は足の踏み場もないほどになっていまった。引越しのままに押し入れの中にしまいこんでいたキリエ額を出し、一枚一枚点検をしながら、ずれている絵を直したり、修復したりの日々でした。

 作品名と聖画として作ってあるので、聖書の個所と作った時の意図などを書いてくれてお言われたが、なかなか記憶を引き出すのが難しい。目ぼしいものは学校や施設に寄贈してしまっているので、せっかく来てくださるひとびとに喜んでもらえる物が少ないのが残念だ。しかし、作品をしまう所がなくて額の裏に保管している物が何枚か出てきて、少し形が整いそうになった。

 教会の方が搬送のお手伝いに来てくださったので、22日やッと間にあわせて20点ほどの額を送り出した。気に入った絵には気にいった額装をしてやりたいので、ネットのオークションで見つけて、手に入れて送り出した。

 どんな飾り付けになるかわからないが、とにかく自分にとってこれを終りの展示会にしたい。キリエも小さなものを作って、楽しみながら出来る範囲にものにして行こうと思っている。そんな訳で前号は礼拝に備えてだけになってしまい、失礼しました。


# by minitayori | 2018-05-26 21:42 | Trackback | Comments(0)

クレマチス

クレマチス
アパートの前の家には色とりどりのクレマチスが咲いていた。
建て替えられるのか今はさら地になってしまった。四季折々に
珍しい花を見せてくれたのに残念です。新しい家にもまた
花が咲いてくれるように願いつつ、さら地の横を通っている。

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# by minitayori | 2018-05-26 21:39 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月27日 ヨハネ福音書3章1-12節

礼拝に備えて

 三位一体主日 527日 ヨハネ福音書31-12

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◆イエスとニコデモ

3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。

3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」

3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。

3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。

3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。

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「礼拝に備えて」

 自分が納得すると言う事と、信じると言う事との間には全く相いれない溝がある。私達は知っているから信じるのか、主を無条件で受け入れる心で信じるのか、自分自身で自問自答しなければならない。

 納得は自分の知識で理解できる範囲のことしか受け入れていない。しかし、信仰、信じると言う事は、私達の理解不能なことでもそのまま受け入れることではないだろうか。少なくとも聖書を見ると、神様の愛は理屈で理解してからの愛ではなく、まず受け入れてくださる事から始まっている。

 聖書の中の放蕩息子のたとえ話を思いだして見よう。父の財産を半分分けてもらった弟はその全財産を使い果たして、豚の餌さえ食べたいと思うようになりさがって、父のもとにとぼとぼと帰って来た。その息子を家の前で待ち続けた父親は、まだ遠く離れているのに走り寄り、抱きしめて、死んでいた息子が生き帰ったと喜んだ。これが私達に対する神様の真心なのです。この神様の愛を知る時、私達は神様が私達に注いでくださる愛のお心を、そのままに受け止める心=信仰の心が生まれるのです。この時に私達は本当の信仰を持つことが出来、全てを受け止めてくださる神様の懐に飛び込み、真実の平安を受けることがきるのです。神様のみ手の中で、日々を平安に生きて行きたいですね。


# by minitayori | 2018-05-26 21:32 | Trackback | Comments(0)

オリエンタルポピー


オリエンタルポピー
いつものようにアパートの自動販売機の裏の駐車場の中に、
ポピーの群れが咲き始めた。
砂利の下の土からわずかな水を得ているのだろう。
生命力の強さに感激!

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# by minitayori | 2018-05-26 21:24 | Trackback | Comments(0)

5月13日の池袋教会聖壇

5月13日の池袋教会聖壇
ミニタヨリお休みします。キリエ展示会のために
わが部屋はてんやわんやです。

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# by minitayori | 2018-05-19 22:55 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月20日 ヨハネ福音書15章26-16章4節

520日 聖霊降臨祭 ヨハネによる福音書1526164

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15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

16:1 これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。 16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。

16:3 彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。 16:4 しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」

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「礼拝に備えて」

 次週の日曜日は聖霊降臨祭、イエス様の復活から50日目、ペンテコステとも言う。教会の始まった日、誕生日とも言う。今日の日課の使徒書ではその時の様子が詳しく記されている。弟子達に聖霊が下り、彼らは大胆に群衆の前に立ち、彼らの分かる言葉で神様の救いのみ業を語ったと記されている。

 教会の誕生は、聖霊の力をいただいた弟子たちが勇気を持って、当時の人々(イエス様を十字架につけよと叫んだ人々の前に立って、)イエス様の十字架こそ神様のみ業そのものであり、あなた方の救いであると明確に語った。それを聞いた神殿に集まっていた地方から集まっていた人々は、弟子たちの情けない姿を知っていたが、勇気を持って語る姿に驚き、また自分達に分かる言葉で福音が語られたことに驚いた、と記されている。

何年か前に初めて教会に来た若者に聞いたことがある。「いかがでしたか?神様の愛を受けることが出来ましたか。」その若者は首を横に振って、それっきり教会に来なくなった。私は自分を責めて苦しんだ。教会に人が来るのは、讃美歌やオルガンを聞くためでも、会堂の雰囲気に感動するためでもない。

自分の分かる言葉で「神様のみ業を聞く」為である。私はそのことを牧師の唯一の使命だと考えてきた。キリスト教用語のない耳の不自由な人に、初めて来た人に分かる言葉で、理解出来るように語るために、日曜日の夜遅くまで、原稿を見直し、分かりにくい言葉に手話の表現はこうすると、赤ペンで書きこんで礼拝に備えた。

でもそれは人間の知恵では出来ないことを早くに知った。み言を理解するためには神様の霊をいただかなければならないと知った。しかし、聖霊を与えてください、とお願いしても見える形ではいただけなかった。しかし、祈るうちに、洗礼を受けた当時から暗記していた聖書のみ言葉が、ふと心に浮かんで難解なみ言葉に示される神様のみ心に触れることが出来た。

神様の御心、そして、それを伝えたいと考えられる神様のお顔が思い浮かんできた。お顔と言うよりも『眼差し』と言う方が正しいと思う。自分で作ったキリエのイエス様の横顔、とその眼差し。説教前には、「わたしが共にいる。安心して行きなさい。」と言うお声を聞き、礼拝が始まると、アメリカの職人から、私が作った十字架、あなたのために祈っている、と言う言葉と共にいただいた十字架かを握りしめて「主よあなたが語ってください。」と祈りつつ待つ。

説教壇に立つときにはストールが共にくびきを負ってくださるイエス様の存在を身近に示してくださった。共にいてくださるイエス様が語ってくださるそう信じて、畏れ多くも聖壇に立ち続けた。引退をするとき。赤い字で埋められた原稿ノートは、感謝しつつ廃棄してきた。今思うと、神様の導きのしるし。大切に取っておきたかった。今なら写真にとればよかったと思うが、一回一回神様の恵みを十分にいただいた感謝を心に持っている事で十分と思うようになった。生きている限り、神様に御用が与えられる限り、昔の気持ちを忘れれないでいたいと思う。


# by minitayori | 2018-05-19 22:50 | Trackback | Comments(0)

5月6日の池袋教会の聖壇の花。

5月6日の池袋教会の聖壇の花。
名前を聞いてメモしたのですが、字が読めなくなっていました。
この字で手紙をもらった人は迷惑だろうな

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# by minitayori | 2018-05-12 23:08 | Trackback | Comments(0)

「みにたより369」

「みにたより369」
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 ほっとする間もなく、神様は新しい仕事を用意してくださった。荷物の中に埋もれている「キリエ」をもう一度見てもらいたいと思っていたが、池袋教会の婦人会が婦人会の年間の仕事の一つとして、キリエ展示会を開催したいと申し出てくださった。しかし、考えてみたら目ぼしいものはみな寄贈してきてしまった。

 この小さなアパートの中では見てもらえるような大作を作る余裕も体力もない。先日の婦人会の担当者会でその話をしたら、ある物でいいからと言ってくださった。外国にあるものや遠方に寄贈したものは借り出すこともできないし、今在るもので!と言う言葉に甘えさせてもらうことにした。

 それでも、一点でも二点でも、展示会に来てくださる方々に新しいものを見て欲しいと願っている。但しできれば・・。でも弟子たちはいつでも命がけでイエス様の弟子であり続けた。どんなに失敗しても涙しつつイエス様のみもとに帰り、許されてまた証人として歩み続けた。強くあれとは言わない。弱くても主と共に、自分に示された仕事を喜びを持って雄々しく担って歩み出したい。
 *ブログ続けられる間は続けます。

 

 

 


# by minitayori | 2018-05-12 23:04 | Trackback | Comments(0)

シャクヤク

シャクヤク
聖壇に飾れた花を写してきた。最近家の近くでも花が目立つ
ようになったが、今年は散るのも早い。花の命は短くて・・。
それでも野に咲く花は特別に美しく感じる。
厳しい環境で一生懸命だからか。


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# by minitayori | 2018-05-12 22:50 | Trackback | Comments(0)