キリエ(聖画)展

キリエ(聖画)展
教会の役員、特に婦人会主催で下記のようにキリエ展を
開催していただくことになりました。6月24日より7月
1日までの一週間になります。主要なものは引越しの時
皆さんに差し上げたり、教会に残してきたり、お世話に
なった施設に寄贈してきましたので、充分なものでは
ありませんが、一枚一枚心を込めた作品です。
ご覧いただければ幸いです。週日は13時から16時までです。
私もできるだけ会場で皆さんとお話しできるようにしたいと
願っています。。

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*会場は池袋西口寄り徒歩10分、光文社の角主曲がると正面が教会です。
 西口ビックカメラ前のバス停より池袋2丁目下車、少し戻って信号を渡り、光文社
 の横の道を入って正面に見えています。

# by minitayori | 2018-06-09 22:22 | Trackback | Comments(0)

シャクヤクの花一輪

シャクヤクの花一輪
薄暗いお庭の一角に咲いたシャクヤクの花一輪、庭全体を
明るくしてくれる。そんな人間に私もなりたい。

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# by minitayori | 2018-05-26 21:46 | Trackback | Comments(0)

「みにたより341」

「みにたより341」

 先週は池袋教会で6月24日から一週間予定されているキリエ展の準備で、わが部屋は足の踏み場もないほどになっていまった。引越しのままに押し入れの中にしまいこんでいたキリエ額を出し、一枚一枚点検をしながら、ずれている絵を直したり、修復したりの日々でした。

 作品名と聖画として作ってあるので、聖書の個所と作った時の意図などを書いてくれてお言われたが、なかなか記憶を引き出すのが難しい。目ぼしいものは学校や施設に寄贈してしまっているので、せっかく来てくださるひとびとに喜んでもらえる物が少ないのが残念だ。しかし、作品をしまう所がなくて額の裏に保管している物が何枚か出てきて、少し形が整いそうになった。

 教会の方が搬送のお手伝いに来てくださったので、22日やッと間にあわせて20点ほどの額を送り出した。気に入った絵には気にいった額装をしてやりたいので、ネットのオークションで見つけて、手に入れて送り出した。

 どんな飾り付けになるかわからないが、とにかく自分にとってこれを終りの展示会にしたい。キリエも小さなものを作って、楽しみながら出来る範囲にものにして行こうと思っている。そんな訳で前号は礼拝に備えてだけになってしまい、失礼しました。


# by minitayori | 2018-05-26 21:42 | Trackback | Comments(0)

クレマチス

クレマチス
アパートの前の家には色とりどりのクレマチスが咲いていた。
建て替えられるのか今はさら地になってしまった。四季折々に
珍しい花を見せてくれたのに残念です。新しい家にもまた
花が咲いてくれるように願いつつ、さら地の横を通っている。

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# by minitayori | 2018-05-26 21:39 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月27日 ヨハネ福音書3章1-12節

礼拝に備えて

 三位一体主日 527日 ヨハネ福音書31-12

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◆イエスとニコデモ

3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。

3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」

3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。

3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。

3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。

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「礼拝に備えて」

 自分が納得すると言う事と、信じると言う事との間には全く相いれない溝がある。私達は知っているから信じるのか、主を無条件で受け入れる心で信じるのか、自分自身で自問自答しなければならない。

 納得は自分の知識で理解できる範囲のことしか受け入れていない。しかし、信仰、信じると言う事は、私達の理解不能なことでもそのまま受け入れることではないだろうか。少なくとも聖書を見ると、神様の愛は理屈で理解してからの愛ではなく、まず受け入れてくださる事から始まっている。

 聖書の中の放蕩息子のたとえ話を思いだして見よう。父の財産を半分分けてもらった弟はその全財産を使い果たして、豚の餌さえ食べたいと思うようになりさがって、父のもとにとぼとぼと帰って来た。その息子を家の前で待ち続けた父親は、まだ遠く離れているのに走り寄り、抱きしめて、死んでいた息子が生き帰ったと喜んだ。これが私達に対する神様の真心なのです。この神様の愛を知る時、私達は神様が私達に注いでくださる愛のお心を、そのままに受け止める心=信仰の心が生まれるのです。この時に私達は本当の信仰を持つことが出来、全てを受け止めてくださる神様の懐に飛び込み、真実の平安を受けることがきるのです。神様のみ手の中で、日々を平安に生きて行きたいですね。


# by minitayori | 2018-05-26 21:32 | Trackback | Comments(0)

オリエンタルポピー


オリエンタルポピー
いつものようにアパートの自動販売機の裏の駐車場の中に、
ポピーの群れが咲き始めた。
砂利の下の土からわずかな水を得ているのだろう。
生命力の強さに感激!

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# by minitayori | 2018-05-26 21:24 | Trackback | Comments(0)

5月13日の池袋教会聖壇

5月13日の池袋教会聖壇
ミニタヨリお休みします。キリエ展示会のために
わが部屋はてんやわんやです。

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# by minitayori | 2018-05-19 22:55 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月20日 ヨハネ福音書15章26-16章4節

520日 聖霊降臨祭 ヨハネによる福音書1526164

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15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

16:1 これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。 16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。

16:3 彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。 16:4 しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」

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「礼拝に備えて」

 次週の日曜日は聖霊降臨祭、イエス様の復活から50日目、ペンテコステとも言う。教会の始まった日、誕生日とも言う。今日の日課の使徒書ではその時の様子が詳しく記されている。弟子達に聖霊が下り、彼らは大胆に群衆の前に立ち、彼らの分かる言葉で神様の救いのみ業を語ったと記されている。

 教会の誕生は、聖霊の力をいただいた弟子たちが勇気を持って、当時の人々(イエス様を十字架につけよと叫んだ人々の前に立って、)イエス様の十字架こそ神様のみ業そのものであり、あなた方の救いであると明確に語った。それを聞いた神殿に集まっていた地方から集まっていた人々は、弟子たちの情けない姿を知っていたが、勇気を持って語る姿に驚き、また自分達に分かる言葉で福音が語られたことに驚いた、と記されている。

何年か前に初めて教会に来た若者に聞いたことがある。「いかがでしたか?神様の愛を受けることが出来ましたか。」その若者は首を横に振って、それっきり教会に来なくなった。私は自分を責めて苦しんだ。教会に人が来るのは、讃美歌やオルガンを聞くためでも、会堂の雰囲気に感動するためでもない。

自分の分かる言葉で「神様のみ業を聞く」為である。私はそのことを牧師の唯一の使命だと考えてきた。キリスト教用語のない耳の不自由な人に、初めて来た人に分かる言葉で、理解出来るように語るために、日曜日の夜遅くまで、原稿を見直し、分かりにくい言葉に手話の表現はこうすると、赤ペンで書きこんで礼拝に備えた。

でもそれは人間の知恵では出来ないことを早くに知った。み言を理解するためには神様の霊をいただかなければならないと知った。しかし、聖霊を与えてください、とお願いしても見える形ではいただけなかった。しかし、祈るうちに、洗礼を受けた当時から暗記していた聖書のみ言葉が、ふと心に浮かんで難解なみ言葉に示される神様のみ心に触れることが出来た。

神様の御心、そして、それを伝えたいと考えられる神様のお顔が思い浮かんできた。お顔と言うよりも『眼差し』と言う方が正しいと思う。自分で作ったキリエのイエス様の横顔、とその眼差し。説教前には、「わたしが共にいる。安心して行きなさい。」と言うお声を聞き、礼拝が始まると、アメリカの職人から、私が作った十字架、あなたのために祈っている、と言う言葉と共にいただいた十字架かを握りしめて「主よあなたが語ってください。」と祈りつつ待つ。

説教壇に立つときにはストールが共にくびきを負ってくださるイエス様の存在を身近に示してくださった。共にいてくださるイエス様が語ってくださるそう信じて、畏れ多くも聖壇に立ち続けた。引退をするとき。赤い字で埋められた原稿ノートは、感謝しつつ廃棄してきた。今思うと、神様の導きのしるし。大切に取っておきたかった。今なら写真にとればよかったと思うが、一回一回神様の恵みを十分にいただいた感謝を心に持っている事で十分と思うようになった。生きている限り、神様に御用が与えられる限り、昔の気持ちを忘れれないでいたいと思う。


# by minitayori | 2018-05-19 22:50 | Trackback | Comments(0)

5月6日の池袋教会の聖壇の花。

5月6日の池袋教会の聖壇の花。
名前を聞いてメモしたのですが、字が読めなくなっていました。
この字で手紙をもらった人は迷惑だろうな

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# by minitayori | 2018-05-12 23:08 | Trackback | Comments(0)

「みにたより369」

「みにたより369」
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 ほっとする間もなく、神様は新しい仕事を用意してくださった。荷物の中に埋もれている「キリエ」をもう一度見てもらいたいと思っていたが、池袋教会の婦人会が婦人会の年間の仕事の一つとして、キリエ展示会を開催したいと申し出てくださった。しかし、考えてみたら目ぼしいものはみな寄贈してきてしまった。

 この小さなアパートの中では見てもらえるような大作を作る余裕も体力もない。先日の婦人会の担当者会でその話をしたら、ある物でいいからと言ってくださった。外国にあるものや遠方に寄贈したものは借り出すこともできないし、今在るもので!と言う言葉に甘えさせてもらうことにした。

 それでも、一点でも二点でも、展示会に来てくださる方々に新しいものを見て欲しいと願っている。但しできれば・・。でも弟子たちはいつでも命がけでイエス様の弟子であり続けた。どんなに失敗しても涙しつつイエス様のみもとに帰り、許されてまた証人として歩み続けた。強くあれとは言わない。弱くても主と共に、自分に示された仕事を喜びを持って雄々しく担って歩み出したい。
 *ブログ続けられる間は続けます。

 

 

 


# by minitayori | 2018-05-12 23:04 | Trackback | Comments(0)

シャクヤク

シャクヤク
聖壇に飾れた花を写してきた。最近家の近くでも花が目立つ
ようになったが、今年は散るのも早い。花の命は短くて・・。
それでも野に咲く花は特別に美しく感じる。
厳しい環境で一生懸命だからか。


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# by minitayori | 2018-05-12 22:50 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月13日 ルカによる福音書24章45-53節

369 昇天記念日 513日 ルカによる福音書2445-53
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24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。

24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

◆天に上げられる

24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。

24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。

24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、:53絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

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『礼拝に備えて』

 イエス様が十字架に架かり墓に納められた時、弟子たちは意気消沈してしまった。望みが失われると力が出てこない、勇気が出てこない。何かしようとする気にもなれなかった。人間と言う者は本当に不思議なものです。

 しかし、今の弟子たちは変わっていた。復活されていから40日の間何回も弟子達に出会われた。それも彼らが失意のどん底にある時に、彼らの心の前に来られた。「信じないものではなく、信じる者になりなさい。」と励まされた。 

 絶望の中にいる弟子たちは、繰り返してイエス様に出会い、イエス様のお言葉を聞くうちにその心が変わって行った。彼らはイエス様を伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」そこはイエス様を十字架につけよと叫んだ群衆、祭司たちがいたことだろう。しかし、そのただ中で神をほめたたえ、この少し後には、大胆にもイエスは神子であったことを

そこにいる人々に話し始めたと言う。

 今の時代、私達の周りにはいろいろな心配事が山積している。しかし、勇気を出しなさい、とのイエス様のお言葉は、昔も今も変わりなく語り続けられている。自分の力が弱くなった時に、私達はその主の励ましの小さな声を聞くことが出来るからだ。悲しみや苦しみは自分の力を無力にする。しかし、そんな時こそ神様の声が聞こえる恵みの時なのです。

 「わたしはいつでも、あなたのそなにいる。信じる者になりなさい。神様を賛美して喜びにあふれた心を持ちなさい。どんな時にも・・。


# by minitayori | 2018-05-12 22:45 | Trackback | Comments(0)

バラ屋敷のバラ

バラ屋敷のバラ
買い物に行く道すがらに、薔薇屋敷がある。もっともこの名は
私が名付けたものだが、この家の若い奥さまが花が枯れると
手入れをなさる。小枝を切り、枝を歯ブラシで磨いている。
何をしているのかと聞いたら虫がつかないように手入れをしてい
るという。薔薇を愛するご婦人が真のブドウの話が重なった。

まことの神の子となるように助けていて下さる神様を!

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# by minitayori | 2018-05-12 22:39 | Trackback | Comments(0)

4月29日の聖壇の花

4月29日の聖壇の花
百合は教会でっ復活を示すシンボル。私には励ましと見えた。

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# by minitayori | 2018-05-05 22:24 | Trackback | Comments(0)

「みにたより368」



「みにたより368」

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 正直、お葬儀も納骨も辛い務めだった。しばらく何もしたくないと思うほどの気持ちになった。特に親しい大切な友人だっただけにその疲労感と虚脱感の入り混じった切ない気持は強烈だった。前号のブログの投稿の時にこの「サービスは中止します。」と書いてあるのを見て、途方に暮れると同時に、ほっとしてこれでやめられると思った。

 事実そのつもりであった。しかし、電話でやめないでください!と言われ、その夜、天に召された敬愛する友人から、いつものようにお叱りの言葉が聞こえた。「わたしは命をかけて自分に与えられた舞台を勤めあげて、神様に召された。先生には生きている限り、すべき勤めがあるでしょう。んメッセージを持ったいる人もいますよ!」 弱音をはくといつも電話で聞こえてきた言葉だった。妙に鮮明に聞こえてきた。

 自分の命がある限り、待っていてくれる人がいる限り、精いっぱい自分に出来ることをする、どんなに苦しくても、自分の果たすべきことを精一杯果たす。友の生き方だった。わたしもこのような生き方をしていたい。

イエス様に「わたしの友よ!」言って迎えられるように。明るく楽しく、日々の時を大切に!e0191585_22182980.gif






# by minitayori | 2018-05-05 22:19 | Trackback | Comments(0)

赤い薔薇一輪

赤いバラ
前回、不具合があって使用中止と書きましたが、続けられる間は
続けてみます。よろしく。
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# by minitayori | 2018-05-05 22:04 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月6日 ヨハネ福音書15章11-17節

56日復活後第5主日 ヨハネ福音書1511-17

15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。

15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。

15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

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「礼拝に備えて」

15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友で人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。

 イエス様は弟子達を「わたしの友」と呼ばれました。イエス様を裏切り、見捨てて逃げ出した弟子達、その弟子たちに対して「わたしの友である。」と断言されたのです。どんなに弱くても、無力になっても、その人がどのような存在になろうとも、イエス様はご自分の気持ちは変わらない。「わたしはあなたを友と呼ぶ。」と言ってくださいました。

 年をとると言う事は、孤独になると言う事だねー。と先だって召された働きの先輩である友人が語っておられた。語り合う友がいなくなり、若い人たちとはうち解けにくい。ゴールデンウイークだと言うのに、行く場所もないし、出かける元気ももない。テレビを見ながら高速道路の渋滞を見て、懐かしく思う事もある。

 当時は冷房がなくて、氷をビニールに入れて頭に載せて運転しているのを、冷房の入っている高級車が通り過ぎながらにやりと笑って行くのを悔しく思う事もあった。こんな思い出を楽しめるのも長く生きてきた賜物なのだろうと、歩いてきた過去を振り返りながら、思い出をありがとう!という気持ちになる。

 こういう時だからこそ、ふとくちずさむ讃美歌が312番「いつくしみ深き」。この讃美歌の言葉の深い味わいに、改めて心に温かさを感じる。そういえば敬愛するご夫妻の葬儀にも、ご本人の希望でこの讃美歌が遣われた。そして今は、孫を寝かしつける時の子守歌にこの讃美歌を歌い続けている。


# by minitayori | 2018-05-05 21:59 | Trackback | Comments(0)

赤色のバラ

赤色のバラ
いつものバラの屋敷のつるバラも咲き始めましたが、いつもとは
違う道の屋敷の庭に毎年咲く赤いバラ。教会では赤いバラはイエスさまが被せられた茨の冠によって流された血をを意味する。
あなたのために流された地。

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# by minitayori | 2018-05-05 21:54 | Trackback | Comments(0)

アイリス?

アイリス?
アパートの片隅に昨年から咲き始めました。
きれいな花です。
サイトに不具合があるということで、このブログはこれで
中止します。不具合が治ればこのまま始めたいのですが、
新しいサイトが見つからなければ中止になります。新しい
ブログが始まったらお知らせしたいのですが、ご希望の方は
ご連絡ください。長いお間ありがとうございました。


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# by minitayori | 2018-04-28 22:32 | Trackback | Comments(0)

「みにたより367」

「みにたより367」

 サツキもバラも熱射病にかかったようにしぼみ、枯れてしまった.午後、買い物に出かけたら、きれいな花があちこちに咲いていました。

真っ赤なバラ、紫のアヤメ?かな。牡丹も咲いていた。

 なにもない練馬の片隅だが、住宅の小さな庭にきれいな花が咲いている。写真を撮るのか簡単だが。育てている人は大変mな努力をしているのを見ていた、感心してしまう。バラの館の都留バラは、毎年剪定して、身き一本一本を歯ブラシのようなもので身がいていた。

 多分ばらの木にはアブラムシのような虫が無数について、葉を枯らしてしまう。昔田舎の我が家で、母が同じことをしていたのを見ていた。その木の遠くなるような努力の結果、きれいなバラが咲く。それを惜しげもなく道行く人々に観賞させてくれる。私は写真を写し始めてから、毎年、何枚か現像して手紙を添えてお綿足することにしている。

 この近所にどのような花が咲くか、おおよそわかってきた。いまんもうちは記憶していて見に行くことが出来るが、いつまで記憶しておくことが出来るか。でも忘れれば毎回、感動して見えるのだから、売りして覚えなくてもよい、と思っている。

 花は自分の置かれたところで、同じ色、同じ時期に咲いている。それでも文句を言う事もない。豪華に見える花が、荒れ果てた庭の片隅に咲いている事もある。雑草に混ざって咲いている花もある。誰かが喜んでくれればそれで良いと思っていおるのかな!

 感嘆の声よりも、小さな「ありがとう!」と言う声の方が貴いと思っているのかもしれない。こんな花のようなきれいな心でいたいですね。いつまでも!

*サイトの都合でこの号で終わりになります。またサイトの不具合が治れば始めるかもしれませんが、散りあえずこれが最後です。今までありがとう!


# by minitayori | 2018-04-28 22:24 | Trackback | Comments(0)

イエス様に連なって生きる

イエス様に連なって生きる
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# by minitayori | 2018-04-28 22:19 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 4月29日 復活後第4主日 ヨハネ福音書15章1-10 

429日 復活後第4主日 ヨハネによる福音書15章1-10
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◆イエスはまことのぶどうの木

15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

15:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。

15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。:8 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

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「礼拝に備えて」

 「わたしは真の葡萄の木」。真のぶどうの木、それは木に連なる枝に充分な養分を与え、良い実を結ばせる木の事である。木は養分を与え、力を与えてたわわな実らせる、その仕事を弟子達、つまりイエス様に連なる人々に託したのです。

 一人一人は力やあち場の違いはあっても、その与えられた所で、神様の力をいただいて精一杯の自分の実を実らせなければならないのです。それをさせてくださると約束してくださった。事実、私の近くの周りにある駐車場は砂地であり、また所によってはコンクリートやアソファルトに、塗り固められている。しかし、その隙間から美しいポピーの花が咲き始めている。

 多分小鳥がついばみ、持ってきて落としたものであろうと思うが、その命の強さと、託された自分の使命に託された勤めに忠実にあろうとするけなげなさに心打たれています。

 先週は敬愛する友の納骨式が行われた。73年をっ精一杯生き抜かれた友人だった。

 世界のトップでソプラノ歌手として活躍し、ウイーンの歌劇場で初めて日本人として専属歌手となった方だった。ご主人はオーケストラの副指揮者であり、ピアノの名手であられた。ご自分は喉頭がんで、病を持ちつつ、音楽大学で教べんをとり、若い人々の育成に取り組んできたが、3年前に病気が悪化、召されてしまった。

 奥さんも10余年前に進行性大腸癌にかかり、sy術を毎年のように受けつつ、演奏会を続けられた。ご主人と一緒に行うはずであった50周年記念コンサートを昨年11月に計画していたが、またがんが再発、手術を勧められたが、コンサートが出来なくなると投薬による治療のみでコンサートに挑まれた。

 痛みどめを注射しながら1時間余りのコンサートを一人で歌いあげた。皇后さまも来会、コンサートは万雷の拍手で成功裏に終わったが、そのまま入院し、また手術、しかし今回は病魔が全身に広がって、再起できなかった。

 夫人は、ご自分の最後のコンサートのCDを聞き終わると静かに眠りにつき、そのまま先に召された夫に会えることを楽しみに、神様のみ国へと旅立たれた。ご主人の葬儀一式、そして今度は夫人の葬儀一式を頼まれ、体力に自信がなかったが、神様が助けてくださると信じて一ヶ月を過ごして来た.

 精一杯命の花、感動と言う花を与え続けたご夫妻の生涯を思いつつ、私の精一杯で過ごした日々だった.今は、虚脱感とさみしさでいっぱいです。.


# by minitayori | 2018-04-28 22:15 | Trackback | Comments(0)

紫のチューリップ

紫のチューリップ
行列になっていたチューリップの中に、仲良く寄り添うように
咲いていた紫のチューリップ。何か話し合っているようだった。「やっと咲けて良かったねー」「うん!できる限り頑張ろうね。皆を楽しませるように。」そんな風に聞こえた。

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# by minitayori | 2018-04-21 22:08 | Trackback | Comments(0)

「みにたより368」

「みにたより368」

突然の猛暑で、裏庭のバラの花が満開になったのに、水分を失ったように身をちじめている。あと2,3日でまた雨が降ると言われているが、それまで頑張ってほしいと願っている。

明日の日曜日は敬愛していた友の納骨式が行われる。熱中症注意の連日の放送に、集う人々の健康が心配だ。人の事より自分のことを心配しなければならない。友人が車で迎えに来てくれると提案してくださったが、目が痛くなるのと腰痛が出るので、感謝しつつお断りした。

これが最後の働きになると思っているが、いつもそう思っていると少し先に、神様が御用を用意してくださる。そのために体調を整えて備えて入るが、迷惑をかけないようにと自分の限界を見誤らないように気をつけなければと思う。

この頃そんなことばかり言っているような気がするが、真面目な話なんです。老いると言う人生の新しい領域に入っているのであることはよくわかっている。その時代を大切に生きたいと思っている。昔と比較しないで今らしく、出来ることをして生きるのが神様のみ心もわかっている。でもね、と思う所がいけないのですね。
今を楽しく生きようよ!

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# by minitayori | 2018-04-21 22:00 | Trackback | Comments(0)

白いクレマチス

クレマチス
近くのアパートの入口に季節ごとにきれいな花が咲いている。
たぶん独身者マンションのようだが、仕事から帰った人を
慰めるためのオーナーの配慮でしょうか。そう思うとうれしい!

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# by minitayori | 2018-04-21 21:57 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 4月22日 ヨハネ21章15-19節

422日 復活後第3主日 ヨハネによる福音書2115-19

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◆イエスとペトロ

21:15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。

21:16 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。

21:17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

21:18 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」

21:19 ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

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「礼拝に備えて」

 復活の主は弟子達と食事をした後、ペトロに問いました。「わたしを愛するか?」と。3度イエス様を知らないと言ったペトロ。イエス様が捕らえられて連れて行かれる時に、逃げ出した弟子達。裁判の庭に入り込んだペトロは、そこで働く婦人に、「あなたはイエス様の弟子だった!」と言われて、3度も否定し、涙を流した「はペトロ。

復活の主にあっても、なかなか信じきれなかったペトロや弟子達。それはわたしたちの姿でもありました。しかし、そのペトロを赦し、再び弟子とするためにペトロに問いかけました。「わたしをあいする?」。しかもペトロがイエス様を否定した数と同じ三度も同じ質問をされました。

ペトロは二回までは「はい愛します。」と答えられたが、さすがに三度目は心の深くまでその問いは突き刺さり、愛しきれなくて、イエス様を否定した自分の愚かな姿を思いだし、「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」

ペトロの謙遜をイエス様は用いられました。「イエス様がすべてをご存知です。」と身を小さくして答えるペトロを、改めてイエス様はイエス様の証人として世に送りだしたのです。

先日友人の牧師が天に召された。牧師の手本のように心優しい、気配りの出来る方だった。しかし、病に倒れ、病床にあって静かに自分を思い起こされたのか、「わたしは罪人のかしら。」というメモが残されていた、と言う。その謙遜さがわたしの尊敬する先生の姿であり、自分も同感しながら、今を過ごしている。

しかし、イエス様は十字架で祈られました。「父よ、彼らをゆるしてください。彼らは何をしているのかわからないからです。」主の前に生きる信徒は、いつもこの祈りに支えられている。自らの弱さを知る心と、それでもなお愛されるイエス様のお心を知ってほしいと祈りたい。


# by minitayori | 2018-04-21 21:52 | Trackback | Comments(0)

チュウリップの行列

チュウリップの行列
郵便局に行く途中のマンションのわずかな敷地に花壇があった。
チュウリップが行儀よく並んでいた。争うこともなく、
置かれたところで一生懸命咲いて花。きれいでした。


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# by minitayori | 2018-04-21 21:41 | Trackback | Comments(0)

白いハナミズキ

白いハナミズキ
公園の近くの家の庭に白いハナミズキがあった。清楚な感じが
気に入った。派手さはなかったが、そのままの美しさが見える。
彩らない美しさ、そんな生き方も必要なのかもしれない。

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# by minitayori | 2018-04-14 21:56 | Trackback | Comments(0)

「みにたより367」

「みにたより367」

 幕末の闘士であったある方が、「わたしはこのため死が待っていようと、前向きに死にたい。」と言われた話を聞いたことがある。昔の言葉ではもっと迫力があったが今の言葉でしか思い出せない。しかし私もいつもこのことを心に留めてきた。先日、新しいリハビリの施設に移った。元気に歩けるように、と言うキャッチフレーズを見てすぐに申し込んだ。

 今までと同じように水曜日の午後3時間ほどの運動とリハビリが行われている。水曜日の午後は女性ばかりですがいいですか?と問われたが「結構です。」と申し込んだ。今週初めてのリハビリに行ってきました。早速隣に座ったご婦人に「お年は?」とお決まりの挨拶。79歳になりました、と言うと、「お若いわねー!」と言われてしまった。

 その方は92歳、ご主人が96歳で病気がち、と早速グチから始まり、自分の体調の説明が始まった。黙って聞いているだけだが、心の中にあることを誰かにはけ出したいのだなーと思ったが、これが毎週続いたら、歩ける元気が出来ても大変だと思った。

 でも帰りにそのご婦人が嬉しそうに手を振って帰って行ったのを見て、何かのお役に立ったのかなーと多少気持ちが和らいだ。みんなどこかで助け合いながら生きている。話すのも聴くのも助け合いの一つと思いながら帰って来た。

 元気に歩けるようになった? 一回では無理ですね。帰って足が重くなりました。外に出て歩くエネルギーを作らないと。近くの好きな菓子パンを売っている所があるので、時々歩くが、そうは毎日行けないですね。でも途中に公園があって、シルバー玩具が設置してある。階段上りや腕をまわして肩を柔らかくする簡単なものだが、時々利用している。

 先日はその公園の中に『花水木』の気があるのを見つけ、写真に写して来た。強風の日であまりきれいに映っていないが、見上げながら写真を構えるのもリハビリの一つと思い頑張っている。いすに座って子供の砂遊びの姿もほほえましい。ただあまり見ていると「変なおじさんが見ている。」と思われてもいけないので、怪しまれないうちに退散してきた。紙芝居屋さんにでもなって、子供たちと話ができるといいな―とも思ったりしながら帰ってきました。

  

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# by minitayori | 2018-04-14 21:49 | Trackback | Comments(0)