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ブログ再開

ブログ再開
 約一年、ブログをお休みしてしまいましたが、改めて再開します。一年いろいろなことが起こりましたが、体力の低下と、緑内症を発症してパソコンも断念せざるを得ない状況になったことなどがありますが、おいおい、その都度思いましたことを書いていきます。一年前の3月大切な心友が天に召され心身ともに疲れたのです。心友の方は高名な歌手でしたが10数年前に大腸がんになり、手術を繰り返しながら舞台に立ち続けられた方です。電話で話し、祈り励ましてきました。しかし実は逆で、いつも励まされていました。舞台の前には手紙を書き、舞台にいるときは客席で祈り続けていました。3月末に召天一年のしのぶ会が行われました。私は体調がすぐれずに、自宅で祈っていました。そんなときに心友からの声が聞こえました。「あなたはわたしが病床にいるとき、舞台に立つとき祈ってくれた。ご自分の働きに用いようとしていてくださるた。神様が支えてくださるから・・と。弱気なろうとする自分を励ましてくれた。その言葉と祈りをあなたに送ります。」そのように聞きました。生きているのは、神様が用いてくださるため、小さな働きでも神様を信じて一生懸命することが、今の私の生きる道だと気づかされました。何もできないのではなく、できることで神様に仕えてゆく、その勇気が与えられました。
               
              ゲッセマネでのイエス様の祈り

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「み心がこの身になりますように」


# by minitayori | 2019-04-08 15:44

池袋教会の聖壇の花26日

池袋教会の聖壇の花26日
向日葵はやはり暑い夏が似合う花ですね。我が家の近く
の小さな庭の向日葵は、暑さに負けて枯れてしまいました。
何とも哀れでした。

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# by minitayori | 2018-09-01 21:43

「みにたより」2018・9・2

「みにたより」2018・9・2

 生きるためにはいろいろなものが必要だが、自分の中の気力を奮い立たせる何かが必要であると最近つくづく感じて居る。今年に入っていろいろなことがあり、戸惑う事ばかりだ。大切な友人が召天、追い打ちをかけるように、大切な友人が召された。癒されてほしいと祈っていた多分最後になると思って熊本まで出かけて結婚式をした方が、癌にかかり手術、試薬の投与を受けられると喜んで東京まで報告に来てくれた方が、突然併発した病気がもとで召された。

 意識混濁の中、電話でお話し、祈った。そして次の日から池袋教会では初めて教会で行われるキリエ展示会。寂しさと心の痛みを抱えての開会礼拝であり、一週間の展示会だった。しかし、20年ぶりに教会に来た方たちや古い友人との語り合いは、わたしの心を慰めてくれた。

 しかし、終わってからぽっかりと心に空洞が出来てしまい、何も手がつかなくなってしまった。多分いろいろな疲れがたまってきたのだろうと思うが。

悪い時にはいろいろ続くもので、パソコンがいやいやして言う事を聞かない。また、プリンターもしばらく使用しなかったせいか、印刷が出来なくなってしまった。

 ブログの更新も一時できなくなったが、何とか回復したようなので、皆さんへの祈りを再開することにした。天に希望を持ちつつ、今の時に心こめて生きて行きた生きたいと思っている。半年近くお休みをして忘れられてしまったかもしれないが、祈りつつ続けたい。ただし、プリンターが調子が悪いので送ることが出来ないので申し訳ない。
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# by minitayori | 2018-09-01 21:37

暑さにも負けず咲いたバラ

暑さにも負けず咲いたバラ
裏庭の生い茂る柿の下の暗い中に一輪の薔薇が咲いていた。
柿の葉の陰でこの暑さをしのいできたのか。立派!
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# by minitayori | 2018-09-01 21:21

9月2日 「礼拝に備えて」マルコ福音書7章24-30節

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◆シリア・フェニキアの女の信仰

7:24 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。

7:25 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。

7:27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」

7:30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

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「礼拝に備えて」

 イエス様のお話の思いがけない部分が人の心を動かしている経験をしてきた。随分と昔の話だが、水曜日の聖書研究会に数名の青年が集まって聖書の学びをしていた。私は聖書学院を出たばかりで、伝道師(宣教師のお手伝い)だった。

 その集まりに来た人々が自分の聖書から得た経験や祈りの中に聞くことが出来た神様の御心などを話し合って、信仰を深め、確かめあってきた。その5人がそろって洗礼を受けたいと言いだしたので、主任の宣教師の先生にお願いしました。しかし、体調が悪いと言うのでわたしに任された。最初の洗礼準備だった。

 無我夢中で聖書を繰り返し読み、祈り、洗礼準備のための小教理問答書を学んで、自分の経験を交えてお話した。田舎から中学を卒業して働いている人々だった。私の苦しい中で信仰に至った経験は同じ経験の中にいる人々の心に感じる物があったようで、ずーと思っていた(わたしのようなものでも救われますか。)、と言う問いを聞いた時に、自分の中で繰り返し問いかけてきた我が身を思って涙が出る思いだった。

 わたしはその時に今日の日課である聖書を語った。一人の異邦人でもあった婦人が娘のために必死にイエス様に娘の救いを求めてすがりつく、私も今同じ気持ちで献身し。牧師になる道を歩いているのだよ。それを聞いて彼女たちの顔が輝き、その年のクリスマスに洗礼を受けた。5人一緒に。そして彼女たちは自分達で小さなグループを作り、「子犬の会」と名づけた。

 任期が終り、その土地を去って神学校に入る時、10年ごとに会いましょうと約束した。20年になってしまったが、再会できた。それぞれ故郷に帰っていたが、3人が集まってくれた。子犬のように神様を求め続け、二人の方は教会の役員を引き受け、立派なクリスチャンホームを築いていた。

 数年前にも呼ばれて説教をおこなうチャンスをいただいた。この時にも二人の子犬の会のメンバーが集まってくれた。み言の中に過去の恵みをいただいて働かせていただいた幸いを思いだすことが出来ました。

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# by minitayori | 2018-09-01 21:16