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次週にお日曜日の日課に思いをはせてみました

2010・2月28日(日) 四旬節第2主日:ルカによる福音書18:31-43 

18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。 
32人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。 
33彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」 
34十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。

とうもろこし
軒下にさげられた とうもろこしのひとつぶにも
芽生える命をひめている

私の中にも 私の思いを超えて 生きている命がある
命の中に命がある。
       星野富弘詩集より

 イエス様のご受難を覚える日々が続いている。イエス様はそのことを何度も弟子たちに話し、こころぞなえをするようにと教えられた。しかし、弟子たちはイエス様のお言葉の真意を理解せずに自分たちの希望が答えられることのみを考えた。
 イエス様はご自分の十字架の死の予言と同時に、大切は復活を述べておられる。イエス様が十字架にかかってくださることによって、私たちの罪が赦され、新しい命が始まることを弟子たちが悲しみを超えて覚えて欲しいこととして伝えられたのだ。
 イエス様のよる新しい命は、弟子たちの思いを越える命だった。彼らが作るものでも得るものでもなく、神が与えたもう恵みの命だったからである。十字架の死という現実の出来事は弟子たちに希望を失わせる出来事だったろう。しかし、その中に、実は弟子たちの思いを超えた新しい命が与えられていたのだ。
 今は散歩しても美しい花に出会うことが少なくなった。しかし、その分、葉っぱのしたから出ている小さな花や、道端の小さな花に眼が行く。こんなところに新しい命がまた始まっている。枯れ木ばかりの死の世界のような雑木林が、命をいっぱい抱え込んだ神の国に見える。そう思いながら散歩をしている。

by minitayori | 2010-02-25 22:36