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聖書の日課の手話訳

2010・9・5 聖霊降臨後第15主日 ルカによる福音書14:25-33
(*印は手話訳)

14:25 大勢の群衆が一緒について来たが、
  *人々 沢山 イエス様の 後ろ ついてきた。

 イエスは振り向いて言われた。
 *イエス様は 振り向き 人々に 言った。 

26 もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、
 *仮に 人 わたし(イエス様) 一緒に 来る 場合(時) けれども
 
 父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、
 *父 母 妻 子供 兄弟 姉妹  もっと 言えば 自分の命 含めて
 
 これを憎まないなら、
 *すべてを 脇に置いておく できない 時 
 
 わたしの弟子ではありえない。
 *わたし(イエス様) 本当の弟子 なる むつかしい
 
27 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、
 *自分に 定められた 十字架 担いで 従う できないものは

 だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
 *みんな 同じ イエス様の 弟子で ある 難しい


 福音書の一部を手話訳しました。イエス様のお心を汲んで、外れないようにと手話を考えるのですが、なかなか手話に訳すことが難しい言葉があります。読んだ方の中には私ならこうする、と思われる方がいるかもしれません。ぜひ教えてください。
 この個所で「憎む」という言葉に苦労しました。憎むという手話はあります。左右の手を組んで、つねるように同時に下に回します。ひねり殺すような憎しみのことでしょうか。
イエス様のお言葉には使えませんでした。「嫌う」と言う手話とか、「追い払う」とか考えましたが、自分で背負っているものを「脇に置く」と言う手話にしてみました。その肩の上は、神様の御心である自分の十字架=御心を担うために空けておくためです。
 人にはすべてその人が負うべき十字架、神様の御心、生きる目的、使命があります。それを負うために、不要なものはすべて捨てるのです。必要なものは神様が与えてくれます。
父母、兄弟家族も、また自分の命までも、神様が支えてくださると信じて、自分の肩からおろして神様に従うことをイエス様は求めていらっしゃるのです。私たちの小さな力で何ができるでしょう。神様の全面的な愛のお心にゆだねること、一番良いようにしてくださることを信じて、平安に生きることをイエス様は弟子たちに望んでおられるのです。

by minitayori | 2010-09-02 21:43