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創世記聖賢3課1と2の手話訳

創世記敵対関係
                              創世記3章

1.第1課では、「神の創造」について学びました。この教えは、私たちの生きる事の意味と価値を教えてくれました。また、第2課では、「神との調和」について学びました。ここでは、人間が存在していくうえで、なくてはならない、根本的に必要なものについて学んできました。
2.しかし、この第3課では、このような信仰と告白、つまり、神によって世界の創造がなされ、そこに神との調和があったと言うなら、どうして、今人間の社会に、このような差別があり、悲しみがあり、不幸があるのだろうか。この人生の素朴な疑問に聖書は答えようとしているのです。

<手話訳>敵対関係
         敵対=両手の背を打ちつけて離す
>第1課では、「神の創造」について学びました。
*第1の 勉強では 「神様 天地創造」 に関して 学んだ。

>この教えは、私たちの生きる事の意味と価値を教えてくれました。
*この 場所の 教え 中 私たち 人間 生きる 意味 生きる大切 を学んだ。

>また、第2課では、「神との調和」について学びました。
*また 第2課 の学びは 神様との 調和=仲直り を学んだ

>ここでは、人間が存在していくうえで、なくてはならない、
*この場所 人間 生きて行く 時 本当に 必要なもの

>根本的に必要なものについて学んできました。
*基本的 必要 内容 関して 学んだ

>1しかし、この第3課では、このような信仰と告白、
*しかし  この第3課では この 心の 告白(答え)

>つまり、神によって世界の創造がなされ、そこに神との調和があったと言うなら、
*その意味 神が 世界の 創造 され そこには 神との調和あった、と言う場合

>どうして、今人間の社会に、このような差別があり、悲しみがあり、
*なぜ 今 人間 社会に このように 沢山な 差別や 悲しい出来事があるのか

>不幸があるのだろうか。この人生の素朴な疑問に
*また 不幸が あるのか この 人の生きる時の さまざまな疑問に

>聖書は答えようとしているのです。
*聖書の 教えは 答えていて くれます。
<手話訳に思うこと>

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<一言>
私たちは不幸な出来事に出会うと、その原因を過去に見出そうとします。しかし、すべては神様の御計画の中にあると思う時、神様はこの苦しみ、困難を通して何を教え何を与えて下さろうとしているかを考えます。このように神様の中に答えを見出そうとすることを、信仰心と言うことができるのではないでしょうか。困難や苦しみが多ければ多いほど自分に頼る心は失われ、それだけ神様に頼り、神様のみ旨を素直に聞ける心が生まれます。
アダムは自己中心の思いのゆえに神様から離れ苦難の道へと歩み始めました。イエス様は従順によって、神様と共に生きる道を備えてくださいました。あなたのために!

by minitayori | 2012-04-26 14:25