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キヨセタヨリ012

 キヨセタヨリ012
2012・9月23日(日)聖霊降臨後第17主日 
聖書 : マルコによる福音書8:27-38

31 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。
32 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」
34 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
35 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
37 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。


礼拝に備えて」
 マルコはイエス様が神の子、救い主であることを、冒頭で明確にして、この福音書を書き始めた。多くの奇跡と教えをされた。自分の職場である湖畔から招かれた、ペトロや他の弟子たちは、イエス様の日々の言葉と行いに感動し、イエス様がメシアであることを確信してゆく。
一方パリサイ人たち、ユダヤの指導者たちはイエス様に対する反発を強め、やがてイエス様を十字架にかけようと計画し始めた。
今、イエス様は弟子たちを、本当のイエス様の御心を受け継ぐことのできる弟子に育てようとされる。イエス様は尋ねられた。「人々は私の事を何と言っているか」、「あなた方は、私の事をどう思っているか」。
この問いにペトロは「あなたこそメシアです」と答えた。しかし、ペトロの答えは彼自身の期待と願望から出ていた。イエス様は正しいメシア、神が遣わされたメシアは、「人々の罪の身代わりに、苦しみを受け、十字架につけられて死に、三日目に復活する」と言われた。弟子たちは復活の意味が分からない。ただイエス様が苦しみを受け、十字架にかかられる、と言う、力ない方であることに我慢ならなかった。ペトロは「イエス様を脇に引き寄せ、いさめた」。この行為に対してイエス様はペトロを叱りつけた、とある。ペトロの行為が、神の事を思わないで、自分の期待から出たことを見抜かれたから。
イエス様は弟子たちに、「わたしに従ってきたいと思うものは、自分の十字架を担って従え。」と言われた。イエス様の十字架は神の御意志。私たちの十字架は、私に与えられている神の御意志。置かれた場所で、生かされている場所で、世の光、地の塩として、今のままで精いっぱい生きること。
花を写しているといつも思う。派手に人目に付き、ほめられる綺麗な花、また雑草の中で咲く小さな花。どちらがきれいか、私はどちらもきれいだと思う。どの花も、神様に守られていることを喜んで身体一杯で表現している。小さな花でいい。人に見られなくてもいい。自分らしく精いっぱい生きていたい。そのようなあなたであるこ
とを神様は願っています。


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「断想012」
・招かれて、次の日曜日は沼津の教会でお話をしてくる。50余年前に伝道師として働いた、いわば私の出発点。昨年はその時一緒に聖書の学びをし、洗礼に至った方々が洗礼50周年を記念して礼拝をしたいとお招きをいただき、懐かしいひと時を過ごさせていただいた。
・今回はそれから一年目なので、もう一度来ないか、と牧師からのお話で、喜んで参加することにした。今回はその先生にお休みしていただき、自分で全責任を持つ。式文が歌えるか、説教に声が出るか、いささか心配。
・でも昨日、小石川教会で2時間半の手話の講習会をしてきた。久しぶりの長話だったが責任を果たせた。これで少し自信がついた。
・教会の人々がイエス様に出会えるように、心をこめて話してきたい。
・雨で少し涼しくなった。草木も潤いを取り戻した。しかし、気候の
変わり目、お体に気をつけて!神様の祝福を祈ります。

by minitayori | 2012-09-21 11:32