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キヨセヨリ015

キヨセタヨリ015 10月21日(日) マルコによる福音書10:17-31 

17イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 18 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 19 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 
20 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 21 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 22 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
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「礼拝に備えて」
本日の聖書の箇所は、一般に「富める青年」と呼ばれていますが、マルコの書き方をみますと、ただ「あるひと」と書いています。
この人は、人生を完璧に生きようとしていました。律法は正しく守り、人間関係も大切にし、両親も敬ってきました。ある意味では模範的な生活をしてきた人です。しかし、この青年はどうしても、満足がゆかない。それは自分の力で得ることが出来なかったもの、「永遠の命の保証」でした。

この「永遠の命」についての、金持ちの男と、イエス様の答えとの間には、大きなずれがあるように思われます。男は自分はすでに幼少の時から、律法を完璧に守ってきたという、ユダヤ人としての誇りを持って、「永遠の命」を得る方法を尋ねています。しかし、それを知っても、イエス様はこの男に、あなたの信仰は立派とはいわれません。むしろ「足りないものがある」と言われたのです。

十戒(律法)に対するイエス様とこの人の理解の違いです。この十戒は2つの石の板に書かれました。イエス様は、この第1の石版に書かれていることは「心をつくし、精神を尽くして主なる神を愛すること」であると言われました。
そして、第2の石版は、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛すること」であるとイエス様は教えられました。

さて、イエス様がこの男に問い掛けられた戒めとは何でしょうか。
「永遠の命を得るために何をすればよいのでしょうか」とイエス様に質問した男ですが、彼の言葉には、自分の力への誇りが見られます。イエス様はこの男に、何を言われたのでしょうか。

イエス様は何かを達成すれば、永遠の命が授かるとは言っておられません。その逆です。すべてを捨てて、私に従いなさい、と言われたのです。それは、自分の富や力に頼って生きる存在から、神に従い、神に助けられて生きる存在に変わることです。

イエス様はこの富める男の人に答えられるとき、「彼を見つめ、彼を慈しんで言われた」とあります。イエス様のまなざしは言っています。永遠の命は、真実に求めるものに与えられるものなのに、と。

彼のその後の人生については、聖書は何も語っていません。しかし、イエス様は、この金持ちの青年を、彼が自分中心の思いで一人悩んでいるとき、彼を慈しみを持って見つめていてくださいました。

永遠の命は、自分の知識や知恵、経験で得るものではありません。神様の愛、イエス様の慈しみによって与えられるものです。ここに神様の愛があります。あなたにもこの神様の愛のまなざしが注がれています。御心を受け止め、喜んで日々を過ごしてください。

by minitayori | 2012-10-20 14:54