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礼拝に備えて 2013/9/1 使える人に

2013・9・1
9月1日(日) ルカによる福音書14:7-14  
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14:7 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。 
「略」 
11 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 12また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。 14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
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「礼拝に備えて」
・昔、後輩の牧師が「先生と呼んでくれない」と憤慨しているのを聞いたことがある。
・その時は、「先生」とは、先に生まれたと書くし、また、先ず生きているともいうことだから・・・、と冗談を言って笑って済ませたものだ。
・しかし、自分が牧師になって、信徒の方から「小嶋君」と呼ばれた時、「むっ!」として、そのあと「はっ!」としたのを思い出している。若い時だった。意気込んでいるときだった。
・その時から、もう一度先生という言葉の意味を考えるようになった。牧師が先生といわれるのは、私を牧師に立ててくださった神様が共に居てくださるから、私にではなく神様に向かって「先生」と呼んでいるのだと思うようになった。
・引退した今、このケアハウスにおいては一信徒でいたいと願い、「先生」と呼ばれることを固辞してきた。
・ある雑誌に投稿するときの自己紹介の欄に、引退したので今は現役の牧師ではありませんので、先生はやめてください、と申し出た。すると編集者の方から、「牧師って、引退したら牧師の仕事も使命もなくなるんですか。牧師の召命と献身は一生をささげるものと思っています。」と教えられた。
・今週のみ言葉は人の心に潜む、偉くなりたいという心が作りだす醜さを教えている。人を蹴落としてまでも上に登ろうとする心の醜さを。
・その様な心から、「人の不幸は蜜の味」などという悲しい言葉が出てくる。
・イエス様はそのことを否定するよりも、もっと大切なことを教えておられる。それは「仕える人になりなさい」ということである。「悲しむ者と共に悲しみなさい。」
・イエス様が人々を愛し、僕のようになって人々を愛されたように、「心低く、人々の幸せを願う者、人の幸福を共に喜ぶ人になりなさい」と言われる。
・イエス様のお心にいつまでも謙遜に従って生きる者でありたい。改めて教えられています。

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                 洗足のイエス様

by minitayori | 2013-08-31 21:13