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礼拝に備えて 2013・9・8 ルカ14:25-33自分の十字架を

2013・9・8 ルカによる福音書14:25-33 「自分の十字架を担いて」
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14:25 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 26 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
 27 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
33 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」


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「礼拝に備えて」
・イエス様は、今の私たちに自分の十字架を背負ってついてくるように言われました。
・聖地エルサレムに行くと、ドロロッサと言われる悲しみの道があり、巡礼者はその道を、実際に十字架を背負って歩き、イエス様の苦しみの疑似体験ができるそうだ。
・私は写真でしか見たことはないが、道の所々にイエス様が倒れ、マリアに語りかけ、シモンに十字架を負ってもらったなど、彫刻があると聞いた。
・最近行った方に聞くと、彫刻ではなくて絵が飾ってあったというが、それはどちらでもよいこと。
・自分の十字架というのは、イエス様の疑似体験をすることでも、十字架にかかって死ぬことでもない。
・イエス様は神様の御心としてのご自分の歩むべき道筋に、十字架があった。ご自分の、神様から託された避けられない働きであった。
・私たちには、今の私たちがどのような状態になっても、命を与えられている限り、神様のみ旨が命と共に託されている。その神様のみ旨をしっかりと聞き取り、そのみ旨に従って生きることが、自分の十字架を負うことではないか。
・こんな例話がある。ある方が、自分の人生の苦しみに音をあげて、神様に頼み込んだ。自分の十字架は重すぎるから、少し軽いのにしてほしいと。
・神様はその人をいろいろな十字架の置いてある所に連れていった。
その人はたくさんの十字架の中からあれこれと選び、自分に負いやすい手頃の十字架を選んで、神様にこれにしてください、と頼んだ。
・神様はにこにこして、「よかろう、しかし、よく見て御覧。お前が手にしているのは、今までお前が背負っていた十字架なのだよ。」
・神様は私たちに負いきれないような十字架は負わせられない。いつでも、支え、助けていてくださる。
・だからどんなときにも「今は、救いの時、恵みの時」と感謝の声を上げることができるのです。自分の十字架を背負って、イエス様に従って行こう。神様が共に居てくださることを信じて!

by minitayori | 2013-09-07 21:13