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礼拝に備えて 2013・11・10 ルカ19:11-27 「託されたマナ」

2013・11・10 聖書:ルカ19:11-27 「託されたマナ」
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19:11 人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。
12 イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。13 そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。 15 さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。
 16 最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。 17 主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』
20 また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。 21 あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』
 24 主人は、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』 
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「礼拝に備えて」
ケアハウスの庭は、入所者の先輩に聞くと、建築の時の廃材、コンクリートの塊や瓦礫でいっぱいだったそうだ。今のようなきれいな花を咲かすために、こつこつと石を拾い続けた方がおり、砂を入れ、落ち葉を入れて、種をまき、木を植えたという。今私はその人々の恩恵を受けて、きれいに咲いた花を写真に写して喜んでいる。
花を咲かすまでの努力は並大抵のものではなかった、と聞いている。花も薄い土の上で、やっとの思いで小さな花を咲かせたのではないだろうか。
イスラエルの人々も、かつては遊牧の民で、貧しく力のない、弱い民だった。この流浪の民を神は導き励ましてきた。それは、彼らが彼らに託された、神の御心というそれぞれの花を咲かすためであった。
しかし、エルサレムに定着すると、人々は神の託された、自分の花を咲かすよりも、自分の欲望の花を咲かすことに専念し始めた。国は荒廃し、民は疲弊していた。国の指導者は民から搾取し、己の欲望を満たすことに汲々としていた。
イエス様はそのただ中に来られて、人々に彼らがどのように生きるべきかを教えた。貧しくとも、神を信じ、み心に従って託された自分の花を咲かせて、人々を慰めていたかつてのイスラエルになってほしいと思ったからだ。神は全ての者に、そして教会に神の豊かな命と富を預けた。それぞれが自分の置かれたところで精一杯に生きて、神の愛の実を結ぶことを待っておられる。
今地方の教会は疲弊している。新しい人もなかなか来ないし、高齢化で教会に行かれなくなった人も多くなってきた。地方の教会の悲鳴が聞こえる。
教会に託されたマナはそれぞれ違う。その土地にあった、託された恵みを用いて、神様に喜ばれる収穫をお返しできるようでありたい。都市にある教会は、地方の教会を助けられるように、祈る教会であってほしい。日本のすべての教会は、同じイエス様に連なる兄弟姉妹なのだから。

by minitayori | 2013-11-09 20:40