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礼拝に備えて2013・11月17日 神の愛のうちに生きる 

2013・11月17日(日)聖霊降臨後第26主日
 ルカによる福音書20:27-40
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20:27 さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。 28 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 29 ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。 30 次男、 31
三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。 32 最後にその女も死にました。 33 すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」
 34 イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、 35次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。 36この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。
 37 死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。 
38 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」
 39 そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。 40 彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。
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「礼拝に備えて」
・今日の最大の病気は、らいでも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、だれもかまってくれない、みんなから見捨てられていると感ずることである。

・最大の悪は、愛の足りないこと、神からくるような愛の足りないこと、すぐ近くに住んでいる近所の人が、搾取や、権力の腐敗や、貧しさや、病気におびやかされていても無関心でいること。

以上は、マザーテレサ語録の一節です。

 今日の日課の聖書では、サドカイ人がイエス様に復活の論争をしかけている。彼らはイエス様に尋ねました。7人の兄弟が兄の嫁と次々に結婚した。復活した時に、だれの妻となるのか。当時の風習からすると矛盾点があることを指摘した質問だ。
律法の知識で心を一杯にして、家系を絶やさないため、また寡婦への助けのために作られた神様の愛のお心を学ぼうとしなかった。愛のない心、考え方が神の民の宗教の中に充満していた。これが人間の思いの支配する世界。
 理屈からすれば、確かに、疑問でもある。男にしても困るし、妻になった人にしても兄弟の中には嫌いな人もいたはず。復活があるならその時にひと悶着おこる。人間的にみればそうだ。
 あるとき、老人会で話をした時、復活の話になった。何歳の時の姿で自分は復活できるのだろう、という話になった。腰が曲がった今の状態で復活するのはいやだねー、という結論だった。笑い話のようだが、真剣だった。
 神様の愛の内に感謝して生きることが神様の命に生きること。神様は活きていて、いつも私たちの中で働いていてくださる。永遠の命の持ち主である神様の中に生きる時、すでに復活は始まっており、やがての時、神様の愛する子として復活することが出来る。
 神様と共に生きる時、あなたの神の国での復活への道は始まっている。だからいつも、神様と共に生きていこう。神様わたしを覚えていてください、と祈りつつ。

by minitayori | 2013-11-16 20:16