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礼拝に備えて 2014.8.31 「私の力ではなく」

8月31日(日)  マタイ13章22~33 「私の力ではなく」
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13:31 イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」 また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

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「礼拝に備えて」
 私は牧師という働きに召されて、いろいろな試練に遭遇してきた。その時にいつも思いだすことは、自分がイエス様と出会った時の事だ。高校生の時、宣教師に勧められて、当時、東海教区にあった梅が島ルーテルキャンプ場に行った。聖書も読み始めたばかり、祈りすらまだできなかった時だった。
 キャンプでは夜の黙想の時間があり、聖書を読んで好きな聖句を暗記するように勧められていた。私は黙示録の3章の20節が心に響いて暗記していた。その夜、みんなで車座になって祈っていた。生まれて初めての経験で祈ったことがない私はどうしてよいかわからなかった。みんなが順番に祈って、自分の番になった。みんなの祈りをまねて「天の父なる神様・・」と言った途端に、雲の上に乗ったようになり、頭の中は真っ白になった。
 次の言葉が出ない。泣きたい気持ち、その場を逃げ出したい気持ちになった時、小屋を見回っていた宣教師が、私たちの小屋のドアをたたいた。心臓に響く音だった。同時に「見よ、私は戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸をあける者があれば、私は中に入ってその者と食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう。」黙示録3:20節の覚えたばかりの聖書のみことばが、その一瞬に私の心に根付き、それからこのみ言が私の心の支えとなって、洗礼にいたり、その後の働きの中でも事あるごとに聞こえてきた。
み言の一節、それは心に播かれた小さなからし種であったかもしれないが、ひとりの人間の生涯を変えた。私の場合、大きくなって鳥が宿るような木にはならなかったが、からしだねの中の命は生き続け、また、播かれてきた。その種がどのように育ってゆくかを楽しみに出来るのも、今の私に与えられた素晴らしい喜びだ。
 神様の播かれた麦にも、からし種にも、神様の命が宿っている。決して失われることのない神様の命が。このブログを読む人にも、きっとその命の種が播かれていることと思う。いつか成長し実るのを私は楽しみに待っている。


by minitayori | 2014-08-30 20:58