10・5(日)マタイ18章21~35 「許しの群れ」

10・5(日)マタイ18章21~35 「許しの群れ」
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18:21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
18:22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。

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「礼拝に備えて」
 随分昔の話だが、491という映画が話題になりました。この映画の主題は今日の聖書の日課の(イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」)この言葉から取ったと言われて問題にもなりました。
 当時は貧しくて映画どころではなかった私は見ていないが、皆さんにはお分かりでしょうか。7×70は490になります。この映画は、490を超えると許されない罪があるということ、人間の行動の中で、限度を超えた許しはないというのでしょうか。
 しかし、イエス様はその様なことのためにこのお話をしたのではありません。七回許すという戒律は当時のユダヤ教の中にあったものです。この戒律を文字通りに読んだ所にこうしたまちがいが起こりました。
 七回の赦しの意味するところは、「七」はユダヤ人の世界では完全を表すものでした。ペテロはその戒律に従って七回許せばよいのでしょうか、とイエス様に尋ねたのです。
 このような心の中に何があるのでしょうか。相手の罪を数えながら憤りを心にため込んで、まとめて爆発させるのが人間の許し方ではないでしょうか。それは許すのではなくため込んでおくことです。
 英語ではゆるす(forgive)と忘れる(forget)とはよく似た言葉で表現されます。英語については、不得手で細かく説明はできませんが、イエス様のお心の中にある赦しは、無限の大きさと深さを示しています。
イエス様は、許す時には490回ではなく完全に忘れてしまうことを望まれ、そして憤り憎む心に愛を満たして相手を丸ごと受け入れることを望まれました。
 それが見える形で表わされているところが、「教会」なのです。「あなた方がお互いに赦し合い愛し合っているなら、あなた方は確かに私の弟子であることを、世の人々が知るようになる」とのイエス様のお言葉が同じマタイ福音書に記されています。


by minitayori | 2014-10-04 21:43