礼拝に備えて 11月23日(日) 「神の国に入る条件」
11月23日(日) 聖霊降臨後最終主日 「神の国に入る条件」
●マタイ25章31~46
25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
「礼拝に備えて」 「神の国に入る条件」
日本において繰り返された戦争の歴史の中で、一番被害を受けたのは、戦争に役立つ青年と障害者の人たちでした。富国強兵の思想は、人間を甲乙丙丁に区分けして人間を差別し、病人や障害者はごくつぶしとして生きること自体を否定される状態でした。日本は平和憲法に守られて60年を過ごしてきました。障害者や高齢者の人権も大切にされる国になってきました。この状態がこれからも長く続いて欲しいものです。
次の文章はルーテル教会の聖書日課のこの日のメッセージの中に記されているものです。
北ドイツの郊外にベテルという町があります。ヨーロッパにおける、キリスト教精神で運営されている社会福祉施設の中心地です。第二次世界大戦中のことですが、ヒトラーは「障害者」を安楽死させるように命令しました。ヒトラーの目からは、「障害者」は戦争には役に立たない存在でした。その時ベテルでは、所長を初め、職員たちが、「やるなら、自分たちを先ず始末してからにして欲しい」と言って、身体を張って「障害者」たちのいのちを守り抜こうとしたのです。なぜ彼らは、ヒトラーに抵抗したのでしょうか。
ボンヘッファーは次のように述べています。「弱い者や見ばえのしない者、見たところ役に立たないと思われる者を、キリスト者の生活共同体から閉め出すことは、まさに、貧しい兄弟(姉妹)の姿をとって戸を叩きたもうキリストを閉め出すことを意味する」。これこそ、べテルの職員たちがヒトラーに抵抗した理由です。
キリスト者の交わりの中から、役に立たないと思われる者を閉め出してしまったとき、じつはキリストも一緒に閉め出しているのです。言い換えれば、キリストは、もっとも弱い者、小さい者の姿をとって、私たちに出会ってくださるということです。
ルーテル教会の若い牧師の中に、このような考えを持って牧会をし、教会を守っている方がいることがうれしいのです。多分大部分の先生方が同じ考えでいてくれると信じていますが、40年の間、聴覚障害者の中で働き、慣れない言葉の中で苦闘してきた者にとって、どちらかというと教会の理解はまだまだ十分ではありませんでした。
時には私自身が、 障害者の働きをしているということで奇異に見られることすらありました。だから、この日の日課に記された言葉がうれしかったのです。教会にとって、キリスト者にとって、隣人に愛を持って仕えることは、キリストに従うことでもあります。またそのような心が支配する所にキリストがいまし、キリストと共に神の国も生まれてくると思うのです。
神の国は遠い未来のことではなく、今、私達の周りに始めてゆくべきことなのです。イエス様のみ言葉に従い、神様のみ旨が地上にも始まるように、そのように祈り生きる者こそ、神の国にふさわしい者と教えられているように思います。
キリストのみ愛に触れたその時に
水野源三
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました。
憎しみも恨みも、霧のように消えさりました。
キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました。悲しみも不安も
霧のように消え去りました
キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました。
喜びと希望の朝の光がさして来ました。
by minitayori | 2014-11-22 20:10