「ミニタヨリ191」

「ミニタヨリ191」
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 遠い昔のことだが、沼津教会には当時(54年前)、アイモン宣教師がおられ、一人ぼっちの私はよく家に招かれた。子供たちと遊んだり、夏休みには留守番をして、庭の草取りをした。最近始めたフェイスブックでアイモン夫人と再会し、お話をするようになった。
 昨年沼津を訪問されたようだったが、私の体調が悪くて会えなかったが、覚えていてくださった。アイモン先生は、本当に宣教一筋の先生で、日本人の魂を愛された先生だった。日本語は奥さんの方がうまかったが、これは当時の宣教師のほとんどがそうだったように思う。奥さんの方が買い物などで地域の人と話す機会が多いので、日常会話が上手になるのだろう。
 先生は英語で説教を作り、英語のできる人に頼んでローマ字で書かれた原稿を読んでおられた。大変なご苦労であったと思うが、ローマ字に訳す方が、切る所を間違えたりして意味不明の所もよくあった。先生は礼拝が終わったあとで、二人になると「どうだった?」と若い私に聞かれた。この場所はここできるほうがよかったですね、とか、ここに一呼吸入れるとよかったですね、などと生意気に意見を言った。
 しかし、内容がおかしくて論争になるとお互いにひかなくなり、険悪なムードになったこともあった。牧師になって手話で話すようになって、手話に訳せない言葉を、私の手話の先生に聞いた。その時こう訳すと言われても、日本語の解釈を手話に直すとそうかもしれないが、聖書のお話、イエス様のお言葉の意味からするとどうしても違う。
 そんな論争になることもしばしばあって、その度にアイモン先生との話し合いを思い出した。先生には神様から聞いた、神様の心を伝えようとする熱心さがあった。私はまだ聖書の内容もわからないでいるので、その辺の擦れ違いが多かったのだろうと、昔の生意気な自分を反省したものだ。
 説教もそうだが聖書のみことばを読むとき、イエス様のお言葉を、その時の状況を考えイエス様のお心を読み取るようにしている。それを心に描いて、手で再演する、それが聖書の手話にとって一番大切なこと。このことを通してイエス様が何をわたしにおっしゃりたいのか、イエス様のお心はなんだろうか、どんな状態の中でお話しているのだろうか、そのことを考えながら、それを今の人にわかるようにお話をする。やさしいようで難しい。しかし、その様に考えることによって、少しずつでもイエス様のお心に近づけるようにと思っている。
 聖書を読むということは、聖書の文字を通してイエス様のお心、神様のお心を感じとること、このことを忘れないでいたい。あなたもそのような気持ちで聖書を読んでほしい。イエス様がなぜ家畜小屋にお生まれになったのか。最も貧しい姿で来られたのか。それはあなたの心に入るためなのです。罪深くけがれに満ちた私の心にも、イエス様は来てくださる。それがクリスマスの喜びではないでしょうか。あなたにクリスマスの喜びがきますように。

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幼子イエス様のベッド

 ある9才の男の子が幼子イエスのための馬小屋を作った時、イエスをハンモックに寝かせました。
 母親はそれを見て、「なぜイエス様をハンモックに寝かせたの?飼い葉桶に寝ていたことを知らないの?」
 男の子は答えました。「知ってるよ。でもハンモックの方がもっと気持ちがいいと思ったんだ。」


by minitayori | 2014-12-20 21:35 | Trackback | Comments(0)

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