礼拝に備えて 2015・1・11 主の洗礼日

1月11日(日) 主の洗礼日  マルコ1:9~11
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◆イエス、洗礼を受ける
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
1:10 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
1:11 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

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「礼拝に備えて」 全ての罪人と共に
マルコは、イエス様が神の子として来られたことを福音書の最初に記しています。そしてその後、イエス様が具体的にどのような神の子としての働きをされたかが記されています。神の子として来られたイエス様を、マルコは神様が「わたしの愛する子」と言われた方として紹介し、罪人が悔い改めの洗いを受ける川の中に入られた方として紹介します。
さらに、このイエス様は、弟子たちの所に近づきながら「神の国は近づいた」と言われました。つまり、神の国というものはイエス様と共に近づいてくださる、いやイエス様と共にあることを示そうとされました。
マルコはイエス様の登場から、特別な方法でイエス様は神の子、救い主であると伝えつつ、その救い主がどのような行動をとられたかを示すことによって、今の私達に復活のイエス様の働きを示しているのです。
イエス様は神の子、罪人が近づきがたい神の子。しかし、その神の子であるイエス様は、罪人が悔い改めの涙を流す川に一緒に入ってくださった方なのです。あなたの悲しみのただ中に立って、私達と同じように罪の赦しの洗礼を受けてくださったのです。
その後何があったのでしょうか。イエス様が川から上がられる時、天から「あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえました。この天からの声は、イエス様だけに与えられたものでしょうか。そうではありません。自分の罪を悔いて涙を流すものすべてに与えられる神様のお心なのです。
イエス様は、私達のすべてにおいて共に居てくださいます。苦しみも悲しみも、罪の悔い改めさえも共に経験してくださるのです。それが神様のお心としてのイエス様に託されたお働きだったのです。イエス様は神様のお心をそのままに、その身に負われました。十字架の死に至るまで。e0191585_16233715.gif
ゲッセマネの祈りを思い出してください。「父よ、この杯をわたしから取り去ってください。しかしみ心のままになさってください」と祈られ、十字架の道を歩まれました。マルコはこの短い冒頭の言葉で、イエス様のご生涯が神様の愛を担われた、私達への神様の愛の業であることを伝えようとしているのです。
「あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者」。あなたがイエス様の中に歩むなら、今もこのお声はあなたに語られています。喜びなさい!あなたは神様の大切な子なのです。
 

by minitayori | 2015-01-09 16:26 | Trackback | Comments(0)

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