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礼拝に備えて 1月18日(日) 主に招かれて  マルコ1章14~20

礼拝に備えて 1月18日(日) 主に招かれて  マルコ1章14~20
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1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
1:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
1:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。
1:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

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「礼拝に備えて」
信仰とは、イエス様に出会い、イエス様の招きを聞くことから始まります。聖書をよく知り、学者であっても、聖書の中から呼びかけられる、イエス様のお声を聞くことがなければ、それは単なる学者であり、その説教は、聖書についての講義になってしまう。
ある先輩の牧師は、信徒の証や体験が書かれている雑誌をよく読んでおられた。人の経験から神様が生きて働かれる方であり、今も私達の前に立って呼びかけ、召してくださることを学んでおられました。その経験から、お話される説教は、信徒の方の心を打ったと聞いています。
今日の日課の福音書の中では、漁師であった人がイエス様に出会い、招かれて、イエス様の弟子となってゆく、不思議な光景が記されています。
イエス様が私達に出会ってくださる所は、聖なる教会の中だけではありません。弟子たちは夜通し漁をして何も収穫がなかった。ただ網が破れただけだった。どんな気持ちで網を繕っていたのだろうか。悲しみと虚脱感の中にいたのではないでしょうか。その彼らの前にイエス様が来られて、招いてくださったのです。
それは今も変わらないのです。悲しみの中で、絶望の中で、イエス様は招き、私達をイエス様の弟子となるようにと招いていてくださるのです。今のあなたはどのような状態でしょうか? 孤独でしょうか、病の中でしょうか、台所で一人家族のために黙々と食事を作っておられるのでしょうか。
お一人お一人のただ中に、イエス様は来てくださり、あなたにイエス様の弟子となりなさいと呼びかけていてくださいます。イエス様の弟子として新しい人生を始めてみませんか。その道は決して平たんではありません。しかし、「どんなときにも、いつも私はあなたと共にいる。」とのお約束を神様は守ってくださいます。

by minitayori | 2015-01-17 20:35