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礼拝に備えて 2月14日 マルコ16:9-18「恐れを喜びに変える方」

2月14日 マルコ16:9-18「恐れを喜びに変える方」
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16:9 〔イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。
16:11 しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。
16:14 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
16:15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
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  「礼拝に備えて」 「恐れを喜びに変える方」 マルコ16章9-18節
「器は入るる物をして、己が方円に従はしめむとし、袋は入るるものに随ひて己が方円を必とせず。実なる時は肩にあまり、虚なる時はたたみて懐に隠る。虚実の自在を知る。布のー袋(いったい)、壷中(こちゆう)の天地を笑ふ可し」という言葉が江戸時代中期の横井也有の『袋の賛』という作品の中にあります。
これは、箱や壷などの器は、中に入れる方を四角にしたり、円くしたりしなければならない。布袋の場合は、入れるものが四角ならばそれに応じて四角になり、円ければそれに従って円くなる。相手によって融通性があり、自分の形に従わせようと我を張ることもない。入るものがあればどんどん受け入れ、ないときはたたんで懐にしまっておけるというものです。
 さて、イエス様は、復活して最初に、マグダラのマリアにご自身を現されました。イエス様の復活の日の朝、マグダラのマリアは空の墓を見て震え上がり恐れ、天使にイエス様の復活を告げられても信じられませんでした。その彼女から復活のイエス様のことを告げられた弟子たちも信じませんでした。しかし、私たちもこの弟子達のことを笑うことはできないのではないでしょうか。
昔、若いころですが、アタッシュケースに憧れました。いつか使ってみたいと思いました。機会があって買ったのですが、非常に使いにくい。いろいろな物を持って、旅する機会が多かった時期でした。カメラや丸い物、つまりケースに合わないものは、入れることができなくて、ほかの入れ物に分けて持ってゆくしかありません。引退した今は、もっぱらリュックサックになりました。何でも入って、とても便利です。
 冒頭で、 「器は入るる物をして、己が方円に従はしめむとし、袋は入るるものに随ひて己が方円を必とせず。実なる時は肩にあまり、虚なる時はたたみて懐に隠る。虚実の自在を知る」。と言うことばを引用しました。私たちの頭はというと、しばしば、形の決まったアタッシュケースのように融通性を欠いているのではないでしょうか
 生前、イエス様は何度も自身の受難と復活のことを弟子たちに告げました。にも拘わらず、彼らは信じなかったのです。これは別の見方をすると、それほどイエス様を信じていたからということになるのかも知れません。彼ら流にイエス様を信じていた。しかし、イエス様の死は、彼ら流のイエス様信仰の筋書きの中にはなかったのです。弟子たちはすべての人生を委ねていただけに、イエス様の死で身も心もすべてが停止してしまっていたようです。イエス様の復活は、マグダラのマリアや弟子たちにはそれほど大きな信じられない出来事であったのです。
 けれども、弟子たちや私たちの思いや行いを超えたところに、復活があることに気づかされます。イエス様の復活は、私たちの受け入れ準備が万端整ってから始まるものではなく、私たちの絶望や動揺を貫いて起こるのです。つまり、神の支配のもとに復活があるということです。それも、復活のイエス様が現れたのは、人々の不安の真っただ中でした。まさに疑う者、信じようとしない人々に対して現れておられます。復活のイエス様は、心を閉ざした私たちー人ひとりを尋ねて下さり、私たちが出かけて行くのではなく、イエス様が私たちの方に歩いて来て下さるのです。
 そして、疑いと不信の心がイエス様の目の前で崩れさる奇跡が起こるのです。この頑固さをほぐして下さる方こそ復活のイエス様なのです。復活のイエス様の姿は、先ほどの布袋にも似ているようです。私たちは、イエス様を、壷の丸さ、箱の四角に入れていないでしょうか。自分の持っていたイエス様へのこだわりをどうしても捨てることができない結果として、イエス様を十字架に追いやってしまいました
 ところが、イエス様は私たちにそのようなこだわりを捨て去るようにと要求することなく、むしろ、それらを身に負い、四角は四角のように、円は円のように、人々を包み込んで下さったのです。これを知るとき、私たちの次元から神さまの次元への飛躍は始まるのです。これがイエス様の復活です。復活のイエス様との出会いによって、初めて弟子たちは自分のこだわりを捨て、復活の出来事を理解したに違いありません。
少し古いのですが、昔流行した歌に「それがあなたのいいところ」というー節があります。なかなか良い言葉だと思いました。これはまるで、イエス様が私たちに投げかけて下さっている言葉のようです。復活すると聞かされ続けていても、信じられず裏切り、復活の証人の言葉をも信じないのが私たちの現実です。
 そんな私たちを、イエスは、「でもね」と布袋のように包み込み、「それがあなたのいいところ」とイエス様は受け止め、救いの約束をして下さるのです。このー週間もイエス様に感謝して過ごしていきたいと思います。

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by minitayori | 2015-04-11 14:30