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礼拝に備えて 2017年6月7日 『レビを招かれるイエス様』

『レビを招かれるイエス様』聖霊降臨後第2主日 2017年6月7日 池袋教会にて説教
マルコ2:13-17(レビの召命)
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◆レビを弟子にする
2:13 イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。
2:14 そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
2:15 イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。
2:16 ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
2:17 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

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「礼拝に備えて」
 イエス様が神の子として、いや神の御心を示す者として、何をなさったかを福音書は語っている。
 神様は遠くにいらっしゃるのではなく私達と同じ所に立ってくださる。今週の聖書では、イエス様は道すがら、収税人レビという人が、罪人と呼ばれる人々と一緒に食事をしているのをご覧になってこの人をイエス様の弟子として招かれたのだ。
 神様は清い方だから、罪人を嫌われる。そう教え、人々もそう信じていた。しかし、イエス様は違った。いや神様は違った。
 旧約聖書の出エジプト記に記されているが、神様は神様の民の罪の状態を知っていて、エジプトの地から導きだした、とまず最初に神様が人々を愛されたことを語っている。
 神様の人間への愛は、人間の行為と交換ではない。まず神様が愛し、その神様に感謝して、神様と共に歩み出す信仰が生まれることを望んでおられる。
 イエス様を信じるとは、イエス様と共に生きること。イエス様と共に生きるとは、イエス様の歩いた道を行くこと。十字架・復活・昇天(召天)。罪赦され、新たな命に生き、神様のみもとでの幸いを望み見つつ生きることである。そのことをイエス様は全ての人に与えられ、全ての人が自分への約束として喜んで受け取ることを望まれる。
 人生の坂道は登り坂、苦しいこともあるでしょう。しかし、いつも同伴者イエス様がいてくださる。倒れた時にはイエス様が背負ってくださる。安心して、全てをゆだねて生きよう。希望を持って。


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by minitayori | 2015-06-05 15:21