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礼拝に備えて 

7月26日 聖霊降臨後第9主日 マルコ5:21-43
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5:22 会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」5:24 そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
5:25 さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
5:26 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。
5:27 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。5:28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。5:29 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。5:30 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
5:32 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。 5:33 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。5:34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」5:35 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」 5:36 イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。
5:37 そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。イエスは5:39 家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」 5:40 人々はイエスをあざ笑った。イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。5:41 そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。5:42 少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。人々は驚きのあまり我を忘れた。

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「礼拝に備えて」
今日の日課には二つの奇跡のお話が記されています。会堂司のヤイロの娘の癒し、そして12年間も出血が止まらなくて苦しみ、全財産を失ってしまった婦人の癒しの話。
ヤイロは娘の重い病を癒してくれるようにイエス様に頼んだ。
しかし、その途上で12年間も病気で苦しみ、全財産を失ってしまった婦人が、イエス様に触っていやされた話が挿入され、結局、イエス様は間に合わずヤイロの娘は死んでしまった。イエス様は「起きなさい」と言う一言で娘をいやされた。
 ヤイロはイエス様がすぐ来てくださることを願っていたのに、途中で婦人の出現で時間を取られ、結局は愛する娘は死んでしまった。この病気のために全財産を失った婦人も、イエス様の衣に触って病気がいやされた時、恐ろしくなり震えていたと記されている。とんでもないことを願ってしまった、やってしまった、と恐れていたのだと思う。
  マルコはこの場所にどのような意図で二つの奇跡の物語を記したのだろうか。ここで神学的な説明はできないが、言えることは、イエス様はどんなときにも最善を尽くしてくださる、ということ。
 しかも、会堂司という地位ある人にも、全財産を失った人にも等しく愛と恵みをもって、一番良いことをしてくださると言うことではないだろうか。願うことが、イエス様に受け止められることを信じて、任せ切れるかどうかではないだろうか。
今日の命は神様が必要としてくださって、与えてくださった命。み心のままになさってください、とイエス様を信じて任せ切って生きること、あなたにも神様はその様な信仰に生きることを望んでおられます。


by minitayori | 2015-07-25 17:19