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礼拝に備えて 9月6日 マルコ7章24~30

9月6日聖霊降臨後第15主日 マルコ7章24~30
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◆フェニキアの女の信仰
7:24 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。:25 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。 :26 女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。
7:27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」:28 ところが、女は言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」:29 そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」 7:30 女が家に帰ってみると、その子
は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。
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「礼拝に備えて」
 イエス様は旅の途中で、異邦人の住む町にもしばしば行かれた。今日のお話は、ティルス地方での出来事である。悪霊に取りつかれた娘を持つ母親が、イエス様に会いに来た。彼女はユダヤ人であるイエス様が、異邦人を相手にされない、嫌われるであろう、という恐れを持っていた。
しかし、母親は娘のために衆人の見守る中で、イエス様の前にひれ伏した。娘を思う必死の思いがそこに伝わってくる。この母親の思いは、言葉の上だけでは分かったような気がするが、その本当の苦しみは誰にもわからない。
私は幼い時に、弟が死に、次の弟が同じ病気で耳が聞こえなくなった。高熱で神経が傷んでしまったのだ。父母が悲しみ、戦後の貧しい中で、弟を連れて遠くの病院まで行く姿を見ていた。いろいろな宗教にも頼り、結局は、キリスト教の讃美歌に心の安らぎを得て、聖書にも触れることができた。
父母がどのような思いでいたかは定かではないが、聖書の神に触れて、神様のなせる業として受け入れた時に、父も母も耳の不自由な弟をろう学校に入れて、その境遇に合わせた教育を受けさせることにした。
聞こえないという事実を受け入れることができたために、弟は口話法の教育に熱心であった先生から、発声、読話(口の形から言葉を読み取ること)を学ぶことができた。私はまだ小学生だったので、父母の気持ちが理解できず、弟を特別にかわいがる父母の姿を、寂しく見つめていた。
一度何かで弟と喧嘩になり、父母にものすごく叱られた。そして障害を持つことになった弟のために、自分たちがどんなに一生懸命になっているかを語る父母の眼には涙があったのを忘れることができない。
そのことが心に深くあり、ろう者伝道の牧師の道を選んだのかもしれない。
そして、牧師になって何年かしてのクリスマス礼拝の夜、娘が痙攣を起こし、24日の道路の大混雑の中、救急隊員が怒鳴るようにして車をよけさせ、病院まで連れて行ってくれた。付き添った妻は、救急隊員の必死の応急手当、どなり声を聞いて心打たれ、励まされたという。私は一杯になった小さな古家の礼拝場(教会は改築中であった)で、祈りつつ礼拝を終えた。その時に改めて、御子を下さった神様の愛と決断を身にしみて感じたものです。
 今日の日課のあの母のように、娘の癒しのために必死に願う者のすぐそばにイエス様は居てくださり、「安心していきなさい」と言われる。信じて明日に向かって歩み続けよう。
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by minitayori | 2015-09-05 20:06