礼拝に備えて 6月26日  ルカ福音書7章36~50節

 6月26日 聖霊降臨後第6主日 ルカによる福音書7章36~50節
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◆罪深い女を赦す
7:36 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。
7:37 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、:38 後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
7:39 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。 7:40 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。
7:41 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。:42 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」:43 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。
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7:44 そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。:45 あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。:46 あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。
7:47 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」:48 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。:49 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。:50 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

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 「礼拝に備えて」
 罪とか罪の赦しと言う言葉を聞いて、初めて教会に来た人々は、奇異に感じることがあるだろうと思います。事実、聖書の中でイエス様のお話を聞いたユダヤ人は、自分たちは罪を犯していない、だから罪の赦しを受ける必要がない、と思っていた人々もいたようです。
 私は、ろう者の人々へのお話の中で、こんな例えでお話をしたことがあります。「罪」と言う言葉を英語で表すと、「SIN]=神の掟にそむくこと(英和辞典による)です。この意味はどんな事でしょか。SINは、SとNの真ん中にI(=私)があります。全ての物の中心に「私」を置くこと、これが罪の根源だと思うのです。
旧約聖書の中から、一つの具体例を考えたいと思います。最初の人間のアダムはエデンの園に置かれ、豊かな木々の実りを糧として与えられました。そして神様は、その状況を享受し続けるために、一つの約束をされました。園の中央にある「命と善悪を知る」木から取ってはならない、と言う事でした。それはアダムにとっては、難しい事ではありませんでした。何故なら、園には他にも豊かに実った木々がありました。また善悪は、神様に親しく聴けば良かったのです。
 しかし、神様との約束に従うよりも、神様のようになりたいと思ったアダムは、神様との約束に背いて、木の実を採って食べてしまいました。ここに人間の罪の初穂があります。人間には、神様から与えられている良心が、心の中心にあります。そこで神様の声を聞いています。しかし残念ながら、その神様の心、願いに聞き従えないのが、人間の弱さです。平和を願いながら争いを作りだし、人と仲良くしたいと思いながら、人を憎んでしまいます。それが人間の弱さです。その根源は、人間の中にある「神のようになりたい=自分が一番正しいと思う心」から生まれてきます。自分の願う平和が一番正しいと思い、その実現のために他人を憎み、争いを起こします。愛すると言いながら、いつの間にか人を憎んでいます。
 今日の聖書の中の罪の女の人は、自分の罪を知るが故に、イエス様の赦しと愛の大きさを感謝し、イエス様の足を涙でぬぐい、髪の毛でその足をぬぐったと記されています。この婦人の感謝の心、喜びの表現です。それは、自分の罪の深さを知ることができていたから、そのような行為ができたのです。
 私達は、教会に礼拝に行きます。礼拝堂には、神様が待っていてくださいます。正面の十字架は語りかけています。「わたしは大切な独り子を十字架につけるほどにあなたを愛しています。たとえあなたがどんな状態にあろうとも」と。この神様の語りかける声を聞きましょう。
そのお声を聞いて神様の前に出るあなたに、神様は「あなたの罪は赦された。」つまり、イエス様によって、あなたはわたし(神様)の子になっているのですよ、とのお声をかけてくださるのです。



by minitayori | 2016-06-25 17:58 | Trackback | Comments(0)

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