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礼拝に備えて  10月16日 ルカ福音書18章1~8節

 10月16日 聖霊降臨後第22主日 ルカによる福音書18章1~8節
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◆「やもめと裁判官」のたとえ
18:1 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
18:2 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
18:3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。
18:4 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。
18:5 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」
18:6 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。
18:7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
18:8 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

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「礼拝に備えて」
 苦しい時の神頼み!と言う言葉があります。良くとるか、悪くとるか、一般的にはどうでしょうか。広辞苑を見ると「普段神を拝まないものが、災難にあったり困りぬいた時にだけ、神の助けを求めること。神に頼ること。」とありました。
 今日の日課の聖書はそのままの出来事を示しているように思えます。しかし、イエス様のおっしゃる視点は、少し視点が違うように思えます。答える側に力点が置かれているように思えますがどうでしょうか。
 やもめと不正な裁判官の例え。やもめが必死に願う願いを、門前払いをしていたが、あまりにうるさいので黙らせるために願いを聞いてやる裁判官です。ここでの裁判官を神様とすれば、苦しんで願う人の祈りに、神様は面倒だから聞いてやることになります。
しかし、イエス様は困った時の神頼みこそ、真実の祈りになるのだとおっしゃっているのではないでしょうか。私達は祈ります。自分の力で解決できない問題をもって、祈り願い、神を求める者にこそ、神様は喜んで迎え、答えてくださるのです。なぜでしょうか。それは、その人が神様の義と神様の国とを必死に求め、神様に従い、神様と共に生きたいと願っているからです。あなたの心を神様はみなご存知です。
私は、これまでの働きの中で、自分の教会員の写真を見ながら祈るようにしてきました。一人一人の悩みや悲しみを思いながら祈ります。
日曜日にその人が明るい顔で来ると嬉しくて、笑顔であいさつします。笑顔で来ると嬉しくなります。しばらく来ない人が来ると「よかった!」と思いまた嬉しくなります。それが牧会であると、私は若い時に宣教師から教えていただきました。当時は家の手伝いをしながら高校に通っていました。近くに教会はありません。一カ月に一回くらい日曜日が休みになると、一時間ほど電車に乗って、バスに乗り換えて教会に行きます。田舎では一時間に一本くらいの電車、バスの乗り換えでの教会通いです。
少し遅れて教会に着く私を、受付にいた初老のご婦人がいつも笑顔で迎えてくれました。聖壇にいた宣教師も笑顔で迎えてくれました。一カ月待ちに待った休み、教会に行けるのが嬉しくて仕方なかった私の心を慰め、喜びに変えてくれたのが信徒の方や宣教師の笑顔でした。その笑顔がそのままイエス様の笑顔に見えました。神様に迎えられていることを感じさせてくれました。
イエス様は、神様の愛を求める者を「ましてや神は・・」と言われ、喜んで願いを聞いてくださる方であることを教えてくださいました。委ねて生きましょう、安心して神様に願い、神様と共に生きて行ってください。
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by minitayori | 2016-10-15 11:06