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「みにたより288」

「みにたより288」
 「祈りの心」という信仰書に書かれていたある母子の話です。
 ある熱心なクリスチャンの母親が、梅雨の最中、すこしばかりの晴れ間を見て、急いで洗濯物を干しに出ました。五歳の娘もあとからついてきました。お母さんは曇り空を見上げながら、『マリちゃん、お洗濯物が乾くまで雨が降りませんように、一緒に神様にお祈りしましょうね。きっと聞いてくださるわ。』と言って、二人で手を合わせ一生懸命に祈り始めました。
 すると、途端にポツリポツリと雨つぶが落ちてきました。一瞬、お母さんは『ああ、どうしよう!?』と思いました。「神様は祈りをきっと聞いてくださる…。」小さい娘に嘘をついてしまったことになるからです。お母さんはマリちゃんのほうをそっと見ました。目が合うと、マリちゃんはにこっと笑って『アッ!お百姓さんが先におねがいしちゃったのね。』と嬉しそうに言ったというのです。 
 お母さんは、娘の思わぬ答えにホッとして胸をなでおろしましたが、同時に、大人の頭の硬さ、不信仰をいやと言うほど思い知らされてしまった、と書いてありました。動脈硬化になりやすい大人の頭に対して、柔軟な幼児の思考の巧みな宙返りには、自他共に救われる見事さがあります。お母さんは自分のことだけしか考えない、しかし、五歳のマリちゃんの開いた心と素直な信仰は、隣人を包んでしまうほど豊かに育っていたのです。「みにたより288」_e0191585_21153710.jpg
 私たちもどこかで、自分の思うことが一番正しいという思いを持ってはいないでしょうか。お母さんは、わずかな晴れ間を見て洗濯物を干した、家族のために。そしてお祈りしました。当然神様は自分の善意に対して答えてくれてもいいはずだと神様に不満を持つ、それがわたしたちの信仰の弱さとしてあるように思います。
 キリスト教の信仰と祈りは、神様への押し付けはしません。神様を自分の召使のようには思いません。「御心の天になるように、地にもならせてください。」という『主の祈り』は、祈りとは神様のみ旨が第一になるということを示しています。神様は一番良いことをしてくださる、この幼子の素直さを持って、神様の御心に従う日々でありたいと切に願います。



by minitayori | 2017-01-28 21:16