礼拝に備えて 4月2日 ヨハネ福音書11章17-53節
4月2日 四旬節第5主日 ヨハネによる福音書11章17-53節
11:23 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、:24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」・・・・
略
11:53 この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。
「礼拝に備えて」
1週間に一度、通所リハビリで、機能訓練のために11種類のマシーンを使って身体を動かしてきている。いつもは動かさない身体を動かすので、最初は関節が音を立てたり、筋肉が悲鳴を上げたりしている。しかし、1時間もたつと体が慣れてくるのか、少し楽しくなる。それでも3時間くらいになると、息切れがして来て、休息やむなしと自分で決めて休んでいる。
準備体操の頃から息切れがすることもあるが、中には楽しみにしているマシーンもある。それはそのマシーンの近くに、シニアのためのクイズの本があるからだ。
サブタイトルに「認知症予防のために」と書いてあったが、結構面白い。その冒頭の所にシニアのための十カ条と言うのがあって、何回か全部覚えようと努力しているのだが、家に着くころにはすっかり忘れてしまっている。やはり認知症予防の本なのだな、とつい思ってしまう。
今日の準備をしていて、その中の一つに「常識と非常識」とがあることはよく知られている。しかし、多くの人はもう一つ「未常識」があるのを忘れている、という項目があったのを思い出した。常識も非常識も人間の知恵や知識、経験の中から作りだされている人間と人間との間での話になる。しかし、私達は人間の常識を超えた神様の世界があることを心に覚えておかなければならない。
今日の日課では、イエス様がラザロを生き返らせた出来事が記され、その周りに、信じたマルタとマリヤ、ユダヤや人々、そして、イエス様の力を恐れてイエス様を殺そうと考えたファリサイ人のお話が記されてる。未常識な出来事を、喜んで神の業として受け入れた人と、自分達の名誉のために、未常識な力を否定しようとした人々の姿が記されている。
私はどちらに入っているだろうか。未常識、人の思いを超えた力にゆだねて生きているだろうか。それとも自分の身におこる出来事を、自分の常識の中で仕分けして生きているだろうか。未常識の出来ごとに、全てを支配される神様のお力にゆだねて生きる生き方をしていきたいと願っている。
今私の横では、マタイ受難曲の音楽が流れている。不勉強で今の音楽がイエス様のご生涯のどの辺の出来ごとを語っているのか分からないが、この音楽がイエス様のご生涯に心を向けてくれていることは事実です。
ヨハネ11:40イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。
マルタに言われたイエス様のお言葉をいつも心に留めて、望みをもって生きて行きたものです。
by minitayori | 2017-04-01 17:41