5月7日 復活後第3主日 ヨハネによる福音書10章1-16節
5月7日 復活後第3主日 ヨハネによる福音書10章1-16節
10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
10:17 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。
「礼拝に備えて」
イエス様はよい羊飼い、このお話は私の大好きなお話です。しかし、聖書を読んでいて時々心の中で何か違和感を感じました。このお話は礼拝説教でも、ろう者の聖書研究でも、何度もお話したのですが、どこかで違和感が出てきました。
手話では「良い」とは、良否の意味で表現します。その「良=良い」とは完全であり、正しい、間違いのない、瑕疵のないという意味にもなります。イエス様は良い羊飼い、と聖書は書いています。しかし、私はこの「良い」と言う言葉を、「善い」と言う言葉で理解してきました。
漢字の「善い」と言う言葉は、羊の口にえさをあげる心優しい羊飼いの意味を持っている、と漢字の字源の本に書いてありました。そのことから、イエス様と言うお方は、心優しい、人を差別しない、心豊かな方だと思ったのです。どんな人も差別しないイエス様のお姿は、聖書の中にたくさん書いてあります。弱い人も悲しんでいる人も、貧しい人も富める人も、幼子も高齢者も、みんな私の愛する子として受け止めてくださる方。
しかも、十字架の上では、今、槍で自分を刺そうとしている人々、イエス様を裏切って逃げ出した人々、イエス様をお金で売ってしまった人々にも「父よ、彼らを赦して下さい。彼らは何をしているのかわからないでいるからです」と、とりなしの祈りをしてくださいました。
これを聞いた百人隊長は、「この方は神の子であった」と告白しました。イエス様を裏切って逃げだした弟子達も、後になって、このイエス様の祈りが自分に向けられていると感じた時、どんなに心安らかに、勇気を持って生きられた事でしょう。
それから後も、弟子たちは何度もイエス様を裏切るような弱さを持っていましたが、いつもこの祈りと、イエス様が「善い羊飼い」であることを思って、十字架の下に帰ってきた事でしょう。私もイエス様が「善い羊飼い」であられたからこそ、今まで曲がりなりにも、イエス様のみ足の後に従ってこられたと思っています。イエス様は「あなたの善い羊飼い」、あなたのために命を与えてくださったのです。感謝!
by minitayori | 2017-05-06 16:10