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礼拝に備えて 9月10日  マタイ福音書15章21-28節

9月10日  マタイによる福音書152128
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15:21 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。
15:22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。:23 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」:24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。:25 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。:26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、:27女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
15:28 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

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「礼拝に備えて」
 今日の日課ではカナンの婦人のお話が中心になっている。弟子達とイエス様が地方を回って神様のお心を伝えている時、一人の婦人が近寄って来て「わたしを助けてください」と願った。娘が悪霊につかれて苦しんでいた。家族に病を持つ、心に病、障害を持っている人の生活は、普通の人には想像を超える苦しみと不安を持っている。その心の苦しみを持って教会の門をたたく人は多い。その時、教会はどんな対応をするだろうか。今日の聖書ではそのことが問われているような気がする。
 弟子たちは追い払ってください!と頼む。イエス様は「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。ここだけ読んでいると、イエス様は何と非情な方だろうと思ってしまう。しかし、この婦人はそれでもひるむことなく、イエス様にすがりつく。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」イエス様はこの婦人の信仰をよしとされた。この婦人の信仰を引き出された、と言うべきかもしれない。
 昔、伝道師の頃、初めての教会、沼津教会で洗礼準備会を持った。20歳の若さであったが、宣教師もいなくなってしまった状態の中で、自分が洗礼の準備として学んだ小教理問答書を、一生懸命一緒に学んだ。4人の若い女性が洗礼を決心し、宣教師の赴任を待って洗礼式を行った。
 その後も、一緒に聖書の勉強をしたいと言うので、学びの会を作った。この学びの会に、女性達は話合って名前を付けたいと言ってきた。そして選ばれたのが「子犬の会」。飢えた子犬のように、主人の食卓から落ちるみ言を求め続ける信仰を持ちたい、と言う意味であると説明してくれた。
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 その話を聞いて私も感動し、自分も一生子犬の会の一員でいたいと思ってきた。みことばを思い続ける、求め続ける、飢えた子犬のように。今もそのように生きようと改めて思う。もう50数年も前の話だが、彼女たちの信仰が続いていてくれることを祈りたい。
















by minitayori | 2017-09-08 22:13