「みにたより361」
「みにたより361」
先週は途中まで書きはじめたら、目が見えなくなってしまった。パソコンは白黒反転にしてやっと見えるのだが、それでも大切なキーボードが見えなくなって、さすがに中止しました。
楽しみにしてくれている友人や見も知らぬ多くの方々には申し訳なかったが、休ませてもらった。その一言だけでも載せておけばよかったのですが、それさえできなかった自分の気力のなさに、いささか限界を感じつつ一週間を過ごした。
それでも日曜日の聖餐補助のご奉仕をさせていただき、夜には若い牧師の按手式に参加した。私の最後の任地の熊本の教会学校で育った青年が按手を受けた。一緒に教会生活をした好青年がまぶしいほど立派に成長していた。
体力の限界を感じていたのでお祝いの会には出られなかった。一言も声もかけずに失礼してしまったが、赦してもらいたい。今も元気に働く後輩の牧師たち。杖をつきながらよたよた歩く老いた自分。でも精一杯働いてきたのだから、と胸を張って挨拶をしてきた。
帰りは新大久保駅までの道のりが、日本ではないような街並みと若者がたむろしているので、タクシーで池袋に出て帰って来た。池袋の駅構内がまぶしくて、乗る電車の場所が分からなくなりそうになったりしたが、とにかく無事に我が家に辿り着いた。
これが今の自分であることを受け入れつつ、日々感謝で生きたいと改めて思った。なかなかむつかしい事であるとは思うが。
by minitayori | 2018-03-10 17:35