礼拝に備えて 3月18日 受難節第5主日 ヨハネ12章36-50節

318日 受難節第5主日 ヨハネ福音書1236-50
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12:36 光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」

12:44 イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。 12:45 わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。

12:46 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。

12:47 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。


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「礼拝に備えて」


 「わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。」イエス様の十字架の時が間近になって、イエス様のみ言が燃えるような情熱が加わってきました。そのイエス様のお心は、私達が神様の命、永遠の命に至ることを願っての思いです。


 特に今日の日課で「12:47 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。」とのみ言が木になりました。み言を聞いても守れないことが多い人であっても、イエス様は「その者を裁かない。」と言われました。


 イエス様のお心は、ひたすら、全ての人、そしてあなたへの愛であり、私への愛であることをおっしゃりたいのです。その実現のためにイエス様はひたすら十字架の道を歩まれます。裏切りの弟子達と共に、あざける人々のとの中を、子ロバに乗って歩まれるイエス様。その先に待っている十字架の苦しみをしっかりと見つめて進まれる。


 その人々の中に自分の姿を見出し、心が痛む。昔、青年の頃、何人かの仲間と一緒に当時はやっていたゴスペルソングを歌った。その中に「ドロロッサ=悲しみの道」と言う歌があったのを思いだした。歌いつつ心に熱いものを感じたものです。


改めてこの歌の本を見つけ歌ってみた。イエス様のお心を思うと涙を禁じえない思いがする。あの時の純粋な思いが今も残っていたのか、それとも老いて涙もろくなったのか。私達へのイエス様の思い、しっかりと受け止めたい。



by minitayori | 2018-03-17 21:04 | Trackback | Comments(0)

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