礼拝に備えて 5月20日 ヨハネ福音書15章26-16章4節

520日 聖霊降臨祭 ヨハネによる福音書1526164

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15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

16:1 これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。 16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。

16:3 彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。 16:4 しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」

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「礼拝に備えて」

 次週の日曜日は聖霊降臨祭、イエス様の復活から50日目、ペンテコステとも言う。教会の始まった日、誕生日とも言う。今日の日課の使徒書ではその時の様子が詳しく記されている。弟子達に聖霊が下り、彼らは大胆に群衆の前に立ち、彼らの分かる言葉で神様の救いのみ業を語ったと記されている。

 教会の誕生は、聖霊の力をいただいた弟子たちが勇気を持って、当時の人々(イエス様を十字架につけよと叫んだ人々の前に立って、)イエス様の十字架こそ神様のみ業そのものであり、あなた方の救いであると明確に語った。それを聞いた神殿に集まっていた地方から集まっていた人々は、弟子たちの情けない姿を知っていたが、勇気を持って語る姿に驚き、また自分達に分かる言葉で福音が語られたことに驚いた、と記されている。

何年か前に初めて教会に来た若者に聞いたことがある。「いかがでしたか?神様の愛を受けることが出来ましたか。」その若者は首を横に振って、それっきり教会に来なくなった。私は自分を責めて苦しんだ。教会に人が来るのは、讃美歌やオルガンを聞くためでも、会堂の雰囲気に感動するためでもない。

自分の分かる言葉で「神様のみ業を聞く」為である。私はそのことを牧師の唯一の使命だと考えてきた。キリスト教用語のない耳の不自由な人に、初めて来た人に分かる言葉で、理解出来るように語るために、日曜日の夜遅くまで、原稿を見直し、分かりにくい言葉に手話の表現はこうすると、赤ペンで書きこんで礼拝に備えた。

でもそれは人間の知恵では出来ないことを早くに知った。み言を理解するためには神様の霊をいただかなければならないと知った。しかし、聖霊を与えてください、とお願いしても見える形ではいただけなかった。しかし、祈るうちに、洗礼を受けた当時から暗記していた聖書のみ言葉が、ふと心に浮かんで難解なみ言葉に示される神様のみ心に触れることが出来た。

神様の御心、そして、それを伝えたいと考えられる神様のお顔が思い浮かんできた。お顔と言うよりも『眼差し』と言う方が正しいと思う。自分で作ったキリエのイエス様の横顔、とその眼差し。説教前には、「わたしが共にいる。安心して行きなさい。」と言うお声を聞き、礼拝が始まると、アメリカの職人から、私が作った十字架、あなたのために祈っている、と言う言葉と共にいただいた十字架かを握りしめて「主よあなたが語ってください。」と祈りつつ待つ。

説教壇に立つときにはストールが共にくびきを負ってくださるイエス様の存在を身近に示してくださった。共にいてくださるイエス様が語ってくださるそう信じて、畏れ多くも聖壇に立ち続けた。引退をするとき。赤い字で埋められた原稿ノートは、感謝しつつ廃棄してきた。今思うと、神様の導きのしるし。大切に取っておきたかった。今なら写真にとればよかったと思うが、一回一回神様の恵みを十分にいただいた感謝を心に持っている事で十分と思うようになった。生きている限り、神様に御用が与えられる限り、昔の気持ちを忘れれないでいたいと思う。


by minitayori | 2018-05-19 22:50 | Trackback | Comments(0)

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