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7月22日 礼拝に備えて マルコ福音書4章35-41節

7月22日マルコによる福音書4章35-41

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4:35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。:36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。

4:37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。:38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」:41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

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「礼拝に備えて」

人生の中では、何度も闇の海に向かって漕ぎ出すような時がある。私にとっては、牧師になる時の献身をして家を出る時。聖書学院を卒業して最初の任地に一人出かけた時。働きを与えられ、神学校を巣立つ時。先行きの見えない未知の世界に対して、手探りの状態が続いていた。今弟子たちは夕方になって船に乗ろうと言われ、舟に乗ってこぎ出した。イエス様は一生にいてくださることの素晴らしさをあまり自覚していないように思う。激しい突風が起こり、波が船の中にまで入って来て、水浸しになった。漁師として船には慣れていたはずだったが、彼らは恐れた。恐れの中で彼らはイエス様が同じ船におられることに気付いた。しかし、イエス様は弟子たちの恐れを知らぬように寝ていたと記されている。弟子たちはイエス様の存在を見て、喜ぶよりも非難をしている。イエス様が自分達の恐れを無視して。助けもしないで寝ている・と。イエス様がそこにいらっしゃることの安心とか平安をさえ考えるゆとりさえもなくなっている。わたしたちにもその様な状態になる時はないだろうか。「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。

4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」話がそれるがここで用いられている「怖い」と言う漢字は、風にあおられた布がはためく様子を表している。つまり、その布のように心が揺れ動く様子を示していると言われる。恥ずかしながら、私は説教壇に立つ時いつも怖れる。50余年前宣教師とアメリカを一ヶ月回った。宣教師の支援教会の報告だった。長く一諸に働いた宣教師だったので喜んでお伴をした。宣教師に郊外にある小さな皮工房に連れて行かれた。先生の支援者であり、日本の宣教のために支援し、祈っている方だった。この方が自分で作成した十字架を持って、これを私の祈りだと思って持っていてほしい、と言われた。私も小さな土産をお礼に渡したが、この祈りの十字架は私の宝物になった。40年の牧師生活、引退後も御用がある時は子の十字架を胸に下げている。そうすると素朴な職人の言葉が思い出される。「黙れ、静まれ!:と言われたイエス様のお声が聞こえ、恐れは消え、力を与えられて説教壇に立ってきた。e0191585_22005344.jpg





by minitayori | 2018-07-21 22:07