9月2日 「礼拝に備えて」マルコ福音書7章24-30節

92日 マルコによる福音書72430
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◆シリア・フェニキアの女の信仰

7:24 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。

7:25 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。

7:27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」

7:30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

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「礼拝に備えて」

 イエス様のお話の思いがけない部分が人の心を動かしている経験をしてきた。随分と昔の話だが、水曜日の聖書研究会に数名の青年が集まって聖書の学びをしていた。私は聖書学院を出たばかりで、伝道師(宣教師のお手伝い)だった。

 その集まりに来た人々が自分の聖書から得た経験や祈りの中に聞くことが出来た神様の御心などを話し合って、信仰を深め、確かめあってきた。その5人がそろって洗礼を受けたいと言いだしたので、主任の宣教師の先生にお願いしました。しかし、体調が悪いと言うのでわたしに任された。最初の洗礼準備だった。

 無我夢中で聖書を繰り返し読み、祈り、洗礼準備のための小教理問答書を学んで、自分の経験を交えてお話した。田舎から中学を卒業して働いている人々だった。私の苦しい中で信仰に至った経験は同じ経験の中にいる人々の心に感じる物があったようで、ずーと思っていた(わたしのようなものでも救われますか。)、と言う問いを聞いた時に、自分の中で繰り返し問いかけてきた我が身を思って涙が出る思いだった。

 わたしはその時に今日の日課である聖書を語った。一人の異邦人でもあった婦人が娘のために必死にイエス様に娘の救いを求めてすがりつく、私も今同じ気持ちで献身し。牧師になる道を歩いているのだよ。それを聞いて彼女たちの顔が輝き、その年のクリスマスに洗礼を受けた。5人一緒に。そして彼女たちは自分達で小さなグループを作り、「子犬の会」と名づけた。

 任期が終り、その土地を去って神学校に入る時、10年ごとに会いましょうと約束した。20年になってしまったが、再会できた。それぞれ故郷に帰っていたが、3人が集まってくれた。子犬のように神様を求め続け、二人の方は教会の役員を引き受け、立派なクリスチャンホームを築いていた。

 数年前にも呼ばれて説教をおこなうチャンスをいただいた。この時にも二人の子犬の会のメンバーが集まってくれた。み言の中に過去の恵みをいただいて働かせていただいた幸いを思いだすことが出来ました。

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by minitayori | 2018-09-01 21:16 | Trackback | Comments(0)

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