2010年 04月 22日 ( 5 )

4月25日の聖書

   2010・4月25日(日)復活後第3主日 ヨハネによる福音書10:22-30 
 26しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。 
27わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 28わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。

                 e0191585_21484140.jpg聖書より一言
 背中
自分の顔が いつも見えていたら 悪いことなんか できないだろう
自分の背中が いつも見えていたら 柁しくて涙が出て しまうだろう
あなたは私の顔を いつも見ている 私の背中を いつも見ている
                星野富広さんの詩集より

 羊という言葉を聴くと従順なやさしい動物を考えるが、どうも違うようだ。自分では何もできないくせにわがままで、自分勝手。扱いにくい動物であると聞いた。しかし、このような動物を神はイスラエル、いや私たちと考えて、「私はよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」とおっしゃってくださった。事実、神様は御子をこの世におつかわしになり、十字架にかけてくださった。私たちを罪の中から救い出してくれるためだった。
 この話をすると私はいつも亡き母を思い出す。小学校のころ私はいたずらっ子だった。愛情不足でいつもいらいらしていたのかもしれない。というのは、7人兄弟で私は真ん中、すぐ下の弟が生まれてすぐ大病で耳が不自由になった。両親の愛はこの障害を持った弟に注がれた。私は両親の悲しみを理解せず、弟だけに心を注ぐ両親の心を自分のほうに向けたかった。いたずらしたり、乱暴したり、その結果、父にしかられ、時には押入れの中に放り込まれた。暗がりの中で泣き叫ぶ私のために、母と姉が父に謝りとりなしてくれた。そのときだけ母が私の母になってくれたように思った。今、聖書のみ言から羊を考えるとかつての私のような気がする。謝るのは母と姉ならぬ、イエス様。イエス様の十字架を、私は身近に覚える。私の罪の代償。私はイエス様の羊として、イエス様のみ声に聞きしたがって生きたい。

by minitayori | 2010-04-22 21:49 | Trackback | Comments(0)

ケアハウスの入り口、春爛漫です

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ケアハウスにいる人々は、花に慰められ、花の蜜を吸いに来る小鳥に歓声を上げています。そのような気持ちを感じたのか、毎朝、食事時に来てくれる小鳥がいる。

by minitayori | 2010-04-22 21:44 | Trackback | Comments(0)

八重桜の拡大写真

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青空を背景に写すと特にきれいに映ります。花の美しさは精いっぱい咲いているところにあるのでしょうか。

by minitayori | 2010-04-22 21:38 | Trackback | Comments(0)

八重桜

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東京で最初にできたリハビリテーション学院の跡地。手入れもなく自然林のようになっている。きれいな桜の花も何本もある、その中で今は八重桜が見事に咲いていた。

by minitayori | 2010-04-22 21:33 | Trackback | Comments(0)