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紫のクレマチス

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 近所のお宅に見事なバラと二色のクレマチスの花が咲いていた。紫がとてもきれいだったので、ちょうど庭におられた、その家の奥様にお願いして写真を撮らしていただいた。残念ながら青空ではなかったので、花の美しさが半減してしまったが、年に2,3回咲くとのことであったので、次は青空の下のお花をお届けしたい。
今周辺の庭には、バラの花が咲いている。大きなバラ小さなバラ、どれも違ってみんな美しい。先に咲いてしおれそうな花、これから咲こうとして蕾の花。ここにも命の尊さが示されている。

by minitayori | 2014-05-10 21:19

「イイタヨリ086」 祈りの詩

「イイタヨリ086」祈りの詩

                 祈りの詩
大事をなそうとして、 力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった
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より偉大なことができるように、健康を求めたのに
より良く生きことができるようにと、病弱を与えられた

幸せになろうとして、富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと、弱さを授かった

人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと、生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
                    (NYリハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩)

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 私がこの詩に出合ったのは、キリスト教協議会の中にできた障害者特別委員会の発起人として名を連ならせていただいた時だった。当時発行していた障害者委員会ニュースにこの詩が載った。
 当時は良い詩だなぁというくらいで、記録していたが、最近この詩を読んで自分の生涯を振り返るようになった。知恵も力もない、ほんとうに無力な自分が、伝道者としての道に入った。あまりにも無謀な選択だった、と何度思ったことだろう。
 しかし、一緒に卒業した友人が、「力尽きて倒れるとしても、前向きに倒れたい、と自分は思っている。」そう話したのを思い出して、微力ながら最後まで尽くそうと考えた。
 挫折の都度、神様は助言者、援助者を送ってくれた。励まし、支えてくださった。
「私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。」
今振り返って、その様に思うと心が熱くなる。  

あなたはこの詩をどう受け止められるだろう。きっとそれぞれの想いをもって読んでくださると思っている。

by minitayori | 2014-05-10 21:05

キリエ「よい羊飼い」

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          「よい羊飼い」
この羊飼いのキリエを作るにあたって、迷子の羊を見つけたイエス様がどんなお顔をなさるか、迷子の羊をどのようなまなざしで見つめられるかを考えながら作りました。あなたを見つめてくださるイエス様のお顔です。

by minitayori | 2014-05-10 20:53

礼拝に備えて 2014・5・11 ヨハネ10:1-16 「よい羊飼い」

2014・5・11 ヨハネによる福音書10:1-16 「よい羊飼い」
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10:1 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。
 2 門から入る者が羊飼いである。 3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 4 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
 7 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 
 9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。 11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
 16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

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「礼拝に備えて」「わたしはよい羊飼い」
 ヨハネはその福音書の中で、イエス様がご自分の事をたとえで自己紹介していることを記している。「わたしは~~~である。」という言葉で。
 今日の日課ではそのうちの二つが記されている。「わたしはよい羊飼い」「わたしは羊の門である。」この二つである。最初のよい羊飼いという言葉について、私は一つのこだわりを持っている。手話に関係するが、「良い」という言葉は良い悪い、良否のように用いられる。
 つまり、良いとは正しい、とか完全とかを意味するように思う。しかし、イエス様がよい羊飼いと言われるとき、この「よい」をどのような意味で用いておられるのだろうか、と考える。
 確かに今日の日課では、悪い羊飼いの話も出てくるので、良い羊飼いと記すのは間違いではないと思うが、イエス様ご自身が私たちの事をお考えくださる時、私は「よい」を「善い」という言葉で用いたいと思っている。
 「善い」という言葉は、弱い羊の口に草をもってゆく動作、やさしさを表すと言われる。イエス様は羊飼いとなり、羊を草原に導いてくださる。そして門となって、帰ってくる一頭一頭を見守って囲いの中に入れてくださる。
   
しかも、羊のために心を砕き、命を捨ててくださる。迷子になったらどこまでも探してくださる羊飼いである。そのことを考えると、やはり、私は「善い」羊飼いという気持ちで、イエス様を心にお受けしたいと思うのである。
あなたの心にイエス様は、どのようなお方として来てくださいますか。あなたの事を心配し、あなたの前に来られた時、失っていた羊が帰ってきたと、喜んで抱きかかえてくださる善い羊飼いとして来てくださいます。
あなたはイエス様に愛されている、大切な羊なのですから。

by minitayori | 2014-05-10 20:47

シャガの花

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 ケアハウスにもたくさん咲いていたシャガの花。この練馬の家のすぐ近くで出会うことげできるとは思っていなかった。29日には教会のバザーが行われたと聞いた。残念ながら足の痛みで教会に行くのがやっとで、みんなに会えるチャンスを逃してしまった。でもシャガの花が会いに来てくれたように感じた。

by minitayori | 2014-05-10 20:37