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名を知らぬ花?

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 ご近所の家の庭にいつもきれいな花が咲いているが、今は終わりになった。ふと見上げると青空に高くそびえるシャボテンのような花が咲いていた。確かに花?と思うのだが、図鑑には出ていなかった。あまりにも堂々としていたので,今回のブログにちょうど良いと思って乗せた。名前をご存じんの方教えてほしい。

by minitayori | 2014-10-29 19:40

「ミニタヨリ107」

 「ミニタヨリ107」
11月2日、全聖徒の日は九州にいる。熊本教会で説教をしているはずだ。赦されれば、という言葉を心のどこかでささやいている。
それだけ健康に自信がなくなったからかも知れない。結婚式の準備をしていて、教会で準備するのと全く違うことに気がついた。印刷機もないし、熊本での資料はほとんど処分してきてしまった。それもケアハウスからこの練馬に移るときにだ。
いらないと思って捨てたものが、急に必要になって、パソコンの中を捜しつづけ、最後にはあきらめてもう一度作りなおした。コピーはコンビニに行ってコピーをし、小さな印刷機で印刷し続けた。
向きを間違えたり、言葉が間違っていたり、自分の衰えを感じてしまった。そんなときに、ぴったりの詩を見つけた。
昔、なんとなく写しておいたものだったが、今の自分にはよくわかる。この私の人生を完成するのは、私ではなく神様だ。そう思うと肩の荷が下りるような気がする。老い行けよ、最善はこれからだ。生きる限りこう言い続けよう。「わが時はみ手にあり・・・」と。

    老い行けよ、われと共に

「ラビ・ベン・エズラ」
ロバート・ブラウニング作

  老いゆけよ、我と共に!
最善は これからだ。
人生の最後、そのために最初も造られたのだ。
我らの時は 聖手の中にあり
神言い給う「全てを私が計画した。
青年はただ その半ばを示すのみ。
神に委ねよ。全てを見よ しかして恐れるな!」と。
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されば、汝の作品をとりて、用いたまえ。
修正なしたまえる潜めるきずを、
素地の無理を、
御意図をこえたひずみを、
わが時は、汝のみ手にあり。
ご計画の如く盃を完成なしたまえ、
老年をして若き年を肯定せしめ、
死をして老年を完からしめよ。

by minitayori | 2014-10-29 19:33

オダマキ?

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 アパートの床下に咲いていた、名も知らぬ花と紹介してきた花、「オダマキ」という花に酷似していたので、最後の一輪。間もなく終わりになろうとしている花なので再度名前を付けて紹介しておきます。床の下でよく頑張った。

by minitayori | 2014-10-29 19:14

礼拝に備えて 2014・11・2 全聖徒の日(白)「神の真の幸い」

2014・11・2 全聖徒の日(白)「神の真の幸い」
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山上の説教 (マタイ5章1~12節)
5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
5:2 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
5:5 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
5:7 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
5:8 心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
5:9 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
5:10 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
5:11 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
5:12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

「礼拝に備えて」真の幸い
 人は誰でも幸いを求めています。しかし、その幸いは多くの場合、豊さ、地位など誰かに比例して自分が優位に立った時に得られるものであるように思ってしまいます。
 しかし、今日のイエス様のお話、山の上の説教に示される「幸い」とは、その様な人間の考える幸いとは違うことを教えているように思います。マタイによる福音書では、山の上の説教で、弟子たちに限定して教えています。これに対してルカは、イエス様が山から下りてきて、平野に立った時、集まってきた群衆に向かって語っています。
 このことを頭に入れて学んでおく必要があります。ルカでは単に貧しい人は幸いであると言っているのに、マタイは弟子たちへの教えとして、「心の貧しい人は幸いである」と、わざわざ「心の」という言葉を入れています。
 つまり人間が求めるところにある幸いとは違う幸いを、神様に従う者は見つけ、持たなければならないことを教えています。アダムは自分が神のようになれると思って、禁断の木の実をとり、罪を犯し、神から離れました。神と共にある平安を失ってしまいました。不幸の始まりです。
貧しさ、弱さは神様にしか頼るものがないことを示しています。私も牧師の道を歩み始めた時、仕事をしながら高校を出ただけの自分がこの働きを続けられるのだろうかと、何度も自問自答をし、迷いました。なにか問題が起こるたびに、自分の知識の足りなさ、弱さを嘆きました。
だから、神様にしがみつく様にしてこの働きを続けてきました。苦しみ悩むたびごとに、イエス様が近くに感じられ、イエス様のお声を聞くことができました。聖書が文字ではなく、イエス様のお声として聞こえてきたのです。
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病める人が、神様と身近に語り合っていること、誰よりも平安を持っていることを、何度も経験しました。勿論病の痛み、苦しみは辛いものです。しかし、神様を見つめる目、神様の約束を信じ、期待し、望みつつ日々を過ごす方の目は美しく澄み、輝いていました。
幸いとは、神様の中に生き、望みを失わないことだと教えられました。イエス様が弟子たち、私達に持ってもらいたいものは、この世の何物にも奪われることのない「神様の与える幸い」、つまり真の羊飼い(=神様)の守られる囲いの中で安らぐことであったのです。

by minitayori | 2014-10-29 18:21

ミセバヤ

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 ケアハウスを退所する前に隣室の友人よりいただいた「ミセバヤ」の鉢が、酷暑を乗り切って見事な花を咲かせてくれた。友人というより、兄・父ともいえるお方です。いつまでも元気でいてほしい。

by minitayori | 2014-10-29 18:09