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2016年 03月 12日 ( 5 )

春を告げる桜?

 
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 家の近く(10分ほど離れた)にグリーンロードというきれいな道を見つけた。先週リハビリの帰りに思いがけず桜の花が咲いているのを見た。この道には四季折々の花が植えられているので、これからが楽しみです。

by minitayori | 2016-03-12 14:41

ミニタヨリ242

 「ミニタヨリ242」
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 寒暖の差が10度もあったそうです。この気温の乱高下は体のどこかに響いてきそうです。私は腰痛と坐骨神経が痛み、最近頻繁に夜中に足がつってしまいます。歩き方が足りないのかとできるだけある歩くようにしていますが、どうもこの寒さだと長時間理由が多いがの外歩きは控えてしまいます。
 最近テレビで、家の中でのゆるいランニングでも健康にいいというので、コマーシャルの時間とか、パソコンが起動する間とか部屋の中で軽く走る(足踏み)をするようにしている。片足立ちも結構足の訓練になるというので始めて見たが、思った以上に足の筋肉を使う。ランニングは雨だ、さむいだとなまける理由が多いが、これだと続けられそうだ。
 道端の雑草は、風雨にさらされながら時が来ると立派に育ち、自分の時にきれいな花を咲かせている。置いた花もそれなりに一生懸命花を咲かせている。天候にも左右されないで、雨に打たれても花の首が折れそうに下を向いても、また晴れると元気に太陽のほうに向かい、元気に花を咲かせる。玄関の前の駐車場の小さな花壇に咲く黄色の水仙のことだが、沢山咲いていたが、大部分は枯れてしまい、花を落として次の年の新しい命のために土に返ってします。自然の営み。これが厳しい自然の法則化と思う。
 教会の友人、仲間が最近次々に召されたり、重い病で入院していることを聞く。しかし、今通っているデェーサービスの中で、最近77歳になりましたと言ったら、「まあ!若いはねー」と言われてしまった。80代、90代の人ばかりだった。あまりに元気に運動しているので同年代だと思ってた。昭和二ケタ生まれは私だけだった。毎朝自転車で1時間ほど近くの公園まで通っている、脳こうそくで体の不自由になっている人だった。腰を痛めてよろめきがちだが、毎朝散歩をしている人。みんな頑張っているなーと感心してしまう。もう77歳ではなくて、まだ77歳だといつも思わされて帰ってくる。 今自分にできる一番大切な働きができるように、どんなに小さくても、笑顔を絶やさずに生きていきたいものです。
 

by minitayori | 2016-03-12 14:30

クロッカス

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 小さな公園の片隅に、小さなクロッカスの花が咲いていた。花言葉「切望」。受難節の神様の願いすべての人の救いを切望される神様の御心を伝えるための花でしょうか

by minitayori | 2016-03-12 14:15

礼拝に備えて 3月13日  ルカ20章9~19

 3月13日 四旬節第5主日 ルカによる福音書20章9~19
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20:9 イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。 20:10 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。:11 そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。 20:12 更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。:13 そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』 20:14 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』 20:15 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。 20:16 戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。:17 イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』 20:18 その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう」
20:19 そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。

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 「礼拝に備えて」
 ブドウ園の農夫は、主人から預かっていたブドウ園を耕し育て、その収穫を主人に返すことが彼らに課された勤めだった。主人は、その忠実な働きにふさわしい報酬を与える予定であっただろう。しかし農夫たちは自らの歩むべき道を踏み外してしまった。
 預かっていた農園とその収穫を、自分のものと考えるようになってしまった。その結果、主人の僕、息子までも無残にも殺してしまった。この個所は受難節の教会で語られる。農夫は私たち、私たちの人生は神様のゆだねられたブドウ園。そこで日々生きる私たちは、その場にふさわしい実を結び、神様に返す日が来ることを示し、私たちへの注意を与えている。
 クリスマスの讃美歌の中に、教団讃美歌の101番だが、マルティン・ルターが子供に歌って聞かせる物語のような讃美歌がある。教会讃美歌には23番に載せられているが私の大好きな歌の一つだ。
 教団讃美歌101番の5節には
、「心の臥所(ふしど)の 塵をばはらいぬ。愛するイエス君、静かにいねませ。」
 教会讃美歌23番の8節には、
 「静かにいねませ 愛するイエス君、心の宮居に 臥所をつくれば」
どちらも名訳であると思う。大切なことは、「心の」というときに、きっとルターは、『わたしの「心」』と歌う者が考えるように願っていたと思う。 この四旬節(受難節)の中で、考えなければならないことは、「神様はその独り子をくださるほどに、私を、あなたを、愛してくださった。誰も滅びることがないように、神様はこの世のすべての人の救いを考えてくださっている」ことである。
 この神様の愛に報いるためには、イエス様を心の中心に迎え、イエス様と共に生き、イエス様の行われた愛の実を結びつつ、日々を生きることではないだろうか。愛の奉仕もあるだろう。高齢になって身動きできなくなっても、私たちにゆだねられている祭司の務め、家族、隣人、その他助けを必要としている人のために神様の前で祈り、とりなしをすることも神様の喜ばれる実なのである。
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 いたずらに、自分の無力さや能力の少なさを嘆くよりも、託された「祈り」の大切な勤めをすること、いつも悔い改めつつ、神様を見上げ、御心を求めて生きること、その心が私たちに求められていることなのです。
 愚かな農夫にならないで、小さなパンと魚をささげてイエス様に喜ばれた幼子のように、日々を過ごしましょう。イエス様が喜んでくださるように。3月11日、テレビで3:11東北大震災の生々しい映像を拝見しました。胸が詰まる思いでした。一日も早い復旧と復興が行われるように祈りたい。 

by minitayori | 2016-03-12 14:06

小さな桜の花木

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 近くの道路に一本の桜?と思うが咲き始めていた。夕方だったのできれいには写せなかったが、確かに春の到来を告げていた。ただし桜か梅か私の目には確認できなかったが。でも春は近いと感じました。

by minitayori | 2016-03-12 12:39