2018年 03月 10日 ( 5 )

3月4日の池袋教会の聖壇

3月4日の池袋教会の聖壇
今は受難節、イエス様の十字架の苦しみを覚えて紫の聖壇布。
鞭打たれ傷だらけの体に紫の衣が掛けられ「ユダヤ人の王」と
ののしられたイエス様の苦しみ。それは私のため、あなたのため。

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by minitayori | 2018-03-10 17:50 | Trackback | Comments(0)

「みにたより361」

「みにたより361」

 先週は途中まで書きはじめたら、目が見えなくなってしまった。パソコンは白黒反転にしてやっと見えるのだが、それでも大切なキーボードが見えなくなって、さすがに中止しました。

 楽しみにしてくれている友人や見も知らぬ多くの方々には申し訳なかったが、休ませてもらった。その一言だけでも載せておけばよかったのですが、それさえできなかった自分の気力のなさに、いささか限界を感じつつ一週間を過ごした。

 それでも日曜日の聖餐補助のご奉仕をさせていただき、夜には若い牧師の按手式に参加した。私の最後の任地の熊本の教会学校で育った青年が按手を受けた。一緒に教会生活をした好青年がまぶしいほど立派に成長していた。

 体力の限界を感じていたのでお祝いの会には出られなかった。一言も声もかけずに失礼してしまったが、赦してもらいたい。今も元気に働く後輩の牧師たち。杖をつきながらよたよた歩く老いた自分。でも精一杯働いてきたのだから、と胸を張って挨拶をしてきた。

 帰りは新大久保駅までの道のりが、日本ではないような街並みと若者がたむろしているので、タクシーで池袋に出て帰って来た。池袋の駅構内がまぶしくて、乗る電車の場所が分からなくなりそうになったりしたが、とにかく無事に我が家に辿り着いた。
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 これが今の自分であることを受け入れつつ、日々感謝で生きたいと改めて思った。なかなかむつかしい事であるとは思うが。


by minitayori | 2018-03-10 17:35 | Trackback | Comments(0)

花キャベツ

花キャベツ?
梅と桜の花を探して帰ってきたら、アパートの小さな花壇の片隅に
白や黄色のスイセンの花に交じって一輪の紫の花が目についた。
花キャベツのようだが、他の花に負けない美しさだった。
自分の精いっぱいの花を咲かしているから美しいのだろう。

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by minitayori | 2018-03-10 17:27 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 3月11日


311日 ヨハネによる福音書313-21

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3:13 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。:14 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。:15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。


3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。


3:18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。「3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」このみ言の中に集約されている。

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礼拝に備えて」

 イエス様がこの世に来られた目的は、神様のみ心を実現するためであった。旧約聖書の初めにはじめに言がった、と書かれ、言=神様の御心が、イエス様を通してこの世に実現することを願われた。それがヨハネの書き方であり、目的であった。

 み言とは神様のお心そのものであり、それは「「3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」

 イエス様はゲッセマネの園で十字架にかかる前の夜、血の汗を滴らせながら祈られたことを思いだしたい。「イエス様は苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように苦しみつつ、『父よ、み心ならこの杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく御心のままに行ってください。』と祈られた。神様の御心を行う事、それはイエス様の十字架であり、文字通りイエス様は十字架で苦しみ、命を捧げられた。あなたや私に永遠の神様の清い命を与えるために。

 そのみ言は教会に託されている。今も教会を通して、いや私達を通して神様の愛は伝えられなければならない。

弟子たちはこの祈りの間、寝っていたと記される。この弟子たちの姿はもしかしたら今の教会のことであり、私達のことではないだろうか。神様の切実な人々への愛の強さ伝えるためにイエス様は十字架にかかられた。私達は今何をしているのだろうか。家族や友人のために血の汗を滴らせるほどに懸命に生き、祈っているだろうか。

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 今の時期、受難節はこのことを思い起こすために備えられている時ではないであるか。まずは、これほどに神様に愛されている自分を知ってほしい。そして感謝しつつ、今日の命を大切に生きて欲しい。自らへの命への感謝と他者の魂の救いのために祈りつつ!


by minitayori | 2018-03-10 17:08 | Trackback | Comments(0)

しだれ梅

白 梅
アパートの敷地の中にあるしだれ梅の花が満開になった。
白が清楚な感じがした。ふと思った私の色はどんな色かと。

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by minitayori | 2018-03-10 16:54 | Trackback | Comments(0)