イエス様のお言葉にしたがって

イエス様のお言葉にしたがって
夜通して働いたが何も取れ得なくて、徒労のむなしさを
かみしめていた弟子たちに、イエスさまは、網を下せと
いわれた。お言葉にしたがった結果、大漁を経験する。
信仰とは不思議な体験の連続です。

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# by minitayori | 2018-07-21 22:18 | Trackback | Comments(0)

7月22日 礼拝に備えて マルコ福音書4章35-41節

7月22日マルコによる福音書4章35-41

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4:35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。:36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。

4:37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。:38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」:41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

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「礼拝に備えて」

人生の中では、何度も闇の海に向かって漕ぎ出すような時がある。私にとっては、牧師になる時の献身をして家を出る時。聖書学院を卒業して最初の任地に一人出かけた時。働きを与えられ、神学校を巣立つ時。先行きの見えない未知の世界に対して、手探りの状態が続いていた。今弟子たちは夕方になって船に乗ろうと言われ、舟に乗ってこぎ出した。イエス様は一生にいてくださることの素晴らしさをあまり自覚していないように思う。激しい突風が起こり、波が船の中にまで入って来て、水浸しになった。漁師として船には慣れていたはずだったが、彼らは恐れた。恐れの中で彼らはイエス様が同じ船におられることに気付いた。しかし、イエス様は弟子たちの恐れを知らぬように寝ていたと記されている。弟子たちはイエス様の存在を見て、喜ぶよりも非難をしている。イエス様が自分達の恐れを無視して。助けもしないで寝ている・と。イエス様がそこにいらっしゃることの安心とか平安をさえ考えるゆとりさえもなくなっている。わたしたちにもその様な状態になる時はないだろうか。「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。

4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」話がそれるがここで用いられている「怖い」と言う漢字は、風にあおられた布がはためく様子を表している。つまり、その布のように心が揺れ動く様子を示していると言われる。恥ずかしながら、私は説教壇に立つ時いつも怖れる。50余年前宣教師とアメリカを一ヶ月回った。宣教師の支援教会の報告だった。長く一諸に働いた宣教師だったので喜んでお伴をした。宣教師に郊外にある小さな皮工房に連れて行かれた。先生の支援者であり、日本の宣教のために支援し、祈っている方だった。この方が自分で作成した十字架を持って、これを私の祈りだと思って持っていてほしい、と言われた。私も小さな土産をお礼に渡したが、この祈りの十字架は私の宝物になった。40年の牧師生活、引退後も御用がある時は子の十字架を胸に下げている。そうすると素朴な職人の言葉が思い出される。「黙れ、静まれ!:と言われたイエス様のお声が聞こえ、恐れは消え、力を与えられて説教壇に立ってきた。e0191585_22005344.jpg





# by minitayori | 2018-07-21 22:07 | Trackback | Comments(0)

主に連なる枝は良い実を結ぶ

主に連なる枝は良い実を結ぶ
お見せできなかったキリエの一つだ。熊本のお世話になった
方に差し上げてきた。今も大切にしていてくださるとか。
わざわざ熊本から展示会に来て下さった。感謝!

余ヨハによる福音書15勝1~
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# by minitayori | 2018-07-14 22:02 | Trackback | Comments(0)

「みにたより368」

「みにたより368」

 35度の暑さが身体に堪える。先週の日曜日には地下鉄のエレベーターを出て、教会へのバスを待っていたら道路が揺らいでいた。暑さでそうなっているのか、私の頭の中でそうなっているのか。最近、目が悪くなり、光の中にいるとめまいがする、体力だけでなく気力も衰えてきたのかもしれない。

 洞窟の中に閉じ込められていた13人の少年たちの全員救出は、世界中に喜びとして伝わった。救出隊員の一人がその途中で事故で亡くなったのに心痛むが。きっと全員救出を彼も喜んでいる事だろう。日本列島、地震、豪雨、台風などにより悲しい知らせばかりだ。災害地に30度を超える猛暑がやってきた。土に埋まる道路やわが屋を茫然として見守る人々。家の中に流れ込んだ土砂をこれからどうするのだろうか。この50年一度の豪雨、と予測できる災害に日本の政府はこの時何をしていたのだろうか。真剣に救助の手を差し伸べて欲しいものです。

 しかし、この異常とも言うべき暑さをとりあえずどう乗り越えるか。みんなが幸せにこの時期を乗り越えられるように、助け合う事でしょうか。身体弱くても今、安住の場を与えられている幸いを、どうしたら共有できるだろうか。災害に合っている多くの人々のために、j管を裂いて祈ることから、何かの行動が生まれてくるように思えますが。
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 豪雨が過ぎ去った日の夜、東京の空は穏やかだった。
雷雲が空を覆っていたが、雲間には満月に近い月が顔を
出していた。明日はきっと晴れ。明るい日、幸せの日が
が来るようにと願う。


 


# by minitayori | 2018-07-14 21:49 | Trackback | Comments(0)

昼咲き月見草


昼咲き月見草
面白い名前の花だ。近くの取り壊された空き地に咲いていた。
間もなく雑草に覆われるだろうが。頑張ってほしい。
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# by minitayori | 2018-07-14 21:37 | Trackback | Comments(0)

「礼拝に備えて」7月15日 マルコによる福音書4章26-34節

7月15日 マルコによる福音書4章26-34節


◆「からし種」のたとえe0191585_22011170.jpg


4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

◆たとえを用いて語る

4:33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

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「礼拝に備えて」

 宣教に携わる人々(弟子達)への励ましと慰めの言葉と思えるイエス様の例えのお話。今と言う時代は宣教の難しい時代だと言われる。しかし、安易に宣教できた時代があっただろうか。

 最近、迫害の中で信仰を守り続けた長崎の建物や信仰継承の貴重な資料等があたらしく世界遺産になった。あの時代の人々の信仰の戦いと苦悩は私達の想像を超えてすさまじいものであった。

 私も熊本にいる時に島原でろう者の修養会をして、キリスト信者が迫害を受けた地獄谷と言われる、熱湯の沸き上がる温泉池を見てきた。この熱湯の中に逆さづりになって責め苦を受けた人々のことをもうと、今の自分達がくろうと思う事のいかに甘いかを感じさせられた。

 また天草のキリシタンの足跡を訪ねてやはりろう者を交えた20余人の集まりで旅を行った。ここでも隠れキリシタンと言う人々が、どんなに苦労をして信仰を守り続けたかを知ることが出来た。

 家の柱の中に切り込んだ十字架、観音像を巧みにマリヤ像に改造したもの。太陽が上がると太陽の光を浴びて十字架が浮かび上がる器などなど。弾圧をのがれて信仰を守ろうとしたひとびとの労苦と血の汗の後を見させてもらった。

 弟子達も、それに続く代々の教会も同じような苦労をしてきた。不インランドの初期の宣教師が住んでいたと言う家を見に行った。下諏訪の町はずれにあった。小さな家がまだ残っていた。この家に住んだ婦人宣教師が二人。石を投げられ、馬フンを投げられつつ恐怖の中で「神様の愛」を伝え続け、立派な信徒を生み出し、下諏訪から自転車で飯田市まで伝道に行かれたと言う

 一昨日、一緒の時に洗礼を受けた友人と電話で話した。いつも最初に出会った宣教師の話になる。人を愛し、イエス様の十字架を通して示される神様の愛を伝え続けていた。喘息を患い、空気のきれいな所に転地しつつ伝道を続けた。最後に喉頭がんで亡くなった。また昨年、ご婦人も天に召された。インターネットで私が投稿すると、必ず返事をくれた。

 足跡は小さいかもしれないが、イエス様が共に居てくださったから、そのまいた種は多くの信者が集まる教会、群れとして今も人々の心に残っている。

時が良くても、神様が愛された人々すべてを愛し継けよう。それが、召された私達の使命だから。生きているのは、時間が与えられている事。その時間をどう使うかが大切。どんなに小さな力でも、神様へのとりなしの祈りが出来る。この心の持てる信徒の集まる教会は、きっと神様の恵みであふれてくる。


# by minitayori | 2018-07-14 21:32 | Trackback | Comments(0)

空き地に咲いていた花

空き地に咲いていた花
家のすぐ近くに庭を持つ家があった。四季折々に珍しい花が咲いて
楽しませてくれた。その家が建て替えか、撤去され、空き地になって
雑草の茂る一角となってしまった。でもその雑草の中にきれいな花が
咲いていた。名前を調べる時間がなかったが、清楚な花だった。
花は自分の生きるべきところで懸命に咲く。だから美しいのか、

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# by minitayori | 2018-07-14 21:24 | Trackback | Comments(0)

池袋教会の集会室で行われたキリエ展

池袋教会の集会室で行われたキリエ展
日曜日には多くの方が来られたが、終日は30度を超す猛暑
厳しい暑さの中だけに来てくださった方に改めて感謝。
再開の喜びの握手の手の平が汗でぬれていた。
ありがたいことです。

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キリエ聖画展の様子
日曜から日曜(7月1日)まで、延べ百人近くの方が
見に来てくださいました。
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# by minitayori | 2018-07-07 22:27 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて キリエ聖画展を感謝して

7月8日聖霊降臨後第7主日 マルコ福音書3章20-30節
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3:20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。3:21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。

3:22 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。3:23 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。 3:24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。 3:25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。 3:26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。

3:27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。

3:28 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。3:29 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」

3:30 イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

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「礼拝に備えて」

 しばらく「みにたより」を休んでしまった。突然に便りが途絶えた方々には申し訳ないと思っている。2月3月に大切な人が召されたショックは大きく、そのショックが癒えぬままに、教会でキリエの作品展の依頼があった。引越しでしまいこまれたままの額しかなかった。

 気に入った作品は施設に寄贈したり、個人的な友人に貰ってもらったりして、まさに残り物しかなかった。しかも5年以上もしまいっぱなしで、何があるかも分からず躊躇した。しかし、これはきっと神様がわたしの心を励ますために備えてくださった大切な働きと信じて、準備を始めた。

 狭い部屋の押し入れの中の作品を探し出し、20数枚の絵を見て、これで展示会、個展と言うものが出来るだろうかと思った。何枚かは作成したが、目も体力も限界だった。しかし、主催してくださった婦人会は、一生懸命にっ成功させようと準備してくださった。「キリエ聖画展」役員会や教会の多くの方々のご支援をいただいて先週日曜日にやっと展示会を終えることが出来た。

 2時間以上のバス、電車を乗り継いできてくださった恩師。遠く九州から来てくれた友人、10数年ぶりに教会に来てくれた友人。教会の方々とささやかな切り絵展を通して和気あいあいの交わりと同時に、作品の意図を説明するわたしの言葉に深くうなずいてくださる方。その内にキリエのイエス様に訴えるように、家族の病気や伴侶を神様のもとにお送りした方が心の内を話し始めた。

 開催中一週間、猛暑の中だったが、貧しい絵であったかもしれないが、そこにイエス様がいらっしゃるような交わりが出来た。婦人会・役員会、お手伝いしてくださった教会の皆さん、参加してくださった方々、不思議な交わりが生まれた。初めて来た人や教会につまずいて長く離れていた人が、教会っていいですね!と帰りに一言言ってくださったのが嬉しかった。

 心を合わせて、一つの行事をする。その中心にイエス様がいらっしゃった。正直、少ない作品への不安と開催前に敬愛する方が何人も召されて心痛む日が続いていたが、この展示会で一番恵みをいただいたのはわたし自身だった。助けてくださった教会の方々に、そして見に来てくれた方々に「ありがとうと!」感謝したい。

 この後、何点かはサバの神学校に送りたいと言われ、災害に募金してくださった方々へのお土産にするという事で海外に渡ることになった。前任地の九州の教会でも展示会を計画したいと言う話だが、協議中とか。

「キリエ」が文字通り「主の憐みと祈りの集まり」として用いられるなら、と喜んでいる。
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# by minitayori | 2018-07-07 22:12 | Trackback | Comments(0)

キリエ聖画展当日の池袋教会

キリエ聖画展当日の池袋教会
教会員の方の力作のポスターが眩しく見えました。
素晴らしいひと時の開始です。

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# by minitayori | 2018-07-07 21:57 | Trackback | Comments(0)

キリエ(聖画)展

キリエ(聖画)展
教会の役員、特に婦人会主催で下記のようにキリエ展を
開催していただくことになりました。6月24日より7月
1日までの一週間になります。主要なものは引越しの時
皆さんに差し上げたり、教会に残してきたり、お世話に
なった施設に寄贈してきましたので、充分なものでは
ありませんが、一枚一枚心を込めた作品です。
ご覧いただければ幸いです。週日は13時から16時までです。
私もできるだけ会場で皆さんとお話しできるようにしたいと
願っています。。

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*会場は池袋西口寄り徒歩10分、光文社の角主曲がると正面が教会です。
 西口ビックカメラ前のバス停より池袋2丁目下車、少し戻って信号を渡り、光文社
 の横の道を入って正面に見えています。

# by minitayori | 2018-06-09 22:22 | Trackback | Comments(0)

シャクヤクの花一輪

シャクヤクの花一輪
薄暗いお庭の一角に咲いたシャクヤクの花一輪、庭全体を
明るくしてくれる。そんな人間に私もなりたい。

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# by minitayori | 2018-05-26 21:46 | Trackback | Comments(0)

「みにたより341」

「みにたより341」

 先週は池袋教会で6月24日から一週間予定されているキリエ展の準備で、わが部屋は足の踏み場もないほどになっていまった。引越しのままに押し入れの中にしまいこんでいたキリエ額を出し、一枚一枚点検をしながら、ずれている絵を直したり、修復したりの日々でした。

 作品名と聖画として作ってあるので、聖書の個所と作った時の意図などを書いてくれてお言われたが、なかなか記憶を引き出すのが難しい。目ぼしいものは学校や施設に寄贈してしまっているので、せっかく来てくださるひとびとに喜んでもらえる物が少ないのが残念だ。しかし、作品をしまう所がなくて額の裏に保管している物が何枚か出てきて、少し形が整いそうになった。

 教会の方が搬送のお手伝いに来てくださったので、22日やッと間にあわせて20点ほどの額を送り出した。気に入った絵には気にいった額装をしてやりたいので、ネットのオークションで見つけて、手に入れて送り出した。

 どんな飾り付けになるかわからないが、とにかく自分にとってこれを終りの展示会にしたい。キリエも小さなものを作って、楽しみながら出来る範囲にものにして行こうと思っている。そんな訳で前号は礼拝に備えてだけになってしまい、失礼しました。


# by minitayori | 2018-05-26 21:42 | Trackback | Comments(0)

クレマチス

クレマチス
アパートの前の家には色とりどりのクレマチスが咲いていた。
建て替えられるのか今はさら地になってしまった。四季折々に
珍しい花を見せてくれたのに残念です。新しい家にもまた
花が咲いてくれるように願いつつ、さら地の横を通っている。

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# by minitayori | 2018-05-26 21:39 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月27日 ヨハネ福音書3章1-12節

礼拝に備えて

 三位一体主日 527日 ヨハネ福音書31-12

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◆イエスとニコデモ

3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。

3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」

3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。

3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。

3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。

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「礼拝に備えて」

 自分が納得すると言う事と、信じると言う事との間には全く相いれない溝がある。私達は知っているから信じるのか、主を無条件で受け入れる心で信じるのか、自分自身で自問自答しなければならない。

 納得は自分の知識で理解できる範囲のことしか受け入れていない。しかし、信仰、信じると言う事は、私達の理解不能なことでもそのまま受け入れることではないだろうか。少なくとも聖書を見ると、神様の愛は理屈で理解してからの愛ではなく、まず受け入れてくださる事から始まっている。

 聖書の中の放蕩息子のたとえ話を思いだして見よう。父の財産を半分分けてもらった弟はその全財産を使い果たして、豚の餌さえ食べたいと思うようになりさがって、父のもとにとぼとぼと帰って来た。その息子を家の前で待ち続けた父親は、まだ遠く離れているのに走り寄り、抱きしめて、死んでいた息子が生き帰ったと喜んだ。これが私達に対する神様の真心なのです。この神様の愛を知る時、私達は神様が私達に注いでくださる愛のお心を、そのままに受け止める心=信仰の心が生まれるのです。この時に私達は本当の信仰を持つことが出来、全てを受け止めてくださる神様の懐に飛び込み、真実の平安を受けることがきるのです。神様のみ手の中で、日々を平安に生きて行きたいですね。


# by minitayori | 2018-05-26 21:32 | Trackback | Comments(0)

オリエンタルポピー


オリエンタルポピー
いつものようにアパートの自動販売機の裏の駐車場の中に、
ポピーの群れが咲き始めた。
砂利の下の土からわずかな水を得ているのだろう。
生命力の強さに感激!

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# by minitayori | 2018-05-26 21:24 | Trackback | Comments(0)

5月13日の池袋教会聖壇

5月13日の池袋教会聖壇
ミニタヨリお休みします。キリエ展示会のために
わが部屋はてんやわんやです。

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# by minitayori | 2018-05-19 22:55 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月20日 ヨハネ福音書15章26-16章4節

520日 聖霊降臨祭 ヨハネによる福音書1526164

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15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

16:1 これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。 16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。

16:3 彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。 16:4 しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」

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「礼拝に備えて」

 次週の日曜日は聖霊降臨祭、イエス様の復活から50日目、ペンテコステとも言う。教会の始まった日、誕生日とも言う。今日の日課の使徒書ではその時の様子が詳しく記されている。弟子達に聖霊が下り、彼らは大胆に群衆の前に立ち、彼らの分かる言葉で神様の救いのみ業を語ったと記されている。

 教会の誕生は、聖霊の力をいただいた弟子たちが勇気を持って、当時の人々(イエス様を十字架につけよと叫んだ人々の前に立って、)イエス様の十字架こそ神様のみ業そのものであり、あなた方の救いであると明確に語った。それを聞いた神殿に集まっていた地方から集まっていた人々は、弟子たちの情けない姿を知っていたが、勇気を持って語る姿に驚き、また自分達に分かる言葉で福音が語られたことに驚いた、と記されている。

何年か前に初めて教会に来た若者に聞いたことがある。「いかがでしたか?神様の愛を受けることが出来ましたか。」その若者は首を横に振って、それっきり教会に来なくなった。私は自分を責めて苦しんだ。教会に人が来るのは、讃美歌やオルガンを聞くためでも、会堂の雰囲気に感動するためでもない。

自分の分かる言葉で「神様のみ業を聞く」為である。私はそのことを牧師の唯一の使命だと考えてきた。キリスト教用語のない耳の不自由な人に、初めて来た人に分かる言葉で、理解出来るように語るために、日曜日の夜遅くまで、原稿を見直し、分かりにくい言葉に手話の表現はこうすると、赤ペンで書きこんで礼拝に備えた。

でもそれは人間の知恵では出来ないことを早くに知った。み言を理解するためには神様の霊をいただかなければならないと知った。しかし、聖霊を与えてください、とお願いしても見える形ではいただけなかった。しかし、祈るうちに、洗礼を受けた当時から暗記していた聖書のみ言葉が、ふと心に浮かんで難解なみ言葉に示される神様のみ心に触れることが出来た。

神様の御心、そして、それを伝えたいと考えられる神様のお顔が思い浮かんできた。お顔と言うよりも『眼差し』と言う方が正しいと思う。自分で作ったキリエのイエス様の横顔、とその眼差し。説教前には、「わたしが共にいる。安心して行きなさい。」と言うお声を聞き、礼拝が始まると、アメリカの職人から、私が作った十字架、あなたのために祈っている、と言う言葉と共にいただいた十字架かを握りしめて「主よあなたが語ってください。」と祈りつつ待つ。

説教壇に立つときにはストールが共にくびきを負ってくださるイエス様の存在を身近に示してくださった。共にいてくださるイエス様が語ってくださるそう信じて、畏れ多くも聖壇に立ち続けた。引退をするとき。赤い字で埋められた原稿ノートは、感謝しつつ廃棄してきた。今思うと、神様の導きのしるし。大切に取っておきたかった。今なら写真にとればよかったと思うが、一回一回神様の恵みを十分にいただいた感謝を心に持っている事で十分と思うようになった。生きている限り、神様に御用が与えられる限り、昔の気持ちを忘れれないでいたいと思う。


# by minitayori | 2018-05-19 22:50 | Trackback | Comments(0)

5月6日の池袋教会の聖壇の花。

5月6日の池袋教会の聖壇の花。
名前を聞いてメモしたのですが、字が読めなくなっていました。
この字で手紙をもらった人は迷惑だろうな

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# by minitayori | 2018-05-12 23:08 | Trackback | Comments(0)

「みにたより369」

「みにたより369」
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 ほっとする間もなく、神様は新しい仕事を用意してくださった。荷物の中に埋もれている「キリエ」をもう一度見てもらいたいと思っていたが、池袋教会の婦人会が婦人会の年間の仕事の一つとして、キリエ展示会を開催したいと申し出てくださった。しかし、考えてみたら目ぼしいものはみな寄贈してきてしまった。

 この小さなアパートの中では見てもらえるような大作を作る余裕も体力もない。先日の婦人会の担当者会でその話をしたら、ある物でいいからと言ってくださった。外国にあるものや遠方に寄贈したものは借り出すこともできないし、今在るもので!と言う言葉に甘えさせてもらうことにした。

 それでも、一点でも二点でも、展示会に来てくださる方々に新しいものを見て欲しいと願っている。但しできれば・・。でも弟子たちはいつでも命がけでイエス様の弟子であり続けた。どんなに失敗しても涙しつつイエス様のみもとに帰り、許されてまた証人として歩み続けた。強くあれとは言わない。弱くても主と共に、自分に示された仕事を喜びを持って雄々しく担って歩み出したい。
 *ブログ続けられる間は続けます。

 

 

 


# by minitayori | 2018-05-12 23:04 | Trackback | Comments(0)

シャクヤク

シャクヤク
聖壇に飾れた花を写してきた。最近家の近くでも花が目立つ
ようになったが、今年は散るのも早い。花の命は短くて・・。
それでも野に咲く花は特別に美しく感じる。
厳しい環境で一生懸命だからか。


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# by minitayori | 2018-05-12 22:50 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月13日 ルカによる福音書24章45-53節

369 昇天記念日 513日 ルカによる福音書2445-53
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24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。

24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

◆天に上げられる

24:50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。

24:51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。

24:52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、:53絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

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『礼拝に備えて』

 イエス様が十字架に架かり墓に納められた時、弟子たちは意気消沈してしまった。望みが失われると力が出てこない、勇気が出てこない。何かしようとする気にもなれなかった。人間と言う者は本当に不思議なものです。

 しかし、今の弟子たちは変わっていた。復活されていから40日の間何回も弟子達に出会われた。それも彼らが失意のどん底にある時に、彼らの心の前に来られた。「信じないものではなく、信じる者になりなさい。」と励まされた。 

 絶望の中にいる弟子たちは、繰り返してイエス様に出会い、イエス様のお言葉を聞くうちにその心が変わって行った。彼らはイエス様を伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」そこはイエス様を十字架につけよと叫んだ群衆、祭司たちがいたことだろう。しかし、そのただ中で神をほめたたえ、この少し後には、大胆にもイエスは神子であったことを

そこにいる人々に話し始めたと言う。

 今の時代、私達の周りにはいろいろな心配事が山積している。しかし、勇気を出しなさい、とのイエス様のお言葉は、昔も今も変わりなく語り続けられている。自分の力が弱くなった時に、私達はその主の励ましの小さな声を聞くことが出来るからだ。悲しみや苦しみは自分の力を無力にする。しかし、そんな時こそ神様の声が聞こえる恵みの時なのです。

 「わたしはいつでも、あなたのそなにいる。信じる者になりなさい。神様を賛美して喜びにあふれた心を持ちなさい。どんな時にも・・。


# by minitayori | 2018-05-12 22:45 | Trackback | Comments(0)

バラ屋敷のバラ

バラ屋敷のバラ
買い物に行く道すがらに、薔薇屋敷がある。もっともこの名は
私が名付けたものだが、この家の若い奥さまが花が枯れると
手入れをなさる。小枝を切り、枝を歯ブラシで磨いている。
何をしているのかと聞いたら虫がつかないように手入れをしてい
るという。薔薇を愛するご婦人が真のブドウの話が重なった。

まことの神の子となるように助けていて下さる神様を!

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# by minitayori | 2018-05-12 22:39 | Trackback | Comments(0)

4月29日の聖壇の花

4月29日の聖壇の花
百合は教会でっ復活を示すシンボル。私には励ましと見えた。

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# by minitayori | 2018-05-05 22:24 | Trackback | Comments(0)

「みにたより368」



「みにたより368」

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 正直、お葬儀も納骨も辛い務めだった。しばらく何もしたくないと思うほどの気持ちになった。特に親しい大切な友人だっただけにその疲労感と虚脱感の入り混じった切ない気持は強烈だった。前号のブログの投稿の時にこの「サービスは中止します。」と書いてあるのを見て、途方に暮れると同時に、ほっとしてこれでやめられると思った。

 事実そのつもりであった。しかし、電話でやめないでください!と言われ、その夜、天に召された敬愛する友人から、いつものようにお叱りの言葉が聞こえた。「わたしは命をかけて自分に与えられた舞台を勤めあげて、神様に召された。先生には生きている限り、すべき勤めがあるでしょう。んメッセージを持ったいる人もいますよ!」 弱音をはくといつも電話で聞こえてきた言葉だった。妙に鮮明に聞こえてきた。

 自分の命がある限り、待っていてくれる人がいる限り、精いっぱい自分に出来ることをする、どんなに苦しくても、自分の果たすべきことを精一杯果たす。友の生き方だった。わたしもこのような生き方をしていたい。

イエス様に「わたしの友よ!」言って迎えられるように。明るく楽しく、日々の時を大切に!e0191585_22182980.gif






# by minitayori | 2018-05-05 22:19 | Trackback | Comments(0)

赤い薔薇一輪

赤いバラ
前回、不具合があって使用中止と書きましたが、続けられる間は
続けてみます。よろしく。
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# by minitayori | 2018-05-05 22:04 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月6日 ヨハネ福音書15章11-17節

56日復活後第5主日 ヨハネ福音書1511-17

15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。

15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。

15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

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「礼拝に備えて」

15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友で人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。

 イエス様は弟子達を「わたしの友」と呼ばれました。イエス様を裏切り、見捨てて逃げ出した弟子達、その弟子たちに対して「わたしの友である。」と断言されたのです。どんなに弱くても、無力になっても、その人がどのような存在になろうとも、イエス様はご自分の気持ちは変わらない。「わたしはあなたを友と呼ぶ。」と言ってくださいました。

 年をとると言う事は、孤独になると言う事だねー。と先だって召された働きの先輩である友人が語っておられた。語り合う友がいなくなり、若い人たちとはうち解けにくい。ゴールデンウイークだと言うのに、行く場所もないし、出かける元気ももない。テレビを見ながら高速道路の渋滞を見て、懐かしく思う事もある。

 当時は冷房がなくて、氷をビニールに入れて頭に載せて運転しているのを、冷房の入っている高級車が通り過ぎながらにやりと笑って行くのを悔しく思う事もあった。こんな思い出を楽しめるのも長く生きてきた賜物なのだろうと、歩いてきた過去を振り返りながら、思い出をありがとう!という気持ちになる。

 こういう時だからこそ、ふとくちずさむ讃美歌が312番「いつくしみ深き」。この讃美歌の言葉の深い味わいに、改めて心に温かさを感じる。そういえば敬愛するご夫妻の葬儀にも、ご本人の希望でこの讃美歌が遣われた。そして今は、孫を寝かしつける時の子守歌にこの讃美歌を歌い続けている。


# by minitayori | 2018-05-05 21:59 | Trackback | Comments(0)

赤色のバラ

赤色のバラ
いつものバラの屋敷のつるバラも咲き始めましたが、いつもとは
違う道の屋敷の庭に毎年咲く赤いバラ。教会では赤いバラはイエスさまが被せられた茨の冠によって流された血をを意味する。
あなたのために流された地。

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# by minitayori | 2018-05-05 21:54 | Trackback | Comments(0)

アイリス?

アイリス?
アパートの片隅に昨年から咲き始めました。
きれいな花です。
サイトに不具合があるということで、このブログはこれで
中止します。不具合が治ればこのまま始めたいのですが、
新しいサイトが見つからなければ中止になります。新しい
ブログが始まったらお知らせしたいのですが、ご希望の方は
ご連絡ください。長いお間ありがとうございました。


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# by minitayori | 2018-04-28 22:32 | Trackback | Comments(0)

「みにたより367」

「みにたより367」

 サツキもバラも熱射病にかかったようにしぼみ、枯れてしまった.午後、買い物に出かけたら、きれいな花があちこちに咲いていました。

真っ赤なバラ、紫のアヤメ?かな。牡丹も咲いていた。

 なにもない練馬の片隅だが、住宅の小さな庭にきれいな花が咲いている。写真を撮るのか簡単だが。育てている人は大変mな努力をしているのを見ていた、感心してしまう。バラの館の都留バラは、毎年剪定して、身き一本一本を歯ブラシのようなもので身がいていた。

 多分ばらの木にはアブラムシのような虫が無数について、葉を枯らしてしまう。昔田舎の我が家で、母が同じことをしていたのを見ていた。その木の遠くなるような努力の結果、きれいなバラが咲く。それを惜しげもなく道行く人々に観賞させてくれる。私は写真を写し始めてから、毎年、何枚か現像して手紙を添えてお綿足することにしている。

 この近所にどのような花が咲くか、おおよそわかってきた。いまんもうちは記憶していて見に行くことが出来るが、いつまで記憶しておくことが出来るか。でも忘れれば毎回、感動して見えるのだから、売りして覚えなくてもよい、と思っている。

 花は自分の置かれたところで、同じ色、同じ時期に咲いている。それでも文句を言う事もない。豪華に見える花が、荒れ果てた庭の片隅に咲いている事もある。雑草に混ざって咲いている花もある。誰かが喜んでくれればそれで良いと思っていおるのかな!

 感嘆の声よりも、小さな「ありがとう!」と言う声の方が貴いと思っているのかもしれない。こんな花のようなきれいな心でいたいですね。いつまでも!

*サイトの都合でこの号で終わりになります。またサイトの不具合が治れば始めるかもしれませんが、散りあえずこれが最後です。今までありがとう!


# by minitayori | 2018-04-28 22:24 | Trackback | Comments(0)