冬牡丹

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 敷地の片隅に珍しい花が咲いていた。椿かと思ったがどうも違うのでづかんで調べてみたら、冬牡丹とか寒牡丹とかいう花に似ていた。
 ひゅうひゅうと木枯らしの中冬牡丹(駄作です)

by minitayori | 2015-01-17 21:19 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ194

「ミニタヨリ194」
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私の家から地下鉄の駅に行くためには、川越街道という広い道路を渡らなければならない。この川越街道は、山からの吹き下ろした風が来るので冬は特別冷たい風が吹くとか。新参者の私にはその真偽のほどはわからないが、この道路沿いの風が強いことだけは確かだ。練馬と言えば、いつも東京で一番熱くて寒い所と天気予報の時に語られていた。
最近あまり出なくなったので、聞いてみたら、今までは気温の観測所がコンクリートの街の中にあったから、熱く寒かった。しかし、公園の中にそれを移転させたら、1~2度変わってしまったということだった。納得はしたが、何ともお粗末な配置の仕方ではないか、と思った。しかし、少し前までは練馬は畑の多い所だったそうだから、以前の観測所も、もしかしたら畑の中だったのかもしれない、当時は仕方がなかったのだと理解した。
それにしても15日の木曜日は雨で寒かった。丁度、手話講習会の日だったので出かけたが、雨も降りだし、遠くから通ってくる人々が気の毒だった。でも手話通訳講座はみな熱く、熱心で、教える方が力を受けるほどだった。
帰りのバスを待ったが、こんな日に限ってなかなか来ない。雨の中立ち尽くして震えている自分が哀れに思えるくらいだった。でも、これも乗り越えて、無事に家に帰りつくことができると、こんな一日も感謝と喜びに変わる。この手話通訳講座は、予定のコースが終わる今年の11月まで行うことにしているが、受講生の皆さんの熱意に励まされて、改めて今年も頑張ろうという気が生まれてくる。
寒さの中、近くの庭に椿の蕾が見つかった。沢山蕾を付けているので楽しみだ。一輪咲いているのを見つけたので、後で写真を撮りに行こうと思っていたが、他のことをしていたら忘れてしまった。明日こそは映して、皆さんに紹介できるようにしよう。
ケアハウスにいた時、渋柿の木があって、熟してくるとまず大きな鳥がやって来て、少なくなるにつれて小さな鳥が来ていた。大きな鳥が食べつくさないで残しておく所に、自然の中の配慮を感じたものです。梅が咲くと、メジロやシジュウガラがやってきて楽しませてくれた。今年もまたやって来て皆さんの目と心を楽しませてくれるのだろうか。

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by minitayori | 2015-01-17 21:08 | Trackback | Comments(0)

メジロ

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 寒くなって林に食べ物がなくなると、小鳥たちがケアハウスにやってくる。庭の虫を探しに来るのだが、何もないので可哀そうに思った住人が、ミカンやパンくずを器に入れて木にくくりつけた。しばらくしてメジロやシジュウガラがやってくるようになった。その動作が可愛くて、笑顔が自然に、みんなの中に広がった。昨年1月に写したもの。

by minitayori | 2015-01-17 20:43 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 1月18日(日) 主に招かれて  マルコ1章14~20

礼拝に備えて 1月18日(日) 主に招かれて  マルコ1章14~20
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1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
1:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
1:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。
1:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

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「礼拝に備えて」
信仰とは、イエス様に出会い、イエス様の招きを聞くことから始まります。聖書をよく知り、学者であっても、聖書の中から呼びかけられる、イエス様のお声を聞くことがなければ、それは単なる学者であり、その説教は、聖書についての講義になってしまう。
ある先輩の牧師は、信徒の証や体験が書かれている雑誌をよく読んでおられた。人の経験から神様が生きて働かれる方であり、今も私達の前に立って呼びかけ、召してくださることを学んでおられました。その経験から、お話される説教は、信徒の方の心を打ったと聞いています。
今日の日課の福音書の中では、漁師であった人がイエス様に出会い、招かれて、イエス様の弟子となってゆく、不思議な光景が記されています。
イエス様が私達に出会ってくださる所は、聖なる教会の中だけではありません。弟子たちは夜通し漁をして何も収穫がなかった。ただ網が破れただけだった。どんな気持ちで網を繕っていたのだろうか。悲しみと虚脱感の中にいたのではないでしょうか。その彼らの前にイエス様が来られて、招いてくださったのです。
それは今も変わらないのです。悲しみの中で、絶望の中で、イエス様は招き、私達をイエス様の弟子となるようにと招いていてくださるのです。今のあなたはどのような状態でしょうか? 孤独でしょうか、病の中でしょうか、台所で一人家族のために黙々と食事を作っておられるのでしょうか。
お一人お一人のただ中に、イエス様は来てくださり、あなたにイエス様の弟子となりなさいと呼びかけていてくださいます。イエス様の弟子として新しい人生を始めてみませんか。その道は決して平たんではありません。しかし、「どんなときにも、いつも私はあなたと共にいる。」とのお約束を神様は守ってくださいます。

by minitayori | 2015-01-17 20:35 | Trackback | Comments(0)

冬の公園

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 珍しく光が丘公園に行ってきました。公園には花もなく、敷地内のイチョウの木も写真のように丸裸で寒そうでした。そんな木々をやさしく抱くように、夕日が降り注いでいました。あまり気がつかなかった光景で美しいと思いました。

by minitayori | 2015-01-17 20:28 | Trackback | Comments(0)

白い水仙

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霜柱にも負けないで、小さな水仙の花が咲いていました。昔、飯田にいた時、幼稚園の園庭の端に、雪を突き破るように咲いていた黄色い水仙の花を思いだします。間もなく春だ!と叫んでいるようでした。しかし、ここの白い水仙は、いよいよ冬が来るぞ!とささやいているようでした

by minitayori | 2015-01-09 17:02 | Trackback | Comments(0)

minitayori193

「ミニタヨリ193」
 この近辺を歩き回ったが、さすがに花はほとんど枯れてしまい、紅葉は散ってしまい、完全な冬模様です。駐車場の小さな花壇に、水仙が寒そうに咲いている。今朝見たら、霜柱が立っていた。私はこの寒さで震えているのに、豪雪の東北や北海道の方たちの生活はどんなものだろうかと心配になる。
昔、40年以上前だったと思うが、伝道部長の仕事で北海道を見学に行かせてもらった。11月に行ったが、もうすでに雪がパラついていた。初めてのことだったので、猛烈に寒いという知識しかなかったから、友人から革のコートを借りて、下着を何枚も着こんでいった。
最初の日、会議の席に入ったら、皆さんが半袖でいるのにはびっくりした。しばらくして、厚着をしていたわたしは汗をかいてしまった。これが北海道の生活の仕方であることを教えられた。次の日に、宣教師の訪問先に同行した。雪が降り出し、どこを走っているのかわからなかったが、海辺のレストランでジンギスカンをご馳走になった。
 温泉があるので入るかと聞かれたが、とてもそんな勇気はなかった。次の日に札幌の駅で、ろう者が経営しているケーキ屋さんがあると言うので、立ち寄り話しこんだ。ケーキを買って次の場所≪池田≫に行くために列車に乗ったが、ケーキのスプーンをもらうのを忘れて恥ずかしながら、丸かじりして食べた。帯広・釧路と見させていただいたが、そのご苦労を身にしみて感じた。
 今北海道は暴風雪になっているとか。千歳空港で帰れなくなって、人が空港で毛布にくるまって寝ている姿がいたましい。北海道で牧師をしている若いご婦人からメールで少し情報をいただいた。近くにい買ものに行くにも、寒さのための事故を起こさないように車で行くとか。
寒くて近くのスーパーに行くにも思い迷ってしまう私達にはとても住めない所だと思うし、その様な過酷な所で神様の福音を女性一人で頑張って伝えている姿に感動さえ感じる。それはご夫婦でも同じこと、無事にこの冬が越せるように祈りたい。
 そんなことを書いている時、最近始めたフェイスブックに連絡が入った。私の授洗牧師であり、北海道で案内してくださった故ネルソン先生の奥様、アイリーン夫人から懐かしいと、これからも連絡を取りたいとの申し出を受けた。
 ネルソン宣教師は喉頭がんで闘病、日本で手術して、末期をアメリカで過ごすために池袋のメトロポリタンから羽田へ行き、母国へ旅立って行かれた。ひそかに旅立つつもりだったらしいが、わたしはホテルまで見送って30分ほど話した。先生の最後の願いは、もう声が出なくなるから、手話で神様について話せる短い言葉を教えて欲しいということだった。わたしは自分の祈りを込めて「神様+一緒+大丈夫」という手話を教えた。リムジンが出発するとき先生は、窓越しに笑顔で「神様+一緒+大丈夫」という手話を繰り返しておられた。
この世での最後の別れの言葉は、わたしの人生を支えてくれた言葉、「神様+一緒+大丈夫」。あなたの支えの言葉になってほしい


e0191585_16411855.jpg神様

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一 緒にいてくださる。


e0191585_17583957.jpg 大丈夫

by minitayori | 2015-01-09 16:54 | Trackback | Comments(0)

ボケの花

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 一年前に、ケアハウスの庭で写したもの。名前は好きではないが、小さくても一生懸命咲いている花が、ケアハウスにふさわしい花だと思った。いつまでも美しく咲いていてほしい。美しく日々を生きてほしいと願った。わたしも含めて。

by minitayori | 2015-01-09 16:33 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2015・1・11 主の洗礼日

1月11日(日) 主の洗礼日  マルコ1:9~11
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◆イエス、洗礼を受ける
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
1:10 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
1:11 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

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「礼拝に備えて」 全ての罪人と共に
マルコは、イエス様が神の子として来られたことを福音書の最初に記しています。そしてその後、イエス様が具体的にどのような神の子としての働きをされたかが記されています。神の子として来られたイエス様を、マルコは神様が「わたしの愛する子」と言われた方として紹介し、罪人が悔い改めの洗いを受ける川の中に入られた方として紹介します。
さらに、このイエス様は、弟子たちの所に近づきながら「神の国は近づいた」と言われました。つまり、神の国というものはイエス様と共に近づいてくださる、いやイエス様と共にあることを示そうとされました。
マルコはイエス様の登場から、特別な方法でイエス様は神の子、救い主であると伝えつつ、その救い主がどのような行動をとられたかを示すことによって、今の私達に復活のイエス様の働きを示しているのです。
イエス様は神の子、罪人が近づきがたい神の子。しかし、その神の子であるイエス様は、罪人が悔い改めの涙を流す川に一緒に入ってくださった方なのです。あなたの悲しみのただ中に立って、私達と同じように罪の赦しの洗礼を受けてくださったのです。
その後何があったのでしょうか。イエス様が川から上がられる時、天から「あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえました。この天からの声は、イエス様だけに与えられたものでしょうか。そうではありません。自分の罪を悔いて涙を流すものすべてに与えられる神様のお心なのです。
イエス様は、私達のすべてにおいて共に居てくださいます。苦しみも悲しみも、罪の悔い改めさえも共に経験してくださるのです。それが神様のお心としてのイエス様に託されたお働きだったのです。イエス様は神様のお心をそのままに、その身に負われました。十字架の死に至るまで。e0191585_16233715.gif
ゲッセマネの祈りを思い出してください。「父よ、この杯をわたしから取り去ってください。しかしみ心のままになさってください」と祈られ、十字架の道を歩まれました。マルコはこの短い冒頭の言葉で、イエス様のご生涯が神様の愛を担われた、私達への神様の愛の業であることを伝えようとしているのです。
「あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者」。あなたがイエス様の中に歩むなら、今もこのお声はあなたに語られています。喜びなさい!あなたは神様の大切な子なのです。
 

by minitayori | 2015-01-09 16:26 | Trackback | Comments(0)

青天の月

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 青天の寒い午後でした、真っ白い月が見えました。あまり気をつけてみたことのない真昼の月でしたが、あまりに美しかったのでご紹介します。いつもは下ばかり見て花を探していた私ですが、空にも美しい花があったことを知ることができました。

by minitayori | 2015-01-09 16:13 | Trackback | Comments(0)