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 道端に咲いていた菊。寒さの中がんばるね。

by minitayori | 2015-01-03 22:47 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ192

「ミニタヨリ192」
 寒さが厳しくなりました。元旦の礼拝に参加しましたが、いつもと同じくらいの人が集まっていた。一人一人の熱心な信仰に心打たれる思いでした。
年末に我が家の間仕切りのドアが動かなくなり、直そうとドアの前にあった孫用の勉強机を動かしたら、ばらばらになってしまいました。修復不能に思えたが、ばらばらにして最初から組み立てなおした。前日はあきらめて捨てようと思ったが、孫娘の悲しむであろうことを考えるとどうしても修復しようと頑張ってみました。昔20代までこのような仕事をしていたので、こんなことは何でもないと思っていたが、板は重くて持てないは、釘は見えないは、つくづくと老いを感じさせられました。
 懐中電灯を持ってきてもらったり、釘を探してもらったり、老いた二人の共同作業で、夜までかかって完成しました。老いてきた二人の共同作業、新年の生活を実感させられた二日でした。
 新しい年、年賀状もあまり来ないだろうと思っていたが、沢山の方が覚えていてくれて横着して少なくしたので、今慌てて追加のはがきを書きだしています。老いは孤独が増すそうだが、このような沢山の方々に覚えられていることを感謝し、心温まる思いでいます。
 牧師として、40年の間3つの教会を牧会してきました。小石川にはろう者がおり、飯田教会には幼稚園があり、その成長の姿を目の当たりにするのはとても嬉しかった。熊本教会では歴史の古い教会らしく、高齢者が多かった。私が引退してからも数名の方が召されています。それは今通っている池袋教会も同様ですが、高齢者の方々が熱心に教会に通っている姿は、それだけで沢山の人々に信仰の大切さを教えています。
 弱さは、私達を神様近づける、老いは残りの時間が見えてくるので、一層神様に寄り添っていたいという信仰を与えてくれる。弱さに負けないように!良い年を共に始めましょう

 

「身障の友よ」より
 
木はしずかに立って 
嵐や寒暑に耐え、
緑の葉をしげらせ美しい花を咲かせ、
甘い実をゆたかにみのらせ、
小鳥や動物や人を招いてよろこばせる 
山や建物もじっとしていて
近くから遠くから訪ねて来る
身障の友よ信仰と希望と愛の
木や山や建物になろうではないか 
 
        河野 進

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by minitayori | 2015-01-03 22:44 | Trackback | Comments(0)

星を頼りに三人の学者の礼拝

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 このキリエは星に導かれ、いや星に包まれた三人の学者の信仰を示した。それ聖霊ということもできる。イエス様と両親、そして三人の学者たちも神様のみ心の中に喜んでいることを示したかった。

by minitayori | 2015-01-03 22:28 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて  1月4日(日) 顕現主日 賢者の礼拝

1月4日(日) 顕現主日 マタイ2章1~12
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2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
2:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
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「礼拝に備えて」 賢者たちの礼拝
 顕現日とは、占星術の学者たちが、東の方からイエス様を訪ねて礼拝した日を記念する日で、毎年一月六日と決まっています。実際にはその日に一番近い日曜日が顕現主日として守られています。
 このお話は、いろいろと着色されて伝えられています。三人とはどこにも書かれていないのです。「学者たち」複数であることは確かなのですが。そのことから「アルタバン」というもう一人の博士がいて、宝石を捧げようと一緒に出かける予定が、遅れてしまい、一人で東に向かって旅をします。いつももう一歩のところでイエス様とは会えないのですが、彼は大切な救い主への捧げものを旅の途中で出会った困っている人にあげてしまいます。あちこち旅をして、やっとイエス様がいらっしゃるエルサレムに着いた時、イエス様が十字架にかけられると聞き、急いで出かけますがその途中で、また売られて行こうとしている一人の少女に出会い、彼はイエス様にささげようと大切に持ってきた最後の一つを、商人にわたし少女を助けます。
 そこで力尽きるのですが、いまわの時にイエス様に出会います。彼は、もうわたしにはあなたに差し上げるものは何もありませんと嘆くのですが、イエス様は彼に、あなたが親切にした全ての人への愛の行為は、私にしてくれたことです、と彼を慰めます。
 学者が三人になったのは、捧げものが、黄金・乳香・没薬であったことから三人になったともいわれています。別の説では、三人は黒人・白人・黄色人の代表だと言う説もあります。その様な思いからイエス様を礼拝に来た三人の学者の肌の色を三色に塗り分けた、というお話も聞きました。その画家にとっては、イエス様が肌の色を超えたすべての人の救い主であった、と伝えたかったのでしょう。
 また学者を異邦人として紹介している方もいます。しかし、遠い東の国の学者が、全財産を救い主にささげる旅に出るとは考えにくいですね。戦に負けた時に捕囚の民として連れて行かれた人々が異国でメシヤを待って信仰生活を続けていた。祈りの生活の中で救い主の誕生を確信して、星に導かれて、財産のすべてを持って、救い主礼拝に旅立った。異教の国で生活していたが故に異邦人として一般にきめつけられているのではないでしょうか。
 三人の学者のお話は、マタイにしか記されていません。マタイは全ての人の救い主の誕生を語りたかったのは事実のようです。学者が星に導かれて救い主に出会った。しかし、彼らが、自分の知恵に頼って、ユダヤ人の王はエルサレムと思い、ヘロデ王の所に行った、その時星は消えています。再度、聖書の教えに従って、小さな町ベツレヘムに旅立った時、また星が現れ、イエス様のおられる所にとどまり、学者たちはイエス様を礼拝できました。星=天を見上げて救い主に会いたいと思う全ての人に、イエス様は会ってくださると教えているように思えます。救い主誕生のお話はいろいろな解釈があります。どれが本当であるかわかりませんが、それぞれ解釈した人が自分の信仰にたって、全ての人の救い主イエス様を伝えようとしていたのでしょう。


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by minitayori | 2015-01-03 22:23 | Trackback | Comments(0)

ゆずの実

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 近くの通り道の庭に、いつもはきれいな花が咲いている庭がああるのだが、今は時期的に何も咲いていない。大きな木があって上をみると、青空にたぶんゆずの実が取り残されていた。高齢者のご夫婦なので下の報は摘んだが取りきれなかった実が青空に残されていたのだろう。もっと熟すときっと野鳥が来て実をつつくのでしょう。自然の営みですね。熟して、新しい命のためにささげる。尊い働きです。

by minitayori | 2015-01-03 22:15 | Trackback | Comments(0)