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紅葉。冬近し

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 近くの公園に少し色づいた気を見つけました。秋が来ていたのですね。そしてもうすぐ冬です。

by minitayori | 2015-11-21 21:19

礼拝に備えて 11月22日マルコ13:24-31 聖霊降臨後最終主日

11月22日マルコ13:24-31 聖霊降臨後最終主日
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◆人の子が来る
13:24 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、
13:25 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。
13:26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
13:27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
◆いちじくの木の教え
13:28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
13:29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
13:30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
13:31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

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「礼拝に備えて」
 次の日曜日(22日)は聖霊降臨後の最後の日曜日になります。教会では、この日に終末、終わりの日が来ることを学びます。日本には四季折々の果物や自然界の美しい移り変わりがあります。
 今は紅葉の様子がテレビなどで取り上げられて、秋であることと同時に冬が間近であることを教えてくれます。長野にいるときは、園庭に積もった雪の下から、黄色の水仙が頭を出すと春が近いことを教えられ、楽しみにしたものです。
 イエス様は、自然の移り変わりに時があるように、この世にも終わりを示す時があるから、そのことに不注意でないようにと教えられています。しかし、イエス様は、いたずらに終わりの時について、人々を怖がらせるために教えているのではありません。何事にも終わりのときがあるものです。だから、その時を見誤らないように、その時がいつでもよいように、備えをして待つことを教えてくださるのです。
 イエス様は「目を覚ましていなさい」と言われました。終わりの時の、始まりの印を見落とさないように、目を見開いていなさいという意味でしょうか。
 日本語に「注意」という言葉があります。「注意」とは心注ぐという意味でしょう。何に心を注ぐのでしょうか。終わりの日を恐れて、おののいて生きなさいという意味でしょうか。違います。
 神様に心を注いで生きるということです。終わりの日は神様が定める日です。神様に心を注ぐ、すべてをゆだねて生きる、その時に、神様のみ手の中で、私たちは安心して生きることができます。いつでも御心にゆだねて生きる、そのような日々を送りたいですね。その心の備えができるとき、私たちは心を平安で満たされるのです。神様のみ手に抱かれて安らかに眠る幼子のように。
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by minitayori | 2015-11-21 21:15

チョコレートコスモス

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 なかなかわからなかった花の名前でした。花を作る仕事をしていた長女が来てすぐ教えてくれた。「紫コスモスまたはチョコレートコスモス」というのだそうです。コスモスはいろいろ改良されてたくさんの種類があるそうです。秋桜とも呼ばれ、花ことばは「繊細な心」。

by minitayori | 2015-11-21 21:00

サザンカ

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散歩道にある生垣に、サザンカが咲きが始めました。不順な天候に戸惑っているようだが、咲いている花は美しい。バラの花も所々で咲いており、日本ユリの花が雪を待ちきれないのか咲き始めている。次回にお見せしようと思っている。

by minitayori | 2015-11-13 21:22

「ミニタヨリ225」

「ミニタヨリ225」
 やっと秋を感じるようになりました。三寒四温という言葉があるが、最近は一雨一度という言葉があるそうだ。一回雨が降るたびに、温度が一度下がるという意味だそうだ。紅葉もきれいになっていることが、テレビで知らされるが、この近所には紅葉があまりないのでモミジの美しい色を見ることは出来ない。急いで見に行かないと散ってしまう飯田の紅葉、熊本はお城の中に紅葉があって、時間があると見に行ったもの。残念ながらその頃はデジカメを持っていなかったので、記録が残っていないが。
清瀬に来て病院の敷地にある紅葉を、毎日のように写しに行って楽しんだ。紅葉の写真を撮るときにはコツがあって、太陽が当たるほうからではなく、太陽の光を受けている裏側から写すと、紅葉の色がきれいに写せる。花でも同じだが、紅葉も一番美しい時に取ってあげたいといつも思って写していた。

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    星野富弘さんの詩
 木にある時は 枝にゆだね 
 枝を離れれば風にまかせ
 地に落ちれば 土と眠る
 神様にゆだねた人生なら
 木の葉のように 一番美しくなって 散れるだろう

この言葉を繰り返しながら、紅葉を写真に収めていた。ただ、この美しさが人間の思いではなく、神様の御心の中で、ということを忘れないでいたい。老いようが、若さの中だろうが、神様のみ心の中で全てが決まる。それが私にとって一番美しい時であった、と信じることができたら、まことに幸いな人生を送ることになるのだから。

by minitayori | 2015-11-13 21:15

同じく紅葉

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 テレビで外国の観光客が、「日本のもみじは期間が長くて、美しい!」と語っていた。確かにその色彩は素晴らしい。11月にフィンランドに行った時ヘルシンキの街内が黄色一色でびっくりした。その大聖堂の地下礼拝堂で切り絵の個展を行った。フィンランドの団体が海外宣教のために基金集めに行ったチャリティーの展示会だった。結構売れたようだが、オークション形式だったのでその内容はわからない。でも、いくつかの教会・家庭で大切に飾られていると思うと嬉しいですね。
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by minitayori | 2015-11-13 20:57

礼拝に備えて 11月15日マルコ福音書12:41-44

11月15日 聖霊降臨後25主日 マルコ福音書12:41-44
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◆やもめの献金
12:41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
12:42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
12:43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
12:44 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
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「礼拝に備えて」 児童祝福礼拝(小嶋担当)
 次週(15日)は児童祝福礼拝、子供との合同の礼拝だ。このような礼拝のお話を頼まれたのは池袋教会に来て4回目かな。実際には子供出席は少なく、一度は40余人の大人に一人だけ子供が参加していた。
 勿論、大人に我慢してもらって、子供にお話しした。たまには子供用のお話もよいだろうと思う。イエス様のお話を見ると、易しいお話が多い。それはそこに集まっている全ての人に理解できるように、という意図があったからだろう。
 弟子たちのペンテコステの後の最初の説教も、そこに集まっている全ての人種の人が、神様の愛を分かったと驚きの言葉を記している。
 大切なことは、神様のお心がわかる事なのだろうと、いつも思いつつ説教壇に立ってきた。今回も初心に立ってお話しようと思う。
 神様のお心は、もちろん聖書の中に書かれている。最も具体的にあらわされているのは、イエス様の日々の言動にある。その中に神様のお心が記されている、と私は思っている。
 宗教改革者ルターが「聖書のみ」と説いたのはそのためであったように思う。イエス様の足跡を見ていると、神様がどのような方を愛されたかがわかる。
 今日の日課の中で、一人の貧しいやもめの婦人がなけなしのお金をそっと献金している姿が示されている。そしてその傍らで金持ちがわざと音を立てて、多くの献金をしている様子が記されている。神様はどちらを喜ばれたか、と問いつつ、人の称賛を求める金持ちよりも、心から一生懸命の捧げものをしたやもめこそが神様の喜ばれる信仰の姿であると、イエス様は言われる。
 どんなに小さくても、弱いと思われる人でも、一生懸命に神様の恵みを求める者を神様は見捨てられない。愛され「大切なわが子」として見ていてくださる。なぜなら彼女も神様の大切な愛する子だから。この神様の愛から省かれる人は一人もいない。どんな人でも神様は愛しておられる。あなたが今どんなに弱く小さい者として自分に失望していても、神様はあなたの存在を、大切な人として受け止めていてくださるのです。

by minitayori | 2015-11-13 20:46

東京病院の紅葉

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 この写真は、ケアハウス時代の思い出の写真。近くの東京病院は結核にかかった軍人さんのための施設として作られたとか。当時は箱庭のような小さな小屋に二人組で寝起きし、自然の中を散歩しながら、自然の力による治癒を考えていたようです。戦後は一般にも開放され、総合病院となって、立派な建物になっている。敷地は驚くほど広く、四季折々の樹木、花が今もきれいに四季折々慰めてくれた。

by minitayori | 2015-11-13 20:41

裏庭の薔薇

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 アパートのベランダから見える小さな庭にバラの花が咲いていた。このバラは不思議なことにいつも二輪ずつ咲き、寄り添っている。土も痩せているので、少し心もとなく感じるが、寄り添っている姿がなんともほほえましい。悲しみ、苦しみ、さみしさは、一人で負うより、二人で負えば半分になるのだよ、と語りかけてくれているようです。感謝!

by minitayori | 2015-11-07 18:31

「ミニタヨリ224」

「ミニタヨリ224」
 いつのまにか「ミニタヨリ」も200回を越してしまった。牧師になってから、教会の会員が一週間に一度教会に来て顔を合わせた時に、共通の話題ができるように、身近な牧師の目で見た事や教会の中で起こった事を書き、はがきで送った。
 牧師としての任期が終るまでと思ったが、引退してから200になるまでと思って、ブログ通信に変えて始めた。もう終りと思うことが何度もあったが、その度に誰かが励ましの手紙をくれて、もう少し続けようと思い、ここまで来た。
 パソコンを見れない人や、教会に出られない人には、希望される方に郵送している。(こちらから押し付けで送っている方々も・・)中には、必ず返事をくださる方もいる。
 電話で直接にお話を聞かせてくれる方もいるが、その手紙や電話に励まされて、もう少し続けようと思い、今日まで来た。時々以前の物を見直しているが、昔の方が面白かったなーと思ったりする。
 昔、すでに召された方であるが、1~からずっと整理して、送ってくれた。段ボールに一杯になっていたが、引越しを繰り返す中で整理しようと思いつつ持ち歩いていた。そのうちパソコンに取り込むことを思いつかないままに、どこかに消えてしまった。(1号からしばらくは、鉄筆書きで、手刷りの印刷機のものだった。)
 思い出の中に残る、自分の精いっぱいの努力、まだ人々の記憶の中のどこかに残っておればそれでいい。いつか自分の存在もそうなる時が来るだろう。最近花の写真を撮るようになって、花をよく見ていると、昨年と同じ花は決して咲かない。新しい花が咲いている。それがあたらしい時代の始まりなのだと、妙に悟ってしまった。
 秋がくれば草木の葉も美しくなる。神様に従っていれば、一番美しい時に散ることができる、そうあることを願って、今日一日を大切に生きたい。
      
  主よ、我をして

主よ、我をして、安楽を願うよりも
  強い人となることを
ふさわしい仕事を願うよりも
  与えられた仕事を果たす力を
  願う者とならしめ給え
              渡辺和子著「愛を込めて生きる」より

 

 

by minitayori | 2015-11-07 18:11