キリエ 聖家族

聖家族
キリエ 小嶋

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by minitayori | 2017-12-22 23:15 | Trackback | Comments(0)

「みにたより332」

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「みにたより332」

 今年は緑内障にかかって視力が衰えてきたので、クリスマスのキリエ作るのをやめようかと思っていた。しかし、どうしても描きたい事が心に浮かんできたので19月の半ばから構想を練り、下絵を何度もかき直してとりあえず下絵を完成した。

 しかしいろいろと家の事情もあり、ナイフを入れることが出来ず、11月半ばになって慌てて切り始めた。どうしても描きたかったのは、マリアさんとヨセフさんのお二人がイエス様を見つめているまなざし、その眼に浮かぶ涙を描きたいと思った。

 8月に、我が家にも3人目の孫が与えられ、母親である次女が勤めていることから出来るだけの援助をすることにした。大変だが幼子の笑顔に励まされている。しかし、クリスマスの聖画を用意し始めて、ヨセフさんとマリアさんの思いに心が向いて行った。

 愛おしい幼子が「諸々の民を救うために命を捧げる。」その様に天使に告げられます。どんな思いでこの言葉を二人は聞いたのであろうか。幼子を見守る若いヨセフとマリアの目には喜びと共に、悲しみと愛おしさの涙が浮かんでいたのではないか。
 今年のキリエは私の最後の作品になるかもしれない。だからこそヨセフとマリアの苦しくも悲しい思いを心に留めて作品に仕上げたかったのです。しかし、

 肉体の衰えは残酷です。思いのすべてを表現できなかった。だが、その思いだけは込めて、何度も切り間違えたり、思い通りに行かない辛さをかみしめながら完成させた。


by minitayori | 2017-12-22 23:08 | Trackback | Comments(0)

バラ

バラ
ごみ箱の横にひっそりと咲いていた。花そのものは見事な花で
ひっそりということがあてはまらないが、こんなところにも
文句を言わないで咲いている美しい花を見つけられたことが
うれしかった。私は神様が置いて下さったところで精一杯
咲く。それが私に与えられた御心だから、と花の声。


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by minitayori | 2017-12-22 23:02 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月24日 ルカ福音書1章67~79節

1224日 待降節第4主日ルカによる福音書16779

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◆ザカリアの預言

1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。

1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し:69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。

1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。

1:71 それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。

1:72 主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。

1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、 敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、生涯、主の御前に清く正しく。

1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。

1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。


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 「礼拝に備えて」e0191585_22355596.gif



 今週はクリスマス・イブ。イエス様降誕の前夜祭になる。一般にはこの日をクリスマスとして礼拝する教会がい多くなっている。クリスマスはイエス様がかつて来られたことを祝う日、誕生日であり、もう一つやがてイエス様がよの裁き主としてくる時がる事を覚え得る日でもある。そのために一人でも多くの人が救われうように、教会は一年の間祈りつつ働きをしてきた。


 私は24日を最後の伝道の日として守って来た。明日イエス様が来られる前にイエス様を信じて欲しい。「今は恵みの時、救いの日である。」からだ。だから。24日の礼拝が盛大に行われることを否定するつもりはない。なぜなら、一人でも多くの人に今越す救いの日恵みの日であることを伝える大切なラストチャンスの日だと思ったからだ。


 熊本にあるルーテル教会の高校では、ハンドベルを通して、クリスマスの到来を市内の多くの場所で演奏をしてきた。私が最後の任地となった熊本教会では、その高校生ハンドベルの最後の演奏の場として24日を特別の礼拝としてきた。礼拝前に夕食を用意し礼拝に備えてきた。


 ある24日の礼拝では200人を超す方々が集まってくださり、二階の床が落ちるのではないかと心配するほどだった。懐かしい思い出だった。事はどうしているだろうか。若い人々がハンドベルで証をし、人々の心をイエス様来臨への備えをしてほしいと願っている。毎年この日のためにクリスマスのキリエを作ってプレゼントをしてきた。クリスマスの日飾ってイエス様の降誕を思いだしてほしいと思ったから。


 今日の日課では、イエス様の先駆者であり、その勤めを全うした洗礼者ヨハネの事が記されている。洗礼者ヨハネは当時のヘロデ王の悪行を責めたために、首を切られて死んだ。彼は、獄中で死を待つ間、弟子をイエス様の所に遣わして「あなたは来るべき救い主ですか。:と訪ねさせた。


 イエス様の答えは、「私の身の周りを見なさい。不治の病と言われていた人や罪人、社会で孤立していた障害者の人々が集まって、神様を賛美している。これこそ救い主がいるしるしである。」と言われた。教会とは健康な人だけの集まる社交場ではない。助けを必要としている全ての人が集まり、イエス様の救いを受け入れて感謝の賛美を歌える場所でなければならない。その様な教会であってほしいと願いつつ、今までも、今も過ごしている。







by minitayori | 2017-12-22 22:52 | Trackback | Comments(0)

山茶花

山茶花
今咲いている花は、身近ではサザンカが大部分です。もう少し散歩の距離を広げるとよいのですが、キリエ、孫守りと時間が取れなくて良い
写真が届けられません。
でも花はそれぞれにきれいですね。

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by minitayori | 2017-12-22 22:40 | Trackback | Comments(0)

秋の名月

秋の名月
久しぶりに美しい月を写真に撮ろうと表に出た。
当日は雪雲がかかってうまくと写せなかった。
寒くて震えていたのかもしれない。昨日も流星群が
見えるというので夜空を見上げていたが、寒さに負けた。

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by minitayori | 2017-12-16 22:59 | Trackback | Comments(0)

「みにたより331」



「みにたより331」

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 デパートも遊園地も公園も、普通のお宅の玄関までクリスマスのイルミネーションが飾られている。イエス様の居ないクリスマス・・寂しい事です。クリスマスの前にデパートでは歳末大売り出しの看板に代わってしまう。クリスマスは、キリスト+ミサ(礼拝)が本当の意味。デパートのクリスマスの看板を正しく書けば、「救い主+礼拝、大売り出し。」面白い看板になりますね。

 昔教会学校ではクリスマス伝道集会を行った。祝会のカレーライスは100人分作ったが、子供たちの食欲には、いつも足りない。生徒の保護者も手伝いに来てくれた。てんやわんやの大騒ぎだった。

 あるときこんなお話をした。クリスマスは何? 生徒はイエス様の誕生日と即答した。クリスマスにはプレゼントを貰うよね!でもイエス様のお誕生日なら、イエス様がプレゼントを貰うのが当たり前だよね。子どたちはびっくりしていたが、その後、プレゼンとを貰ったかどうかは聞かなかった。
 しかし、子供たちにクリスマスの日、イエス様が来られた時家畜小屋なら空いています。ではなくて、私の心に来てください、と言うおはなしで締めくくった。その日の最後の讃美歌は、「もろびてこぞりて」だった。手話でするようにと教えた。主=右手の親指、が上から来られる。自分の心の前に左手を開いて用意し、そこの来てくださるように、と祈りながら歌うようにと教えた。

 子供たちは真剣な顔で手話をしていた。最後に左手のひらに来てくださったイエス様をしっかりつかんでいるんだよと教えた。子供たちの輝いて歌う顔が印象的だった。その中から、何人かが洗礼を受け、今も心の中にイエス様をしっかりと持ち続けている事を聞いて、喜びを感じている。あなたの所にも「主はきませり!」




by minitayori | 2017-12-16 22:53 | Trackback | Comments(0)

裏の渋柿の木と小鳥

裏の渋柿の木と小鳥
このあたりのボスの小鳥。鋭い声で威嚇しながら飛び交う。
渋柿が熟したか、一羽で占領して食べていた。
数日してほとんどなくなった木に、
小さなメジロや雀がやってきた。
かたい皮に穴をあけて小さな小鳥のために
残しておいたのだろうか

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by minitayori | 2017-12-16 22:47 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月17日 ヨハネ福音書1章19―28節



1217日 待降節第3主日 ヨハネによる福音書119―28節

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1:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。1:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、:20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
のとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。

「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うこ

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「礼拝に備えて」

イエス様はご自身の十字架の時が迫っている事を知り、神様の福音を伝えるためにご自身の弟子を選ばれました。イエス様は選ばれるにあたって、弟子の使命を語っておられる。

リラヤ湖で漁師をしていたペトロと兄弟アンデレに対して、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。イエス様は特別な人ではなく弟子を、その働きの場で招かれました。」彼らは3年の間、イエス様と行動する時に、イエス様の教えを特別な神学ではなく、自分の生活の中に染みついた経験の中で受け止めて行ったのではないだろうか。

 私が神学校に入学を赦された時、ペンキ職人や学校の先生、アルバイトで生活をしていた人、鮨屋の職人もいた。私は表具師を6年学んでいて、間もなくのれん分けをしてもらえる所で、献身を決意し、父親の期待を裏切ってしまったので感動を受けた。当時のクリスチャンの中には勘当されてクリスチャンになり、聖書学院に入り、伝道師になった方も多くいた。

 漁師は魚を取って生計を立てていた。網元に当日の収穫を報告していた人もいたかもしれない。いかに魚をとることが出来るかを工夫し、考えて漁に出たことだろう。イエス様の弟子の仕事も同じような経験を生かして働いたことだろう。

 友人のペンキ職人だった人は、ひとのこころを神様の愛色にりたいと語っていたし、私も古いふすま紙を、新しく変えて喜んでもらえるようになりたいと思ったものです。イエス様に選ばれた弟子たちは多彩な仕事をしていた。人に嫌われるような仕事をしていた人もいた。だからこそ、主に従って人に喜んでもらえるような働きをすることを願ったのだろう。

 苦しむ人に寄り添い、神様の愛を伝え、悲しむ人に神様の愛と喜びを与える人となることを願って、失敗をしながらもイエス様に従い続ける、そんなイエス様の弟子であり続けたいと思います。あなたにも今生きている場所で「わたしの弟子となりなさい。」「愛を与える人になりなさい。」と呼びかけておられます。今その場所でイエス様の弟子となり、今居る場所で神様の愛を伝える者となりましょう。











by minitayori | 2017-12-16 22:37 | Trackback | Comments(0)

寒風の中のひまわり

ひまわり
寒風の吹きぬける川越街道の歩道のわずかな土に
ひまわりがしていた。寒い朝だった。耳が痛い
ような朝だった。皆を励ましているのだろうか。

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by minitayori | 2017-12-16 22:15 | Trackback | Comments(0)