21日の池袋教会の聖壇の花



21日の池袋教会の聖壇の花
この日は小児洗礼が行われ、春の陽気で、教会の中も春の花
しかし次の日は大雪。よかった!



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by minitayori | 2018-01-27 22:35 | Trackback | Comments(0)

「みにたより356」

「みにたより356」

 近年にない寒波が東京にもやってきました。アパートの前の駐車場にも雪がつもり、朝一番に階段と通り道に出る道だけは確保しようと雪かき始めようとした。しかし、雪かきの道具がない。仕方がないので小さなチリトリでしゃがんで雪道を作った。10センチほどの雪だが幅一メートル、長さ78メートルの雪かき。道具がないのでしゃがんで一時間ほどしてやっと道を作ったと思ったら、今まできれいにしてきたはずの道には3=4センチの雪が積もっていた。

 関節と腰の痛みが出始めたので雪かきはあきらめたが、大変dした。私の故郷では雪はほとんど記憶にないくらい降っていなかった。東京の神学校に入学してある朝、真っ白になっている庭を感動して歩いたものです。東京ではあまり大雪はありませんでしたが、それでも12度降る雪には気を付けました。教会の前の道で転んでけがをする人が出てはいけないと思い、雪が降った時は早朝から教会の前の歩道の雪かきをしたものです。まだ30代の頃でしたから、大変さより楽しさを感じました。

 飯田にいた時は駐車場と園児が登園する道とを作るために朝早くから汗を流しました。園の送迎バスのタイヤにチェーンを付けることも覚えました。まだ50代後半の時でした。

東京の今回の雪は50年ぶりとかで、79歳の後期高齢者にはさすがにきつく家に閉じこもり、太陽が出て自然の雪解けを待とうと思いました。所が2日ほど続いた寒波で道路の雪が凍ってしまい、凍って歩き辛い道があちこちにあります。水をまいて雪を溶かしている人もいましたが、それが凍ってスケート場のようになってしまい、転ばぬようにペンギン歩きをして買い物に行きました。

でも、今大雪の中にいる地方の人々の事を思うと青空が見えるだけ幸いだなーと思うとともに、北の国の人々の無事を祈りたいと思います。
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by minitayori | 2018-01-27 22:27 | Trackback | Comments(0)

大雪の朝

大雪の朝
練馬に転居して初めての大雪でした。
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by minitayori | 2018-01-27 22:24 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 1月28日  マルコ福音書1章21-28節

128日 顕現節第4主日 マルコによる福音書121-28

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◆汚れた霊に取りつかれた男をいやす

1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。

1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

1:23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。

1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」

1:25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、

1:26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。

1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」

1:28 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

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「礼拝に備えて」

 今日のみ言葉の中でイエス様が会堂に入って会教えられた時のことが記されている。人々はイエス様の教えを聞いて、イエス様のお言葉を通して権威あるものとして教えられるイエス様のお姿に驚かれた。その権威とは何だろうか。ヨハネによる福音書記者はイエス様についてこう証している・「「1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」

 イエス様のみ教えの中に示される恵みと真理とに触れたからこそ、人々はイエス様を信じ、イエス様のみもとに集まってきたと思うのです。それは言葉ではなくイエス様の人々に対する、偏見のない愛、として示されています。洗礼者ヨハネの問いに対して、マタイ福音書記者は「11:4 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。

目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。とイエス様がいらっしゃる所に愛があり、愛が実現され、そこに福音(良き知らせ)があり。福音を通して神様のお心に会える喜びが生まれる、その様に考えると、イエス様のお心を伝えることこそ、説教であり牧会であると思うのです。

 イエス様の存在は、教会の交わりの中にも存在します。勿論福音の説き明かし(説教)の中にも、祈りつつ教会に集う会衆の心にも存在するものだと思うのです。教会はこのようにして権威ある神様のみ言としてこの世に力ある存在となるのではないでしょうか。


by minitayori | 2018-01-27 22:18 | Trackback | Comments(0)

名前?花

名前?
いつも通る小さな婦人服のお店の前を通った時、ふと足元で
視線を感じた。紫の葉に小さな花が咲いていた。いつも小さな
つぼみのようだが、先日はしっかりと花を咲かしていた。店の
方に花の名前を聞いたが、知らないよ!とつれない返事だった。
そうだね、花にとっては名前なんか関係ない一生懸命咲いている
からきれいなんだものね。

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by minitayori | 2018-01-20 22:28 | Trackback | Comments(0)

「みにたより335」

「みにたより335」
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 今度の日曜日には、次女の長女(つまり私の孫)の幼児洗礼式が行われる。主任の牧師先生のお赦しをいただいて洗礼式のお手伝いをさせていただけることになった。思えば私の最初に洗礼を授けたのは、まだ神学生の時、最終学年の時だった。そこの教会の優しい牧師先生が、介添えをしてくださり、ガン末期の病床での父の洗礼式を行った。そして人生最後であろう洗礼式が、母の体にいる時から見守り、祈ってきた大切な孫であることに、神様の特別のご配慮を感じ、感謝している。勿論、ほかの家族や兄弟、友人の信仰のためにも祈っている。今に至るまで聖壇に立っている事が許されていることも含めて・・。神様が必要としてくださる限り、肉体的に衰えを痛感するこの頃だが、感謝しつつなせる事を心をこめて果たしていきたいと改めて思っています。

 不思議に自分が弱気になると、励ましてくれる信友が支え、力を与えてくれる友が現れる。文字が見え辛くなって、間違いも多くなってきている時に、このような文章で「励まされています。」と言うお手紙をいただき、私の方が励まされています。

 今年の3月には、前任の教会で教会学校で育った青年が、神学校を卒業して牧師になる。「牧師にならないか。」と話し合った。家族思い、妹思いの青年で、家族を守りたい、と大学に進学した。引退後も心に残りそのことについて祈ってきた。彼が神学校に入り、間もなく牧師になる、その知らせを聞いてどんなに嬉しかったことか。

 私はろう者伝道と言う働きの故に、故郷でお手伝いをすることが出来なかった。引退後は出身教区で嘱託の働きででもご奉仕したいと思っていたが、肉体的には無理と考えてあきらめていた。でも出身教会牧師のお招きで伝道集会のお手伝いをすることが出来た。

 思いがあれば通じると言う事かな。

若い牧師たちの未来に、神様の祝福と守りをいのりたい。遣わされる教会での働きを通して一層成長できるように、教会の祈りと支えを願いたい。e0191585_22160642.jpg


 


by minitayori | 2018-01-20 22:17 | Trackback | Comments(0)

蝋梅

蝋梅
恥ずかしがるように、遠慮しているように小さな花が咲いていた。
良く見たら「蝋梅」の花だった。いつもより遅いような気がする。
そうだね!この天候の変化の激しさではついてゆけないよね

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by minitayori | 2018-01-20 22:07 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月21日  マルコ福音書1章14-20

221日 顕現節第3主日 マルコによる福音書114-20

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◆ガリラヤで伝道を始める

1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

◆四人の漁師を弟子にする

:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。1:18二人はすぐに網を捨てて従った。:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、:20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

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「礼拝に備えて」

 イエス様はその公生涯の初めをガリラヤで始められた。そこでの第一声は「15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言う人々への訴えであった。神の国はイエス様がいらっしゃる所に自然と生まれてくる。それは、人が失い、しかし、心から求めている大切な事柄です。神の国は神様を父と親しく呼べる心。人々を差別しないで愛する心。その様なイエス様の心が実際に存在する所に生まれる。イエス様はその心を得るために、悔い改めて、福音を信じなさい。と言われました。

 最初の人間は神様の戒めに背いて、まさに背を向けて、禁断の木の実をとり、食べてから神様を恐れて、神様のお顔さえ恐れて見られないものになってしまいました。それだけではなく、「これぞ肉の肉、骨の骨」と一体であることを喜びを持って歌った、最愛の隣人、エバとののしり合う者となってしまいました。

 背くものが神に向かって生きる。今までの生き方を変えて、神に向かって生きる者となることを求められたのです。私はこの出来事を集約する意味で手話を作りました。神様と向かい合って生き、手を握りあえる状態にある人間が(両手を合わせて、左手・人間が手のひらを返して、神様から離れて行った。その人間が左手を返す=向きを変えて神様に向かう=その向きを変えると言う事が、悔い改める、と言う聖書のもとの意味であると思いました。

 反対を向いていた左手が向きを変えると、すぐ後ろには右手=愛の神様=がいらして、また握手、仲直り=和解=が出来る。この一連の動作を教会の大切な手話として、教えてきました。

 さてイエス様は共に働く弟子を選ばれました。人々が生活しているその場所で神様の召しを受けたのです。漁師である最初の弟子には、「人間をとる漁師になりなさい。」と招きの言葉を掛けられました。私達もそれぞれの生きている場所で、私達の経験を生かした招きを下さっています。まず神様のお心に従って、そのお心を生かせる場所が今あなたの歩いてきた道にということではないでしょうか。

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by minitayori | 2018-01-20 22:01 | Trackback | Comments(0)

冬の寒空

冬の空(寒空)
近くの団地の間の道を歩いていたら、青空が不意に切れて、
寒空に変わった。明日は晴れだが月曜は雪とか。風がなければ
良いのだが。雪国の人たち、がんばれ!

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by minitayori | 2018-01-20 21:53 | Trackback | Comments(0)

ボケの花

ボケ
なんとなくつかいにくいこと言葉ですね。自分がその仲間に
入っているからでしょうか。でも花ことばは違います。
花ことば=早熟な人。

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by minitayori | 2018-01-13 23:33 | Trackback | Comments(0)